表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
流亡した聖職者と捨てられた少女  作者: 藹仁
堕落した聖職者と呪われた少女
7/32

07.村の不穏な気配

 ろうそくの炎が微かに揺らめき、木製の机の上に淡い光を落としていた。

 その柔らかな光が、硬質な木の線をわずかに和らげている。


 暖炉の残り火はかすかに赤く光り、今にも消えそうなほど弱々しい。

 それでも夜の冷気を完全に防ぎきることはできず、部屋の隅々に冷たさが滲み込んでいた。


 ルティシアの指先が護符の縁をなぞる。

 指腹がひんやりとした金属の彫刻をゆっくりと辿り、その存在を確かめるように。


 ろうそくの灯りの下、彼女の睫毛が微かに震えた。

 影が頬を掠めるように落ちる。


 表情には特に感情の波はない。

 ただ、この冷たい感触に慣れようとしているのか、それとも、

 どこか懐かしい安心感 に馴染もうとしているのか——


「……以前、こういうものを試そうと思ったことはなかったのか?」


 ふと、問いかける。


 彼女は小さく間を置き、答えを確かめるようにまばたきすると、淡々とした声で言った。


「……お金がなかったから。」


 あまりにも簡潔な答えだった。

 ためらいも言い訳もない。ただ、それが事実だと言わんばかりに。


 その言葉を聞いた瞬間、一瞬だけ沈黙が落ちる。


 驚いたわけではなかった。

 むしろ——


 彼女にとって、この言葉は口にする価値すらない、

 それほどまでに 当たり前のこと だったのだろう。


 護符は決して高価なものではない。

 最低位の魔素安定護符なら、普通の家庭の数日分の生活費程度だ。

 貴族にとっては 取るに足らない額 でしかない。


 だが、彼女にとっては——

 最初から選択肢にすら入らないもの だったのだ。


 この話を掘り下げても、無意味だろう。

 そんなことより、気になることがある。


「……それじゃあ。」


「この数年、どうやって生き延びた?」


 問いを投げると、ルティシアはすぐには答えなかった。


 ただ護符を見つめ、指先で金属の縁をなぞる。

 ゆっくりと、慎重に。


 まるで、答えを探しているように。


 やがて、彼女は淡々と呟いた。


「生きるのに、方法を選ぶ余裕なんてないでしょ?」


 ——あまりにも冷静な言葉。


 それはまるで、他人の話をするかのような 無関心な口調 だった。


 彼女は軽く指先を擦り合わせ、無意識のうちに己の存在を確かめるようにする。


 そして、もう一度、静かに言葉を続けた。


「家族が死んだ後は、自分で生きるしかなかった。」


 銀白の瞳がろうそくの光を映し、微かに揺れる。

 だが、その瞳の奥には どこか距離を置いたような冷たさ があった。


「呪いのせいで、人間の集落には長くいられない。普通に働くこともできない。」


「聖都の連中に見つからないように、私は移動し続けるしかなかった。」


「森、廃墟、人里離れた村……」


「隠れられる場所なら、どこでも。」


 ——彼女の語る「過去」は、まるで天気の話でもしているようだった。

 辛い記憶を吐露するのではなく、ただ「事実」を整理しているだけのように。


「食料は、自分で採るか、施しを受けるか。」


「もちろん……もっと酷い時もあった。」


 彼女は少しだけ息をつき、護符の中央に視線を落とした。


「最悪の時なんか、三日間何も食べられなかったこともあった。」


 それを語る口調に、感情はなかった。

 ただ、それは彼女にとって 「そういうこともあった」 というだけなのだろう。


「……それで?」


「それで?」


 彼女は問い返し、かすかに肩をすくめた。


 唇の端がわずかに動き、霧のように薄い微笑を浮かべる。


「結局、生き延びたじゃない?」


 ——それは、まるで何の意味もないことを語るような口調だった。


 静かすぎる声。

 笑っているのに、何も感じていないような表情。


 悲しみでもなく、自嘲でもなく——ただ淡々とした事実。


「……三日間、何も?」


 ほとんど聞こえないほどの小さな声で問いかける。


 思わず、彼女の手元に目を向ける。

 彼女は護符を握ったまま、刻まれた紋様に指を滑らせる。


 ゆっくりと、何かを確かめるように。


 そして、指先が護符を掴む。

