X回目のイセカイテンセイ 第013話 結末
対勇者パーティ戦です。
それではどうぞ。
「話し合いをしましょう。今ならまだ、悪い冗談で済ませられますから」
固まる勇者一行の四人に対し、風雅は再度気持ち大きめの声でそう伝える。
当然、勇者一行にしてみればそんな言葉を言葉通りに受け取る事等出来るわけもない。
だが、先程まで上手くいっていたはずの作戦が瞬時にひっくり返されたのだ。
何をすべきか、どんな行動が正しいのか。
勇者一行がそう考え始めるには、些か衝撃が大きすぎたのだ。
「私は怒っていません」
風雅はそう言いながら、ゆっくりと歩みを進める。
「私は悲しくはありますが、やり返す気はありません」
風雅はそう言いながら、ゆっくりと確かに一歩ずつ進む。
「私は貴方達に対して、敵意も害意もありません」
風雅はそう言いながら、ゆっくりと距離を詰める。
「『天秤』の聖女たるレイラ様なら、私が嘘など吐いていないとお判りでしょう?」
風雅はそう言って優しくレイラに微笑みかける。
まず思考が戻ったのは、レイラだった。
「っ! マルシアさん、ソフィアさん!」
「はっ!」
「っ、は、はい!」
マルシアは剣を抜き放って風雅へと迫り、ソフィアはレイラを庇うように前に立って魔術の詠唱を始める。
真っ先に風雅へと接近したマルシアは抜き放った剣を振り被り、短く唱える。
「この剣に炎在れ! 《火よ宿れ》ッ!」
詠唱された魔術によってマルシアの剣が炎を纏う。
そのまま振り抜かれた赤い一閃は、風雅の首元を確かに捉えていた。
一直線に吸い込まれるように、振られた剣。しかし、当たる直前でその刃は止まった。
そう、今の風雅には使えないはずの魔術による結界だった。
「《風壁を》。……話し合いは、したくないと?」
魔術を発動し攻撃を防いだ風雅は、少しだけ悲し気にマルシアに尋ねる。
剣を止められた瞬間に、マルシアは後方へと跳び風雅と距離を取って再度剣を構え直す。
「無論だっ!」
「そうですか、残念です。《心の隙間風を》」
その瞬間、駆け出そうとしたマルシアは力を失って倒れる。
風雅はマルシアが倒れ込む際に、剣の上に倒れないよう魔術で作り出した風にてマルシアを優しく着地させる。
その直後、マルシアの後方よりソフィアが叫んだ。
「――――――燃えよ、燃えよ我が炎! 青く天を焦がせ! 《私だけの炎よ》ッ!!」
詠唱され形を成した火属性魔術の秘奥は、青く燃える熱線となって風雅へと向かう。
一流の魔術師によって制御され正しく唱えられたそれは、熱波だけでも草木を燃やし石畳をゆるく熔かしてしまう。
対する風雅は手を軽く前に翳し、小さく唱えた。
「《我が風よ》」
詠唱と共に、放たれた風属性の秘奥はその瞬間にはソフィアの放った《私だけの炎を》とぶつかる。
ぶつかった風は青い熱線を柔らかく包み込み、そして飲み干すように完全に掻き消してしまった。
ソフィアにとっての得意属性の秘奥。
同年代はおろか、一部の熟達した魔術師しか比類しえないその魔術がいとも簡単に掻き消された。
その光景を目の当たりにし、ソフィアは信じられないといった様子で目を見開く。
「っ!? くっ、《魔弾よ》ッ!!」
ソフィアはすぐさま体勢を立て直し、短い詠唱で放った《魔弾よ》で牽制をしつつ次の手立てを考える。
大規模な結界魔術に火属性の秘奥。
残存する魔力量がやや厳しい自分が打てる手の中で最良を引き寄せようと、少しでも相手の意識を削ぎながら自分の役割を短い時間で彼女なりに必死で考えた。
しかし、その考えが浮かぶ前にソフィアの意識は刈り取られた。
「《心の隙間風を》、っと。安心して下さい。眠らせただけです」
ソフィアの意識を刈り取った風雅は、変わらぬ口調のままレイラへと向く。
時間にして僅か一分にも満たない短い時間。
その間にマルシアとソフィア、騎士団の一つの部隊の副隊長に同世代魔術師の中でも抜きんでているその二人が、完全に鎮圧されてしまった。
