15.雨の中の対話
西フォートスの町を出たあと、旅路は想像していたほど穏やかなものではなかった。
ここ数日、いくつかの小さな村を通り過ぎながら、食糧や水を補給した。
時には村人の好意で短い休息を取ることもできたが、大半は荒野や森林を歩き続ける日々だった。
道中、幾度か魔物と遭遇した。
出てきたのは主に狼型の魔獣や、森に潜む魔蜥など、そこまで危険なものではなかったが、それでも旅路に少なからず支障をきたした。
俺がすばやく片付ける一方で、ルティシアは戦闘には加わらなかったものの、戦闘後には冷静に魔物の習性を分析し、どの部位が商人に売れるかを指摘してくれた。
それ以外にも、道中では各地を巡回する聖職者たちの姿を何度か見かけた。
彼らは単なる巡回の審査官に過ぎなかったが、それでも俺は警戒心を緩めることはなかった。
ルティシアもまた、僅かに緊張を滲ませていたが——偽装魔法のおかげで、俺たちは怪しまれることなく、いくつかの検問を無事に通り抜けることができた。
そんな旅を続けるうちに、俺は次第にルティシアの態度の変化に気づき始めた。
彼女は相変わらず多くを語らず、どこか冷淡な表情を保っていた。
だが——
それは初めて出会った頃の「距離を取るための冷淡さ」とは違っていた。
今の彼女は、単に「人との接し方に不慣れなだけ」なのだと感じる。
旅の間も、彼女は俺と行動を共にすることに慣れつつあった。
自分から積極的に会話をすることは少ないが、俺が何かを尋ねれば、以前よりも落ち着いて答えるようになっていた。
そんなある日——
ルティシアが道端の植物に目を向けるようになった。
時折、野生の果実や葉を手に取り、俺に差し出しては「これは食べられる」「これは毒がある」と説明してくれる。
俺はそうした知識には詳しくない。
これまでの逃亡生活では、基本的に携行している乾燥食料に頼ることが多かったため、野草や果実を食べること自体、ほとんどなかった。
そんな俺にとって、彼女の的確な判断は少し意外だった。
「これは食べられるのか?」
俺はルティシアが差し出した暗赤色の果実を手に取る。
果皮は滑らかで、かすかに酸味の混じった甘い香りが漂っていた。
「うん。少し酸っぱいけど、水分補給にはなる。」
彼女は淡々と答えたあと、すぐ近くに生えている低木を指さす。
「……でも、こっちの種には毒がある。食べると、めまいや吐き気を引き起こす。」
俺はしゃがみ込み、二つの果実を見比べた。
見た目はほとんど同じだが、葉の表面の模様に僅かな違いがある。
俺は片眉を上げ、何気なく尋ねる。
「……もし誤って食ったら?」
「水を大量に飲むか、解毒作用のある草を探す。」
ルティシアはいつも通りの冷静な口調で答える。
「ただし、毒が強く回った場合は……寝てやり過ごすしかない。」
「……経験者の口ぶりだな。」
俺は何気なく言った。
すると、ルティシアは小さく頷き、手の中の果実を見つめながら静かに呟く。
「……昔、試したことがある。」
簡潔な言葉だったが、その背後にある意味は、決して軽いものではない。
俺は僅かに間を置き、より直接的に問いかける。
「試した……? どんな状況で?」
ルティシアはすぐには答えなかった。
指先で果実の表面をゆっくりとなぞりながら、過去を思い返しているようだった。
「……昔は、食べられるものが少なかった。だから、時々間違えた。」
それは、まるで他愛のない昔話をするような、淡々とした口調だった。
俺はしばらく黙ったまま、彼女の表情を観察する。
冷静に見えるが——その「冷静さ」こそが、俺の心にわずかな重さをもたらした。
「……生きてるだけ、運が良かったってこと。」
ルティシアはさらりとそう言い添える。
その言い方は、まるでこんな話は特に重要ではない、と言わんばかりだった。
俺はそれ以上聞かなかった。
だが、この話が「生存術」ではなく、「生きるために仕方なく覚えたこと」だという事実が、嫌でも伝わってくる。
どれだけの時間を、どれだけの困難を、彼女はこうして耐え抜いてきたのか——
俺には分からない。
そして、彼女がそれを話すつもりがあるのかどうかも、まだ分からない。
……だが、一つだけ確かなことがある。
いつか、彼女自身が語る時が来るなら、それを待つのが俺の役目だ。
「……行くぞ。」
俺はそれ以上深くは聞かず、手のひらの葉を無造作に地面へと落とすと、歩き出す。
ルティシアは俺を一瞥し、短く頷くと、静かに後に続いた。