 まるで、その冷たい感触に 自分の存在を重ねるように。


 ——もう、何も言う必要はなかった。


 だが、不思議なことに、ろうそくの灯りが先ほどよりも暗くなったように感じた。


 ルティシアは何も言わず、ただ唇の端をほんの少しだけ上げた。


 ——それは笑顔とは言えないほど微かな動き。

 感情のない、ただの「癖」のような表情だった。


 何も言えなかった。


 彼女にとって、「生きること」は 選択肢のあるものではなかった。


 生き残るために戦い、耐え、そして そのことすら気に留めないようになった。


「……わかった。」


 ロイはそれだけ言い、言葉を切った。


 ルティシアは答えず、ただゆっくりと瞬きをする。

 指先を閉じ、護符を手のひらに握りしめる。


 小さな水晶に、じわりと体温が染み込んでいく。


 暖炉の火が、わずかに揺らめく。


 静寂が訪れる。


 まるで、この会話が何もなかったかのように。


 だが、確信していた。


 ——この言葉は、決して消え去るものではない。


 彼女の過去は、ただ終わるだけのものではない。


 そして——


 未来もまた、ただ同じように続いていくべきものではない。

 暖炉の微かな灯りが、部屋の中に温かな影を落としていた。

 だが、それでも胸の奥にくすぶる 淡い圧迫感 を拭い去ることはできない。


 ルティシアの語る過去は、あまりにも淡々としていた。

「辛かった」 とも、「苦しかった」 とも言わなかった。


 それが彼女にとっては 形容する価値すらないもの なのだろう。


 この「慣れ」こそが、妙に胸を締め付ける。


 思考を振り払おうとしたその時——


 外から、重い足音が響いた。


 ——誰かが来た。


 ロイは即座に身を起こし、窓の外を確認する。


 扉の前に立っていたのは、見覚えのある男。


 村長、トランス。


 五十代半ばの体格のいい男。

 背はやや丸まり、顔には深い皺が刻まれている。


 普段は冷静沈着で、滅多なことでは慌てることのない男だった。

 だが、今は明らかに違う。


 彼の眉間には深い皺が刻まれ、瞳には 不安の色 が浮かんでいた。


「ロイさん?」


 扉の向こうから、慎重な声が響く。


 ルティシアの肩がわずかに強張った。


「ここにいろ、声を出すな。」


 ロイは小声でそう言い、素早く扉へと向かった。


 木の扉を開くと、冷たい朝の空気が流れ込み、室内の温もりを薄れさせる。


「村長。」


 軽く頷きながら、平静な声で問う。


「こんな朝早く、何か?」


 トランスは戸口に立ったまま、僅かに躊躇したように視線を落とす。

 何か言いづらいことがあるのか、口を開くまでに少し時間がかかった。


 そして、彼の視線が 一瞬だけ 室内を窺う。


 誰かがいるのではないかと、確認するように——


 ロイは 自然な動作を装いながら、一歩前へ出た。


 トランスの視界から、ルティシアの姿を完全に遮るように。


「……本来、あなたに頼るべきことではないのですが。」


 低く抑えた声で、トランスが口を開いた。


「だが……村の様子が、おかしいのです。」


 ロイの眉がわずかに寄る。


「おかしい?」


「……実は、二日前から村人たちに 異変 が起こり始めたのです。」


 トランスの声がさらに低くなり、まるで 誰かに聞かれることを恐れている ようだった。


「ある者は、家の前に“死神”が立っているのを見た と言い——

 ある者は、亡くなった家族の声を聞いた と言い——

 またある者は、夜中に目を覚ますと、部屋の中で“悪魔”が囁いていた と言う……」


 彼はそこで言葉を切り、ゆっくりと息を吐いた。


「これらは、偶然ではない。」


「昨夜、私は ある青年が地面に崩れ落ち、泣きながら“亡き妻が迎えに来た”と叫ぶのを見ました。

 彼は錯乱し、手に持ったナイフで自らを刺そうとしていた……」


 ロイは沈黙しながら、話を整理する。


 村の住人が次々と幻覚や幻聴を訴え、それが“死者”に関連している。


 これはただの精神異常ではない。


「それが呪いなのか、それとも何か別の異変なのか……私たちには分からない。」


「ですが、ロイさん——」


 トランスは顔を上げ、真剣な眼差しを向けてきた。


「どうか、調べていただけませんか?」


 ロイは即答せず、慎重に言葉を選ぶ。


 この異変は、ルティシアの呪いと関係があるのか?


