CHAPTER 3
新年明けましておめでとうございます。
どんな年末年始をお過ごしなさいましたか。
申し遅れましたが、今作品”赤い花”は皆さまのおかげで1200PVを超えることが叶いました。
10月に連載を小説家になろうにて開始し、ここまでこれたのも皆さまのおかげです。誠にありがとうございます。
この数字は私にとって身に余るほど、丈に合わないほど大きな数字だと自覚しています。
今年も自分にとってのびのびとした小説が書けるよう、皆さまに楽しんでもらえる小説を書けるよう、精進致します。
それでは新年一発目の連載、赤い花CHAPTER 3をお楽しみ下さい。
赤い花
作:1人泣く鍵っ子の家
CHAPTER 3 STORY
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3-1悪魂
3-2人狼
3-3悪企
3-4昔々
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3-1
悪魂
悪人よ
理由はなんだ
他を卑下し己が力こそ全てと思っていても
汝はすぐに探し始める
探すなら同じ都がいい
そこで求めた花は汝を受け入れてくれるのだから
そうしたら渇きから解放され君達は潤い合うだろう
たと罪人の花びらが千切られ
胴体のみになろうとも
罪人よ
理由はなんだ
他を見下し己が心こそ全てと思っていても
汝はすぐに求め始める
求むなら同じ港がいい
そこで見つけた花は汝を受け入れてくれるのだから
そうしたら枯れから解放され君達は咲き合うのだろう
たとえ悪人の花びらが千切られ
胴体のみになろうとも
水谷「教授、失礼します。」
そう私の声が研究室内に響くと同時に、私の手元辺りから鳴る中身の詰まった木製のドアのノック音もその部屋に侵入した。
やがてその音の周波範囲が先にある鼓膜をも含んだのか、中で黙々と執筆作業をしている影山天亞教授はこちらに気が付いた様子で私の顔を見た。
天亞「やあ、どうしたんだい?水谷くん。」
水谷「すみません、作業中に。」
「実は卒論に関していくつか質問がありまして。」
天亞「ほうほう。是非とも伺わせください。」
「あ、入って入って。」
私が申し訳なさそうにそう告げると、教授は分厚い本や年季の入った万年筆、上品な骨董品などが置かれている机から腰を離し、早歩きで別の場所に向かった。
毎日着用しているからか、シワの目立つ白衣に薄汚れた髪と髭。
手振り素振りもたどたどしく、目立つのは落ち着きのない一挙手一投足。
下に目線をやると、論文の下書きとして途中まで脱稿したであろう半空白の紙らが床に散乱している。
挙句には教授がそれらを片足で踏みながら立っているのだから杜撰で仕方がない。
故に、一目見た時の教授のそのなり形は落伍者さながら。
普通は嫌悪されるべきルックスと言われても、そこには過言と言える余地は無い。
しかし、私はそんな教授に対して全く持って不快感は覚えない。
天亞「そういえば水谷くん、君はメールを私に何通か送ってきてくれたよね?」
水谷「そうですね。先日卒論に関する質問を送らせて頂きました。」
天亞「いやあ、ごめんなさいね。ちょっと論文の仕上げに時間を取られていてね。」
「なんにせよ学会発表の日がもうすぐそこで。返す時間を作れなかったよ。」
「あ、どうぞ腰かけて。」
水谷「いえいえ、こちらこそ今回勝手に研究室に押しかけてきたのも恐縮の限りです。」
私はそう言うと、研究室の隅に置かれている皮ひびの入ったソファに座った。
自分でも、すこし傲慢では?という考えが着席する際一瞬頭をよぎったが、影山教授がこのソファを指さして”座って”と私に言ったのだから、ここで変に遠慮していてもくだらないし、不毛だろう。
私がそう思うのも束の間、皿のようなものに金属性のなにかを当てている音が聞こえ始めた。
カチャカチャ キンキンと、軽快に鳴らされるその音は、教授の居る方から響いている。
天亞「あ、水谷君、君はミルクと砂糖は要るかい?」
水谷「お構いなく、大丈夫ですよ。」
天亞「いやいや、もう淹れちゃったよ。」
「飲まない?私はこれでもコーヒー淹れるのは得意なんだがなあ。」
水谷「あぁすみません...では砂糖をお願いします。」
天亞「はいよ。」
教授はそっぽを向きながら私に薦めてきた。
そう。教授が向かった別の場所とは、コーヒー豆は言わずもがな、ポッドやすり潰し器、砂糖からミルクまでも完備しているちょっとした台所だった。
私は正直、ただ質問を聞いて、教授からの答弁を受け取るという工程のみで済ましたかったのだが、どうやら私は望まないおもてなしを受けるそうだ。
世の中そう思い通りにいかないものだ。
そう。世の中はそう思い通りにはいかない。
ありきたりで溢れたようなセリフだが、こういう日常のちょっとした場面でも、その説は全く持って正しいと心底思わされる。
私はここ、東京和伶開倫大学で院生をしている水谷純一だ。
ちまたでは私が通っている学校は開倫大と略され、一般的には偏差値が高い理系大学として神格化されている。
指定校制でなおかつ、推薦入試を果たした私目線の体感の話だが、開倫大に入るまでの道のりは、気が遠くなるほど苦難と試練が連続している茨の道だった。
大抵の人間は高校二、三年の頃から志望大学を本格的に見据え始め、そこに向かってそれなりの努力をするのだろう。
しかし、私の場合は家庭内の圧力や行き過ぎた期待などもあり、中学の頃からこの大学を目指し始め、必死に勉学に励んだ。
勉学だけではない。高校に入ると教師にどれだけ良く見られるかという焦燥感も沸々と沸き始め、たくさん媚びも売った。
当然だが、そこにはとてつもないストレスと苦労があった。
織田信長もびっくりな頑固で古い考えを持つ石頭の歴史担当教師や、夏目漱石も泣きたくなような難語を会話であえて使ってくる性悪の現代文教師、根性と熱血だけでなんでも解決させようとしてくる国民的スポーツ系タレント顔負けの体育教師。
あまりの気持ち悪さ故に出してしまった吐瀉物すらも、彼らに嫌悪感を抱いてしまう様な醜さ。
そんな人種達に何年も何年も媚びへつらい、平身低頭を貫き、地獄のように過酷なカリキュラムも全てこなした末に、ようやく入学したこの大学だ。
無知蒙昧な人間はこんな苦労もせずに、いや、そもそもこんな苦労があるという現実すら知らずに高学歴か低学歴、挙句にはFランだのMARCHだのと言って片付け、入学すら出来ない愚鈍な分際のくせに尊大になり、得意気に批判しているのだから始末が悪い。
彼らはのほほんと生きていくのだがら。
だが私はそんな有象無象を横目に、幾度も幾度も皮を剝いてきた。
数多の修羅場を必死の思いで潜り抜けて来たのだ。
もう安泰だ。
私の人生は確約された。
うんざりしたくなるような、星の数ほどの”思い通りにはいかない思い”を乗り越え、ようやくここまで来たのだ。
もう数ヶ月後には卒業も控えている。
私は、生き残ったのだ。
天亞「はい、お待たせね。」
「あ、水谷君のはこっち、これは私のだから気を付けて。ブラックだよ。」
私が両手をがっしりと握り占めながら、甘酸っぱい青春の記憶に思いを巡らせていると、教授は二つのティーカップが乗っかっている盆を私の目の前に置いた。
すると同時に教授は、自身の真ん中で分かれている白髪交じりの頭髪をかき上げ、眼鏡を外した。
天亞「さてさて、それでどうしたのかな?卒論の事だよね。」
教授は外した眼鏡を布で拭きながら、一個机を挟んだ私の対面にあるソファに腰を掛けた。
水谷「はい、実は卒論の文章体の事で少し疑問に思う節がありまして。」
天亞「疑問?」
「どんなだい?」
水谷「ええ、まず私が今草案として保留している論文のテーマというものが、”可観測と不可観測の場合の思念体が伝播する情報変動の差”というものです。」
天亞「シュレーディンガーの猫のような論題で良いね。」
「全然面白そうなテーマだけども、なにが疑問なんだい?」
水谷「私はこのテーマの卒論をエッセイの様なものにしたいと考えてるんです。」
天亞「ほーう。」
水谷「なんで実体験が主となるエッセイにしたいかと言うと、単純に書きやすいからです。」
