X回目のイセカイテンセイ 第006話 魔女
対四天王戦第二回、開始です。
それではどうぞ。
「ふぅ……」
風雅は《我が風よ》で止めを刺したリラの方を見る。
そこにリラの死体は無く、床に広がる黒い液体の溜まりが唯一の跡であった。
尤も、その黒い液体も徐々に空気に溶けるようにして消えていき始めていたのだが。
この部屋の魔道具等の仕掛けを壊したそよ風に、リラの四肢を吹き飛ばした一撃はどちらも風雅による無詠唱の《我が風よ》である。
無詠唱の魔術は間髪入れずに魔術を出せる代わりに魔力の消費がやや重くなる。
そのために風雅は魔力の節約のために使う場面をある程度限定していたのだ。
基本的には時間的余裕がない時や反撃する際に使う事が多いのだが、今回はリラの油断や焦りによってそれが刺さった形となったのだ。
「リラの《甘き夢路へ》は強力ですからね。万が一掛かってしまえば、大変なことになりますし」
風雅は消えていく黒い液体を眺めながら呟いた。
《甘き夢路へ》は端的に説明すると、掛かった相手を眠らせて幸せな夢を見せるという魔術である。
当然眠っている間は相手は無防備となるため、精神を持つ相手ならばこの魔術だけで勝敗が決してしまう程に強力な代物だ。
しかしこの魔術の本質は無防備な精神への攻撃にこそある。
この魔術で眠らされた者は物理的接触や攻撃では目が覚めず、夢から覚めるためには術者本人による解除のほかその幸せな夢を壊す必要性があるのだ。
より具体的に説明するならば、己が手でその夢の核たる思い出の象徴の破壊する事である。
この行為による精神へのダメージは魔術の作用によってより甚大かつ確固たるものとなり、並の精神の持ち主では相当な時間廃人や狂人同然となってしまう。
戦術的にも有効な初見殺しかつ、経験者にしか分からない人の心を弄ぶ悍ましい魔術である。
風雅の無力化を図るためにリラが初手で放つのは、ある種当然と言えただろう。
しかしその魔術の実態を、風雅は既に身をもって知っていた。
故に、使わせる事は無かったのだ。
「では、次ですかね。次は……メディスンですね」
四天王の一人、「死毒」のメディスン。
二つ名の通り毒を好んで用いて人々を弱らせ殺す、そんな魔女である。
単体の戦闘能力で言えばリラよりは上でこそあるものの、それはあくまで経験や性格上戦闘に対する心構えや本人の向きが合っているというだけで、身体能力で言えばリラと大差は無い。
搦め手を好んで用いる策士である他に様々な魔術に精通しており、またリラとは違って戦闘の経験もある程度ある。
またメディスンの住まい兼陣地としている土地及び屋敷は、『ヘリオの湖』と呼ばれる湖の畔にある森と山に囲まれた場所である。
そこにはメディスンが魔術で造り上げた使い魔の兵士による哨戒が常に行われており、必要とあらばその兵士達はメディスンを指令とした用兵の駒にもなる。
またメディスン自身もこの場所に魔術的な仕掛けを大量に施してあるため、この世界のこの時代の要塞としては恐ろしい強度を誇っている。
それらを思い出しながら、風雅はやや顔を顰めていった。
「準備をさせない事が肝要ですが、ままなりませんね。後十五分、扉だけ塞いでおきますかね」
風雅はそう言ってこの部屋唯一の扉に近付き、右手のひらを扉に優しく押し当てる。すると、扉の継ぎ目や隙間といった部屋の隙間という隙間が完全に消え去り、部屋が密閉された。
換気すらも出来ず、特殊な機能の一切を失った地下の部屋で十五分。酸欠等の問題も起こりそうなものだが、風雅はそうした事も気にする様子は無いまま床に座り込んだ。
そうして十五分、風雅はその場から微動だにせずに時間を待ち続けた。
∞
-Tips-
・《甘き夢路へ》
リラの使用する、彼女の精神性を示した魔術の一つ。
相手の意識に干渉する結界魔術の一種で、対象を夢の牢獄へと閉じ込める。
効果は強力で、明確な脱出手段が存在する代わりに事前の準備等が無ければおよその人間はなす術も無く術中にはまる。
夢の中は本人の幸福と思えるもので満たされており、どのような夢になるかは対象の思い出や経験、趣味嗜好等で変化するため、過去の思い出を振り返るような夢になる事もあれば奇妙奇天烈な夢になる事もある。