午後の空はまだ淡い光を帯びていたが、いつの間にか黒い雲が静かに広がり始め、陽光を覆い隠していた。
空気には湿気が漂い、遠くの山林から低く鈍い雷鳴が響く。
——嵐が近づいている。
「……雨が降るね。」
ルティシアが静かに空を見上げる。
その声はいつも通り落ち着いていたが、歩く速度がわずかに速まった。
「雨宿りできる場所を探そう。」
俺は周囲に視線を走らせ、ひとまず雨を凌げる場所を探し始めた。
今、俺たちが進んでいるのは、人通りの少ない細い道だ。
両側には鬱蒼とした森が広がり、前方には緩やかな山の斜面が続いている。
このまま雨の中を歩けば、身体が冷えるだけでなく、地面がぬかるんで移動が困難になる可能性もある。
しばらくすると、ぽつりぽつりと大粒の雨が降り始め、マントの表面を叩く軽快な音が響いた。
俺たちは迷うことなく、山の斜面に沿って雨宿りできる場所を探す。
——そして数分後、岩陰に隠れるようにしてぽっかりと口を開けた、小さな洞窟を見つけた。
規模は大きくないが、二人が雨を凌ぐには十分な広さだ。
俺たちは素早く中へと入り、ほぼ同時に雨脚が激しさを増した。
雷鳴が遠くで轟き、闇が迫るように森を包み込んでいく。
洞窟の中には湿った空気が漂い、マントの端から滴る雨粒が地面に落ちるたび、かすかな音を立てた。
俺は荷物を乾いた隅に置き、手早く火打ち石を取り出す。
何度か火花を散らし、乾いた木の枝に火を灯した。
火が燃え広がるにつれ、洞窟の中にわずかな暖かさが広がる。
揺れる炎が岩壁に影を落とし、明暗の境界を曖昧にしていく。
俺は肩にかかった濡れたマントを払い、手早く脱ぎ捨てた。
濡れた上着も脱いで火のそばに掛け、乾かすために広げる。
それから、ルティシアの方を見やり、簡潔に言った。
「服を乾かせ。雨が止むまで待つ。」
——その時、俺はふと気がついた。
ルティシアの“変装魔法”が、すでに解けかかっていることに。
……まあ、簡易的な魔法だ。長時間維持できないのも無理はない。
ルティシアは洞窟の奥側に立ち、まだ濡れたマントをまとったままだった。
指先で布地をそっと握りしめ、ためらっているのが見て取れる。
「……必要ない。」
彼女は低く呟くが、動こうとはしない。
俺はわずかに眉を上げ、彼女の手元を見やる。
握りしめた指先には、かすかな緊張が滲んでいた。
「濡れたままじゃ、体が冷える。もし熱を出したらどうする?」
俺は淡々と指摘する。
「そんなに弱くない。」
ルティシアは相変わらず小さな声で返す。
その言葉には、どこか意地のようなものが滲んでいた。
俺は軽く息を吐く。
無駄な口論をするつもりはない。
手元に置いていた、すでに乾いたマントを手に取り、彼女に差し出した。
「……せめてこれを羽織れ。服が乾くまでの間だけでいい。」
ルティシアの視線が、俺の手にあるマントへと移る。
続いて、篝火のそばで乾かしている衣服へと、一瞥をくれる。
しばらく逡巡していたが、最終的に彼女は静かに手を伸ばし、それを受け取った。
「……後ろを向く。」
俺はそう言い残し、すぐに背を向ける。
彼女が安心して着替えられるように。
洞窟内には、篝火が静かに燃える微かな音と、外で降りしきる雨音だけが響いていた。
数秒後——
布が滑り落ちる音が、静寂の中で鮮明に響いた。
落ちたマントの微かな音が、やけに耳に残る。
俺は思わず身を強張らせ、篝火の揺れる炎をじっと見つめる。
余計なことは考えるな、と自分に言い聞かせながら。
——だが、この状況でそれは無意味だった。
静かな洞窟内では、どんな小さな音も鮮明に響く。
布の擦れる微かな音、衣服が肌を離れるわずかな気配。
俺は背を向けたまま、必死に意識をそらそうとする。
だが、それらの音は否応なく耳に入り、意識の片隅に染み込んでくる。
……落ち着け、ロイ。冷静になれ。
深く息を吸い込み、篝火に集中する。
火を安定させ、衣服をしっかりと乾かすことに全神経を注ぐんだ。
そうだ、雑念を捨てるんだ。
——神よ、たとえ俺がもはやあなたの信徒ではなくとも、今だけはどうか救いを。
この瞬間、俺の意識を冥想の深みに沈め、完全なる無に至らせてくれ。
できるなら、俺の精神をただの石に変えてくれ。
感覚も思考も持たぬただの岩になれたなら、俺は決して罪を犯すことはないだろう。
俺は篝火を見つめながら、無心になろうとする。
……だが、全く集中できない。
むしろ、頭の中が妙に冴え渡ってしまっているのは何故だ。
こんな時に限って、どうして思考がこんなにも鮮明になる?