「それに今までこの論題に関連するような思いというか、悩みをずっと頭の隅で熟考していたからです。」
天亞「なるほど。」
「そうだな。まず勿論君も、卒論でエッセイを書くという行為はどれだけ邪道で毛嫌いされていることか、承知済みだね?」
水谷「ええ。分かっています。」
「だからこそ、単なる”感想文”にするつもりはありません。」
「私が知りたいのは、卒論をエッセイとして書くことに対する、教授の見解です。」
天亞「私の見解か。まあ面白いもんではないが、参考程度になら。」
水谷「是非。」
天亞「それでいうと、よくあるのは論文は理屈で書き、エッセイは感想で書けというもの。」
水谷「はい。」
天亞「今まで何十と論文を書いてきた私だ、一つだけ言えることがある。」
「それは論文、いや、自作した文章というものは承認欲求を最高に満たしてくれる、良いツールにしか過ぎない。と。」
水谷「なるほど。」
天亞「自分が研究しているタスクの成果だったり、工程をどのような書き方で文字に記せば、学会にいる仏頂面で腕を組んでいるあの人間たちにあっと言わせることが出来るだろうか。どうすれば学会にいる自分は世界で一番賢いと思っているあの残念な生物たちに、私のほうがクレバーでウィットに富んでいると思わせれるのか。」
天亞「私は毎回、論文を書くときはそんな心意気で書いているよ。いや、恐らく癖の強い学究の徒達は皆、そうだろうな。」
「その意図で書いたものが、たまたま秀逸だからって好評されたり、または粗悪だからって酷評されたりするだけだ。」
水谷「真理ですね。」
天亞「はは。そう願いたいものだ。」
「結論、エッセイでも出来が良ければ良しと私は考える。」
「ただし、これはその方法で実際に卒論として書いて良しと、許可を出しているわけではない。」
「実際にやりたいのなら、それなりの苦慮は必要だ。」
水谷「ええ。承知しています。」
天亞「不自由そうに見えて、案外自由があるというのが、論文の良いところだ。」
「まあ論文といっても名ばかりで、卒論とは言わば苦学生の作文書。」
「そんなに気張らなくてもいいと思うがね。」
水谷「気張らなくていい?」
天亞「そう。私の君に対する印象だが、こういう余暇の合間でも君は気張りすぎているように見えるな。」
「なにか、あるのかい?心配事とか。」
水谷「....」
教授はそう言うと私の顔を心配そうな顔で覗いてきた。
全く。教授の前だと私の真理や思考が全て見透かされているように感じる。
東京和伶開倫大学専属研究員長兼名誉教授 影山天亞。
彼の数ある学業実績や功績を一言で表すとするのなら、”英知”。
名門 私立灘青高校卒業の後、同年、東京理科工業大学、数理三に入学。
大学在学中に執筆した自身の処女作”低次元存在が高次元存在に干渉する際の幾何学的アプローチの数々”が最優秀論文賞を受賞。
それからも順当に学を修め、博士号を取得し首席で大学院を修了。
その翌年には突然の渡米。
渡米先であるニューヨーク州マンハッタン市で同年に開催された米国脳医療及び理科国際学会に、アカデミー生として出席。
そこで彼は満を持して、自身の暖めていた研究過程や成果を発表。
会場を圧巻させた彼のその行いや研究内容の多くが高く評価されたのか、そのアカデミーの後日、影山天亞の元には世界各国の重要科学機関からの研究依頼や交渉が次々と殺到した。
中には世界有数の大企業が巨万の富を肴にし、天亞の技術力を買わんとする所も珍しくは無かった。
世界が彼を欲しがった。
それ程までに影山天亞の技術は圧巻と呼ばれるものだったのだ。
しかし彼はその依頼の一切を承らず、そのまま数年間アメリカに滞在し、後に帰国。
日本に帰った影山天亞に待っていたものは飽きれる程の拍手喝采と、それに引けを取らない程の妬みや嫉妬だった。
想像してみてほしい。
彼の改進的なアカデミー演説のその後、順番が回って来てしまい、発表せざるを得なくなった人たちの気持ちを。
ニューヨークで開かれたその国際学会は言わば、世界中から天才だの将来有望だのと謳われる技術者達のの実力発表会だ。
そんな彼らからしたら、世界から自分たちの技術がようやく注目される唯一無二のチャンスと同時に、努力が報われる機会なのだ。
故に名門大学、企業から推薦された無名だが実力は引けを取ることは無い技術者たちが、そこには集う。
日の光こそ浴びていないが、その懐に隠し持つスキルは侮れない人間ら。
彼らもまた、その推薦を勝ち取るのにどれだけの量の苦労と引き換えに、或いはどれだけの月日をかけてそこまで精進して来たのだろう。
文字通りの彼らの積年の苦労を、あの日影山天亞はたかが数十分の談笑と数十回と振り回された指示棒で、水の泡と変えてしまったのだ。
もう一度想像してみてほしい。
天亞の後に順番が来て発表する人間たちの気持ちを。
口八丁にどんな奇抜で真新しい演説を劇しくしようが、全て影山天亞の下位互換と言われ白い目を向けられたあの日のアカデミー生達の悲劇を。
だが天亞はそんな事には目もくれず、同時に、日本に帰った際の彼に向けられる視線なども気に留めず、帰国した同年、東京和伶開倫大学教授の座に着く。
それは彼が31才の頃の出来事だった。
ここまでがネットで調べたら出てくる彼の情報だ。
私は影山教授を尊敬している。
心の底では崇拝や信仰に近しい感情さえ持ち合わせているだろう。
何故なら彼は私達、学究の徒の白眉なのだから。
私は苦労している人間は敬いたくなる
故に教授に対しての敬いの気持ちは多分だ。
なぜなら私がした苦労の何倍ものさらなる苦労を、過去に精算してきたのだから。
影山天亞
私は彼ほどの天才を他に知らない。
天亞「水谷君。」
水谷「…あ、はい。」
天亞「どうした?急に黙りこんで。」
水谷「いえ、何でもないです。」
「私も人間として悩み事は持っていますが、教授の心配には及びません。」
天亞「ふむ。」
水谷「少し長居してしまいました。教授にも仕事があるのにも関わらず。」
天亞「もう行くのかい?」
水谷「ええ。お時間をお取りしました。」
私はそう言うと、座っていたソファから腰を離し、入って来た時と同じ扉に向かった。
大理石の様な、ガラス調の研究室の床の上を私が一歩、一歩と歩いているその矢先、部屋に教授の声が響いた。
天亞「水谷君。」
水谷「はい。」
私はその声が響くと同時に振り向いた。
天亞「卒論。出来たら是非、読ませて下さい。」
水谷「ええ。是非とも。」
数秒後私は研究室のドアから廊下に出ていた。
ため息がやけに美味かったのを覚えている。
教授の居る研究室は廊下から中が覗き見える感じで、部屋に窓が取り付けられている。
私はその窓を通じ、廊下を歩きながら研究室内を見た。
入ってくる時も見た光景がそこにはあった。
机に両腕をベッタリと乗せ、左手で万年筆を忙しく動かして、猫背になりながら紙に筆を網羅している様子の影山教授。
不思議だ。
この瞬間、私は心底この大学に入って良かったと思った。
実鈴「あ、こんにちは。純一くん。」
水谷「…あ、木辺さん。」
物思いにふけながら廊下をほぼ無意識の状態で歩いていたからか、私は目の前から来る人の姿も見えなかった。
しかし声が聞こえ、気をしっかり持った状態で前を向くと、そこには木辺実鈴がいた。
ショートカットの茶髪に150cm前半の小柄な体型、良い意味で子供っぽい稚拙な顔立ち。
彼女とはキャンパスが同じで、定期的に会話をする。
会話といっても講義に関する事やレポートやなにかプロジェクト作成の際に、分からない点を聞き合う関係だ。
必要な時にしか話さない表面上の友人関係。
別に友達って程じゃない。
実鈴「えっと、ここでなにしてるの?」
水谷「…」
実鈴「…?水谷くん?」
水谷「あ、あぁ、えぇと、教授に卒論の事聞いてたよ。」
実鈴「あ、そうなんだ。」
水谷「…」
実鈴「…あ、私ももう行かなきゃ。」
水谷「ま、待って。」
実鈴「え…な、なに…」
自分でも驚いた。
気付いたら私は今にも行かんとする彼女の手を掴んでいた。
何故なのかは分からない。
でも、自分の意思で起こった行動とは思えない。
なんで、
なんで、私は今、彼女の腕を掴んでいる?
