X回目のイセカイテンセイ 第016話 分岐
これが、ここまでが、草壁風雅の事情です。
それではどうぞ。
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「風雅が幸せなら、お母さん頑張れるからね。心配しなくていいのよ」
「ごめんね、風雅。でもお母さん元気だから、すぐに退院出来るよう頑張るからね。お見舞い、ありがとうね」
「捜索願は出しました! 風雅は、風雅は何処にもいないんですか!? 私の、私のたった一人の息子なんです!! お願いします!!」
「……、そんな…………。……どうして」
「もう、全部返し終えた。やる事も無い。全部無くなった。全部、全部……」
「あはははは! あなた! 風雅! こんなクソみたいな世界から、今行くからね!」
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何も無い地平の先まで真っ白な場所にて、風雅ともう一人。
深い緑色ローブを纏い、フードを目深に被った人物は共に座って空中に映る映像を眺めていた。
このフードの人物は、名をフードといった。
とある女性の人生をその結末までを映し終えると、空中に映っていた映像はぷつりと消えた。
映像が消えると、フードはおもむろに風雅に尋ねた。
「さて、これが君の生みの親であり育ての親である草壁瞳の最期だね」
「……ありがとう、ございます」
「お礼はいいよ。君は特別。で、どうする? 他にも見る?」
酷く疲弊したような顔をして、風雅は映像から目を離した。
「いえ。……もう、十分ですから」
「そうかい。……しっかし、あのままだと君に手を出した宮川って奴捕まんないんだよねぇ。人間的に言えば納得いかないんじゃないかい?」
「えっ、そう、なんですか?」
意外そうな風雅の声にフードはうんうんと何度も頷いた。
「そうだね。おまけに……ほら、橋本だっけ? その子とくっついてゴールイン。絵に描いたような幸せな人生で、最期は孫に看取られて死ぬよ」
「……」
「影響力の強い議員の息子、ってのも大きいと思うけど運がいいというか……取り巻きが身代わりになっちゃったしね」
淡々と事実のみを述べるフードに、絶句する風雅。
一通り話し終えると、フードは風雅にさてと切り出した。
異世界に送る前に、しておきたい事があれば特典とは別に可能な事ならば行う。
そして、残された母と周囲の様子を風雅は知りたいと願った。
故にフードは約束通り叶えたのだ。
「んじゃあ、とりあえず約束通り君には異世界に転生してもらうよ?」
「……」
「今回は唯ちゃん……あの子が手を加え過ぎたって事もあるから罰として、この世界設定の消去と別の設定に再構築。それから僕のお気に入りに手を出し過ぎだし……まあ、そっちは僕が特典をあげるって事で」
項垂れる風雅に、フードはどんどん話を進める。
風雅は話こそ辛うじて聞いているものの、頭の中での整理がつかない状態だった。
唯一残った肉親である母の死。
それは幸せとは程遠い、無慈悲で残酷な最期だった。
腐乱死体と成り果てた息子、残った借金の返済、最後は首吊りの自殺。
父亡き後、シングルマザーとして遺された借金にも負けずに女手一つで風雅を育ててきた母親。
決して何かに秀でていたとは言えない彼女であったが、凡人であろうと努力を欠かさず風雅の前では弱音を決して吐かなかった。
そんな草壁瞳の最期はただの、ごくごくありふれた、よくある小さな悲劇の一つでしかなかった。
それは、家族の事が気掛かりだった風雅にとっては、酷く堪える結末であった。
「特典は……君の権能を活性化して、んで僕の権能も付与。君のは『停滞』で、僕のは『存在』って名前ね。これは自由に使っていいよ」
「……」
「後は……そうだ、好きなだけ好きなタイミングに戻れるようにしようか。権能じゃないけど、あの日あの時に戻りたいって思えば自由に戻れるよ。ただ転生前には戻れないし未来にも戻れないけど、何度でも絶頂期の楽しい瞬間を味わえるよ!」
