表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
流亡した聖職者と捨てられた少女  作者: 藹仁
堕落した聖職者と呪われた少女
27/32

27.世界のもう一つの姿

 国境を越え、数日間の旅を経て、ついに――


 ルミナス 、この魔法文明が最も発展した都市がその姿を現した。


 馬車が町へと入ると、俺は無意識のうちに車窓の外へ視線を向けた。


 そして――


 たった一瞬の光景 に、思わず息を呑む。


 この都市は、俺がこれまで訪れたどの場所とも、まるで異なっていた。


 街の建築様式は、まさに魔法と技術が融合した結晶のようだった。


 高くそびえる建物の外壁には、流れるような魔法陣が刻まれ、

 町全体を包むように、淡い魔力の波動 が漂っている。


 頭上を見上げると、通りには宙に浮かぶ魔導灯 が並び、

 柔らかな光を灯していた。


 驚くべきことに、それらは自律して移動 し、

 人々の流れに合わせて高さや明るさを調整 していた。


 どの道も、常に最適な光の環境が保たれるようになっているのだ。


 さらに、俺の目を引いたのは――


 空中に浮かぶ移動式のプラットフォーム。


 人々が軽やかにそれへと足を踏み入れ、

 魔力の流れに乗って、都市の異なる階層へと移動していく。


 まるで、階段やエレベーターを超越した、新たな交通手段のようだった。


 そして、もう一つ――


 通りの反対側では、

 若者たちが、魔導の滑走装置 に乗って滑るように 街を駆け抜けていた。


 それは、宙に浮かぶ魔導スケートボードのようなもので、

 彼らは軽快に加速し、時折跳躍しながら、

 まるで波の上を滑るように人々の間を縫っていた。


 ――この景色は、俺にとってまるで異世界の光景 だった。

 しかし、俺にとって最も衝撃的 だったのは、

 これらの魔法技術ではなかった。


 ――この都市に広がる、異種族混在の光景 だ。


 俺の視線が群衆を横切った瞬間、

 すぐに気づいた。


 ここに住む者たちは、人間だけではない。


 獣人族、エルフ族、ドワーフ族――

 さらには、俺が今まで見たこともない種族までもが、

 この街の一員として共に暮らしていた。


 少し離れたところでは、

 ドワーフの職人たち が何かの魔導器を囲み、設計について議論している。


 そのすぐそばでは、

 大柄な獣人族の商人 が、エルフの商人 と値段交渉をしていた。


 二人の間に隔たりはなく、

 むしろ互いを信頼し、対等に交渉する自然な雰囲気 がそこにはあった。


 ――そして、俺が最も意外に思ったのは、露天市場の近くで見かけた一団だった。


 そこにいたのは、青や緑がかった肌を持つ異族――海人族 だった。


 彼らの耳には魚の鰭のような構造 があり、

 滑らかな肌には、まるで水面に浮かぶ波紋のような模様が刻まれている。


 さらに、彼らの一部は手首に魔導装置 を装着していた。


 その装置を使い、まるで自らの手の延長のように水流を自在に操る。


 市場のやり取りでは、

 その水流を利用して商品を宙に浮かせ、

 客へとスムーズに見せる者までいた。


 ――こんな光景、聖都では絶対に見られない。


 俺が生きてきた世界では、異種族同士の関係は決して平等ではなかった。


 聖都において、異種族は常に異端視され、

 共存が許されていたとしても、人間と同等の権利を持つことなどありえなかった。


 だが、ここでは――


 違う種族の者たちが、同じ街で共に暮らし、交わり、協力し合っていた。


 その姿には、不自然な壁も、敵意もない。


 まるで、それが「当たり前」かのように。

 俺は無意識に拳を握りしめていた。


 胸の奥から湧き上がるのは、

 言葉にしがたい、複雑な感情。


 ――この共存は、本当に長く続くのか?


 ――異なる種族同士が、本当に衝突せずにいられるのか?


