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それからのこと(2)

家に帰り私は、持ち帰った名刺入れに、二年前の記念日にお揃いで作った名刺を入れた。式を挙げた年は、打ち合わせの日程を考えて仕事を調整していたのもあって、夏以降は二人してスタジオの作業部屋を出られないほど忙しかった。その中でも蒼波の撮影する写真は、独特の雰囲気を纏っていて美しかった。記念の旅行は一年間お預けとなった。


 式を挙げてから一年が経った頃、蒼波の運転する青い車で来た海沿いの街は観光名所ではなかったが、潮風が心地よくゆっくりと過ごすにはうってつけの場所であった。六月には珍しく天候にも恵まれ、私たちは日常を忘れて流れる時間を楽しんだ。

 二人で静かな商店街を散歩していると、いかにも老舗といった雰囲気を醸し出す文房具屋があった。慌ただしい日々の中蒼波の事務所の庶務をこなしてみて、私はもっと厚いノートと長時間滑らかに書くことができるボールペンを必要としていた。そこまで高級品でなくても何か良いモノはないかと吸い寄せられるように店内に入ったのだ。

 お目当ての品を見つけレジに並ぶ時、その土地で作られている和紙での名刺作成を宣伝するポスターを見つけた。

「玄輝もさ、今はあまり外に出る機会はないけれど。俺が独立してから事務的な仕事をずっと任せているから、名刺の一種類くらいそろそろ持っていても良いよな。」

 そう言って、蒼波は自分のショルダーバッグの中に入っていたタブレットから私の一番好きな写真のデータを探し、店員に見せた。エンゲージリングを受け取った時にレストランのバルコニーで撮ってもらった写真だ。自慢気に指輪を見せつける私の左手を拡大し、デザインの背景として薄く透かしに入れて、初めての名刺は百枚ほど印刷された。

「由良フォトオフィス マネージャー 酉井玄輝」

 役職名の付いた自分の名前は何だかとても新鮮だった。

「すみません。同じデザインで、俺のも百枚お願いします。」

 印刷を終えた名刺を私に手渡す店員に、蒼波は声を掛けた。

「貴方の名刺、私の手をバックデザインに入れてしまって良いのですか? 」

「俺の一番大切な宝物の写真を名刺に入れて何が悪い。」

「宝物? あのエメラルドのリング良いお値段しそうですからね。」

「照れ隠しか? 俺の一番の宝物が何かは玄輝が一番分かっているだろう。」

「では次回私が名刺を作る機会があったら、バックデザインは貴方の全身のシルエットにしますね。」

「恥ずかしい、絶対にやめろ。」

 店員が咳払いをするまで、私たちはそんな甘い会話を続けた。

 

 名刺は実際に必要な機会が増えた。蒼波の撮影する、その場の雰囲気まで切り取るような写真が数々の場で求められるようになっていったのだ。打ち合わせに蒼波は、私を必ず連れていった。そして場にふさわしい服装をあまり持ち合わせていなかった私へ、二年目の記念日にスーツを贈ってくれた。

 式を挙げた段階で蒼波と私は似合う色が違うことは分かっていたため、蒼波は自分の気に入ったモノを適当に買って来るような真似はせず、休日に私を連れて繁華街の数ある紳士専門店の全てを巡り、似合う数点を選んでくれたのだ。蒼波の隣に並んで出かけることは多くなったものの、傍から見てお似合いのカップルだったかどうかはわからない。

 元よりヒトとのコミュニケーションが苦手で、慣れない環境で緊張してしまう私は、小さな紙袋に適当に入れた名刺を取り出すたびに指が震え、何回か出先で落として散らしてしまっていた。見かねた蒼波によって三年目の記念日に、名刺入れをお揃いで手に入れることを提案された。

 

「皮の名刺入れは良いですよ。年月を重ねるごとにその色合いが深みを増していきますからね。」

 私たちがペアリングを作った、繁華街のジュエリーショップの路面店。その中に併設されたレザーショップをその時訪れた。初老の域に最近足を踏み入れたであろう細身の、黒いスーツを着た男性が応対してくれた。

「若い方にはキャメルなど明るい色も人気ですけれど。長く使いたいのであれば個人的には黒が良いと思いますね。フォーマルな場にも気にせず持っていくことができますので。」

 色々なデザインのモノを二人で吟味していると、ロマンスグレーの髪のにこやかな表情をした、やはり初老の男性が近づいてきた。

「いや、変わらず仲が良さそうで喜ばしい限りです。ペアリングを選ばせて頂いたことを誇りに思います。」

 見れば三年前に会ったジュエリーアドバイザーだった。

「二人で今度は名刺入れですか。良いですね。お揃いのモノを持っていると例え相手が近くにいない時でも、ずっと自分を見守ってくれている気がして心の支えになりますよね。名刺入れはいつも持ち歩くモノだから尚更ですよね。一緒に仕事をしているから、あまり二人が離れていることはないのですか? それは羨ましい限りですな。」

 気に入ったお揃いの黒のレザーの名刺入れをラッピングして貰いながら、ジュエリーアドバイザーに軽く近況報告をした。彼は私たちの惚気話を嫌な顔ひとつせずに快く聞いてくれた。

「ではまた来てくださいね。」

 品物が入った紙袋を手渡した後、レザーショップの店員と並んでジュエリーアドバイザーは店を出ていく私たちに手を振ってくれた。二人の左手にお揃いのゴールドリングが光っていたのに私が気付いたのはその時であった。瞬間、その光は頭の中を稲妻のように駆け巡った。

 あのゴールドリング、見かけたことがある。どこで? つい先ほどまで聞いていたレザーショップの店員の甘くハスキーな声。ソルティ・ドッグ一杯で舌足らずになる饒舌な客。黒いレザーのブーツの似合う華奢な脚。昔バーで良く話したポールダンサー。まだ蒼波に明かしていない唯一の私の秘密。今更隠しごとはしたくないから、いつかは話さなくてはと考えていた秘密。

 こうして今はもうないバーでの思い出を、私は蒼波に話すに至ったのだ。ミッドナイト・サンとキールで半分夢の中のようにふらふらとした頭を抱えながら、私は名刺入れを仕事鞄にしまった。次の日も打ち合わせであった。お互い二日酔いが残らず、上手く仕事が進みますように。もう寝よう、とベッドに私を促す蒼波の声が部屋の入口から聞こえて来た。

 私が電気を消すのを待って、二人して目覚まし時計をセットしたのを確認し、眠りについた。


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