 それとも、この森には、もともと別の“何か”が潜んでいたのか?


 可能性は複数あるが、今の情報だけでは結論は出せない。


 だが——


 このまま放置することはできない。


 ロイは静かに息を吐き、頷いた。


「……分かりました。調べましょう。」


「準備が必要なので、後ほど村へ向かいます。」


 トランスの表情が、わずかに安堵の色を帯びる。


「……ありがとうございます。」


 そう言って、村の方向へと歩き出した。


 ロイは彼の背中を見送り、その姿が木々の向こうに消えていくのを確認すると——


 ゆっくりと扉を閉めた。


 だが、安心感はなかった。


 むしろ、胸の中の不安はさらに強まる。


 ——村の異変は、今まさに広がっている。


 もし、この現象が悪化するのなら……


 自分が村を離れた間、ここは果たして無事でいられるのか?


 ロイの視線が部屋の中へと向かう。


 ルティシアはまだ静かにベッドの端に座っていた。

 銀白の髪がろうそくの灯りに照らされ、どこか儚げな幻想のよう に揺れる。


 彼女は先ほどの会話を聞いていた。

 だが、何も尋ねようとはせず、ただ静かにロイを見つめていた。


 銀色の瞳には 淡い探るような色 が滲んでいる。


 ロイは少し迷った後、ゆっくりと口を開いた。


「……今の状態で、歩けるか?」


 ルティシアはわずかに瞬きをする。


 この問いかけは予想外だったのか、一瞬戸惑いを見せた。


 彼女は軽く手を開き、包帯が巻かれた指を眺めた後、ゆっくりと身体を動かしてみせる。


「……歩ける。完全には回復してないけど、問題ないわ。」


 彼女は淡々と答えた。


 ロイは静かに頷き、何気ない口調で言った。


「なら、一緒に村へ行かないか?」


 ルティシアの眉がわずかに寄る。


「……どうして?」


 警戒心を含んだ目。


 ロイは視線を逸らさず、平静な声で言う。


「ここが安全とは限らなくなった。」


 ルティシアは即答せず、ただじっとロイを見つめる。

 彼が言葉の真意をどこまで考えているのか、確かめるように。


「……さっきの話、聞いてただろう?」


「村の異変が広がれば、聖都の連中がこの辺りに目をつける可能性が高い。」


「もし彼らが調査を始めれば……この小屋も、いずれ見つかる。」


 ルティシアの存在を 隠し通すことは、もう難しくなるかもしれない。


「だから、俺と一緒に村へ行こう。」


「そうすれば、お前が見つかる心配は減る。」


 ロイは静かに言葉を継ぎながら、わずかに間を置く。


 ルティシアは何も言わず、ただ 指先で包帯をゆっくりと撫でた。

 無意識の動作。


 何かを考えているのだろう。


 やがて、小さく息をつくように呟いた。


「……行くこと自体は構わないけど。」


 彼女の視線がロイへと向く。


「本当に聖都の聖職者が動くなら……私の髪と瞳の色が問題になる。」


 ロイはその言葉に対し、何も言わずに手を上げる。


 指先が静かに空をなぞり、低く詠唱する。


「薄霧のヴェールよ、真実を覆い隠せ。虚像の交差により、塵世の中に溶け込め。」


 ——ふわり、と魔力が漂う。


 霧のような光がルティシアの髪に絡み、銀白がゆっくりと沈み込んでいく。


 髪色が 深い褐色 へと変わる。


 まるで、夜の闇が静かに降りてくるかのように。


 ルティシアの瞳が一瞬だけ揺れる。

 指先をそっと髪に触れ、確かめるように滑らせる。


「……この色、見慣れないわね。」


 囁くように呟いた。


「……まさか、擬態魔法が使えるとは思わなかった。」


 いつもの冷静な声色とは少し違う。


 ロイの魔法に、珍しく 驚きの色 を滲ませている。


 ロイはただ静かに答えた。


「多少な。」


 ルティシアはしばらく黙り込む。


 指先で軽く髪を撫で、絡め、そして解く。