 こんなこと、今まで考えたこともなかった。


 しかし――


 一つだけ確かなのは、目の前の景色が、

 聖都が求める「秩序」とはまったく異なる心地よさ を持っているということだ。


 俺は深く息を吸い込み、

 雑然とした思考を整理するように、視線を街の賑わいから引き戻した。


 そして、改めて前を見据える。


 ――この都市こそが、俺たちの求める「真実」への鍵となる場所だ。


 夜のルミナス

 いつの間にか、夜の帳が降りていた。


 だが――


 ルミナスの夜は、昼間と同じほどに輝いている。


 この都市は、他の街のように夜になると静まり返ることはない。


 むしろ、魔法の存在によって、

 夜でもなお活気を帯びたまま。


 宙に浮かぶ魔導灯 が、街路の隅々まで柔らかい光を投げかける。


 それだけではない。


 夜空には、淡く輝く魔力の粒子が漂い、星のようにゆらめいていた。


 まるで、空そのものが魔法の光で満たされているかのようだった。


 街の両側に立ち並ぶ魔導店の灯り、

 中央広場に広がる露天酒場の喧騒。


 人々は変わらず行き交い、

 夜の街を満喫するように、

 交易を続け、談笑し、魔法都市ならではの独特の夜 を楽しんでいた。

 俺たちは街の通りを並んで歩いていた。


 この都市の異種族との共存には、

 まだ若干の違和感を覚えるものの、

 聖都とは明らかに異なる空気 に満ちていた。


 不思議と、この街の雰囲気にもう少し浸ってみたい――

 そんな気持ちにさえなってしまう。


 そんなとき、リヴィアン がふと顔を傾け、軽い口調で尋ねた。


「そういえば、まだ聞いていませんでしたね。

 ロイ大人とルティシア小姐、今回ルミナスに来た本当の目的 は何ですか?」


 彼女の声色はあくまで軽やかだったが、

 この問いは、ずっと前から考えていたものなのだろう。


 ここ数日で、俺たちは互いにそれなりに打ち解けていた。


 完全に信頼し合う関係ではないにせよ、

 少なくとも、当初のような疑念を抱き合う関係ではなくなった。


 だからこそ、彼女はこのタイミングで核心に迫る質問をしてきたのだろう。


 俺は少し考えたが、隠す必要もないと判断し、率直に答えた。


「俺たちはイリウス という人物を探している。」


 リヴィアン は軽く眉を上げた。


「イリウス……?」


 その名を繰り返しながら、

 何か思い出そうとする素振りを見せるが、

 特に反応はなかった。


 隣にいたカスタ とミレイア も互いに視線を交わし、

 次いで同時に首を横に振る。


 どうやら、彼らにとっても聞き覚えのない名前 らしい。


「うーん……知らない名前ですね。」


 リヴィアン は顎に指を当て、

 軽く思案しながら言葉を継ぐ。


「でも、情報を集めるなら、

 魔導士協会、ギルド、そして魔法学院 あたりが妥当でしょうね。

 どこも相当な情報網を持っていますし。」


 俺は静かに頷いた。


 魔導士協会とギルドなら、

 それほど苦労せずに情報を集められそうだ。


 だが――魔法学院 は、俺にとって未知の領域だった。


 そこに潜む情報を手に入れるには、

 もう少し内部の仕組みを知る必要がある だろう。

「ロイ……」


 思考を巡らせていた俺の袖を、ルティシア がそっと引いた。


 彼女の声はかすかに押し殺され、

 どこか不安げな響きを帯びていた。


「……ここの魔素の気配が濃い……少し慣れない感じがする。」


 俺はわずかに眉をひそめる。


 そして、ようやく彼女の様子が