その衝撃はレイラにとっても決して小さいものではなかった。
「っく……」
「大丈夫です。皆眠っているだけなので、術を解けばすぐ起きます」
「……何が、貴方の目的なんですか」
苦し気に顔を歪めて絞り出すようなレイラの言葉に、風雅は訝し気に首を捻った。
「先程から言っているように話し合いと、後は出来れば一先ずの停戦ですかね。私にはそちらと戦う理由はありません」
「こちらにはあります。貴方のような我が国の脅威と成り得る存在を、決して許しては置けない」
「聖女様。貴女には私の発言が、心の奥底からの意志かどうかも分かるはずでしょう。何故私と戦う必要があるのですか」
風雅はそう言いながら優しくレイラに微笑みかけ、そのまま大きく手を広げる。
「先程までの事は、認識の相違。ただの事故です。そういう事に出来ますし、私は御覧の通りなんら身体機能も問題ありません。私は全てを忘れて死ぬまで国の外でひっそりと生きましょう。勿論、貴女ならば嘘でないと分かる事でしょう。如何ですか?」
「っ!!」
風雅の言葉に、レイラは絶望したように唇を噛み締めて膝をつく。
レイラには理解出来ていた。
風雅の発言が、その全てが、心の奥底から願う事なのだと。
しかし、心変わりする可能性がある限りレイラは首を縦に振れない。
レイラは酷く葛藤した後に、再び言葉を絞り出した。
「……だとしても、貴方が魔王に次ぐ災害となる以上止めなくてはならない。それが私の使命であり女神様の、神託」
「……」
「今の貴方がそうでも、未来の貴方がこの世界を滅ぼさないとは限らない」
「……未来を証明しろとは、悪魔の証明ですね。私に出来るわけが無い」
レイラの返答に、風雅は唇を噛む。
「そんなに殺したいんですか、私を……」
「っ! コウセイ様、私が援護します! コウセイ様は――――――」
レイラは風雅に向いていた視線を康生へと向ける。
突然の事に戸惑いはしたものの、とりあえず聖剣を構え直す康生。
レイラが風雅に向き直った瞬間に、風雅は唱えた。
「《心の隙間風を》」
レイラは風雅の方を向き直るその勢いのまま、地面へと倒れ伏した。
ピクリとも動かないレイラを目に、呆気にとられたように口をポカンと開ける康生。
そんな康生に対し、風雅は小さく溜め息を吐いた。
「……あの」
「う、うぇっ!? ま、マジかよぉっ!!」
「こちらに戦う意志は無いのですが、どうしてもやりますか?」
風雅は最早半ば諦めたような目で、康生を見据える。
対する康生は半分パニックに陥っており、挙句風雅の話をよく聞いていなかったためにまともな返答が出来なかった。
「ま、待て! ご、誤解なんだ! 俺はその、な? ほら分かるだろ!? 勇者の義務って奴で、呼び出されてこっち来たばっかで、えっと」
「はい」
「そ、そうだよ! 俺は可愛い女の子とイチャイチャ出来ればそれでいいんだ! なんなら、お前だって一枚噛ませてやるって! お前も、顔は悪くないんだから、な、な!?」
「……はぁ」
「だから、な!? こんな事止めようぜ! 殺し合ったって何も良い事なんてねぇよ!!」
康生は懇願するように風雅に言葉を吐き続ける。
康生は話の筋と合わない頓珍漢な返答を、あくまでも自身の身の安全のために必死で紡いでいるようだった。
その保身の裏で隙があれば背後から討とうとも、時間稼ぎをして援軍を待ってやり返そうとも考えている事は全て風雅にはお見通しであったが。
そんな康生のちぐはぐな様子に、風雅は少し呆れたように笑う。
「顔、ですか……」
「そ、そうだよ! お前だって結構顔は良いんだからさ……」
「いえいえ、やっぱりそうですよね。しょうがない話なんですよね」
風雅は悲しげに笑うと、両手を顔に当てる。
同時に水っぽい鈍い音と何かが折れるような砕けるような音が、風雅の顔から連続して発せられる。
その様子に康生はギョッとしたように顔を硬直させる。
「……他にも、こんな顔にも出来るんですよ」
