19歳の決心、20歳の最近(4)
新居の整理にもひと段落がつき、再び卒業制作に取り組む時が来た。改めて自分のテーマに向き合うと、今まで進めてきたもの全てが虚構にしか見えなくなっていた。
素敵な日を、全てのカップルに。
その日二人は確かに幸せだ。でもそこに至るまでの道は誰しもなだらかだろうか? いつかは祝福される日を迎えるはずだった自分は、その前に蒼波の隣から追い出されてしまった。その日を迎えられるカップルは奇跡なのだ。
自分は何がいけなかったのだろうか?
中途半端な生き方をしていた十八年間を何処かから見ていた神様が、この恋も中途半端に終わるよう仕向けたのだろうか。蒼波の麗しい花嫁となるべく、努力は重ねたつもりだったが、足りなかったのだろうか。
「俺が愛していたのはあくまで少年の白夜だった。」
「白夜の存在自体が俺にとって眩しいのさ。」
待てよ、自分の努力の方向が間違っていたのではないか?
制作をほぼ白紙からやり直しつつ、甘美な記憶を走馬灯のように巡らせた。
若きカメラマンは、被写体を探していたのだろう。河原で寝そべり本を読んでいた春の日、初めて蒼波と出会った。
「君の写真を撮らせてくれる? お礼にコーヒーくらいはご馳走するからさ。」
無理にカメラに目線を向け、歯を見せ口角を上げようとする自分に蒼波は言った。
「そのままでいいよ、そのままの君を俺に撮らせて。」
出会いの瞬間は誰にとっても奇跡だ、それをムービーにどうやって反映させたら良いのだろう。
撮った写真ができたと声をかけられ、蒼波のスタジオに連れていかれた。不安定な雰囲気を纏う自分に寄り添う暖かい風。それを見つめる撮影者の優しい目。
詳しいことはわからなかったが、蒼波の写真はとても衝撃的だった。このヒトの作品の中に存在したいと強く思ってしまった。被写体のアルバイト代ね、と初めの数回は決して安くない代金を受け取ったが、最終的に自分から撮られることを志願し、代金を受け取るのは止めた。
「おい、また写真の被写体をやらせろよ。」
「おい、お前のことをもっと教えろよ。」
スタジオの鍵をもらい、仕事終わりの蒼波の帰りを待つのが放課後の習慣となった。
距離を徐々に縮めていく時の胸の高鳴り。自分の期待している言葉を貰えるのはいつかと少しの驕りと期待感。これは表現が難しいな。でもそのトキメキを彷彿とさせるような演出をしてみたい。
「おい、なぜ僕を被写体に選んだ? そして僕の写真を撮り続ける? 両性具有の奴なんて怖くないのか? 心も身体も中途半端で……」
「白夜の存在自体が俺にとって眩しいのさ。何事にも臆さず生きたいように生きる白夜の姿が。これからもずっと俺の被写体でいてくれないか? 」
「これからもずっと? お前が飽きるまで僕を撮り続ける気か? 」
「飽きる日なんてきっと来ない。俺は白夜を手放したくない。できたらずっと傍にいてくれないか? 」
嬉しかった、泣きたくなるほど嬉しかった。
今まで出会うヒト全員が、自分を興味の目でしか見なかった。男なの? 女なの? 身体はどうなっているの? 考え方はどうなの? どうでもいいだろう、放っといてくれ。
次第に家族にまで奇妙な子として見られた。男になりたいの? 女になりたいの? 男として育てたつもりだけれど、考え方は女々しいな。笑い方は豪快で、かっこ悪いし、はしたない。自分の生き方くらい自分で決めさせてくれと訴える度に呆れられ、最終的に相手にされなくなった。
そんな自分の全てを受け入れてくれる存在に、自分の好きなヒトがなってくれて嬉しかった。
気が付くと目の前のメモ帳にはインクが滲み、ぐっしょりと濡れて使いものにならなくなっていた。自分も蒼波を手放したくなかった。
ありのままの自分を愛してくれたヒトに、ある時から急に女性として生きようとした自分の行動は残酷だったのかもしれない。ひとりよがりで蒼波を置いてきぼりにしてしまったのかもしれない。酷い奴は自分だ。
走馬灯は悲しい感情をよそに頭の中を回っていく。
「蒼波が大好きだ。気が狂いそうだ。でもこの感情をどう伝えたらいいかわからない。初めてだよ。こんな風に誰かを好きになること自体が。」
「じゃあ、俺は白夜の色々な初めてを頂くことになるのかな。全てを教えてあげる、だからずっと傍にいて、俺の元から去らないで。最初で最後の恋人に俺をして。」
苦しい、悲しい。無条件の愛情なんてない。過去の自分はなんて馬鹿なのだろう、不確かな言葉を全て信じて。
走馬灯に惑わされないでペンを進めよう、失恋したからって制作期限は伸びない。働くんだ、動くんだ。走馬灯を見る暇がないくらいにもがいて狂って、辛い思いさえも原動力にして、爆発させてしまえ。
どうにか完成の目途が立った頃には、吹く風がすっかり冷たくなっていた。あの出来事以降も玄輝とは普通に会話していたが、お互い気まずさもあり内容は必要最低限で、周りからもよそよそしく見えていただろう。
玄輝は借りていたアパートを引き払い、見覚えのある道順で誰かの待つ家へと帰っていくようになった。蒼波から何回か連絡はあったが、全て拒ませて頂いた。
時折誰かを迎えに来ているのだろう、蒼波の自家用車を目撃してしまうことはあったが、なるべく目を背けていた。
撮影日程が寿司詰めで顔も合わせられない状態だったのに、この数カ月でそんなにスケジュールが空いたのか? さては契約していた事務所をクビになったのか? 自分にはもう関係のない話である。
幸せになってくれ、そして目の前からは消えてくれ。