 普段とは少し違っていることに気がついた。


 確かに――この都市の魔素濃度は異様に高い。


 ここに来たばかりの人間でも、

 空気全体にまとわりつくような魔力の圧 を感じるだろう。


 それは決して息苦しいものではないが、

 身体が敏感な者にとっては影響が出る 可能性があった。


「……大丈夫か?」


 俺は声を落とし、彼女の状態を探るように問いかける。


 ルティシア は小さく首を振った。


 表情こそ冷静を保っているものの、

 どこかまだ慣れない様子がうかがえる。


「平気……でも、ここの魔素の流れは他の場所と違う気がする。」


 彼女の声音は穏やかだったが、

 その奥にある微かな違和感を、俺は見逃さなかった。


 ――おそらく、詛呪が反応している。


 この都市の異常な魔素濃度が、

 彼女の体内にある詛呪 に何らかの影響を与えているのかもしれない。


 俺の胸に、じわりとした不安が広がる。


 もし、ここに長く滞在することで詛呪が悪化する ならば、

 早急に魔素を抑える手段を見つける必要がある。


 今はまだ問題が表面化していない。


 だが、このまま無策でいれば――


 いずれ、より深刻な影響が出る可能性もあった。

「宿を探しましょうか?」


 リヴィアン は、ルティシア の様子に気づいたのか、

 珍しく気遣うような口調で問いかけた。


 俺は少し考えた後、先に別の質問を投げる。


「……お前たちは、ここにどのくらい滞在するつもりだ?」


 リヴィアン はゆるやかに夜空を見上げ、

 落ち着いた声で答えた。


「特に問題がなければ……半年から一年くらいでしょうか。」


「そんなに長く?」


 俺は軽く眉を上げた。

 予想以上に長期の滞在だ。


 リヴィアン は、俺の反応にくすりと微笑み、

 当然のような口調で続ける。


「ここは、魔法資源も魔素を利用した物資も豊富です。」


「一定期間ここに滞在すれば、資金を安定して確保 できますし、

 ギルドの依頼をこなすことで名声を広げる こともできます。」


「そうすれば、他国での交渉や情報収集もずっと円滑 になります。」


 なるほど――確かに理に適っている。


 この国の魔法産業は、他と比べて群を抜いている。


 その環境を利用し、ギルドや市場に根を張ることができれば、

 資金・交易・情報、すべての流れを有利にできる というわけだ。


 短期的な利益ではなく、

 より長期的な戦略 を考えているのだろう。


 俺は軽く考えたあと、

 今の俺たちの状況を照らし合わせる。


 ――ルティシアの詛呪を抑える方法を探す。


 それさえ見つかれば、

 この地でしばらく滞在するのも悪くはない。


「確かに……ここに滞在するのも、俺たちにとって悪い話ではないな。」


 俺は静かに頷き、同意を示した。


 そして、再び周囲を見渡す。


 明かりが灯る幻想的な魔法都市。


 ここが、これからの俺たちの舞台 となる。


 そして、俺たちの目的もまた――


 この場所から、本格的に動き出すことになるだろう。

 夜の帳がルミナスの街を包み込む。


 だが、それでもなお、魔導灯 は柔らかな光を灯し続け、

 都市全体を賑やかに彩っていた。


 この街に到着したばかりの俺たちにとって、

 まずすべきことは宿の確保 だ。


「ひとまず、宿を探しましょう。」


 リヴィアン は耳元の髪を軽く払いながら、

 いつもの軽やかな口調で言った。


「ついでに、この街の人々から情報を集めましょう。

 もしかしたらイリウス に関する手がかりがあるかもしれませんし。」