その性質上、魂のある存在にしか効果を発揮しない。
この魔術からの脱出は術者の手による解除以外には一つしかない。
それはこの夢の核である対象にとっての幸福の象徴を、己が手によって見る影もないほど完全に破壊し尽くす事である。なお、その際の手段は問われない。
またそのためには、まずこれが夢であると気付くところから始めなくてはならない。
尤も、夢だと分かっても脱出出来るかどうか、そのご無事かどうかは人次第である。
人によっては夢と気付いても居続けたり、或いは脱出出来ても魔術の影響により廃人同然と化してしまったりする場合もあるためだ。
自身の幸福を、掛け替えのないものを、己が手で完全に否定する形になるのだから無理もないだろう。
∞
「……どういう事?」
場所はメディスンの仕掛けた結界内部。
「ヘリオの湖」近くにある木造の大きな屋敷。執務室らしき部屋の椅子に腰を掛け、メディスンは額に手を当てていた。その姿は死人のように白い肌に黒いローブを着込んでおり、長く濃い色の紫髪を途中でまとめるように縛っていた。
そんな彼女は、利発そうなその鋭く赤い目を外に向けた。
「リラが死んだ、ね。マントンは無意味な嘘も吐くけれど、今回は流石に冗談じゃ済まないわ。それにあの子はそんなに強くなかったけど、もし本当に死んだのなら何も策を用意していないとは考えにくいわ。私達に分かる形で何かしらの連絡が来ると思うのだけれど……」
メディスンはそう言うと顔を顰める。
実際のところ、メディスンの考えは正しかった。
リラは自分が戦いに負けて死んだ時の事も考えていたのだ。リラが死んだ後に発動する魔術や魔道具は、リラのどの拠点にも標準的に備え付けられていた。
種類は様々で戦いを映像として記録しリラが死んだ場合はその情報を送る魔道具に、リラの死亡と同時に拠点ごと相手を巻き込んだ爆発を起こす魔術の仕掛け等々、数え上げればきりがない。
その他にも敵を害したり味方に利する魔道具や魔術の数々がどの拠点にも仕込まれており、それはリラが最後に居た拠点も同様に、また豊富に設置されていた。
尤も最後にリラが居た拠点のそれら全ては風雅の手によって破壊されてしまい、その役目を果たす事はなかったのだが。
「何はともあれ、先ずは情報収集ね。リラの隠れ家なんて数えるほどしか知らないけれど、知っている所から回りましょうか」
メディスンは面倒臭そうに腰を上げた。
元々、メディスンは四天王を含む他者を信用していなかった。
そのように考えるのにはメディスンなりの人生経験があってこそだが、だからこそ彼女は自分自身で行動する事を欠かさなかった。
メディスンは自身の使役する『人造兵』に警備をさせ、その間にリラの拠点の内訪れた事のある場所だけでも調べに行こうと考えていた。
仮にリラの死が誤報だったならば、メディスン自身がリラの拠点を訪れた時点でリラ側から何らかのアクションがあると考えての事でもあった。
「……こんなくだらない事、さっさと終えて『研究』に戻りましょう」
メディスンはそう言うと、部屋の出口のドアまでまっすぐ歩いていった。
そう、メディスンには目的がある。
四天王としての使命等ではなく、メディスン個人の目的である。
それは屋敷近くの湖の名前にもなっているヘリオ、メディスンの愛した一人の男を生き返らせる事であった。
否、メディスンが四天王になったのはそのためと言っても過言ではない。
頑強な不死身に近い身体と人間であった頃とは比較にならない膨大な魔力、そう膨大な年月に耐える身体と魔力があって漸く出来るような事。それこそが死者の蘇生に関する研究であった。
故にメディスンにとっては他の四天王がどうなろうが、あまり気にする事はなかった。
それでも今回情報の収集に向かおうと考えたのは、偏にメディスン自身の用心深さによるものだった。
マントンから知らされた四天王リラの死。
それがもしも事実ならば、魔術はともかく戦闘面ではリラの次に弱い自分が狙われる可能性が高いと踏んだのだ。