 繰り返しながら、目を細める。


「……あなたは元聖職者のはずよね?」


「なのに、こんな魔法を使えるなんて……」


「教会のやり方とは、ずいぶん違うわ。」


 その言葉に、ロイは反応を見せない。


 ただ、無言のまま 胸に手を当て、静かに呟いた。


「霧華よ、揺蕩え。心眼を曇らせ、真実を遠ざけよ。」


 魔力がふわりと広がり、彼の身体を包み込む。

 薄霧のような波が、一瞬だけ空間に揺れた。


 この魔法は——


「外見を変えるものではない。」


「だが、俺の“認識”を歪ませる。」


「俺をよく知らない者は、俺を目にしても、すぐに意識から抜け落ちるだろう。」


「見えていても、印象に残らない。」


「ただ、俺を本当に知る者だけが、俺の姿を正しく認識できる。」


 ルティシアの目が細くなる。


「……なるほど。」


「まるで“認識の霧”ね。」


 彼女はそう言いながらも、まだ何かを考えているようだった。


 だが、それ以上は何も言わなかった。


 ただ、目の前の男が 普通の聖職者ではなかった ことを、改めて実感していた。


「……この魔法……」


 ルティシアが微かに呟く。

 その声には、もはや問いかけの響きはなかった。


 代わりに、どこか微妙な感情が滲んでいた。


「これは……聖術じゃないわね?」


 それは、確認ではなく 確信に満ちた言葉 だった。


 ロイは視線をわずかに逸らし、一瞬だけ沈黙する。

 そして、淡々とした口調で答えた。


「……旧い友人に教わった。」


 ルティシアはじっとロイを見つめた。

 しかし、それ以上は何も聞かない。


 だが、その眼差しはどこか微妙だった。


 まるで、その言葉の奥にある 何か に気付いたかのように——

 だが、あえて 触れないことを選んだかのように。


 しばらくして、彼女の指がそっと縮こまる。

 そして、極めて静かに言葉を紡いだ。


「……私の母も、同じ魔法を使えたわ。」


 その一言は、まるで深い湖へと投げ込まれた小石のようだった。

 静かな水面に、小さな波紋が広がっていく。


 ロイはそっと視線を上げた。


 彼女の表情は相変わらず穏やかで、声の調子も静かだった。

 だが、その奥に 何かが揺らいでいる のを感じた。


「昔……母がまだ生きていた頃は、私を人間の街へ連れて行ってくれた……」


 低く、囁くような声。


 指先がそっと袖口に触れる。

 無意識の仕草——まるで何かを誤魔化すように。


「偽装魔法がなければ……私は人間社会で生きていくことなんてできなかった。」


 彼女の声は、ただ事実を語るように平静だった。

 まるで、それが 自分には関係のない話 であるかのように——


 しかし、微かに滲む言葉の 間 が、彼女の抑え込んでいる感情を物語っていた。


「……でも、彼女は……最後まで、私に教えることができなかった。」


 言葉が、そこで途切れた。


 ——なぜ、教えられなかったのか。

 ——何があったのか。


 彼女は何も語らなかった。

 説明することもなく、ただ黙り込む。


 指先が無意識に袖口をなぞる。

 ゆっくりと、何度も繰り返すように。


 まるで、その仕草の中に わずかな安らぎ を求めているかのように。


 ロイは何も問わなかった。


 安慰の言葉も口にしなかった。


 ただ、彼女の表情を 静かに見守った。


 ——人は、本当に重要なことほど、沈黙する。


 それは 取るに足らないこと だからではない。


 むしろ あまりに大切すぎて、言葉にすることができない。


 それに触れれば、崩れてしまうかもしれないから。


 外では風がそっと吹き抜けた。

 窓辺のカーテンがふわりと揺れ、ひんやりとした空気が流れ込む。


 ロイは沈黙を破らなかった。


 ただ、この沈黙が必要なものであることを理解していた。


 もし彼女が続きを話すなら——彼は聞くだろう。