実鈴「じ、純一くん、ど、どうしたの…?」
「い、痛いよ…」
水谷「あ、ごめん。ごめんよ。」
「どこに行くのかなって気になって。」
「ごめんよ。」
実鈴「え…え…」
木辺さんは怯えていた。
私は自分が陳謝をしているのにも関わらず、怯えを止めない彼女に対して更なる申し訳なさが湧いた。
なぜ、私はさっき彼女の腕を掴んでしまったのだろう。
私は自分の分からない気持ちなど考えることは無駄だと区切りをつけ、彼女の心境を労わった。
水谷「どうしたの?木辺さん。」
「腕の事?ごめんよ。痛かったよね。ごめんよ。」
実鈴「…」
水谷「木辺さん?」
実鈴「だ…だったら早く…離してよ…」
水谷「え?」
実鈴「なんで…ごめんって言いながらまだ、私の腕掴んでるの…?」
水谷「は?」
彼女は恐怖で怯えた顔をしながら私の顔を見た。
その矢先で言われた言葉を聞いた私は、瞬時に自分の視線を下げた。
その下げた視線の先に映っていたものは、木辺さんの細くて柔い腕を力の限り目一杯強く握り締める、私の腕だった。
その私の腕は、心臓より低い位置で長い間の筋肉緊張時間が続いたからか、血管が深々と浮き出ており、彼女の柔肌から成る華奢な腕を今にも握り潰さんとしていた。
私にはその腕が自分のものだとは到底思えなかった。
なにか、別の生物が腕に取り憑いた様な。
その、腕と思わしき肉の塊は、私の気持ちや罪悪感など意に返さず、ただ、ただ、力み続けていた。
実鈴「…こ、怖いよ…どうしたの?純一くん…」
水谷「な、なんだよ!?これ…!」
実鈴「…ッ!痛い!痛いよ!離してよ…!」
木辺さんは先走っていた圧倒的な恐怖にやっとこさ痛覚という名の理性が追いついたのか、今頃痛がりだし、私の腕を振り落とさんと空いているもう一方の手で、堅牢に固まっている私の腕をぽかぽかと叩いた。
私も踠いていた。
抗っていた。
足掻いていたのだ。
自分は一体何をしてるのだろうと。
だが歯止めが効きそうに無い。
このままだとまずい。
そう思うと同時に、頭に走る焦燥感という名の電撃。
私は彼女の安否を心配している訳ではない。
このままだと、ここまで来た私の努力が水の泡になってしまうと思ったから焦っていたのだ。
自分の心配をしているのだ。
故意的か否か関係なく、私は彼女に理由もなく突発的に暴行している。
今は大丈夫そうだが、この絵図を誰かに見られたらどうなる?
私は客観的に自分自身が無実だと証明出来るか?
目の前にいる泣き目になりながら声を荒げ、抵抗をしている小さな女性。
離れようとしているその女性を行かせんと、腕を強く握り締めている私。
印象で物事を決め付けたがるのが人間という生物だ。
故にこの状況を第三者が目撃した暁には、悪と見なされ迫害を受けるのはこの私自身。
火を見るより明らかだ。
なのに、この状況で私自身が無実だと、客観的に証明出来るか?
もし、出来なかったら私はどうなる?
私は一体、どうなってしまうんだ?
私の心拍が耳元で鳴る。
その心拍は指数関数的に増し続ける。
それと同時に私の頭に降って来たもう一つの思考。
彼女を殺そう。
私は当然、刑務所にも入れる歳だ。
彼女の腕にある、あざという名の暴行証拠と彼女自身の能動的な起訴があれば、私がそこに入れられるということはいとも容易く起こり得る。
これは目撃者が居ようが居まいが、起こり得る事だ。
だから、そうなるぐらいなら私自身が彼女を殺害し、誰にも見つからない様に証拠を隠滅すればいい。
理想とは言えないが、これが最善でベターな手だ。
だが、仮に刑務所に入ったら私はどうなる?
約20年と賭して、ゆっくりだが着実に、切磋琢磨として培って来た私のこの社会的地位は、一体どうなる?
全て無かったことになるのか?
全ては、水の泡か?
私が常に横目で見て来た、あの愚鈍で愚劣で無知蒙昧な有象無象と同じになるのか?
成り下がるのか?
この私が?
嫌だ。
絶対に嫌だ。
そんなのは、絶対に嫌だ。
だから。
実鈴「痛ッッた…ぁ!」
10秒ほどだろうか。
良い意味でも悪い意味でも、私たちを繋ぎ止めているこの腕を、2人して取り外さんと努力し始めてから経った時間は。
木辺さんは悲鳴と同時に後ろに倒れ、私も腰を抜かした。
腕が外れたのだ。
水谷「ま、待って…!木辺さん!」
私がそんな事を言った理由。
それは、彼女がこの場所から立ち去ろうとしたからだ。
後ろに退けたのにも関わらず、それを気に留める様子も無くすぐに立ち上がり、私から一目散に離れんとばかりに、走り出したのだ。
彼女の小さな体格から生み出される体力如きで、それが実現可能だろうか。
男さながらの、火事場の馬鹿力というやつか。
だが、なぜ彼女は私から逃げている?
次の瞬間、私は確信に至った。
彼女はこのまま誰かに通報する気だと。
自身の受けた被害を誰かに話す気だと。
私の人生を台無しにする気だと。
私も止まっては居なかった。
着ている自身の服をひらひらと揺らしながら、キャンパス内の廊下を走る彼女。
履いているお互いの靴の音と、荒い呼吸が誰も居ない廊下に響き渡る。
その背中を追いかける私は、何を思う。
彼女とは良い交友関係が築けると思っていた。
察しがよく、思いやりがあり、なにより笑顔が素敵な人だった。
顔もそこそこ良かったさ。
その内、好機があれば交際も出来る見た目だ。
交際した暁には、眠れる彼女の小さな肩をこの腕に抱きながら、暖かい布団の中で共に時間を過ごしたい。
その、汚れなど知らないと言わんばかりの無垢な肌に、触れたい。
その柔らかみに、あの丸みに、触れたい。
だか、それはもう叶わないし同時に叶いもする。
何故なら、次に彼女のあの柔肌に私のこの手が触れる時は、彼女を殺す時だから。
走って、私という怪物から逃げているあの彼女。
そこまでの距離はそう遠く無い。
もうすぐ触れる。この手が。
彼女の肌に。
あと、数歩。
そこに言葉は無かった。
私が彼女に追いつき、押し倒した。
その後私は馬乗りになり、彼女の首を一心不乱に両手で締めた。
彼女の潰れるがなり声と、口から漏れる唾の破裂音などは無視して、ただひたすらに細い首を締め続けた。
いや、正確には知らんぷりしていただけなのかもしれない。
私が締め続ける程に濃く充血し、赤くなって行く彼女の顔はとても苦しそうだった。
それを私は、知らないふりをしていただけなのかも知れない。
そう、苦しそう”だった”のだ。
もうやるべき事は終えた。
私は、自身の疲れ果てた体を休める様に、廊下の物陰に隠れた。
勿論、冷たくなった彼女も私の隣で寝ている。
私は、人を殺したのだ。
不思議だ。
気分はなぜか、清々しい。
忙しく私の肺を行ったり来たりしている呼吸。
急がしく瞬きをしているせいか、まるで紙芝居のように荒く描写される私の視界。
脳は、私に焦っているというシグナルを身体反応という分かりやすいものに変換させ、前頭前野からこれでもかという程、必死に訴えかけてきている。
そんな浮足立っていて、正直正路な私の体という名の慌てん坊さんとは裏腹に、私の精神は地に足がついていた。
意外にも、大した事がないのだ。
約70秒。
木辺さんの首を絞め始めてから、ピクリとも動かなるまでのおおよその経過時間だ。
当初の私、つまり首を絞めている最中の私からしたら、あれがたったの70秒だなんて到底信じれない程、長い時間を体験していた。
刻一刻と進むあのよどんだ時間の中で、
早く、早くこの時間よ過ぎ去れと。
そう必死に願いながら、足掻く彼女を見ていた。
だが、今はどうだ。
まるで明鏡止水。
落ち着いている。
いや、やめておこう。
そんなやせ我慢をしていても、しょうがない。
今は兎に角、この状況の後始末をせねば。
そう思うと同時に私は、親指の爪を口元に持って来てガリガリと噛み始めた。
この稚拙で幼稚な行動は昔からの癖だ。
子供の頃からの私の悪い癖。
考え事や、多大なストレスを意識下無意識下問わず、受けた際に取ってしまう自慰行為。
私は思考し始めた。
水谷「まずどうする?」
水谷「彼女の死体を消さなければいけないな。」
「しかし、どうやって処理する?」
「細かく刻んで海に肉片を放り投げるか?」
「そうすれば腐敗や悪臭の心配は無くなるし、なにより確実に隠滅できる。」
水谷「だが唯一の懸念点は、肉片が海の水面まで上がってきて、漁師やらなんやらに発見されることだ。」
「しかし、肉食魚が多い水域に細かくなった木辺さんを投げ捨てれば、彼らが貪り尽くしてくれる事だろう。」
「水流が激しい水域だと、なお良いな。」
私は落ち着いている精神をフル活動させ、冷静な意見を出し、それを基に策を練り始めた。
その為に必要な道具や情報はいくらでも後から調べれる。
最も注意すべき箇所は、ミスだ。
ミスさえ犯さなければいい。
そうすれば私の元の確約された人生に軌道を修正できる。
元の、安心と安泰で溢れた安らぎの人生に。
水谷「ハハッ」
「なんだ、意外にも簡単じゃあないか。」
「なぜこんなにも簡単なことなのに、毎日世界では殺人事件が解決されていくんだ?」
「バカなのか?」
私は慢心していた。
ただ草案が頭に浮かび上がっただけなのに、全てを解決したかの様に尊大になっていた。
例えると、派手に擦り傷を負った癖に絆創膏を一枚貼り、怪我は完治したと豪語している様な荒唐無稽さ。
ただ、得意気になっていた。
天亞「窒息性失神及び、心因性シンコープによる一時的な無意識状態。」
水谷「...え?」
天亞「実鈴さんの今の状態だよ。君はまだ彼女を殺していない。」
突如として角から現れたのは、影山教授だった。
教授はそう私に言い終えると隣で横たわっている木辺さんに近づき、彼女の前に座り込んだ後に、瞼を二本の指で開けた。
その時、私は見てはいけない目を見た気がした。
天亞「やはりね。眼球運動を見てもこれは明らかです。」
「開きっぱなしの瞳孔に上向きの視線、これは呼吸器官系統への障害があったことにより、一時的に失神している人間の典型的な眼球の動きだ。」
水谷「え.....え..」
この殺人事件の第一発見者が目の前に現れた事による驚嘆。
それと同時に湧いてくる本当の恐怖。
私は声を出せずにいた。
上手くいくと思っていた。
その矢先これだ。
なんでだ?