 俺は頷き、彼女とカスタ の案内に従いながら、

 街の奥へと歩を進めた。


 ルミナスの大通りは、夜でも光に包まれ、活気に満ちている。


 だが、街全体が市場のように喧騒に包まれているわけではない。


 俺たちは、煌びやかな大通りを抜け、

 魔導石が敷き詰められた小道 を進んでいく。


 すると――


 そこには、比較的静かな住宅街が広がっていた。


 このエリアには、宿屋や長期滞在向けの賃貸施設 が立ち並び、

 どの建物にも、さまざまな魔法の刻印 が刻まれていた。


 それらは、温度を維持し、湿気を防ぎ、さらには防御結界を展開する ためのものらしい。


 しばらく歩くと、俺たちは**「銀爪の宿」** という看板の前で足を止めた。


 この宿の外観は、普通の宿屋とは一線を画していた。


 高くそびえる石造りの建物の外壁には、

 明らかに魔法を付与された符文 が刻まれている。


 それは、ただの装飾ではない。


 おそらく、この宿自体に何らかの防御機能が施されている のだろう。


 俺たちは、重厚な木製の扉を押し開け、中へと足を踏み入れた。


 すると――


 そこには、温かみのある心地よい空間 が広がっていた。


 暖炉には魔法の炎 が灯り、

 室内を適度な温度に保っている。


 天井には浮遊するランプ が穏やかに回転しながら光を放ち、

 部屋全体を均等に照らしていた。


 その光は、目に優しく、決して眩しくない。


 ――聖都の冷たく鋭い燭光とは、まるで異なる温もりを感じさせた。

 しかし、俺が本当に驚かされたのは、

 この宿の設計ではなかった。


 ――それは、カウンターの向こうに立つ店主の存在 だった。


 そこにいたのは、狼人族 の男だった。


 分厚い胸板とたくましい腕。


 深灰色の毛並みに、鋭い金色の瞳。


 まるで、戦場で鍛え上げられた戦士のような出で立ちで、

 彼の背筋の伸びた立ち姿と、鍛え抜かれた体躯は、

 まさしく聖騎士を彷彿とさせるものだった。


 ――いや、下手な聖都の聖騎士よりも強そう に見える。


 圧倒的な威圧感。


 俺は無意識に背筋を伸ばし、

 目が合った瞬間、

 鋭い視線で値踏みされている ような感覚を覚えた。


「……」


 俺はすぐには口を開かず、

 隣にいるルティシア の様子を確認する。


 しかし――


 彼女は特に動じた様子もなく、

 静かに店主を観察していた。


 まるで、当たり前のことのように。


 その堂々とした態度が、

 逆に俺を少し安心させた。


 そして、そのとき――


「ようこそいらっしゃいました。

 ご宿泊をご希望ですか?」


 ――声が、思いのほか穏やか だった。


「……」


 俺は一瞬、言葉を失った。


 さっきまで感じていた、

 あの揺るぎない威圧感はどこへやら。


 この低く落ち着いた柔らかい口調 は、

 どう考えても先ほどの第一印象と一致しない。


 この体格、この雰囲気、

 どこに立っていても人々が避けて通るような圧倒的な存在感。


 にもかかわらず、

 この声は、あまりにも礼儀正しく、優しすぎる――


 まるで、

 巨大な戦斧でナイフとフォークのように上品に食事をしようとするような違和感。


 理屈では理解できても、直感が追いつかない。


「……ぷっ。」


 不意に、リヴィアン が笑いを漏らした。


「ははっ、見事な反応だな。」


 カウンターの横で腕を組んでいたカスタ が、

 苦笑混じりに言葉を添える。


「まだ慣れていないんだろ?

