X回目のイセカイテンセイ 第008話 狂人
対四天王戦第四回、開始です。
それではどうぞ。
「ドラギオンは死んだようですね。これで四天王はマントンを残すのみです」
ドラギオンの死を見届けた風雅は、疲れたように小さく溜め息を吐く。
時刻は夜の初め。日は完全に落ち切り、黒く染まった空には色鮮やかな星が瞬き始めた頃。
少し涼しくなった空気の中、風雅はやっと終わったと言わんばかりに伸びをするとそのまま空を見上げた。
日本の夜空ならば特徴的であった季節の星座も、当たり前だがこの世界の空には何一つ存在しなかった。そんな事、風雅はとっくに分かりきっていた。
「……戻りますか。次は朝……十時間後くらいですね。少し休憩しましょうか」
風雅は踵を返すと、メディスンの屋敷へと戻り始めた。現時点で既に最初にリラを殺してから六時間と二十分程度の時間が経っていた。
暗い空に負けない程に暗い顔をしながら、風雅は小さく首を振った。
「いえ、やっぱり作戦と可能性を考えておきましょう。寝る必要はありませんし」
残りの四天王は一人。
四天王最強にして最狂の、「狂人」マントン。
口に出す事も憚られる悍ましき狂人が、最後に残ったのだ。
∞
-Tips-
・封魔の石碑
先代の勇者、真島東助が命と引き換えに施したとされる封印の要。
その名の通り魔王を封印しており、フォージス王国のシノバ海岸より見えるトウスケ島に存在している。
この封魔の石碑の監視はフォージス王国の重要事項の一つであり、封印が解かれた際にすぐ分かるように「封魔の似姿」という魔道具が作られた。
トウスケ島は上記の先代勇者、真島東助より付けられた名前である。
この島は魔王と勇者の壮絶な死闘により、元々の大きさの四割程度にまで小さくなったという逸話がある。
この真島東助と魔王の戦いは伝説として書籍や劇の演目にもなっており、フォージス王国内において文字通り命を賭して魔王を封印したこの勇者の評価は極めて高い。
また、真島東助とは現四天王である「狂人」マントンの本名である。
∞
時刻は朝方近く。風雅の時計は午前四時半を指し示していた。
日はまだ上らず、未だ暗い夜が空を覆っていた。
「……」
リラを倒してから十六時間と二十分程、メディスンを倒してから十時間と少しが経った頃合い。
風雅はメディスンを倒してからの十時間を、ヘリオの湖の畔で静かに座って待っていた。
その場で身動きもせず、一睡もしないまま。
「……そろそろですかね」
風雅は腕時計の文字盤を見ると、疲れたような声を出す。
この異世界に来てから風雅は食事らしい食事も摂っておらず、また生きた災害である四天王を相手にし続けて魔力も体力も相当消耗しているはずだった。
睡眠すらも取っていない事を考えれば、疲労はかなりのものとなっていたはずだ。
故に、疲れた様子である事は決しておかしい事ではない。
しかし風雅の疲れは食事や睡眠をしていない事、四天王と戦った事等から来るものではなかった。
「……残る四天王はマントンのみですね。それが済めばいよいよ魔王ですか。大詰めですね」
風雅は夜勤明けのサラリーマンのように覇気の無い顔のまま、魔力を練り上げ始める。
その魔力は四天王の大半を単独かつ短時間で倒した後とは思えない程に、膨大で重厚であった。
「場所はトウスケ島……《転移》」
風雅が唱えると、練り上げられた魔力は一つの魔術となってその威力を示した。
ヘリオの湖の畔から風雅の姿が消え、次の瞬間に風雅は王都に最も近いシノバ海岸の先にあるトウスケ島へと辿り着いていた。
「……」
トウスケ島。
王都グリッダスから見てやや北西の位置にあるシノバ海岸のその先にある、船を使えば一般人でも辿り着ける程に海岸から近い距離にある島である。
三、四時間も歩けば軽く一周出来てしまうような小さな島であり、フォージス王国では一般人では入る事の敵わない禁足地として有名である。
そして本来の厳重な警備体制が整っていれば、侵入者が現れようものならたちまち捕らえられてしまう場所である。
辺りには背の低い草と低木ぐらいしか生えていないその島は、真っ直ぐ島の中央へと伸びた石畳の道や規則的に並べられた木々等かつて整備されていたであろう跡が所々見られた。
しかし最近は整えられていないのか木々の枝は乱雑に伸び始め、草も複数の種類が入り混じるようにして好き放題に生えていた。
そんな島の中央へと進む石畳の幅広の道、その真ん中に風雅は突っ立っていた。
風雅は軽く周囲を確認した後、島の中央の方を向く。
「……向こうも気づいたでしょうね」
風雅の向く先は、島の中央。