なんで私の人生はこうも思い通りにいかない?
証拠隠滅かつ、目撃者ゼロの状態で事無きを得たかった。
しかしそれはもう叶わないらしい。
殺すか?
教授も。
天亞「純一くん、はいこれ。」
水谷「これは…」
そう言うと同時に教授が渡して来たのは、ナイフだった。
最初はナイフの刃の部分を向けられ、すこし身構えたが、その直後に教授はくるりとそのナイフを手の上で回転させ、持ち手の部分を私に向け直して来た。
私が受け取りやすいように。
まるではさみを手渡す時は刃を相手の方には向けず、持ち手を相手に差し出すというマナーと同じ要領で、難なくそれをこなしたのだ。
実に慣れている手つきだった。
天亞「とどめを刺してあげて下さい。」
水谷「と、とどめ?」
天亞「えぇ、とどめです。」
「彼女はまだ生きている。」
水谷「つ、通報したりしないんですか?」
天亞「しませんよ。」
「私は貴方の味方です。」
「さ、とどめを刺して。」
水谷「味方…本当ですか…?」
天亞「はい、本当ですよ。」
考える余裕など無かった。
故に訳を聞く余裕なども無かった。
私は突如現れた教授は告発者に成り得ると危惧していた。
だが、教授は目撃者兼協力者の立場になると告白した。
勿論その言葉が真か嘘か分からないし、決まってすらいない。
所詮は口約束、ただの言葉上での便宜。
しかし教授のその言動からは、言葉以上の鮮明な他の情報伝達機関を伝って、私に知覚を施したものがある。
理解などよりも、瞬時に分かる方法で。
名前の無いその伝達機関は、私に次のようなことを教えてくれた。
教授も同類だと。
恐らく殺人童貞を卒業したばかりの私など比にならないほど、殺している。人を。
教授のあの極まった冷酷さ、あの肝座った冷静さ。
眼球運動確認の為に、死体の目を見つめていた教授の目。
その時の教授のあの目は、死体のそれよりも死んでいる目だった。
その目からは、もう見飽きたと言わんばかりの呆れと、かと言って妥協などは許さないという固い決意が伺えた。
確実に殺したのかを確認する際に見せる目。
そんな情景が、教授のあの死んでいる目からは如実に現れていた。
ここまでだ。
ここまでの情報が、教授のあのわずかな言動で名前の無い情報伝達機関を経て、私の感覚に伝わった事だ。
あの時私の、”見てはいけない目を見た”という気持ちは、仏になりかけている木辺さんの目を開く、つまりは遺体を弄る様な事をしたという不謹慎な気持ちでは無く、単純に教授の目の事だ。
教授の眼には、悪魂が宿っていた。
それからの私は実に従順で、気付くとナイフを手に握っていた。
震える手を誤魔化さんとばかりに、抑えんとばかりに無駄に持ち手を強く握り締めて。
天亞「さて、どれが良いかな?」
「頸動脈を切って出血多量による死、心臓を刺して心肺停止による死、腹部を裂いて臓器不全による死。」
「個人的には心臓を刺した方が出血は少ないから胸糞は悪くならないが。」
「まあそれも、ナイフを刺した所から抜いてしまったら噴水の様に、鯨の潮吹きの様に心拍の度に血が噴き出るがね。」
「どれが良い?」
「彼女の命は今、君の手にあるんだよ。」
淡々と述べる教授。
まるで携帯電話のプランを契約する際のセールスマンの様に弁を捲し立てる。
文字通り、無知な者には何が優れていて、何が劣っているかの甲乙を付ける目処すら立たない。
ただ、流される様に操作されていた。
思考など、理性など、ほとんど働かない。
水谷「…じ、じゃあ心臓で…」
天亞「はいどうぞ。」
私がそう返事をすると、教授は相変わらずの色褪せた白衣のポケットに手を入れながら、2、3歩後ろに下がった。
血が付くのを注意しているんだろう。
視界から教授が離れて、映らなくなったのを確認したら、私は自分の世界に集中した。
殺す。
私は今から本当に人を殺めるのだ。
彼女の20年の人生。
その20年という時間の中で彼女は一体、何を培って、何を育んで、何を与えて、何を手にして、何を思って、何を考えて、何をして来たのだろう。
その工程はあくびが出る程ゆっくりで、気が遠くなる程のろまなものだが、それは確実に木辺実鈴という人間を作り上げた。
長く長く、退屈な時間の中で、働いた労力に見合わない程度の成果しか真に手に出来ないのが人生。
その中でも彼女はめげずに、諦めずに、今日まで歩いて来た。
だからこそ、そこで手に入れたものは容易には失わない。
死なない限り。
今日、私は彼女のその儚い歩みを止める。
彼女を殺すことによって。
水谷「う...う...うああぁぁあ!!」
次の瞬間、私は奇声を上げた。
叫びながら手に握っていたナイフを木辺さんの胸に降り下ろしていたのだ。
何故かは、あらかた想像がつく。
その行動を取るにあたっての、誤魔化し。
精神的負担を出来る限り軽減しようと、取った突発的行動。
私が奇声を上げた理由はそんな所だろう。
人間の胸を刃物で刺し、第一に思った感触、それは、
温かい。
意外にも、グサッと突き刺さるナイフの感触自体はそれほど気にならなかった。
刺す瞬間は一瞬だったし、なにしろあの時は叫んで刺突の感触を誤魔化していた最中。
故に一番私の印象に残ったのは、温かみだった。
貪欲にも彼女の胸に深々と侵入した冷たい刃。
ナイフと胸の肉の隙間からたらたらと、次々に漏れ出てくる血液。
その生ぬるくて、妙に温かい血がナイフを握る私の腕に触れた。
これが彼女の血。
純度100%、彼女から生まれたこの世に一つだけの貴い液体。
彼女のあの小さくて、華奢な体から生成された尊い液体。
私は理性を働かせるより先に、彼女の血を舐めていた。
理由は自分でもよくわからない。
彼女の一部を自分の体に取り込む事になぜだか神秘を感じていた。
舌先に伝わる鉄の味。
塩の様な謙虚なしょっぱ味と、梅の様な若干の酸味が良い塩梅でマッチしている。
癖になりそうだ。
一方で味覚とは別に、もう一つの感触が私の舌先に伝わっていた。
それは突起物のような何か。
しかしそれは固すぎず、柔らかすぎず、ずっと舐めていたくなるような何か。
いや、正確にはずっとしゃぶっていたくなるような何か。
私はその何かの正体が気になり、思わず目を開けた。
ナイフを刺す瞬間、あまりの怖さに現実を直視することを拒んだ。
それ故に取った、目をつぶるという行動。
だが、私は意を決して目を開いた。
次の瞬間、私の目に映っていたものは、彼女の乳房だった。
正確に言うと、私がナイフを刺した箇所から溢れた血液が彼女の服を湿らせ、肌に密着させていた。
そのおかげか、彼女の膨らんでいる乳房の隆起は明瞭になっており、私が舌を当てていたのは彼女の乳首だった。
私のまだぎりぎり保てていた理性、
目を開けて、彼女のその姿を見た矢先、
それは飛んだ。
死体となった彼女が来ている服を脱がす。強引に。
モラルも倫理も介在しない、ただ黒い欲望とそれに釣られる様な背徳感が私の思考内にて、ぐるんぐるんと渦巻く。
今にもはち切れんとばかりに膨張する私の股間。
締め付けられる下着の中で、それは私に苦情を訴えて来ていた。
私はそのクレームに応えるよう、急ぐ。
心拍が荒いでいる。
呼吸が喘いでいる。
手元が焦っている。
私は屍の彼女に対して、性的興奮を覚えていた。
時間はかからなかった。
およそ10秒。
服を着ている彼女を裸にするまでにかかった経過時間だ。
私自身のズボンを脱ぐ時間を加算すると、15秒だろうか。
全裸になった彼女。
胸からなぞる様に続く美しいくびれが、腰まで弧を描く。
出る所は出ており、収まる所は収まっている健康的なハリと丸みがふんだんに備わっている木辺さんの女体。
着脱後の方が、その隠された女性らしさは顕著になっていた。
次に私が取った行動は、彼女の血液を肥大化した私の股間に塗りつける事だった。
まるで円滑ローションの様に。
死んでしまい身体反応が働かなくなった彼女では、分泌できるものも出来ないと判断したからだ。
私の股間は瞬時に真っ赤と化した。
だが先まで温かかった木辺さんの血はもう既に冷め切っており、そもそも粘度が足りなかった。
これでは挿入の際に障害が生じる。
それを瞬時に確認した私は、自身の唾液を手の上に垂らし自分の赤い性器にそれを塗りつけた。