「……」
「他に必要なものがあれば知識でも魔術でも武器でも衣服でも道具でも、なんでもあげる。一応最初の服装は君が着やすい物に……って聞いてる?」
調子よくべらべらと紡がれるフードの言葉に、風雅は殆ど反応を見せなかった。
無理もない。風雅にとって母の死とそれを取り巻く環境の変化は衝撃が強過ぎたのだから。
フードは風雅を突っついたり話しかけたりしていたが、風雅の様子がただならないものと理解するとやや心配したように風雅の肩に手を置いた。
「あー、えっと、人間にとって親の死は辛いよね? うんうん」
「……」
「えーっと、そのごめんね? やっぱりちょっといきなり過ぎたかな? もう少し落ち着くまで時間を取って……」
「……いえ、お手数おかけしました。ありがとうございます」
風雅はそう言うと、肩に置かれたフードの手を取る。
取られた手をフードはまじまじと見つめる。
「私は、ずっとこの世界が辛いものだと思っていたんです。そしてそのまま、狭い見識を広める事もなく死んでしまいました」
「ほうほう。まあ殆どの人間にとってはそうかもね。一生も短いもんだし」
「母の死は、その、まだ整理がついていないのですが……母はずっと私の幸せを願っていました。乗り越えられるかは別にして、私がこのままでいる事は母もきっと望まないと思うんです」
風雅はそう言って目に浮かんでいた涙を空いた腕で拭うと、フードに視線を合わせる。
涙で少し赤くなった目には、感謝の光が宿っていた。
「私はこのままで終わるのが嫌なんです。経験も、知識も、浅くて無駄が多いかもしれません。ですがそれでも自分でやり切ったとは言えないと思うんです。別の世界とはいえ、チャンスを与えて下さったフードさんにはとても感謝しています。本当にありがとうございます」
「え、あ……いやぁ! それほどでもないよ!」
「何から何まで頼り切りというのも心苦しいのですが、新しい世界は私にとっては未知の領域です。申し訳ありませんが、どうかその世界の事を教えていただけませんか?」
「もちろんさぁ! んじゃあ、とりあえず……」
この真っ白な場所にて、しばしの間フードから風雅による異世界の講義が行われた。
世界の設定、魔術の存在、権能の性能、文明の程度、勇者の伝説等の現代との違いを中心に風雅は異世界の事を学んでいった。
食事も睡眠も必要としないこの真っ白な場所だからこそ、何十時間も途切れることなく風雅は学習に勤しむ事が出来たのだ。
風雅の短い人生の中で、一つの事に何の邪魔も無く打ち込む事が出来たのはこれが初めてだった。
この経験は風雅の中ではとても良い出来事だっただけでなく、新しい目標を見つけ出す助けにもなった。
風雅は次こそはと、学んだ。学び続けた。
次こそは自分の力で、自分の人生を生き抜いて見せるのだと。
そう決心しながら。
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「さて……」
現実の時間にしてみれば、三か月足らず程度。
風雅はいよいよ異世界へと出発しようとしていた。
出発にあたって、風雅は自身に制約を課した。
先ずは権能の制限。フードから貰った「存在」の権能は使わず、自身が元から所有していた「停滞」の権能のみを、自身の経験を記録として正確に留めておくのみに活用するという事。
次は好きな時間に戻れるというもの。戻るのは死んだ時のみにしか使用しない事とした。
楓雅がそうした理由は二つ。
一つは、この特典は一般的な技能とは言い難いと考えたためである。
人間の個体差こそあれど、最初から出来る範囲を大幅に変え得る権能の使用は人生に多大な影響を及ぼす可能性が高いため、安易にすべきではないと考えた結果だった。
二つは、特典ありきの人生としたくなかったためである。
自分の人生を生き抜くのならば相応に悩み苦しみ、また相応に楽しみ喜ぶべきと風雅は考えていた。