島の中央へと進む道は中央へと向かうにつれて無数の木々に覆われ、風雅の位置からは先が見えなくなっていた。
その先にはかつて先代の勇者であり、この島の名前にもなっている真島東助が魔王を封印した要の石である封魔の石碑がある。
それはフォージス王国内に置いて一、二位を争う危険物であると同時に勇者の偉業を示すものであり、フォージス王国では王家の全うすべき義務の一つにこの石碑の保存があり、この石碑に施された魔王の封印が解かれないように監視、警備の徹底がなされている。
故に一部の階級と王家の者には封魔の石碑の封印が万が一にでも破られた際に、それを即座に知る事の出来る封魔の似姿という小さな直方体の魔道具が支給されている。
この封魔の似姿は魔王に対する封印が破られた時に破壊され、同時に持ち主にのみ分かる光と音を出すという代物である。
あくまで破られた事を知らせるための手段であるため、この魔道具が力を発揮する時には既に何が起こるか分からない危険な状態となっているのだが、素早く認知出来る事で対応を早める事が出来る。
厳重な警備と合わされば、即座に対応出来るシステムとなっていたのだ。
しかし、そんな封印の要があるこの島には今は国の警備も何もない。
フォージス王国の防衛組織であり同時に国王直属の親衛隊である王国騎士団のエリート部隊である第二席、三席部隊が本来は警備にあたるはずのこの島に、今は警備どころか騎士団の人間一人居ない。
理由は簡単である。マントンが蹴散らし、また奪還に差し向けられた騎士団の兵士達の悉くを返り討ちにしたためだ。
国の精鋭でも上陸すら許されなくなったため、もうこの場所には騎士団の者は居ないのだ。
この出来事も、フォージス王国が勇者を召喚するに至った要因の一つである。
「……では急ぎましょう」
小さく、しかし確たる決意を滲ませた声で風雅は呟いた。
そのまま風雅は木々に囲まれて見えない、島の中心へと足を進め始めた。
伸び放題の草と天然のトンネルと化した木々を躱しつつ、真っ直ぐ進んでいくと風雅の前にこのトンネルの出口が見えた。
同時に、男のものであろう聞くに堪えないよがり声が風雅の耳に突き刺さった。
「○○○! オォウ♡ ××××舐めたいのんほぉぉおおおおおおっ!!」
風雅が天然のトンネルを抜けた先に広がっていたのは、低木に囲まれている円形の広場だった。
石畳の道の先には同心円状の模様が刻まれた、石畳に使われている石よりもやや硬質で色の暗い大きな円形の石畳があった。
その円形の石畳の中心部には、これまた硬質な質感の白い直方体が浮かんでいた。
縦に二メートル、奥行きと幅は共に一メートル程の大きめの岩塊は、何の力によるものかは不明だが宙に浮いていた。
この白い岩塊こそが、封魔の石碑である。
そしてその石碑の上で逆立ちし、様々な吐き気を催すポーズを繰り返しながら下品な言葉を叫んでいる半裸の男こそ、四天王最後の一人である「狂人」マントンであった。
「……」
「トマトスパゲッティがっ! 食べたい! 溢れ出る憧憬の念が止まらないのぉおおおおおお!! もう漏れる♡ 漏れ出ちゃう♡ おっ♡ ヤベッ♡ ちょっと漏れ出る♡ 俺の白魚(意味深)が止まらぬぅ☆ ん゛っ゛!? ふぅ……」
「……」
「……ンピィィイイイイイイギャァァアアアアアアッ!! 畑になりゅっ♡ 耕してぇっ♡ 僕のお○○○○○○製造機と△△△農場開☆発してぇっ♡ 今なら天にも昇る気持ちで受け止められそうだぁ……。カモン家紋花門っっっ! あぁ↑~っ♡ ん~~~に゜っ゛☆」
黒い髪に目元と頬のみを覆う白いマスクが特徴的なその男は、上半身に当たる部分には道化師が来ていそうな、ラメの入った紫色の派手でタイトなボディスーツを着ていた。
そう、上半身は。
下半身に目をやると、細くも鍛え上げられている足とモザイクを掛けねばならない股下が顔を覗かせていた。
下半身を曝け出したまま足をピンと張っているその様はまともなテレビ番組ならば間違いなく放送禁止となる代物であり、同時にその男がまともな感性を持ち合わせていないであろう事は誰の目から見ても一目で分かるような状態であった。
そんな姿のまま誰に向けるわけでもなく、想像するのも悍ましい言葉の数々を虚空に放ち続けるさまはまさに狂人。その表情は恍惚と歪んでおり、だらしなく開いた口からはやはり悍ましい言葉の数々と涎が垂れ流されていた。
顔こそ風雅の方を向いているものの風雅を見ておらず、その目の焦点は空中を彷徨っていた。