……クソッ。
俺は心の中で軽く毒づきながら、さらに篝火を凝視する。
今はただ、目の前の火にすべてを飲み込んでほしいと願うばかりだった。
「……終わった。」
その時、ルティシアの声が背後から聞こえた。
いつもよりわずかに硬い声だった。
——瞬間、俺は神との無意味な葛藤から引き戻される。
反射的に振り向く。
だが、その直後——
俺の動きは、不自然なほどピタリと止まった。
ルティシアは俺のマントを肩に掛けていた。
だが、その下に身につけているのは、わずかに湿ったインナーだけ。
銀色の髪がしっとりと肌に張りつき、篝火の光を受けて、より滑らかで柔らかく見える。
鎖骨の繊細なラインが、肩へと続く優美な曲線を描き、マントで隠しきれない腰の細さが、かえって目を引いた。
わずかに開いた襟元の隙間から、豊かな曲線がちらりと覗く。
彼女は長い脚を揃え、膝を軽く寄せながら、マントの端をそっと握りしめる。
その指先にわずかな緊張が見えたが、明らかな不安を示すことはなく、あくまでいつもの冷静さを保っていた。
——そして、俺の視線に気づいたのだろう。
ルティシアの瞳がわずかに見開かれ、次の瞬間——
「……どこを見てるの?」
少し慌てたような、だがどこか苛立ちを含んだ声が響く。
俺は瞬時に意識を取り戻し、慌てて視線を逸らした。
「……ぼんやりしてただけだ。」
乾いた咳を一つ漏らしながら、適当な言い訳を口にする。
ルティシアは眉をひそめる。
明らかに信用していない表情だったが、深く追及することはせず、マントをさらに引き寄せ、露出を減らすように身を包んだ。
妙な沈黙が落ちた。
俺は場の空気を変えようと別の話題を探すが、先に口を開いたのは彼女だった。
「……あなた、その傷……どうしたの?」
ルティシアの視線が俺に向けられ、微かに表情が変わる。
どこか迷いを含んだ目つき——それが何を意味するのか、俺には分かっていた。
俺は小さく息をつく。
——そういえば、今の俺は上着を脱いでいる。
先ほど振り返った時、彼女の視線に俺の背中が映ったはずだ。
ならば、見られたのだろう。
肩甲骨から脇腹へと走る、深い傷跡を。
篝火の光に照らされ、それがはっきりと浮かび上がっていたのだろう。
「……聖都を脱出した時のものだ。」
俺はそう言って、何気なく篝火へと目を向ける。
特に詳しい説明をするつもりはなかった。
だが、ルティシアは今までと違って、すぐに話を切り上げようとはしなかった。
しばしの沈黙の後——
「……あなたは、どうして追われているの?」
彼女は静かに問いかけた。
ついに、聞かれる時が来たか。
篝火の揺れる光が、洞窟の湿った岩壁に映り込み、
微かな爆ぜる音と外で降りしきる雨音が交錯する。
その静寂は、妙に深く響いた。
ルティシアの視線は依然として俺に向けられたままだった。
無理に問い詰めることはしないが、それでも探るような眼差しを向け続けている。
——俺がどうして追われているのか。
いずれ聞かれるだろうとは思っていた。
遅かれ早かれ、向き合う時が来ることも分かっていた。
俺は短く息を吐き、膝の上の布地を指先で軽くなぞる。
どこから話すべきか、慎重に言葉を選びながら。
「……聖都が、世界の信仰の中心を名乗り、すべては“秩序”と“神の意志”のために行っていると主張しているのは知ってるな?」
ルティシアは黙って頷いた。
「俺も、かつてはそれを信じていた。」
彼女は口を挟まず、静かに耳を傾けていた。
「だが……ある出来事を目の当たりにした。」
俺はゆっくりと篝火に目を向ける。
「——何の罪もない母子が、異端者として処刑された。」
ルティシアの指がわずかに震えた。
