24歳の困惑(4)
専門学校卒業後ずっと一緒に暮らしていて、実は白夜の記憶喪失について違和感を覚える点があるのだ。
そもそも、人生において最も環境においても感情においても変化の大きかった部分の記憶だけ、都合よくすっぽり抜けることなどあるのだろうか? 精密検査を繰り返しても、脳にはこれっぽっちも異常がなかったというのに。
口癖や好みや考え方は、記憶を失う前後であっても同一人物であるわけだから似通るのはまだ頷ける。しかし普段会話をしていて、記憶に残っていないであろう講師の名言や、専門学校時代にロードショーされた映画の話が白夜から飛び出すことが時々あるのだ。
「どっかでそんな話を聞いた気がしてさ、その先生が書いた本を読んだのかもしれないね。」
「どっかで観たような気がしてさ、テレビで再放送をしていたのを見たのかもしれないね。」
ついついそれを指摘すると、本を読む時間もなくテレビも好きではない白夜にそんな言葉でごまかされてしまうので面白くない。もしかして、なのかもしれない。
ただ、ムービーの打ち合わせの時の話を記憶がある白夜が聞いたとするならば、その場は理性で感情を抑え込めたとしても、性格上いつまでも黙っておられるはずがない。
丸ごと全部は思い出せなくとも、断片的には記憶が戻ってきているのか。それとも今の白夜にとって過去を忘れた男性としての生き方が、本来の自分を封じ込めるほどに都合が良いのか。アタシには真相がさっぱりわからない。そして考える必要性も感じなかった。
「もしもし玄輝? 同級生たちに連絡したけれど、結構来てくれそうよ。参加できるヒトたちの名前と住所をリストアップしたから渡したいのだけれど、こっそり式場の方には来られない? 」
蒼波には聞かれたくないからと玄輝から指定された時間帯に、アタシは仕事の隙間を見つけて電話した。視界の隅では、いつものように白夜がスーツ姿でバタバタ走りながら大活躍していた。この分だともうすぐやって来る五月の連休も、白夜は出勤かもしれない。仕事を多く任されているのは羨ましいが、それだけ多くの責任も背負っていて大変そうだ。
ただ最近思うのが、アタシも頑張ってはいるつもりだけれど、白夜はきっとその何十倍も頑張っているからこそ、多くの仕事を任されるのかもしれないということだ。そして依頼された仕事は例え自身のキャパシティを超えていたとしても絶対に断らないし、途中で放り投げず最後まで自分の手でやりきる。その真っ直ぐな原動力というか勢いというか……。
結局アタシは白夜ほどやる気があるようには見られていないのは確かだ。というより、今以上の努力の仕方をアタシは掴みきれていないのだ。とにかくもどかしいし自分が恥ずかしい。
どうせ白夜より早く終わるくらいにしか仕事を任されないアタシにできるのは、夕飯を揃って食べる日に好物をこしらえてあげることくらいだ。
「連絡ありがとうございます。一人で出かけるのは難しいかな。世間的にこれを仕事していると言えるのかどうかわからないけれど、私は今蒼波さんのスタジオで庶務係みたいなことをしていてですね。何が言いたいかというと、仕事中でも二人でいる時間が多いから、急に私だけで出かけるってなると必ずついて来たがると思うのです。」
どこまでも自分を好きな恋人がいるっていうのも、考え方によっては大変そうだ。
「束縛強すぎ。キミがその生活に満足ならかまわないけれど。いいわ、アドレスは昔と変わっていないから、キミから一回空メールを送ってくれない? その返信という形でリストを送るから。で、それを参考に招待状を送りなさいな。あとこれはアタシも伝えたくはなかったのだけれど、参加者の中には興味本位で見に来るヒトもいると思う。キミと仲が良かったヒトたちに的を絞って連絡すれば良かったのだけれど、そもそも誰と特に仲が良かったのかとかわからなくてさ、ごめんね。だからもし当日変な言葉をかけてくるヒトがいても気にしないで、幸せな姿を見せつけてやりなよ。常識的に考えてお祝いの席でそんな事をするヒトはいないと思うけれど、万が一ね。」
「参加できる方々を集めて頂いただけでも本当にありがたいです。私の方は家族も来ないですし……。今全然交流なくて。 私の方でも友だちを呼ぶと伝えたら蒼波さんも喜んでくれて、招待状のデザインなど考え始めているみたいです。」
ちょっと気になってアタシは聞いた。
「蒼波さんのご家族は玄輝のことご存知なの? 」
「ああ、蒼波さんはずいぶん前に両親ともに亡くされていて、ご兄弟はいないみたいです。」
そっか、とつぶやいてアタシは電話を切った。たまたまアタシの周囲だけなのかもしれないが、白夜も玄輝も蒼波さんも元々の家族関係が何だか複雑だ。ちなみにアタシは意見が合わない時も多々あるが、心配性な両親とも生意気な弟ともなんとかうまくここまで付き合えて来ている。もっと仕事が欲しいとか、恋人が欲しいとか不満も渦巻く日々ではあるものの、アタシは結構恵まれている方なのかもしれない。
式当日がやって来た。日付の変わり目あたりから降っていた雨は、日の出とともに消えていった。白夜はいつもにも増して気合いが入っているようで、昨夜はよく眠れなかったのか目が真っ赤に充血していたし、早朝から何も食べずに家を飛び出していった。焦って革靴を履くその背中に目薬とハンカチを投げておいた。
白夜が出かけてからはアタシもアタシで準備を始めた。式場で働いているにも関わらず、実は結婚式に出席するのは初めてだった。髪型を整え、バーミリオンのマーメイドラインのドレスを身に着け、両手の爪をボルドーに染め、ストッキングを履きシャンパンゴールドの鞄とストールを巻き、トパーズのピアスをつけて、さあ出かけようと足を通した靴がまさかのミュールだった。ブライダルコンサルタントを職業としておきながら、何たる失態だ。
職場で使う黒のパンプス以外、他にフォーマルな靴がなかったのだ。この前お気に入りのベージュのハイヒールの底が剥がれて、修理に出したままであるのをすっかり忘れていた。
……もしかして。一縷の期待を持ってアタシは白夜が使っている方の靴箱を開けた。様々な色のローファーが軍艦のように並んでいる中、一番上の段の隅に一足だけ女性物の靴を発見した。色はシャンパンゴールドだ。助かった、丁度良い。
アタシは背伸びをしてそれをつまみ出した。
中々に年代物なデザインのピンヒールであった。専門学校時代の白夜はいつもピンヒールを履いていて多くの色のモノを持っていたが、アタシはこの靴には見覚えがなかった。底の減りも少なく、むしろ数回くらいしか着用されていないのではないかと思うほど、新品同様であった。誰かとの思い出の品だろうか? そうだったらごめんよ、とアタシは心の中で白夜に頭を下げ、足を通した。ピンヒールは思ったより高く、式場の大理石の床に当たってカツカツ音を立てそうだが、背に腹は代えられない。歌舞伎役者になったつもりで一日を過ごすこととしよう。
とにかくもう時間がない。サイズの少し大きい慣れない靴に苦戦しながら、アタシはようやくドアに手をかけた。