故に必要以上に権能等に頼り切る事を良しとせず、あくまで己の培った経験と知識を中心に糧とすべきだと判断したためであった。
どちらも自分の人生を生き抜くと決めた風雅の決心、その表れであった。
当然、風雅はこれをフードにも伝えた。
しかし、フードはこれに少し納得がいっていないようだった。
「えー、強いんだから使いまくって楽すればいいのに……」
「それでは重要なのは『力』であって、私じゃなくなってしまいますよ。そんな人生は嫌ですから」
「んじゃあ、時を戻す方ぐらい好きに使えばいいのに……」
「死ぬまでに一生懸命になれなかったら、一生なれません。あくまで自分の力で成し遂げられなかったと感じた時にだけ使うんです」
「そっかぁ……。でもねぇ、それだと記憶引き継ぐ以外は現地の一般人と大差ないよ? 教えた知識も九割くらいはその世界の常識だし」
フードがそう言って不満気に首を振る。
事実としてフードが風雅に教えたのはその多くが、異世界における基本的な知識でしかなかった。
それ以外の部分も管理者や世界に関わる一部の事以外は魔術の基礎や各国における特徴的な施設等といった、やはり基本的な情報しかなかった。
それに対して風雅は、フードに深く頭を下げた。
「いえ、その常識すら持ち合わせていない私に色々教えていただいた事に変わりはありません。ありがとうございました」
「うーん、そんな程度で褒められても微妙だなぁ。設定と状況読み込んだだけだし……。んじゃあ繰り返しの過程で一旦ここ経由するからさ、その時にヒントとかアドバイスとか、必要なら道具とか……」
「いえ、ご心配には及びません。どうか、フードさんは私の道行きを見守っていてください」
風雅の言葉に、フードは少し悩んだ風に腕を組む。
しばらく文字通りうんうん唸った後に、フードは渋々認めるようにこう言った。
「分かった。でも唯ちゃんが何か変な事してきたら僕に言うんだよ? 直接的な事なら僕が止めに入るけど、一応管理者はまだ彼女だから基本彼女任せだし」
「柏葉さんの事ですね。結局一度も会いませんでしたが、分かりました。ありがとうございます」
「僕の好きな子には会いたくないらしいからね。強情だけど、まあこれぐらいは許してあげて」
フードは風雅にそう言うと、握手した後に軽くハグをする。
風雅はそんなフードに対してハグをし返す。
会った瞬間から旧知の間柄のように親しく振る舞うフードに、風雅は戸惑う事も多かった。
しかし長くない時間の中で風雅の心には、フードに対して決して小さくない感謝の念が生まれていた。
「んじゃあ、僕は本当に見てるだけだからね。何か起こらない限りは本当に何もしないからね?」
「十分にありがたい事です」
「……んじゃあ、頑張ってね。僕からはそれだけだよ」
別れの挨拶が済むと、風雅はフードに見送られながら異世界へと送られた。
その送り手は、終ぞ現れなかった世界の管理者たる柏葉唯であったが。
その送られた座標は、管理者の手によって定められた場所であった。
上位権限により指定された地上でこそあったものの、その場所こそ風雅が何度も殺された魔物に囲まれた場所。
配置、状況、設定。
神たる視点より定められたものが風雅を襲う、そのほんの数秒前。
風雅は、確かに決心していた。
自分の人生を生き抜くのだと。
それを胸に風雅は、人の身にとっては膨大な試行回数へと挑んだのだ。
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「次は無いって、言ったつもりだったんだけどなぁ」
「……風雅君が言ってた事だし? 僕も今回は割と静観を決めてたけど?」
「僕のお気に入りに好き勝手するなっての。神託まで使うとか……」
「まあ、風雅君の目的次第だね。満足すれば、まあ後はそれから決めればいいし」
「君に言ってるんだよ? 柏葉唯」
おこです。
念のため、悪しからず。