彼女の液体と私の液体が、股間で混ざり合う。
世界で一つだけの液体同士の混合。
ミルフィーユ。
その妖艶な様は、最高に私の神経を誘惑した。
私の性器の先端が、彼女の入り口に触れる。
もう、止まれない。
その思いと共に私は挿入した。
次の瞬間、
私の体内に滞り無くのびのびと張り巡らされた幾千幾万という数の神経は、一瞬にして全てが稼働した後、高速処理を始め、私の脳にとてつもない甘美な快感を伝えた。
何一つ弊害のない彼女の膣内は、私の性器に隙間無くまとわり付いており、その寛容なる包容力からか、私に絶大な安心感を与えた。
一回、一回と順々に腰を振る度に脳内で大量分泌されるアドレナリン、ドーパミン、エンドルフィン。
数々の脳内麻薬。
私の脳は快楽で溢れていた。
次を求めんと、私はいつの間にか彼女の唇に自身の唇を重ねていた。
柔らかく触れる彼女の唇。
私は彼女の口内に自身の舌を侵入させ、かき回した。
しかし当然、彼女の舌はそれに応えてはくれない。
口内の奥にて眠れる彼女の舌を、私は自身の舌先と上前歯を器用に操り、底から引っ張り出した。
次の瞬間、私は暗闇から出て来た緋色の彼女の舌を唇で受け止め、歯で捕らえた。
これでもう離さない。
自分の舌を彼女の舌に遠慮無く絡ませる。
右回りに舌を回し終えたら次は左回しに。
それが終えたら、今度は舌を吸い上げる様に。
私は存分に彼女の舌を味わった。
私の肌と彼女の肌がぶつかり合い、破裂音が響き渡る。
私といえば獣の様、野性的に腰を動かしてはいるが、木辺さんに関しては至って無表情だ。
私が一方的に興奮しているのに対し、彼女は飽くまで冷静沈着。
彼女の顔を見る度にそう、冷たい思いが私の頭をよぎる。
その冷たさはまるで彼女の体温さながらだ。
しかしその冷たさとは裏腹に、湧いてくる熱みがある。
”熱み”とは少し違った表現かな。
私の股間の下部にぶら下がっている袋から、文字通り沸々と湧いてきているもの。
それは熱だ。
私は自身の絶頂が近いことを知覚した途端、腰を振るペースを早めた。
2倍、2.5倍、いや、3倍近くまでペースをを早めたその矢先、
陰部に痒みが生じた。
絶頂の前ブレだ。
次の瞬間、24年間私の股にくっ付き、私の事をお供した股間は、人生で一番と言っていいほど、膨れ上がった。
来る。来る。
尿道だろうか。
どこの管だろうか。
私の股間内部にある、ホースのような細い道。
その道の奥からどんどんと、精液が満たし迫って来ているのが分かる。
分かる。痛いほど分かる。
もうその時点で、私の陰部付近に発生していた痒みは、性器の先端である亀頭に集中しており、更にそのこそばゆさを増していた。
私はただ、そのこそばゆさを取り除かんと腰をがむしゃらに振り続ける。
いけない。
快楽が絶頂に達しようとしている。
もう、思考もまともに働かない。
私は来たる絶頂に向けて、彼女の胸に刺さったままのナイフを抜き出した後、強く抱きついた。
強く抱きつくという行為の達成において、胸部に刺突された状態のナイフは障害だったのだ。
私がそう思うと同時に、胸に伝わる液体が広がる感覚。
教授の言った通り、刺さっていたナイフを抜いたことにより、彼女の胸から出血が始まっているのだ。
良くも悪くも、蓋となっていたあのナイフ。
それを抜いたことによって、出ている血。
さながら栓を抜いた赤ワインの如く。
次に私は、木辺さんの薄い筋が通った腹部を見る。
正確には、ヘソの2、3cm下だ。
今はただ、この奥に眠る木辺さんの卵子に、己が精子をかけたい。
ここに、この下にある、木辺さんの子宮に今から、私の精子が侵入する。
ここの、真下。
この、女性の一番大切な部分に、私の汚らわしい精液が。
神秘で満ちた、奇跡の宮殿に私の精子達が卵子を受精させんと、幾億と放たれる。
あぁ
気持ち良いな。
受精。
精子。
卵子。
子宮。
あぁ イグ
滝の様に、雪崩の様に。
私の先端から彼女の膣内に精子が出ているのが分かる。
私は彼女の丸みを帯びた腰に全体重をかけ、出来る限り子宮と自分の亀頭の距離を近づけた。
先までむず痒くて仕方なかった亀頭のこそばゆさが、彼女の中で射精する度に気持ちよく消えてゆく。
私のドクンドクン、という欲望の放出に呼応する様に、彼女の胸からも血が出ているのが分かる。
吹き出している血が私の胸に当たっている。
その感覚は私に更なる射精欲を施した。
彼女も出してくれているのか。
彼女も気持ち良いんだな。
これが彼女なりの、射精。
文字通りの一衣帯水。
私も、あの木辺実鈴の中に、あの華奢で可愛らしい女の子の中に、今射精している。
こうしている間にも、何万という数多の精子は、私の股間から彼女の卵子めがけ子宮に侵入している。
脳が真上から鷲掴みされ、絞られている様な快感。
チカチカと目まぐるしく点滅する私の視界。
カックン、カックンと歪みながら陶酔する私の思考。
快感を得る意外の全ての感知器官は遮断され、続け様に送られるのはひたすらな快楽信号。
ぷかぷかと、生ぬるいプールの水面に仰向けで浮かび、今にも眠ってしまいそうな。
そんな、ゆったりと揺れゆったりと流れる余韻がだんだんと収まると、
先まで雲がかっていた私の思考の霧は晴れ、久しぶりの理性と対面した。
荒かった呼吸は次第に規則性を取り戻し始め、逆流していた血は正しく前並びしている。
我を取り戻した私は丁寧に、かつ慎重に、彼女の性器から自分の性器を抜き、後ろを振り返りながら立ち上がった。
次の瞬間、振り向いた私の目に映ったもの。
天亞「…っ…純一くん…」
「……っ」
それは、教授の泣き姿だった。
謙虚に啜り泣くという類いでは無く、嘆きや喚きに近しい泣き。
それらの溢れんばかりの慟哭を、必死の思いで留めている様な。
そんな心境が、教授の涙からは伺えた。
だから、教授は静かに泣いていた。
水谷「教授…」
天亞「…っ…あぁ…」
「…ん…ぐす…っ…あぁいけない…いけないな…」
不思議だ。
私は教授に先までの死姦を目撃され、その最中で私が成した様々な非人道的行為全てを見られた。
あまつさえ、今は下半身裸で私は教授と対面している。
その筈なのに。
なのに、なんでだろうな。
恥ずかしさが毛ほども無いんだ。
心は至って地に足が着いている。
これが本当の明鏡止水というものなのか。
数分前の、私が彼女の始末について考えていた時の冷静さは、本当の禅とは程遠い文字通りの陳腐な痩せ我慢に過ぎなかったのか。
だが今こそは。
今のこの、川の流れ様に穏やかで清らかなこの心こそが。
明鏡止水。
心の肝っ玉がヘソ当たりに降りており、自立心という名の芯が私の背中に一本柱を立てている。
タオだ。
もう崩れない。
私は泣き続ける教授にこの上無い敬いの意を抱き始めていた。
ただ、感謝をしたいのだ。
とてつもなく、感謝をしたいのだ。
私をこの状態に導いてくれた全てのきっかけに。
全ての物に。
全ての人に。
全ての森羅万象に感謝をしたいのだ。
今は、ただ。ただ。
感謝をしたいのだ。
ただ、
ありがとう、と。
3-2
髑髏
あぁ煙草が吸いたい。
その思いと共に私は、ブルーシートで囲われた事件現場から抜け出した。
ここは血生臭い。
外に出ると、そこには数えるに足らない程の数のマスコミが密集しており、その中でも最も積極的に私にマイクとカメラを向けて来た男が、こんな事を聞いて来た。
神谷「初めまして、私は朝原テレビの神谷と申します。」
「今回の名門大学内で起きた惨殺事件、警察はどの様な対応をしているのか、是非ともお聞かせ下さい。」
「また、何故この事件に公安が関わっているのか、その了見をお聞かせ下さい。」
木辺「...我々も現在、調査を進めております。」
「なにか進展があり次第報告致しますので、後日開かれる記者会見にてお待ちしております。」
神谷「ひと言で構いません、今の進展はどのような─────」
木辺「…」
私はくどい質問を無視した後、歩きながらやるせない気持ちをぽっかりと開いてしまった胸に抱き、喫煙所まで早歩きで向かう。
上を見た。
故意的ではない。
早歩きのペースが何故かゆっくりとなり、ついには私の歩を止めるまでに至った。
故に見上げたのだ。