風雅はそう言って両手を顔の前から退かす。
すると先程までの青い髪は失われ、この世界に楓雅が来た時と同じく鮮やかな緑髪が頭には生えそろっていた。
瞳も深い森のような緑色に、顔も整ってはいるもののどこか特徴に乏しい顔立ちに変わっていた。
少なくとも先程まで立っていた青髪の人物と同一であるとは見做せない程に、大きく人相が変わっていたのだ。
「……えっ」
「綺麗で整った顔立ちというものは、受け入れられやすいものです。私は元々が不出来でしたので仕方のない話ではありますが、こうも反応を変えられると何度目であっても辛いものですね」
「な、えっ? な、あぁ?」
「この顔が一番慣れてしまったんですよね。でも、私本来の顔は……」
風雅はそう言うと、もう一度顔を両手で覆い隠す。
ほんの数秒程、同じように水っぽい音と砕けるような音が鳴る。
その後に両手を離すと、風雅の顔は更に違うものへと変わっていた。
「……っ」
「これが本当の顔ですよ」
そこに立っていたのは、黒い髪の男だった。
奥二重の冴えない眼差し、無難に切りそろえられた飾りっ気の無い髪型。
形は悪くないが小さく自己主張の弱い鼻に、薄く貧相な唇。
全体的にやや細長い顔に張り付いたそのパーツは各部位もその配置も含めても、お世辞にも整っているとは言えない代物だった。
現代的かつ一般的に言うならば、オタクや陰キャといった人々のテンプレートなイメージが適しているような、そんな顔立ちだった。
「……髪色と目と口は、母譲りでして。しかし忘れ形見だろうと、他者からの印象には関係ありません。不快にしないようにと顔は変えていました」
「……、……っ!」
「先程と同じ事は……まあ言えないでしょうね。私、不細工ですし」
風雅はそう言うと、顔を手のひらで覆い隠して再び顔を変えた。
この世界に来たばかりの、緑髪緑目の顔に変えたのだ。
「まあ、一番慣れているのはこれです。本来の顔は、色々と不都合がありましたから。丁度いいので戻させてもらいますよ」
「な、なんだそりゃぁ……!!」
風雅の、整形も吃驚の人相の変わり様に康生は言葉を震わせる。
「そ、そんな、顔が、好きなように、いつでも、じゃあ……」
「そうでもないですよ? 麻酔も無いので痛いですし、操作を間違うと脳や目に神経とかにも結構深刻なダメージを与えます。まあ、もう慣れましたけど」
「に、逃げても……分からねぇ……どうしようも……」
康生は、絶望したような顔立ちのまま何かをブツブツと呟き始める。
風雅は緑の目を細め、軽く自らの頬を撫でる。
「死にたく、死にたくねぇ……うぅ、う……」
「……康生さん?」
「っ!!」
康生は風雅の声に反応して、聖剣を風雅に向けて改めて構え直す。
すると次の瞬間、聖剣に立ち昇っていた金色のオーラが何倍にも膨れ上がった。
「は、はっはは、やっぱりそうだ! こいつはここで倒さなくちゃなんねぇんだ! 聖剣だってそう示してるんだ!」
「……康生さん」
「聖剣はぁっ!! 倒すべき敵に対して、より強くぅっ!! 輝くんだよぉぉおおおっ!! ひ、ひひひひひ!!」
おおよそ正常とは呼べない康生の言動と形相に加え、康生の目は常軌を逸していた。
死が目前に迫った事、死んだ相手が蘇った事、味方だったはずの者達があっという間にやられた事。
そして先程の顔を作り替えるという異常な様を目撃して、康生の精神の糸は切れてしまったのだ。
無理もない。ほんの一日程前にはただの一般人であった康生に、命の危機というものはあまりにも重過ぎたのだ。
そんな康生の様子を、風雅は悲しげに眺めていた。
「……精神崩壊。一時的なものでしょうけど、このタイミングならば後はほぼほぼ同じですかね」
「ひ、ひひ、ぶっ殺してやるぅ!! 俺は死なねぇ!! 勇者なんだっ!!」
「そんなに死んでほしいんですか、私に。毎回、毎回……」
風雅は俯き、悲し気に呟く。