 もし彼女が語らぬことを選ぶなら——それを尊重するだろう。


 ——人の記憶は、軽々しく触れていいものではない。


 そして、無理に暴こうとする必要もない。


 ——ただ、時間が必要なのだ。

 部屋の中では、ろうそくの炎がまだ揺れていた。

 静寂が続く中、最終的に口を開いたのは俺だった。


「そろそろ行くぞ。」


 声は穏やかだが、どこか 待つつもりはない という意志が滲んでいる。


 俺は彼女に選択を強いるつもりはない。

 だが、今回ばかりは 彼女がついてくることを望んでいた。


 少なくとも、俺の視界の範囲内にいてほしい。

 不用意に 危険へとさらされることがないように。


 ルティシアは小さく動きを止め、俺を見上げる。


 迷いを帯びた眼差し。


 彼女は、まだこの旅に同行する意味を 天秤にかけている ようだった。


 だが、やがて 小さく息を吐き、わずかに頷く。


「……わかった。」


 静かで、しかしはっきりとした返事だった。


 ルティシアは立ち上がる。

 少しぎこちない動き。


 長時間座っていたせいか、まだ動きに慣れていないようだ。


 俺の目は無意識に 彼女の手の動き に向かう。


 ——腰にそっと添えられた指先。


 重心を支えるような仕草。


「無理はするな。」


 念のためにそう告げる。


 ルティシアは軽く眉を上げる。


 どこか 不満そうな表情 だったが、反論はしなかった。

 代わりに肩を軽く回し、動きを確かめる。


「私はそんなに弱くないわ。」


 低い声で、わずかに 意地を滲ませながら 言う。


 俺はそれ以上は何も言わず、

 椅子の背に掛けていたマントを取ると、

 肩に羽織り、フードを深く被った。


 魔法による偽装はすでにかかっているが——


 念には念を入れる。


 視線を引き付けないための 物理的なカモフラージュ も必要だ。


「ここは、まだすぐに危険になるわけではない。」


「だが、聖都の連中が調査を進めていれば、近くまで来るのも時間の問題だろう。」


 言いながら、俺は腰に装備している荷物を手早く確認する。


「だから、村ではできるだけ目立つな。」


「知らない奴と目を合わせるな。不要な会話もするな。」


「……まるで私に“身の隠し方”を教えてるみたいね?」


 ルティシアがわずかに首を傾げ、

 くすっと笑うような口調で言った。


 俺は彼女を一瞥し、淡々と告げる。


「お前の偽装は、まだ甘い。」


 ルティシアは小さく鼻を鳴らし、

 まるで 認めたくないが、否定もしない かのような態度を見せた。


 ——少なくとも、反論しない時点で納得はしているのだろう。


 俺はわずかに頷くと、部屋の中を見回し、

 痕跡が残っていないか を確認する。


 この場所が俺たちの存在を示す証拠にならないように。


 すべての確認を終え、俺はドアに手をかけた。


 木の扉を引くと、

 冷えた朝の空気が、一気に流れ込んでくる。


 風の中に、微かに揺れる木々の音。


 ルティシアは小さく息を吸い込んだ。

 まるで、この外の空気に慣れようとするかのように。


 そして、俺の後に続いて歩き出す。


 扉が静かに閉まる。


 その瞬間、

 夜の風が、最後の残り火をさらっていった。


 風がマントを揺らす。


 その冷たさは、どこか 不吉な予兆 を帯びているようだった。


 ルティシアは再び小さく息を吸い、

 まるで 新たな環境に順応しようとするかのように 呼吸を整える。


 俺は無意識に、

 周囲を見回し、視線がないかを確認する。


 ——ここは もう安全ではない。


 そして、俺たちにはもう 迷っている時間は残されていない。


 今、この瞬間。


 ——俺たちに 選択肢はなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