18歳の憂鬱(9)
腰痛はしっかり翌日まで残り、ふらつく身体をどうにか支えて私は無事に卒業証書を受け取った。名前も知らぬ在校生の花道をくぐって、卒業生一同は校庭に出る。
私も白夜さんも親は見に来ていないし、一緒に記念写真を撮り合う友だちもいないので、各々が方々に散っていく中で半ば取り残されたような形となった。蒼波さんの帰りは今日も遅くなるそうだ。
「いつもの場所に、行きますか。」
古い空き教室の窓を全開にすると、淡い色の風が花びらと共に吹き込んできた。
この場所にはずいぶんとお世話になったけれど、もう一生来ることはないだろう。そう思うとこの時間がなぜかとても大切なモノに感じられた。
「ねえ玄輝。昨日は成り行きであったとはいえ、お前の秘密に土足で踏み込んで申し訳なかった。ここは平等に、僕の秘密も一つ玄輝に打ち明けたいと思う。けれど、お前とはこの一年とても多くの時間を共有していたから、ほとんどの秘密は既に知られてしまっているのだよ。ある一つのことを除いてね。」
白夜さんは覚悟を決めたように唾を飲んだ。出っ張りの少ない、細い喉が動く。
「いや、いいですよ。うちのマスターが若い子の来訪に舞い上がってしまった部分もあると思うので。言いたくないことは無理に言わせたくないし。」
「それでもさ、これからも一緒の道を進むことになった玄輝には、知っておいて欲しくもあるんだ。僕の我儘かもしれないけれど、共有させて欲しい。」
こちらの返答も待たずに、白夜さんは私の前でおもむろにブレザーを脱ぎ、ネクタイを外し始めた。全開だったカーテンを慌てて閉める。昼間から何をしようとしているのか、しかもここは学校だ。
慌てて制止するこちらを無視して、白夜さんはワイシャツの最後のボタンを外し、何やらその下に装着していた固そうなインナーを外した。私は目を疑った。
「え……白夜さん? 」
男性としてはありえない柔らかそうな曲線が、白夜さんの胸に二つ存在していた。
「言っておくが、男装していたわけではないよ。下半身は男性そのものだ。僕は生まれつき性分化疾患を持っている。中学に入学する時あたりから、急に胸が膨らみだしたんだ。サッカーの練習中に頭を打って入院した話、お前も聞いただろう。あの時診察をしてくれた先生が異常に気付いて色々検査してくれたのさ、個人的には余計なお世話だったけれど。昨日玄輝が見つけたのが診断書だ。初めは完全に男として育てられた僕が、実は女性の要素も持っているなんて知って動揺した。普通は性自認に合わせて薬を使ったり、手術をしたりするものらしいのだけれど。玄輝も見ただろう? 我が家はとても貧しくて家族仲も悪い。診断結果は伝えたけれど、聞くのも嫌な感想ばかり言われて、治療の話は出なかった。けれど僕は気づいた。男にも女にもなりきれないという状態が、実はとても便利なのではないかって。僕はそんな中途半端な奴だ。」
白夜さんは再度上の服を身に着け、改まった顔で私を正面から見つめた。私は白夜さんの告白にびっくりしていたが、同時に一つ腑に落ちたことがあった。スタジオで見つけた白夜さんの写真の何枚かに女性のような服装をしたモノがあったのだ。元々白夜さんは中性的な顔立ちだからと考えていたが、それにしてもとても似合っていた。なるほど、白夜さんには女性としての身体的要素があったのか。
「でもね、僕はこれから女として生きていくことにした。」
今日は衝撃発言が多いが、この発言を聞き私は今まで以上に動揺してしまった。
「どうしてですか? だって白夜さんを好きな蒼波さんはゲイでしょう? 」
つい口から出てしまった言葉を後悔したが、白夜さんは特段気に留めなかったようだ。
「確かにそうだ。でも、僕はこれからね、蒼波と同棲生活を始める。昨日スタジオに荷物を運んで貰ったのもそういう理由だ。そして将来、僕は蒼波と結婚したい。パートナーとかそういう形じゃなくて正式に認められた相手として、堂々と蒼波の隣にいられるヒトになりたい。治療せずにいた親に、今初めて感謝している。だからこそ、この選択ができたから。専門学校でお前と同級生になるのは、女性としての僕になると思う。お前なら大丈夫だと思うが、僕と過ごした高校生活については、僕と玄輝だけの秘密にしておいて欲しい。そして例え不自然に思ったとしても、女性として過ごし始める僕を自然に受け止めてくれないか。」
少し私は首をかしげた。表面上は蒼波さんを思っての選択に聞こえるが、結局は白夜さんの強い独占欲の裏返しだ。蒼波さんの全てが欲しい、蒼波さんのことは誰にも指一本触らせない。だから今の自分の立場を最大限利用してやろう。そんな叫びが聞こえてくるようだ。
「分かりました。いきなり環境も変わる中で大変なことも多いとは思いますが、頑張ってくださいね。私は応援しかできないですが、何か困ったことがあれば、周りには秘密で相談くらいは乗りますよ、これまで白夜さんがしてくれたように。」
ありがとう、と白夜さんは口にして、新生活の準備をするべくスタジオに帰っていった。後でちょっと手伝ってと言われたが、私は少しの間この教室で頭を冷やしたかった。
マスターに白夜さんが語っていた夢を思い出した。今は結婚が許されていないカップルにも素敵な日をとか言っていたが、自分は世間に認められたカップルになりたいなんて矛盾していると思わないのか。でも白夜さんに対してなぜ私はそんなに許せない思いを抱いているのか。別に関係のないことではないか。
冷静になって、私は自分自身を分析した。ああ、多分私はまだ蒼波さんを諦めきれないのだ。蒼波さんの隣に確固たる居場所を作ろうとする白夜さんが、羨ましくてたまらないのだ。
「いわゆる略奪愛をしてしまったのよ。」
ポールダンサーの言葉が頭を回る。あの話を聞いた時、道徳的に考えても許されないことをした二人を実は少し軽蔑していた。しかしどうだろう、今の私は当時の彼と全く同じことをしているではないか。
「諦めきれなくて、少しでも長く目に触れられて、同じ空気を吸って、段々と距離を縮めて、強引に告白されて、幸せの絶頂に立って、その代償に自分のいた世界を追い出された、のか。」
この先どうなるかわからないけれど、後ろめたい思いを全く持たずに生きているヒトなんていないのではないか。白夜さんだって、蒼波さんだって、ポールダンサーだって、そして私だって、自分で意識しているかどうかは別として、したたかにずる賢くこの世界を生きているし、これからも生きていくのだ。
こうして私の高校生活は終わった。やっと起き上がりヒトから遅れて走り出したコースは、やっぱりなだらかではなかった。
この先に何があるかわからないけれど、どんな時も着実に、前へと足を進められますように。