風雅のそんな言葉は耳にも入らなかった康生はそのまま、聖剣を大きく振り被ると風雅に向かって真っすぐに振り下ろした。
「いけぇええっ!! ポルスゥゥゥウウウウウウウウウッッ!!!!!!」
康生の絶叫と共に振り下ろされた聖剣は魔王に向けられたそれよりもずっと力強く輝き、より大きな黄金の魔力の奔流を風雅目掛けて解き放った。
対する風雅は、泣きそうな顔を浮かべながら一言唱えた。
「……《我が風よ》」
黄金の魔力は風雅に当たる直前に、その風雅の放った風の暴威に全て掻き消された。
衝突して吹き散らされるように、黄金の奔流は辺りに輝くその残滓を残して消えていく。
それを見て、康生は信じられないといった様子でその光景を凝視し続ける。
「ぇ……」
「《心の隙間風を》」
そして遂には、風雅の唱えた魔術によって康生は意識を刈り取られた。
最後に、広場にて立っていたのは、風雅だけだった。
「……ああ、結局こうなるんですか」
風雅は自分以外全て眠っている広場にて、軽く周囲を見渡す。
誰もが武器を持ち、その戦意の痕跡を示していた。
風雅はその事実に天を仰ぐ。
「不注意で人を殺さないように注意して、その上で法を守って、その上で話し合いを是として、その上で敵意が無い事を伝えて、手柄も渡して……」
無念そうに風雅は一人、誰に向けるともなく独り言ちる。
「根回ししてもダメ、味方として入ってもダメ、第三者としてもダメ、放り出して逃げてもダメ、宇宙へ行こうと地下や深海で暮らそうと、やり方を変えようと……全部、全部これまでの焼き増しですね」
風雅は肩をがっくりと落とし、俯いた。
「……不出来な私の頭では、やはりこれが限界なのでしょうか。やはり、女神様に聞いてみるほかないのでしょうか」
風雅は再びゆっくりと空を見上げる。すっかり日が昇り始め、目の覚めるような青い空が風雅の目の前に広がる。
朝独特の清々しい澄んだ空気とやや涼しい気温にたっぷりと身を晒し、しかし風雅は悲し気に呟いた。
「どの国も、もうダメでしょうね。一度こうなった以上は討伐隊に死ぬまで追われ続けますし、どこに行っても神職の方もその素質のある方もたくさんいらっしゃいますから、同じ事が起こるだけ。……どうしようもありません」
風雅は自分に言い聞かせるようにそう言うと、目を閉じる。
風雅の脳裏に思い出されるのは、幾度となく繰り返された徒労。
この最後の回おいて風雅は試行錯誤の果てに導き出した、今後良くなる可能性の高い選択肢を可能な限り全て選んだ。
選んだはずだった。
風雅にとっては厳しく長い旅だった。
希望を信じ、弛まぬ努力と立ち向かう意志を常に奮い立たせてきた。
故に、風雅は疲れ切っていた。
そして、その疲れた頭にはもう良い答えが浮かび上がってこなかった。
鼻から大きく空気を吸い、風雅は深呼吸を数度繰り返す。
最後に息を大きく吐きだすと、風雅は静かに目を見開いた。
この最後の旅を、最後までやり切るために。
「でも、今回で終わりと決めたんです。どうしてこうなるのか、見当違いだと思いたかったのですがやはり変わりありませんでした」
風雅はそう言って、康生の脇に転がる聖剣を見つめる。
「倒すべき敵に遭うと、その力を膨れ上がらせる。これは、どの勇者であっても共通していました。誰であれ、そして魔王に、私に。もしそれを決めている者がいるのならば、やはり女神しかありえません」
風雅はそう言うと、己が魔力を練り上げ始める。
その暴力的かつおおよそ人の物と思えない量の魔力は、地上を覆い尽くし、宇宙へとその領域を伸ばし、伸ばし続けて宇宙の端にまで覆い尽くす。
その所業は稀代の魔術師であれど、生涯を賭しても到底成し遂げられない域のものであった。
「……皆さん、ごめんなさい」
風雅は誰に向けるとでもなくそう呟いた。
そして、最も慣れ親しんだ自分の魔術の秘奥を解き放った。
「《我が風よ》」
人が思いつく程度の限りは、試したんですよね。
不器用で、残念で、可哀想でしたけど。
念のため、悪しからず。