そこでは、呆れるほど透明で水色に澄んだ空が仏頂面で私の事を見下ろしていて、鳩だか鴉だかよく分からない鳥が、円を描きながら飛んでいた。
と、思うのも束の間、その鳥はかあかあと鳴き出し、鴉だという事が分かった。
それを見て思う。
まるで私だな。
どこか目的地がある訳でなく、ただ同じところをぐるぐると回っている。
背景は飽くまで澄んでいる。ってか。
心は霞んでいる癖に。
深く息を吸った。
吸い終える直前になると、口と鼻の間の気管に沸々と煮え返る様な痙攣が生じた。
いけない。溢れてしまう。
だが私は、漏れ出そうになったそれをぐっと堪え、再度前を見て歩を進め直した。
煙草のヤニで黄色く染まりきった喫煙所の扉を開ける。
そこは青天井な喫煙所では無く、密室式で換気扇の稼働音がとてもうるさい所だった。
うるさいのは嫌だ。
一服の満足度が下がってしまう。
まあ、仕方ないか。
そんな事を思いながら私は、開いた扉を律儀に閉め、中で煙草を取り出した。
頭上で絶えず鳴る、換気扇の嘆き声。
思わず舌打ちをしてしまう所だった。
そんな思いを抱きながら、煙草を口に咥えたその時、ある事に気が付いた。
全く、ついていない。
ライターを持参し忘れた。
これでは煙草が吸えない。
ただでさえここはうるさいのに、煙草も吸えないとなると気が触れそうだ。
そう私が落胆していると、部屋の四隅から声が聞こえた。
瑠花「あの、火、貸しましょうか?」
木辺「え、あぁ、どうも。是非。」
そこには人が居た。
綺麗な女性だった。
猫目で三白眼を併せ持つその女性はスーツを着ており、腕を組みながら煙草を左手に持っている。
と、思うのも束の間、その女性は私がそう返事をすると、目の前にライターを置いてくれた。
まさか、人が居たなんて。
先まではこの部屋が煙たかったからか、或いは私の視界こそが白く濁っていたからか、彼女を視認出来なかった。
舌打ちしなくて、良かったな。
瑠花「どうぞ。」
木辺「申し訳ないです。」
置かれたライターに手を伸ばす。
私はそのライターをおもむろに受け取ると、煙草の先端とライターの放火先が交わる角度にしながら、着火した。
点火され、揺れる白い煙をのんびりと吐き出す煙草を私は目を瞑りながら、深く吸い込んだ。
まず口の中で煙を転がし、それが終えたら今度は肺に運んで行き、中で少し遊ばせた後に吐き出す。
美味しい。
その煙は私の乾いていて、霞んでいた心を潤し、色彩を与えた。
不安定な白い柱を換気扇の闇まで伸ばしている煙草。
指の長さ程のこの棒きれが、こんなにも私を左右するなんて。
私はなんとなくのちっぽけさを心に抱きながら、2度、3度と、煙草に口づけした。
瑠花「美味しそうに、吸いますね。」
木辺「えぇ、まあ、数時間ぶりの一服ですから。」
瑠花「あぁ、だからか。」
「いや、それだけです。邪魔して申し訳ない。」
その女性はそう言い終えると、恥ずかしさが少し隠れている顔を振り向かせ、私から視線を外した。
木辺「ひょっとして、公安調査部の五十嵐瑠花調査官ですか?」
気まずさを感じたのか、会話を早く折りたたまんとしていた彼女の心情とは裏腹に、私は気になっていたことを聞いた。
瑠花「え、あ、はい。」
木辺「ですよね。」
瑠花「ど、どうして分かったんです?」
と、先まで自分から視線を逸らしていた彼女は、気になることが生まれたのか、その解答を求めんとばかりに目を皿にして私に再度視線を合わせてきた。
木辺「私は刑事の木辺と申します。」
「あそこの現場に私も呼ばれました。」
瑠花「なるほど。つまりは公安が今回の現場にいると知っていたんですか。」
木辺「マスコミも知っていましたよ。今回の件に公安が絡んできているって。」
「まあもっとも、僕が貴方は五十嵐捜査官だと分かった理由は他にありますが。」
瑠花「....待ってください。多分当てれます。いや、当てます。」
そう言うと彼女は、右手を口元に持っていき、煙草を持っている左手はその右手の肘に当て、少し俯いた。
考えているのか。
多分当てられるなという予感を抱き始めてから、私が2回程煙を吐き出した時、彼女は話し始めた。
瑠花「恐らく....川上です...よね?」
木辺「大正解です。」
瑠花「あー、ですよねやっぱり。」
「もう全く。あいつって奴は。」
彼女は困った顔をしながら目を瞑り、手を頭に持って行った。
頭を抱える。
このことだろう。
木辺「今度は僕が聞いてもいいですか?」
「なんで、分かったか。」
瑠花「川上がこの間、大舟関連で東京拘置所まで行って、起こった事を私に話してきたんですよ。」
「腐れ縁の友人に久しぶりに会った事、大舟の死を元に新たに発見した見解の事。」
「今日学校でなにがあったかを親に説明する子供のように、意気揚々と、なにより楽しそうに言ってきました。」
木辺「彼らしいですね。」
瑠花「いつもこんな感じです。川上は。」
「そこで出てきた腐れ縁の友人というのが木辺刑事、貴方です。」
木辺「なるほど。合点がいきました。」
「彼も私にそんな感じで言ってきましたよ。有能なバディがいるってね。」
「それが五十嵐捜査官、あなたの事でした。」
瑠花「....もう一つ、いいですか?」
私が腑に落ちた気持ちをあらわにしながら、手を伸ばし煙草の灰を落としている最中、彼女は聞いてきた。少し赤面している顔で。
相変わらず、羞恥心を感じやすいのか。彼女は。
木辺「はい。」
瑠花「今回の事件、いえ、今回の現場で起きた女子大生惨殺事件。」
「現場に横たわっていた被害者の女子大生の名前は木辺実鈴。」
「…これって、」
木辺「はい。」
「そうですよ。」
木辺「今回の事件の被害者、木辺実鈴は私の一人娘です。」
瑠花「...ッ.....」
私がそう真相を明らかにすると彼女は目を少し大きく開けた後、斜め下をだんだんと小さくなっていく目と共に向いた。
瑠花「....お悔み...申し上げます。」
木辺「うん...ありがとうございます。」
しばらく沈黙が流れた。
お互いがお互い、相手の心情を察し、言葉なんてかけれなかった。
いや、かける言葉が無かったのだ。
ただ、一つ分かる事がある。
彼女は優しい。
人の不幸や気持ちを、当事者かのように自分にあてはめ、物事を考えれる。
優しい。涙が出てしまう程、優しい。
だが、その優しさが彼女の苦悩を加速させる。
自分に対しての優しさが他人に流れてしまうからだ。
世の中で最も、悪に利用されやすい性格。
そんな事が同時に感じ取れた彼女の態度だった。
瑠花「必ず、必ず犯人は我々公安が突き止めて見せます。」
「許せない。許さない。」
木辺「....」
彼女の目の奥には蘭々と燃え盛る、火があった。
私はその火に見惚れていた。
まるでその火は、燃え盛れば燃え盛るほど、私の涙袋に入っている水を沸騰させ、溢れさせる様だった。
もう、やめてくれ。
君が私を思いやるほど、
君の優しさという名の火が私に触れるほど、
涙が溢れそうになるんだ。
何度も、実鈴の死を知ってから何度も抑えてきた涙が、溢れそうになるんだ。
どうしようもなく、零れそうになるんだ。
もう、終わらせてくれ。
気が付いていたら私は、とある飲食店に来ていた。
残業で溜り帰るのが遅くなった日、帰宅した際に飯を作ろうと台所で火を付けたり食器を出したりするのは、家で寝ている妻と実鈴を起こしてしまうと危惧し、迷惑だろうという思いで毎回帰宅前に来ている牛丼屋。
私の、深夜の友。
今日は久しぶりに昼に来た。
私がいつも来ている深夜の時間帯は、私のみか、他に1、2人客がいる程度。
しかし今の時間帯はこんなにも繁盛しているのか。
昔はよく、この時間に家族みんなで来ていたな。
席に座る。
それも束の間、私はメニューも見ずに店員を呼んだ。
承ります。という声の後、私は注文を始める。
20代ぐらいで元気そうな店員だった。
木辺「牛丼並、おしんこセットでお願いします。」
店員「はい。ありがとうございます。」
「えー、今の時間帯はランチセットがあります。これとセットにすると豚汁が付いて来ますが、どうなさいますか。」
木辺「あぁ、ランチセット...」
「では、お願いします。」
店員は爽やかな顔で私に返事をすると、訛りのある発音で厨房に向かって並一丁だか、ランチ一丁だかと、声に出した。
木辺「懐かしい。」