「なんで? どぼじでぞう゛な゛る゛の゛ぉ゛ぉ゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛↓↑っ!? オッケー、分かったったゾ? つまりは僕に出来ない事だと、貴方はそう感じたわけですね? ふざけないで下さい! いいですね!? 僕はあなたを▼▼▼▼▼賞受賞と恋人は右手♡ 賞受賞を祝してあげます! 楽しみにしておいてください!」
「……」
「はぁ!? ムリムリムリ、無理解無秩序開通式っ☆ てめぇふてえやろうだ。そこまで言うなら僕ちんの全身全霊見せてやるよ!! 先ずはこの極太ゼリー浣……」
「あの、そろそろよろしいですかね?」
マントンはヒートアップして口の中に手を突っ込み、口に出すにも憚られる物を取り出そうとした。
そのタイミングで風雅はマントンへと話しかけた。
「おっほ♡ これは新たなる来訪者と刺激の予感☆ ようこそ、ここがこの世の楽園だよ」
「人と話をする時は、下を隠した方がいいですよ」
「おっと、これは失敬失敬♡ 見えちゃったかナ~☆ キャッ♡ エッチィ♡」
風雅に焦点を合わせたマントンは上半身のそれと同じデザインの服で下半身を覆うと、逆立ちの状態から宙返りを行って綺麗に足から石碑へと着地する。そして、ゆっくりと両の腕を真っ直ぐ左右に開いた。
先程までの無秩序にべらべらと品の無い言葉を吐き出す事は止め、マントンは風雅の方をしっかりと見下ろしていた。
「君は攻めかな? それとも受けかな? 僕は勿論どっちも可。可変式で両対応、オプション込みでなんとタダ!! タダですよっ!! 身体の大安売りだぁ……」
「いえ、そんな話をしに来たわけではなくてですね」
「ではバトル? おファックで健全♡ なバトルをご所望で? オッケェ♡ 足腰が立たなくなるまで快感、五臓六腑に染み渡らせちゃうゾ♡ っしゃあ! じゃあ行くぜ、野郎共っ!!」
そう言うや否や、マントンは石碑を足蹴に凄まじい速さで風雅へと肉薄する。
マントンのその身には、四天王最強に相応しい膨大な魔力を用いて練り上げられた自己強化魔術が掛かっていた。まるで戦車砲が着弾したかの如き轟音と衝撃によって、周囲の大地や石畳に亀裂が入りめくれ上がる。
魔術によって身体を強化したうえでの、ただのパンチ。
それも、マントンからすれば手加減した上に小手調べ程度の威力しかないもの。
そんな程度のものなのだが、四天王という使い手によってその一撃は現代兵器に匹敵しうる火力となった。
「《この身に風を》。……戦いをしに来たとも言っていませんが」
風雅は暗い瞳をマントンに向けて、静かにそう言った。
風雅はマントンの一撃を、同じく魔術によって強化した己が身体で止めた。
並の冒険者や騎士程度ならば今の一撃で身体が千切れ飛んでいたそれを、風雅はマントンと同じく片手で受け止めていたのだ。
その様子を見たマントンは興奮したように口笛を吹くと、未だ空中で止まった己が身体をくねらせる。
「あらぁ? 成程? オォウ! アァァオォォウ! ン! なぁるほどぉン!? んじゃあ、決まりだね! 僕と君と、君と君とついでに君も加えて混線♡ 合体♡ 大乱闘 ~イン・ザ・ベッド~ の開幕だあっ! んじゃあまずはこの爛れた青空の下で君と僕の熱いヴェーゼによる唾液交換でも……」
「マントン、話を聞いてください」
「ん? 今さっき僕の高感度イヤーが何でもしたいって」
「言っていません」
「分かってる分かってる、下の口は上の口よりもお喋りなんだよね? 下の口って? ああ! そいつは勿論ア」
放送禁止用語が飛び出そうとしたその瞬間、風雅は語気を強める。
「そんな下らない事を聞きに来たわけじゃないんです。話を聞いてください、真島東助」
「……あ?」
風雅が口に出したのは、先代の勇者の名前だった。
その名前を聞いた瞬間、マントンのふざけていた雰囲気が一瞬の内に消え去る。
そして先程まで呆けていたマントンの顔は、怜悧で鋭いものへと変わっていた。
同時にマントンは後ろへと跳んで着地し、風雅の方を向き直る。
マントンの目は、先程までとは違う刃物のようなぎらついた荒々しい視線でもって風雅を真正面から射抜いていた。
「……なんだそりゃ? 誰から聞いた?」
「貴方の口から」
「適当言ってんのか、テメェ?」
マントンが先程までとはうってかわって苛ついたような口調で風雅を責める。
しかし、風雅はマントンの変化を無視して淡々と話しを進める。
「いいですか、マントン。よく聞いてください」
「あぁ?」
風雅は小さく息を吸い込んで、少し溜めてから吐き出すようにこう言った。
「世界は五分前に出来た、という説をご存知ですか?」
世界五分前仮説、ですね。
調べられるように、ここに記しておきます。
念のため、悪しからず。