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30歳の幸福(6)

スタジオがある河辺のずっと向こうの、上品な夜の空気を纏う港町。少し前までは寂れた商店街が佇んでいたが、久しぶりに来てみると昔の面影はなく、石畳で舗装された道と規則正しく並ぶ黒いガス灯は、小さな異国の街角に紛れ込んだような錯覚を起こさせるほどであった。遠くで微かに工場地帯の明かりが輝くそのレストランは、おしゃれに整備された通りの一角に存在していた。ライトアップされたバルコニーの中心に、俺はディナーのテーブルを予約していた。

「何ですか。本日はやけにラグジュアリーなプランの日になっておりますが。」

「ここからの夜景は綺麗だろう。五月ならもう暖かいと思って外の席にしたが少し寒かったかもしれないな。」 

 テーブルに置かれたキャンドルで、玄輝の訝かし気な顔が照らされる。

「びっくりしただろうが、そんな顔をしないでおくれ。実は式を挙げるにあたって、俺は重大なイベントを一つ忘れていたのだ。」

「そうでしたか? 式場は決めた。衣装も決めた。花束も使う曲も招待客も決めた。ムービーだって編集が終わろうとしていて、ペアリングもさっき決めました。もう十分ではないですかね? 」

 玄輝は不思議そうに首を傾げた。

「本来ならその一連の出来事の前に、しておかなくてはいけなかったのだ。準備はだいぶ前からこっそりしていたのに、いつかいつかと思っていたら式のドタバタですっかり頭から飛んでいた。馬鹿な俺を笑っておくれ、そしてこれからも……」

 疑問符が頭から飛び出そうな玄輝の前に、俺は白い小さな箱を開いて差し出した。

「ずっと、傍に、いてください。」

 一瞬硬直した玄輝は、目には涙を浮かべながら、闇の中に大きな輪を描く、祭りの最後の打上花火のような最高の笑顔を見せ、首を縦にゆっくり振った。

「勿論。永遠に貴方の腕の中に居させてください。」


「プロポーズだ! 自分がされる日が来るなんて……。とっても嬉しい。」

 玄輝の左手の薬指にエメラルドの輝くエンゲージリングをはめると、我に返ったように感嘆の声を上げた。まだまだ寒い気候のせいかバルコニーの席にいるのは俺たち二人だけ。興奮気味な玄輝の声も少し冷たい空気に乗って海へと流れていった。俺たち以外誰もいない甘い空間で、緑色のフルーティーなカクテルを片手に食事を楽しんだ。その輝く薬指に一か月後、俺との解けない絆の証しとしてゴールドのペアリングが装着されるのだ。

 

ここで、俺の話はおしまい。健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も、二人で愛し敬い合い、時には慰め助け合って、命ある限り一緒に人生を歩むことができますように。


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