「...ランチセット。ランチセットか。」
私は、懐古に浸っていた。
昔家族とここに来ていた時、毎回実鈴はランチセットを頼んだ。
なにも日替わりするランチセットの汁物が好きで、頼んでいた訳じゃ無い。
ただ実鈴は、おもちゃが欲しくてランチセットを頼んでいた。
子供の客のみに配られるランチセットの特典。
実鈴はそれが目的でランチセットを頼んでいた。
私は実鈴がランチセットを頼む度に、必然と付いてくる汁物の処理係だった。
ここの店の汁物は甘い出汁で調理されている牛丼に帳尻が合うようにか、少ししょっぱく、苦く味付けされている。
勿論子供の頃の実鈴の肥えた舌にそれは合わなかった。
煙たがった目と共に、パパー、これー、と私の盆に苦手な汁物を置いて、隣にあるおもちゃの袋を嬉々として開封する幼い姿の実鈴が頭に浮かぶ。
なんて、可愛らしい。
つたない箸の持ち方で、口元を汚しながら牛丼を食べる実鈴。
隣に座る妻は横にいる実鈴に対し、おせっかいを焼く。
その団らんを向かいの席に座りながら、私は傍観するんだ。
ただ、噛み締めるんだ。
この時間、この瞬間を、ひたすら心に刻むんだ。
幸せだって。
必ずそれは終わりが来るから。
必ずその瞬間は昨日になり、半年前になり、数年前になり、いずれは過去になる。
だから、あの時の私は噛み締めたんだ。
平凡で暖かくて、あくびが出てしまいそうなあの幸せを。
戻りも取り返しも出来ない、あの幸せを。
ただ、ひたすら。
噛み締めたんだ。
店員「お待たせしました。」
「牛丼並、ランチセットです。」
寝耳に水さながらの店員のかけ声が横から鳴る。
私は店員の姿を見ると、自分が牛丼を頼んでいた事を思い出した。
木辺「あぁ、どうも。ありがとう。」
ずっしりと重たい盆を目の前に置く。
気のせいか、牛丼の色が綺麗だ。
色彩がはっきりしていて、健康的な色の牛丼、豚汁。
だけど、色は綺麗なんだけど、なにか、なぜか、少しぼやけている。
牛丼や豚汁だけじゃない。
視界全体が、濁っているような。
私は割り箸を手に取ると、力なく箸を割り牛丼に目がけた。
自分でも驚いた。
下手くそな箸の割り方だ。
片方ばかりに力が入ってしまい、箸が均等に割れていない。
全く、実鈴みたいじゃないか。
私はその割り箸で少し牛丼をつついた後、口に運んだ。
鉛の様な飯を食べた。
よく言ったものだ。
実に言い得て妙。
私は牛丼を口に含むだけ含んで、咀嚼する事を始めない。
一度でも噛んでしまうと、吐いてしまう予感がしたからだ。
だけど、味は伝わる。
平凡で、実に庶民的な味。
なにより、懐かしい味。
不思議だ。
定期的に一人で食べに来ているのに、なぜか懐かしさを覚える。
昼だからか。
昔家族みんなで来ていた時の様に、昼に食べているからか。
あの時と同じ時間帯に。
私は心底自分を恨む。
自分を殺したい。
同じなのは時間帯ではなく、ここの食卓に共に座る、人が良かった。
あの時と同じ様に、せっかちで面倒見が良すぎる愛おしき妻と、
太陽の様に明るくて、箸の持ち方がどうしようもなく下手で、おてんばな愛おしき娘で。
あぁ なんで なんで
私が守ってやれれば
あの、小さな体で誰よりも明るく輝く娘を
私が、守ってやれれば
目の下が痙攣し始める。
吐く息が、吸う息が、震え始める。
だんだんと、情けない表情になっているのが顔の神経を伝って如実に分かる。
すると次第に垂れてくるんだ。
生暖かい涙が、頬をなぞるんだ。
心が痛いよ。
心、心が、
痛いよ。
私は箸を強く握るよう様に、拳を作る様に、持っていた。
その持ち方はまるで、あの時の娘の箸の持ち方。
つたなくて、ぎこちなくて、小学生になるまで上手く箸を持てなかった実鈴と同じ持ち方。
なんだよ もう
結局箸の持ち方が1番下手なのは、私じゃないか
なんだよ
いやだな ほんとに
もう 本当に。
私は慟哭していた。
周りに人が居ることなんて忘れたかのように
狂ったように、大声で嘆いていた、喚いていた。
涙と鼻水とよだれが混ざった液体を、机に落とす。
だらだらと。
口に含んでいた飯を、机にこぼす。
ぼろぼろと。
私は泣いていた。
この世で一番美しくて、みっともない液体を机に垂らしながら。
零れんばかりの叫び声と、溢れんばかりの悲しみと共に。
私はただ、懐かしんでいた。
木辺という青髭が目立ち、身なりが少し乱雑な刑事との世間話も程々に煙草も吸い終え、私は現場に戻った。
戻っている道中、大学の門の前では大量のマスコミが押し寄せていて、ガヤガヤと喧騒を鳴らしていた。
最初私が現場を離れた時はこの数の半分だったが、明らかに倍近く増えているな。
それもそうだろう。
日本で1、2位を争うほどの名門大学内での殺人事件。
マスコミがそんな特大ネタを肴にしない訳が無い。
私はそんな事を思いながら立ち入り禁止のテープをくぐり、マスコミたちを横目に流した。
如月「分かりました。取り調べに付き合って下さりありがとうございます。」
「では。また何かありましたら連絡致しますので。」
増田「あ、いえいえ。」
「り、了解です。では失礼します。」
私は事件が起きた場所、東京和伶開倫大学東棟併設研究室A前に着くと、そこでは如月調査官が学生に取り調べを行っていた。
その学生の言動や身振り手振りは異様に慌ただしく、実に落ち着きが無いものだった。
やはり我慢できない。
怪し過ぎる。
私は、如月調査官と別れの挨拶を済ませて間もないその学生に話しかけに行った。
仮にこの学生がクロだとしたら、このまま事件現場を離れ、2度と姿を現さないかもしれない。
そうすれば事件解決は困難になる。
この学生はシロだと思われたまま。
まあ仮の話だが。
だが、念のために。
瑠花「あの、待ってください。そこの学生。」
増田「……」
瑠花「聞こえますか?貴方に言っているんですが。」
増田「えっ!あ、あ、ぼ、僕ですか。」
瑠花「そうそう。君だよ。他に学生がここに居る?」
如月「あ、五十嵐さん。」
瑠花「少し待ってね。如月くん。」
私は早歩きで、呼びかけによって止まった学生の元へ向かった。
私が一歩一歩、と彼に近づく度に、彼の顔に書いてある”焦っています”という文字は鮮明になっていく様な気がした。
やはり、予感は当たったか。
瑠花「君、名前は?」
増田「ま、増田幸吉です。」
瑠花「ほんとの名前?学生証出して。」
増田「あ、は、はい...!」
学生はそう言うと、またもや慌ただしくリュックの中をまさぐり、ぬるりと学生証を私に見せてきた。
瑠花「ふ~ん。」
「増...田、幸...吉...と。」
私は目の前に出された学生証をじっと見つめると、漢字の綴りを暗記し、彼のフルネームをメモ帳に書き留めた。
瑠花「えーと、如月くん。」
如月「あ、はい。」
瑠花「彼になにを聞いたの?」
如月「えっとー、事件当初なにをどこでしていたかの行動確認と、心当たりのある犯人を聞きました。」
「増田曰く、彼は事件当日この棟の1階下で卒論の資料を漁っていたそうです。」
「ですから、事件現場には居なかったと。」
瑠花「だめ。足らない。」
如月「え?」
瑠花「事件当初の動向を聞くのは有益だけど、心当たりのある犯人を聞くのは非合理的だよ。」
如月「す、すみませんでした。」
瑠花「謝らなくていい。見てて。」
私より1.5倍程の背丈がある大男が、私に向かって頭を下げ陳謝してくる。
なぜか自分の方が申し訳なさを感じてしまったのか、責めるより私は彼にお手本を見せることを選んだ。
そうお手本だ。
彼はまだ、公安という調査職に就いて間もない新人なのだ。
任期的には、うちの夏奈と同じぐらいか。
そんな彼にはお手本が必要だ。
瑠花「増田くん、だね確か。」
増田「は、はいそうです。」
瑠花「貴方に今から2つ質問する。」
「仮にその質問が、君の答えられない範疇なのなら答えなくて構わないが、知らんぷりをしたり、嘘で質問に答えたりした暁には、君にホシをつける。」
「いいね?」
増田「わ...分かりました。」
瑠花「ではまず一つ目、生前の木辺実鈴はどんな人物像だった?」
増田「えっ、えー、と...」
上手い。
私は瑠花調査官が増田に再度質疑をしている様を後ろから見ながら、そんな事をふと思った。
