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30歳の幸福(5)

玄輝の寝息が聞こえ始めてから数時間が経った。俺は興奮が治まらず寝付く事ができずにいた。一人でツアー旅行に参加して偶然玄輝を見つけた時のことを思い出した。白夜と同棲を始めて一か月が経とうとしていた。

 白夜が再び男性として生きる可能性、自分が女性としての白夜も好きになる可能性に賭けて、どうにか生活を続けていた。儚い少年から芯の通った女性へと変化する白夜に慣れることはできず、そんな思いを抱えながらずっと同じ空間にいる事に耐えかねて、生活リズムの違いを大義名分に、部屋を別々に分けようと提案した。

 一度白夜の元を離れてみれば、俺はまたその存在の大切さに気付き、高校時代の白夜に抱いていた感情を取り戻すことができるかもしれない。そう考えて突発的に決めた旅行であった。


 観光バスの席でカメラを撫でる、白いシャツを纏った少年がいた。どうも俺と同じく一人旅のようであった。太陽の光が窓に反射して、映し出された顔を見て驚いた。良くスタジオへ白夜と遊びに来ていた少年だったのだ。

「君、玄輝君だよね? 最近はスタジオに来なくなったね、だから久しぶりじゃない? 」

 肩を叩かれ驚いた顔で振り向いた少年は、俺の顔を見て丸い目を更に見開いた。

「一人でいらっしゃったのですか? 次の月曜は休日だから、白夜さんも今連休中では? 」

「時には一人旅も素敵かなと。そっちは? 学生のうちに北への旅に出たくなったの? 」

 玄輝は手元のカメラに目をやる。微笑む小さな口元とうつむき加減の寂しそうな目、光に反射する白い肌に俺は胸が締め付けられた。

「スタジオに行く時間、中々取れなくて。私も一人暮らしを始めたものですから。生活が安定したらまた伺いますね。相変わらずカメラが趣味で。白夜から蒼波さんの職業について良く聞いていたからかもしれませんが、自分の感動した瞬間を切り取って永遠に手元に置いておける写真ってやっぱり良いなと、専門学校に入学してからもこっそり続けていました。一度で良いから溢れ出すほど満開の花を撮ってみたいなと考えて。休みと時期を鑑みた結果ここへの旅行を決めました。」

 玄輝の言葉を聞きながら胸の痛みの正体に俺は気が付いた。確かこの感覚は河原に寝転がる白夜を見つけた時にも現れた。深く考える間もなく、俺の口は動いていた。

「君の写真を撮らせてくれる? お礼にコーヒーくらいはご馳走するからさ。」

 ラベンダー畑に到着して、どこまでも広がる紫の中に立たされた玄輝は明らかに困惑していた。無理に笑おうとしてくれていたが、表情が引きつっていた。

「そのままでいいよ、そのままの君を俺に撮らせて。」

 玄輝の肩の力がふっと抜けるのが分かった。瞬間、玄輝は花々の中に広がる香りのよい空気を封じ込めるように大きく手を広げ、一際美しく咲く大輪のような笑顔を俺にくれたのだ。


 白夜と付き合ってから初めて撮った、白夜以外の人物の写真だった。被写体のアルバイト代と言って差し出した封筒を、玄輝は頑として受け取らなかった。旅から帰って俺は、ラベンダー畑での写真を現像し眺めた。どこか不安定で儚い雰囲気を漂わせている点で、玄輝は高校時代の白夜と似ていた。友だち同士多くの時間を共有したことで、お互いが似通ってしまった可能性はあるが。しかし白夜はそんな不安定な自身を隠し通すため、俺からすると見せかけのように思える強い態度をとることがあった。対照的に玄輝はそんな自身を恥じるような言動を見せることはあっても、それを隠そうとはせずに、そんな自身をどう捉えるかを相手の判断に完全に委ねる性格のようであった。無理に運命に抗うことはせず、風にそよぐ樹のように、川に流される葉のように生きる玄輝の姿。頭で必死にストップをかける理性を無視して、撮った写真を見せるからと交換した番号を俺の指はタップしていた。

「これからも機会があれば、俺の被写体をしてくれないか? 」

「え、私は嬉しいですけれど。白夜さんはどう思いますかね? 」

「別にカメラマンは恋人がいたって、そのヒトの写真だけしか撮ってはいけないわけではないから。」

 今考えると、そこから俺たちの運命の糸は絡み合い始めたのだろう。


 式を挙げる前に二人で訪れたい場所があった。名前にふさわしいほど太陽が明るい連休の中日、俺は玄輝の手を取って少し混み合った繁華街へと出かけた。いつもは入らない名の知れたジュエリーショップの路面店。男二人で入るのに玄輝は躊躇していたが、俺は用意周到に予約をしていた。入店して間もなく奥まった一部屋に通され、黒いスーツを礼儀正しく着こなしたジュエリーアドバイザーの中年男性に挨拶をされた。

「初めまして。ご予約の時に大方の要件は伺っております。ペアリングとなると当ブランドではどうしても片方が少し無骨な、もう片方が華奢なデザインとなっているものが多くて少し迷いましたが、今流行りのものを中心にいくつかピックアップさせて頂きました。どれもお仕事中でも付けられるシンプルながら、それぞれに工夫が凝らされた個性のあるデザインです。この度はおめでとうございます。ごゆっくりお選びください。」

 勧められるままに気に入ったモノをいくつか試着してみた。この小さな輪がこれから俺達を永遠に離さない枷になると思うと手が震えた。玄輝に至っては指輪を身に着けるのは初めてだという。

 アドバイザーが心配していた双方のデザインについては特に大きな問題とならなかった。無骨なデザインは俺のやや節が目立つ太目の指に、華奢なデザインは玄輝の白く細長い指にとてもよく似合った。

「一生に一度のモノですから。歳を重ねてもずっと付けられる雰囲気のデザインが良いですね。」

 玄輝の提案からゴールドのペアリングを選ぶこととなった。俺の方にはプラチナが、玄輝の方にはダイヤが全周にあしらわれているデザインだった。偶然ジュエリーアドバイザーの男性が左手にはめていた指輪も、年季物であったがゴールドだった。


「式で交換するのが楽しみですね。後一か月、もう一か月。きっとあっという間ですね。」 

 夕暮れの少し冷えた風に吹かれながら玄輝が言った。

「お互いが気に入ったデザインを選ぶことができて良かったな。」

「ずっと付けていられるようにお互い身体を壊さず、美味しいものを食べ過ぎて幸せ太りもせずに、健康に平和に暮らしていきましょうね。」

 ずっとこのまま、ずっと一緒に、指輪と共に歳を重ねることができますように。

「休日の繁華街帰りで疲れているところ申し訳ないのだが、夜に一か所出かけたいところがある。美味しい夕食付だ。すまないが付き合ってくれ。」


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