 ルミナスじゃ、こういうギャップは珍しくない んだぜ。」


 俺は眉をひそめる。


「……これが普通なのか?」


「ええ、もちろん。」


 リヴィアン は、楽しそうに微笑む。


「この街では、外見と職業、性格が結びつくとは限りませんよ。」


「獣人族だから戦士とは限らないし、

 ドワーフ族だから鍛冶屋とも限らない。

 そして――エルフ族が必ずしも貴族や学者とは限らない。」


 彼女は、意味ありげに肩をすくめると、

 軽く指を自分に向けて言った。


「たとえば、私みたいに。」


「確かに、リヴィアン大人にはお似合いの言葉ですね。」


 カスタ が、わざとらしく皮肉混じりに言うと、

 リヴィアンはくすくすと笑う。


「なるほどな……。」


 俺は小さく頷く。


 まだ完全には慣れないが――


 少なくとも、

 これ以上驚くことはなさそう だ。

 そのとき、店主の視線がリヴィアン に向けられた。


 彼は俺たちの素性に興味を持ったのか、

 穏やかな口調で問いかける。


「皆さんは、ルミナスへ観光に? それとも、何か別の目的が?」


「旅人、ということにしておきましょうか。」


 リヴィアン は微かに頷き、落ち着いた声で答える。


「ここで半年から一年ほど滞在し、

 事業を広げながら、価値のある情報を集める予定です。」


「なるほど。」


 店主は軽く目を細め、

 先ほどよりも親しげな笑みを浮かべる。


「それなら、この街はぴったりですね。

 長期滞在には最高の環境ですし、

 よろしければ、いくつかおすすめの場所 を紹介しましょうか?」


「へえ?」


 リヴィアン は興味深げに眉を上げ、

 にこやかに問い返す。


「例えば?」


 店主は指を軽く折りながら数え始めた。


「まず、この街には珍しい魔導具を扱う店が多く、

 他の都市では手に入らない貴重な魔法用品が手に入ります。」


「それから――特殊な魔物素材を用いた服飾店 もおすすめですね。

 防御力に優れた装備が手に入るので、冒険者や魔法使いには重宝されます。」


「それから、アンテルファ広場の市場も見逃せません。」


「市場?」


 リヴィアン は、わずかに興味を示す。


「はい。」


 店主は穏やかな口調で続ける。


「そこでは、遺跡から発掘された珍しい品々が並ぶこともあります。

 中には、すでに失われた魔導技術 に関する品もあるとか……。」


「遺跡の発掘品?」


 リヴィアン の瞳が、一瞬、鋭く光った。


「それは面白そうですね。」


 彼女は、口元に微笑を浮かべながら呟く。


「最後に――」


 店主は少しリラックスした口調で付け加える。


「もし冬まで滞在されるなら、郊外の露天温泉 もおすすめです。」


「温泉?」


 俺は無意識に考え込む。


「ええ。天然の魔力泉が湧き出ており、

 魔法を扱う者にとっては体の調子を整える 効果があると言われています。」


 ――魔力泉。


 もし、本当に魔力の負担を軽減できるなら……


 ルティシア にとっても、有効な手段になり得るかもしれない。


 この街には、まだまだ探索すべき場所 が多そうだ。

 宿の手続きを終え、しばらく店主と談話した後、

 俺たちはそれぞれの部屋へ向かうことになった。


 部屋割りは――


 リヴィアンとミレイアが同室、カスタは一人部屋。


 そして、俺が案内された部屋を見た瞬間――

 ある問題 に気づいた。


「……待て。」


 俺は眉をひそめ、

 すぐにリヴィアン に確認しようと振り返る。


 だが、ちょうどそのとき。


 彼女は、すでに自室の前に立っていた。


 俺の視線を察したのか、


 彼女はピタリと足を止める。


 そして――


 口元に、明らかに「楽しんでますよ」という笑みを浮かべた。


 そのまま、指を立てて「頑張れ」とでも言うようなジェスチャーをし、

 何事もなかったかのようにミレイアと共に部屋へ消えていく。


 ――おい、確信犯だろうが。


 俺は無意識に深く息を吐き、

 眉間を押さえた。


 どうやら、わざとこういう割り振りにした らしい。


 俺が頭を抱えながら振り向くと、

 ルティシア の様子が視界に入った。


 ……なんだ、その微妙な顔は。


 彼女の瞳はどこか泳ぎ気味で、

 頬には淡い赤みが浮かんでいた。


 まるで、

 すでにこの状況を理解し、意識してしまっているかのように。


 彼女は何も言わない。


 だが――


 この表情だけで、

 彼女の心中が手に取るように分かる

 ……気まずい。


 何とも言えない沈黙が流れ、

 俺は自然と視線を逸らした。


 このままでは落ち着かない。


 俺は、あえてルティシアの反応には気づかないふりをして、

 先に口を開いた。


「店主に言って、新しく部屋を取ってくる。」


 ルティシア は、小さく唇を動かした。


 まるで何か言いたげだったが――


