19歳の決心、20歳の最近(3)
「それで、喧嘩の内容は? 」
つっけんどんに聞くところが彼女らしい。
「面と向かって言い合いはしていないけれど。でも蒼波の心はもう取り戻せないみたい。」
「浮気をされたという事ね。会話もしていないのにどうしてそれがわかるの? 」
「偶然お相手と帰ってきたところに出くわしてしまったから。思わず逃げてしまったよ。」
「アタシだったら腕組みでもして睨みつけて、一発お見舞いするけれどね。お相手は顔なじみの奴だったの? 」
目は泳いでいたかもしれないが、名前は出さない方が賢明だと咄嗟に判断した。
玄輝は朱音とも友だちだし、騒ぎを大きくしたくなかった。
「ああ……まあ……。」
「ま、いいや。今日が休日でよかったねぇ。とりあえずアタシの所に来な。蒼波さんは仕事? 最後に話し合いとかしなくて大丈夫? 浮気に気づかれた事すら知らないまま、あっちはこれから過ごすかもしれないよ。」
いいや、残念ながら蒼波は自分の元から去ったヒトについて、その理由を納得するまで追い求める事はしないだろう。現に、自分より前に蒼波が付き合ってきたヒトたちに対しての態度がそうであった。
中には蒼波の気をもっと己に向かせたくて思わせぶりな態度を取った結果、別れてしまったヒトもいるのであろう。どうしてあの時追いかけてくれなかったの、気持ちを分かってくれなかったの。恨みがましい文章を記された手紙が何通か届くのを見た。しかし蒼波は開封こそするものの手紙を返しもせず破りもせずその辺にあった紙ごみと共に放置し、古紙回収の日に一緒に纏めて外に放り出していた。結局蒼波は手を離れたモノのその後を知る気がないのだ。
離れた瞬間恋人だった二人の関係性は赤の他人に戻ってしまい、赤の他人が知らないところでおくる人生は蒼波にとって存在しないも同然なのだ。
まして既に心が離れてしまった自分に浮気がなんだと騒がれたところで、心底鬱陶しい表情をするだけだろう。それならば自分は黙って、過去のヒトの一人の枠に大人しく収まって蒼波の世界から消えてしまおう。
「もういいのさ。全てが面倒臭い。一刻も早くあの家から自分は離れたいだけ。」
こうして初めての恋人との二人暮らしはあっけなく幕を閉じる事となった。
いきなり決めた大急ぎの引っ越しは意外にも少し楽しかった。一人だったらまさに地獄でしかなかっただろうが、朱音がいてくれて助かった。女子二人でわいわい行う作業はまるでイベント準備のようであった。
「いや、二年だけでこんなにモノって増えるものなのか。」
「白夜がモノを買い過ぎるでしょ。アタシの家そんなに広くないからね。要らないものは思い切って捨てて。少しは自重してよね。」
「このドライヤー、自分が買ったのだけれど。この食器一式も。このランプもローテーブルも。」
「いきなり全部なくなったら蒼波さんも困ってしまうでしょう。アタシの家にもあるから諦めて置いていきな。」
どうにか荷物をまとめ上げ、最後に蒼波の机へ目をやった。少年時代の自分の写真。過去のヒトとなった者の写真など、あっても場所を取るだけだ。近い将来に、古紙回収へと出されてしまうだろう。それはあまりにも悲し過ぎるから。
朱音の見ていないところで、手持ちのバッグにこっそり全てをしまいこんだ。
朱音の家で荷ほどきをしながら、改めてそれらを見返してみた。蒼波の撮る写真はやっぱり好きだ。どの写真に写る自分も柔らかい空気に包まれていて、愛されていたという事実が否応なしに突き付けられる。
そして今更気づいたが、一緒に住み始めてから撮られた写真がそれまでと比べてぐっと少ない。自分が男性から女性に変わったことだけが果たして理由だったのだろうか。蒼波の為の決断であったはずなのに。
それとも、自分の変化はただの大義名分で、あまりにも近くにいすぎて、見たくないところまで見えるようになってしまったのか。それで気持ちが萎えてしまったのか。だとしたら同棲カップルあるあるだ、笑えてしまう。愛しき日々よ、さようなら。写真と一緒に消えてしまえ。
「さっきからシュレッダーを乱用しているけれど。多分それ全部データとして、蒼波さんの自宅に残っていると思うよ。アタシも詳しくはないけれどね。」
そういうものなのか。自分は写真について何も知らなかった。持ってきた写真は全て細かい破片となり、不規則に混ざり合っていた。
いくら蒼波に未練はないと自分に言い聞かせても、引っ越し当日は心の整理をつけるのが難しかった。辺りが暗くなり始めた頃、頭を少し冷やすため、開発中の港町に一人で出かけた。しかしトラクターの並ぶそこはほとんどの店舗が閉まっており、唯一明かりが点いていたのは小さな寂れたショークラブだけであった。
折角だから覗いてみよう。慣れない雰囲気に少し緊張しながらも、少しカシスの香る赤ワインが入ったグラスを片手で持ち、真ん中にあるステージで繰り広げられる演技を眺める。黒いスーツの中年男性が一人、四十代半ばくらいの夫婦が二組、落ち着いた雰囲気の婦人が一人、その他自分と同じような若者がぽつぽつと。観客の少ない、明るく寂しい夜公演であった。
フラフープを優雅に回しながら手品を披露した可憐な少女が退場すると、虹色に輝くとても派手な衣装を着た細身の男性が入場した。身体に張り付くようなデザインにも関わらず、それを覆い隠すほど大量に取り付けられたフリンジに身を埋めた彼は、上から降りて来たポールに手を掛けた。一見動きを制限しそうな、黒光りしたレザーのグローブとブーツを身に着けていたが、実際それらは彼の身体の動きへ柔軟に寄り添い、衣装の艶やかさを引き立てていた。きっと良い素材のモノなのだろう。奇抜なデザインがゆえに多くのヒトは似合わないであろうその衣装が、若くはないその男性になぜかとても良く似合っていた。
ポールダンスのショーが始まった。しなやかに孤を描く色とりどりの糸達にしばし魅了される。銀糸と共によられた輝くフリンジは、それぞれが絡まり合う事もなく、照らされたステージの上を舞っていた。その美しさになぜか涙が出そうになったのは、ただ単にアルコールに酔って感傷的になっていただけかもしれない。ゆらゆら揺れているのは糸たちだけではなかったようだ。
少しずつ揺れが強くなってきた頭をどうにか支え、帰路についた。頭も冷えたが心も冷えた、虚しいだけだ。今後一人酒は控えよう。