不定期に都市や村を襲うドラギオンや過去に騎士団の部隊を一方的に叩きのめしたマントン等に比べれば比較的地味な活動であるものの、それでいてその二人と同じ程度に名前も知られている自分の方が狙われやすいだろうと計算したうえでの結論だった。
故に本当にリラが倒されたのなら誰が倒したのか、その対策はどうするか、そのための時間はどの程度取るべきなのか。
そうした前準備も考えなければならないとメディスンは理解していた。
だからこそ対策を立てるためにはその方針、そしてその基となる相手の情報が少しでも必要となる事は自明の理。
それらに取られるかもしれない時間の多さを思いメディスンは苦々しい表情を浮かべるも、万一の可能性を考えながらメディスンはドアノブに手を掛けた。
「……!?」
不意に、背後から吹く優しいそよ風がメディスンの頬を撫でた。
同時に周囲に対する凄まじい違和感がメディスンを脳内を覆った。
リラと違い、メディスンは魔術の専門家でもある。
メディスン自身を常に防御しているはずの結界を素通りして頬を撫でた風が、凄まじい練度と極めて高い適性を生かした高度な魔術であると即座に理解した。
また、凄まじい違和感の源が何者かの魔術による妨害であるとも瞬時に見抜いた。
その魔術によって自身を守る魔術や屋敷に仕掛けられている魔術、魔道具の類がもう使い物にならない事も、使役していたはずの『人造兵』との繋がりの一切を断たれた事も理解した。
そのうえそれは単一の属性、風属性の魔術であるとそこまで分かったのだ。
これは、メディスンが魔術に精通していたからこそ理解出来た事と言えよう。
「っ!」
時間にすれば、そよ風に撫でられてからほんの一瞬。
メディスンは振り返ると同時に、自分が最も得意としている水属性の魔術を無詠唱で解き放とうとする。
標的は間違いなく背後に居る。その確信があっての行動だった。
はっきり言って、メディスンは自身と相手の実力差がこの時点で分かっていた。
魔術の腕に関しては、相手の方が何倍も上であると。仕掛けも増援も封じられたこの状況で戦っても勝算はかなり薄いと。
故にこそ最も得意とする攻撃手段でもって先制を取って距離と時間を作る事が、メディスンの真っ先に考えた戦法だったのだ。
だが。
「ぶ」
振り返ったメディスンが最期に見たのは青い髪の男、風雅だった。
空のような青い髪に海のような青い瞳を持つ風雅は、まるで今日死ぬ事が決まった死刑囚のような酷い顔でメディスンを見つめていた。
メディスンはいつの間にやら部屋に入った風雅に自身の魔術を向けようとして、そして放とうとした魔術ごと八方に飛び散るように消し飛んだ。
ドアの前に立っていたメディスンは、リラと同じように黒い液体を床とドアに撒き散らしてこの世から姿を消してしまった。
時間はリラが死んでからおおよそ十五分と少し。
主を失った人造兵達はその場で物言わずに倒れ伏し、そして二度と動く事は無かった。
メディスンの死因は、リラと全く同じものであった。
「……メディスンも終わりですかね。彼女は準備させる時間を与えると大変ですから、これに限ります」
風雅は小さく独り言ちた。
その顔には達成感や満足感といったものは一切無く、辛い作業を終えたばかりのような疲労感が浮かんでいた。
風雅は床とドアにへばりつく、今なお空気に溶けて徐々に消えていっている黒い液体を見ながらその部屋の床にゆっくりと腰を下ろした。
「次はドラギオンですか。時間は……六時間後、ですかね。待ち時間が長くなるのは辛いものです」
風雅は溜め息を吐くとそのまま空気に消えていくメディスンだった液体をぼんやりと眺め始めた。
本来、四天王とは生きた災害。
フォージス王国にてその者の討伐は誉れ高く、また困難を極める偉業でもある。
本来単独で成し遂げようものなら、英雄として祭り上げられる程の事なのだ。
しかし風雅の様子からはそういった喜びや嬉しさ等のポジティブな印象は感じられなかった。
ただただ徒労にその身を窶しているかのような、薄暗い雰囲気だけが全身から滲み出ていたのだ。
メディスン戦、終了です。
ありがとうございました。