 最終的には言葉を飲み込み、

 ただ静かに頷くだけだった。


 その反応に、俺は少しだけ安堵する。


「じゃあ、行ってくる。」


 そう言い残し、俺はカウンターへと向かった。


 ◆


「ほう、部屋を変更されますか?」


 店主は腕を組み、

 穏やかな口調で俺の申し出を受け止める。


「そうだ。もう一部屋追加したい。

 条件は、さっきの部屋と同じくらいで構わない。」


 俺の言葉を聞いた店主は、

 ピクリと耳を動かすと、

 手元の宿泊記録を確認しながら、

 申し訳なさそうに告げた。


「申し訳ありませんが、長期滞在向けの部屋は、

 先ほどの部屋が最後の空き部屋となります。」


「……」


 俺の脳裏に、嫌な予感 がよぎる。


「短期宿泊の部屋ならあるか?」


「ええ、ございます。」


 店主は淡々と答えながら、

 ゆっくりと宿泊記録をめくる。


「ただし、短期宿泊の部屋は料金が割高になります。

 宿泊者の入れ替わりが激しく、維持費がかかるためです。」


「……」


 俺は軽く眉を寄せ、

 頭の中で資金の計算をする。


 ここ数日、

 俺の出費はそこまで多くはなかった。


 だが、このまま短期宿泊の部屋を借り続けると、

 明らかに長期的な負担になる。


 相対的に考えれば、

 現状のままの方が経済的には合理的 だった。


「……分かった。部屋の変更はしない。」


 俺は小さく息を吐き、

 諦めることにした。

 そのとき、店主の視線がふと、

 少し離れた場所に立つルティシア へと向けられた。


 鋭い金色の瞳に、一瞬だけ感嘆の色 が宿る。


 そして、穏やかな笑みを浮かべながら、

 静かに言葉を紡いだ。


「お嬢さんの髪、とても綺麗ですね。

 こういった白色の髪は、なかなか珍しい。」


 俺は無意識にルティシア を見やる。


 彼女はわずかに顔を上げ、

 称賛を受け止めるように店主を見つめた。


 しかし、その反応はどこかぎこちなく、

 慣れていない様子が窺える。


 それでも、軽く頷きながら、

 無言のまま感謝の意を示した。


 俺は、その場の空気を変えるように、

 何気なく質問を投げかける。


「こういう髪色は、他の種族にもいるのか?」


 店主は顎に手を当て、少し考え込んだ後、答えた。


「ええ、時々見かけますよ。」


「獣人族やエルフ族の中にも、

 まれに白髪の者 は生まれます。

 ただ、それは血統的に特別な個体に限られることが多いですね。」


 俺は静かに頷く。


 ――だが、妙な違和感があった。


 無意識のうちに、

 再びルティシア の髪へと視線を向ける。


 暖かな魔導灯の光を受けた彼女の髪は、

 雪のように透き通る銀白色を帯びていた。


 まるで、月光を反射した純白の雪面 のように美しく、

 その質感や色合いは、ただの「白髪」とは明らかに違う。


 ――だが、店主はそれを単に「白色の髪」と評した。


 これは、偽装魔法の影響ではない。


 彼女の髪色が、あまりにも希少すぎるために、

 店主ですら違和感に気づいていないのだ。


 ルティシアも、それを察したのか――


 彼女は静かに顔を少し傾け、

 相変わらず落ち着いた声で返した。


「……ありがとうございます。」


 その口調は、いつもと変わらない冷静なものだったが、

 僅かに唇がきゅっと引き結ばれている。


 ――この注目には、まだ慣れていないのだろう。

 ともかく、今は細かいことを気にしている場合ではない。


 俺の宿泊問題は、もう確定してしまった。


 ――ルティシアと、同じ部屋に泊まる。


 部屋の造り自体は、これまでの旅で泊まった宿と大差ない。


 シンプルな二人部屋。


 無駄な装飾のない、清潔で整った空間。


 だが――


 それでもなお、この空気は微妙だった。


 もう何度目だ?


 慣れているはずなのに、なぜか毎回こうなる。


 まるで、運命に仕組まれたかのような展開 だ。


 俺は思わず考え込む。


 ――これ、本当に偶然なのか?


 まさか、高次元の視点から俺たちを見ている神がいて、

 面白がって勝手に運命の駒を動かしている のでは?


「さあ、今日もこの少年がどう反応するか、見せてもらおうか!」


 ……なんて具合に、

 神殿の片隅でワイン片手に笑ってる神がいたらどうする。


 そして、その隣にいる神々が、

「ほう、今日はどんな反応を?」

 なんて言いながら興味津々に俺を観察していたら――


 俺はもう何も言えない。


 そんな馬鹿なことを考えながら、

 思わず天井を見上げた。


 ――もし本当に誰かが俺たちを観察しているなら、

 今頃大笑いしているに違いない。


 そのとき――


「……」


 ルティシア が、静かに口を開いた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