19歳の決心、20歳の最近(2)
「あれ、蒼波? 今日は帰りが早いねえ。」
「そちらこそ。学校生活は順調? ごめんね、食事はもう済ませてしまった。」
久しぶりに恋人と顔を合わせた午後七時。簡単な言葉を交わしただけでごく自然に各々の生活へと戻っていった。
一緒に暮らして二年も経てば接し方も変わっていくものだ。少しの隙間も惜しむようにくっ付いていた時期は過ぎ、今は個人の生活スタイルを優先するあまり同室内で過ごすのは食事時くらいだ。
それでも安心して二人で過ごす家、少し寂しいけれど恋から愛への移り変わりとはこんなものなのかなと思ったりもした。
「ところで玄輝から聞いたけれど、レインボープライドパレードに行っていたの? 声をかけてくれればなあ。ちょっと興味があったかもしれない。」
「行ったよ。そうしたら昔の俺たちの事を思い出してさ、男同士手を繋いじゃって。傍目から見たら奇妙なカップルだったかもしれないけれど、あれはあれで楽しかったな。」
「その時はその時、今は今。傍目から見ても自然なカップルになれているのだからいいじゃない。あ、これからテレビの時間ね。お風呂に入って来るわ。」
なぜか浮かない表情で画面を見つめるカメラマンの恋人。忙しい撮影が続いて心身まいっているのかもしれない。今日もお仕事お疲れ様です。自分も疲れた、早寝しよう。画面の奥から響く苦手な笑い声に背を向けて、恋人を部屋に残し浴室へと急いだ。
「この写真に写っている男の子、玄輝じゃない? 」
いつものように制作を進めていたある日の夜、五分程休憩すると言い缶コーヒー片手に携帯端末をいじり出した朱音がある画像を見せてきた。調子がいいからと深夜にさしかかるまで作業を続けてしまい、すっかりしょぼついた両目が釘付けになった。
明るい春の日差しを顔に受け、虹色の旗の下で眩しそうに微笑む少年。確かに見慣れた顔だった。
「何さアイツ、やっぱり行っていたじゃない。ていう事は出先で蒼波さんを見かけたのね。でもどうして? アイツ、一人で行ったの? 」
玄輝と知り合ってから、彼に浮いた話は聞いた事がなかった。が、実は彼がそこに行く事自体は、特に不思議ではなかった。彼はこちらの病気を知っていたが、自分もまた彼の過去を共有していた。この前は朱音もいたし、その中でパレードに行ったのかと彼に聞いてしまった自分も軽率であったとあの後少し考えた。
それよりその写真の構図や光の取り入れ方が気になった。背筋に冷や汗が流れるのを感じながら、右手を伸ばした。
「朱音。悪いのだけれどそれ貸してくれる? 」
「え? ああ、はいどうぞ。」
写真を思い切り大きくしてみたり、写真の出典記事を探してみたりした。……そして見つけてしまった。当てたくなかった予感。
「この写真、撮影者が蒼波だ。」
ああ、でももしかして二人は偶然出会っただけなのかもしれない。玄輝は通りがかった蒼波にたまたま写真を撮ってもらっただけなのかもしれない。頭の中心でガンガン鳴るアラームを必死に無視して、自分はまだそんな事を考えていた。
「別に予感を確信に変えたかった訳じゃないのにね。」
写真を見た後、制作意欲なんてものは消え失せ、飛ぶように家へ帰った。蒼波は撮影で遅くなると聞いており、自分も本来なら校舎に泊まる予定で、蒼波にもそう伝えていた。
蒼波の部屋は運が良いのか悪いのか施錠されていなかった。机に並べられた数々の写真。きちんと整理されているところが今は憎らしい。四年前から続く、あくまで趣味で撮影された人物像。
ある時は白くたなびく大きなシャツで天使に扮して、またある時はシャンパンゴールドのピンヒールで女神に扮して、なぜか必死に目を開いてカメラを見つめる自分の姿が並んでいた。そういえば最後に写真を撮ってもらったのはいつだっただろう? 簡単に思い出す事ができないくらい前だった。
いくつも並んだ自分の姿が一年半前を境に突然玄輝に変わった。同棲し始めたにも関わらず家でもすれ違う事が続き、部屋を別々にした時くらいの日付からだった。
恋が愛に変わったわけではなかった。自分たちは心もすれ違い始めてしまっていたのだ。そしてもう今となってはずっとずっと遠くへ離れてしまっているのかもしれない、気づいた時には遅かった。
--ガチャン
突然玄関の鍵が開く音がした。慌てて机の上を適当に片づけ、気づかれないように物陰へと隠れた。
「白夜は今日帰ってこないから。家に来るのは初めてだよね? 」
どうやら帰ってきたのは蒼波一人ではないらしい。
「そうは言っても蒼波さんは私にとっては大切な友だちの恋人です。離してください、帰してください。」
「玄輝は俺の事が嫌いなの? 」
「嫌いではありません、むしろ憧れです。尊敬する蒼波さんがなぜ今ここで私を捕まえているのか。訳が分かりません。見ているこちらがおかしくなる程、蒼波さんは昔から白夜さんの事が好きだったはずです。」
一瞬流れる沈黙。自分の存在がばれないように、息を潜めるしかなかった。
「昔から……昔は、ね。」
「どういう意味ですか。今は白夜さんの事が嫌いになったのですか。」
「嫌いではない。かといって昔のように愛しているかと言われるとどうなのだろうな。俺は酷い奴だ。この際君にだけは正直な事を言う。俺が愛していたのはあくまで少年の白夜だった。そのままの白夜が好きだった。それなのに……」
終わった。今まで自分を支えていたモノが轟音を上げて砕け散っていく音がした。蒼波の言葉を聞き終える前に、こっそりと家を抜け出し一本の電話をかけた。
「急遽引っ越しをしたいだと? 」
朱音が呆れるのも無理はない。少なくとも午前二時に突然する相談内容ではない。
とりあえず朝が来たら話くらいは聞いてあげるからと諭され、当初の予定通り校舎で夜が明けるまで過ごす事となった。
流石に作業をしている同級生もおらず制作を進めるにはもってこいの環境であったが、意欲も眠気も沸かず、空が白み始めるまで呆然とその辺にあったソファに倒れていた。