それが彼女自身の経験と重なったのか、あるいは別の何かを想起したのか——
だが、それでも沈黙を貫き、俺の言葉を待っていた。
「俺は異端審問に関わったこともある。確かに、凶悪な罪を犯した者たちを見てきたし、裁きも執行した。……だが、あの母子は違った。」
俺はゆっくりと言葉を続ける。
「彼らは何もしていない。ただ、“間違った場所”に生まれ、“間違った神”を信仰していただけだ。」
記憶の中、その光景は今もなお鮮明に焼き付いている。
あの女は、幼い子供を庇いながら、民衆の前で裁きを受けた。
反抗することも、弁明することも許されず、一方的に異端として断罪された。
——そして、審問官が処刑のために用いたのは、聖術ではなかった。
あの瞬間、俺は確信した。
それは、“信仰”とは全く異なるものだった。
「……あれは、俺の知る“神の力”ではなかった。」
それは、もっと歪で、不吉で、不安を掻き立てる何かだった。
俺は拳を握りしめる。
指の関節がわずかに白くなり、こみ上げてくる記憶を押し戻すように、無意識に力を込めた。
「——あの時、俺の信仰は揺らぎ始めた。でも、それでもなお、俺は抗うことができなかった。」
静かに、言葉を紡ぐ。
「だから……俺は、全てを日記に記した。」
自分の中に渦巻く矛盾を整理し、いつか真実を明らかにできる時が来るのではないかと。
「……だが、俺の行動はすでに監視されていた。」
自嘲気味に口元を歪める。
ルティシアの眉がわずかに動いた。
何かに気づいたような、探るような眼差しを向けながら、低く尋ねる。
「……監視?」
俺は静かに頷く。
「聖都において、聖職者という立場は、決して自由ではない。」
「彼らは、信仰が揺らぐことを許さない。特に、聖術を扱う“審判者”であればなおさらだ。」
少し間を置いてから、俺は淡々と続けた。
「——だから、俺は聖職を剥奪され、“異端”として処刑を宣告された。」
篝火の音が静かに弾ける。
ルティシアの表情は大きく変わらなかったが、指先がわずかに縮こまるのが見えた。
「……それで、どうやって逃げたの?」
彼女の問いには、これまでと違う温度があった。
わずかに、けれど確かに——
その声には、ほんの少しの“柔らかさ”が滲んでいた。
俺は一瞬だけ言葉を詰まらせる。
喉の奥が妙に詰まるような感覚が広がり、それを振り払うように、ゆっくりと口を開いた。
「……友が、助けてくれた。」
それだけの言葉を絞り出す。
声が、無意識にかすれた。
胸の奥に、何かが詰まっているような感覚。
言葉を続けるたび、喉が重くなる。
「……俺はまだ、その頃、信仰を完全に捨てられなかった。」
「それでも、彼らは責めなかった。ただ、“逃げろ”と……それだけを言った。」
ルティシアはじっと俺を見つめる。
彼女の瞳には、探るような色が浮かんでいた。
そして、静かに問いかける。
「——彼らは?」
俺は篝火の光を見つめながら、ただ一言。
「死んだ。」
感情の揺らぎを表に出すことなく、静かに。
ただ、既に定められた事実を告げるように。
ルティシアの睫毛がわずかに震えた。
そして、そっとマントの端を握りしめる。
すぐには返事をせず、ただ静かに俺の言葉を受け止めていた。
「だから……お前の言った通りだ。」
俺は低く呟く。
「これは、ただの追跡じゃない。“抹殺”だ。」
「聖都にとって、俺は単なる逃亡者ではない。内部の闇を暴く可能性のある“変数”だ。」
篝火の炎が、小さく揺らめく。
沈黙が洞窟の中を包み込んだ。
ルティシアは、しばらく黙ったまま、考えを整理するように視線を落とす。
そして——
確信しきれないような、けれどどこか迷いを捨てたような声で言った。
「……あなたの決断は、正しかった。」
俺は僅かに動きを止め、ルティシアを見る。
彼女の表情は、相変わらず淡々としていた。
だが、その瞳には、今までとは違う、何か柔らかなものが宿っていた。
彼女はマントの端を指先でなぞりながら、ゆっくりと言葉を続ける。
「結果は……よくなかったかもしれない。でも、あなたは何かをしようとした。」
「彼らのように、沈黙を選ばなかった。」
俺は、ふっと小さく笑う。
「“何かをしようとした”……か。」
どこか、自嘲気味な笑みだった。
「俺はただの偽善者だよ。黒衣を纏っているのも、過去を正面から受け止められないだけだ。」
「信仰が俺を裏切る前に、きっと俺は気づかないうちに加担していたんだ。」
ルティシアは、俺の言葉を静かに聞いていた。
そして——
「……でも、あなたは必死に村人たちを助けた。」
そう、淡々と告げた。
「それも、“偽善”?」
俺は言葉を失った。
彼女の声音には、疑問も、感情の揺らぎもなかった。
ただ、一つの事実を述べたかのように。
篝火の灯りが、彼女の横顔を優しく照らしていた。
俺は、しばらく沈黙する。
そして、低く呟く。
「……いつか、その答えが分かる時が来るかもしれない。」
「それまでに、俺は知る必要がある。」
「聖都が、一体何を隠しているのか——。」
そこで会話は途切れた。
俺はふと、洞窟の入り口に目を向ける。
外の雨は、すでに勢いを失っていた。
地面にはまだ水たまりが広がっているが、遠くの空にはわずかな光が差し始めていた。
「……雨が、止んだ。」
ルティシアが静かに呟く。
俺は軽く頷き、篝火のそばに掛けていた乾いた衣服を手に取ると、
慣れた手つきで黒衣を肩に掛け、装備を整え始めた。
ルティシアはそっとマントを引き寄せ、視線を洞窟の入り口へ向ける。
雨上がりの冷えた空気に慣れようとするかのように、微かに息を吐く。
すぐには動かず、ちらりと自分の衣服を見下ろす。
裾の一部がまだわずかに湿っているのを確認し、指先で軽く布地をなぞった。
そして、静かに振り返り、篝火のそばに掛けていた服を手に取ると、
言葉もなく、それを着替え始めた。
彼女の動きは迷いなく、かといって急ぐこともなく、淡々としたものだった。
下着を整え、外衣を羽織り、最後にマントの留め具をしっかりと留める。
すべてを整えた後——
ルティシアはふと顔を上げた。
だが、すぐに歩き出すことはなかった。
何か考えるように、微かに逡巡しながら、言葉を探しているように見えた。
「……もし、本当に答えが見つかったら。」
ようやく、彼女は口を開いた。
声はいつもより少しだけ軽い。
だが、その響きの奥には、ずっと胸の内に抱えていた問いが滲んでいた。
「あなたは、どうするの?」
彼女は俺を直視せず、感情を表に出すこともなく、ただ静かにそう問うた。
俺は手を止め、しばし沈黙する。
篝火の燃え残りが、かすかにパチッと弾ける音がした。
「……それは、答え次第だ。」
俺は淡々と答える。
ルティシアは視線を落とし、その言葉を噛み締めるように小さく息をついた。
そして、少しの間考えた後——
「……あまり、酷い答えじゃなければいいけど。」
そう、静かに呟いた。
それ以上、彼女は何も言わなかった。
やがて、マントの裾を整え、くるりと背を向けると、
洞窟の入り口へと向かって歩き出す。
外の空には、まだ灰色の雲が残っていた。
だが、その隙間から射し込む淡い光が、ゆっくりと世界を明るく染めていく。
雨上がりの冷たい空気に、湿った土と草の香りが混じる。
清涼な風が吹き抜け、木々の葉が静かに揺れた。
俺たちは荷物を背負い、無言のまま洞窟を後にする。
そして——
再び歩き出す。
次なる町へと続く、終わりの見えない旅路へ。