先ほど私は瑠花調査官にダメ出しをされたのだが、彼女の今の質疑の仕方を見ていると、その理由も腑に落ちる。
瑠花調査官の今の質問、”生前の木辺実鈴はどんな人物像だった?”というのは、木辺実鈴は他人の恨みを買うような人間だったか否か予想を立てることが出来る聞き方だ。
仮に、木辺実鈴は恨みを買うような人物という情報が入れば、あとは彼女の個人的な人間関係を友人や家族、学校の担当講師などに聞き込みして周っていくだけ。
そうすれば事件勃発当初、木辺実鈴と仲が険悪だった人間を今度は調査するだけ。
容疑者とされる者を見つけるのも、時間の問題だろう。
だが仮にもここで増田が嘘を付いたとしても、その回答と聞き込みの情報をすり合わせれば、ボロは出せる。
ボロが出たと分かったのなら今度は増田になんで嘘の回答をしたのか問いただせばいい。
その上で増田があまりにも怪しい言動を見せたのなら、容疑者としても扱えるという寸法だ。
だが私の”心当たりのある犯人はだれ?”という質問は、増田が嘘を言えば下手したら我々が撹乱させられるし、なにより知っていない可能性が高い。
実際、この質問を私に聞かれた増田は即答で知らないと述べた。
これではなんの情報も得られない。
実に下手。不器用。
愚かな質問にも程がある。
愚問だ。
だが、瑠花調査官のあの質問の仕方は、木辺実鈴と増田幸吉の二人の内、必ず一人の人物像を露呈させることが出来る。
増田が正直に答え、木辺が恨みを買うような人間か否か。
増田が嘘を吐き、増田はこの事件について何かを隠している人間か否か。という要領で。
私の質疑の仕方とは雲泥の差がある。
実に老猾で練度の高い立ち回り。
流石は20代で上席調査官の座にのし上がった人材。
流石は川上調査官と比べられる人材。
だから心底思ってしまったのだ。
上手い。
と。
増田「き、木辺さんとは専攻している学部が同じでした…」
「そ、それで時々会話をした程度の関係で、頻繁に関わり合ってた訳では無いです。」
「で、でもキャンパス内で彼女が自身の友人と談笑している姿を見てる限り、恨みを買う様な性格をいていたとは、お、思いません…」
瑠花「なるほど。」
「では二つ目、木辺実鈴はなぜ殺されたと思う?簡潔に答えよ。」
増田「え、えぇと、恨みを買う様な人物じゃないとするのなら、と、突発的な事故に近い殺人だと思います。」
瑠花「漠然としているね。」
「彼女の遺体は今鑑識に出して詳細を調べているが、事件当初彼女は服を脱がされていたんだよ。恐らく犯人の手によって。乱暴にね。」
「プラス、手首にあざがあった。」
「この前提を踏まえて、再度問う。」
「木辺実鈴はなぜ殺されたと思う?簡潔に答えよ。」
増田「お、恐らくレイプの類いではないでしょうか…」
「し、死体になった彼女に性的暴行を加えた。」
「その、ふ、服を脱がされていたというのが理由です。」
瑠花「増田くん。」
増田「え、あ、はい。」
瑠花「私が一体いつ、犯人がレイプした時は既に木辺実鈴は死体になっていたと言った?」
増田「あ…」
瑠花「木辺実鈴は服を雑に脱がされた状態で、手首にあざがある。としか私は君に言っていない。」
「でも実はそれに加えて、木辺実鈴の胸には刃物による刺し傷があったんだよ。」
「心臓に届くぐらい、深く刺さった刃物の跡が。」
「だが私はそれをあえて隠して、君に聞いた。」
「ところが君は、私が隠した胸の刺し傷の情報の事をなぜか知っていて、それを前提に踏まえ、今私に答弁した。」
瑠花「もう一度言う。」
「私は今君に胸の刺し傷の事は伝えていないのに、何故君は刺された事、挙句には既に死んだ事を前提に加えて、死姦だとくり上げたの?」
「私が君に与えた情報だけなら、強姦した後に殺したと答えるのが自然だとおもうんだけど。」
「答えて。なぜ木辺実鈴は死姦されたと君は勝手に解釈したの?」
「まさかさ、嘘ついてないよね。」
増田「……」
まるで詰め将棋。
決定的だ。
目の前にばら撒かれた情報という名の餌に見事に食らいついた増田。
しかし勢い余ってか、口を滑らせてしまった。
いや、滑らされたのだ。
餌と共にそこには罠が仕掛けられてあった。
それが瑠花調査官が言っている、増田の死姦への勝手なくり上げ。
見事だった。
あの短い間で増田の性格や行動パターンなどを把握し、こういう質問の仕方ならこいつはボロを出すと見抜いたのだ。
かつ、その質問を二つ目に持ってくるのが更に秀逸だ。
何故なら、仮にその質問を最初に聞いたのなら、増田は警戒して口を滑らせなかっただろう。
だからこそ、一つ目の質問で増田に適当に喋らせて、口を慣らしてから二つ目に移行した。
そうすれば一つ目の時より増田の警戒心は軽減され、口を滑らせやすくなる。
まるでその日で最初、つまりは一回目のバッティングよりも、2回目、3回目の方がだんだんと調子が出てきて、球が伸びやすくなる様に。
ここで増田が口を滑らせてしまったことによりそれが指し示す意味としては、増田は事件現場に居て、殺人の様子を目撃していた。或いは増田が実行犯そのもの。となる。
仮に目撃しただけなのならまだ増田は無実だが、今回は増田は嘘をついた。
なぜなら増田が私に言った事件当初の動向、”居た棟は殺人が起きた棟と同じだが、自身が事件現場の1階下に居た。故に事件現場は目撃していない。”という情報。
それと矛盾が起きるからだ。
事件当初1階に居たと声明している人間が、なぜ2階で起きた殺人事件の細かな詳細を知っているのか。
そこにある墓穴を、瑠花調査官はたった二つの質問で増田に掘らせた。
口は災いの元。
よく言ったものだ。
こうやって逆手に取られるのだから。
実に利口で賢い手口。
瑠花調査官と増田が会ってからまだ数分程度。
その中で交わしたたかが二言三言の文言で、これほどまでも増田という人間の内に秘めたる容疑というのを露呈させることが出来るのだろうか。
これが、お手本か。
だが到底、真似できそうに無い。
増田「……」
瑠花「どうしたの?」
「なにか不都合なことでも。」
「ひょっとして、嘘をついていた。とか?」
全てにおいて一枚上手。
人間が生まれ持って身に宿す、生物としての核的な程度は勿論のこと、人生の中で培い実らせてきた賜物が、まず違う。
そんな格上に詰められている増田はしなしなとした態度を隠せずにいた。
増田「い、いや...」
瑠花「....うん。如月くん、増田幸吉にホシを付けて。」
「こいつは嘘を言った挙句、その訳も述べない。」
「最初に言ったよね。怪しい言動を見せたらホシをつけるって。」
如月「はい。了解です。」
満を持したように瑠花調査官は私の方を、自身の嫋やかな黒髪をなびかせながら振り向き、そう言った。
彼女のその容姿に一瞬の間、見惚れそうになったが私は気を取り戻し、増田の名前を書くためにポケットからメモ帳を出そうとした。
その時、
天亞「あのーごめんください、どうかしましたか?」
瑠花「あ、貴方は。」
増田「影山教授!」
血生臭く寂れた事件現場の廊下の角から、1人の初老の男が現れた。
とぼけた顔をしているその男は、事件の惨状の要領を得れない様子で居た。
天亞「あ、増田くん。これはなんだね。」
「お巡りさんがこんなに。」
増田「え…えぇと…」
如月「只今ここは殺人事件が起きた現場として、我々公安と警視庁が調査をしています。」
「恐縮ではございますが、一般の方には退出を願わせていただいてます。」
天亞「へ、へぇ!?殺人…!?」
「ど、どんなだ。」
如月「ここの在学生である、木辺実鈴が本日、1時間程前に惨殺されました。」
天亞「き、木辺さんが…」
如月「ご存知なんですか?」
天亞「知ってるもなにも、私はここの教授だ。」
「名前は影山天亞。」
「勿論彼女に講義を行ったこともある。」
「でも、なんで木辺さんが。」
如月「き、教授でしたか。先ほどの無礼、どうかお許しください。」
「あ、あの、この間出版してくださった本、拝読いたしました。」
「…とても興味深かったです。」
天亞「どうも。」
「それで具体的になにがあったんだ?」
如月「詳細は守秘義務があるので申し上げられませんが…」
天亞「守秘義務とな。」
如月「えぇ、ですから…」
瑠花「私が説明しよう。下がってて如月くん。」
助かった。
守秘義務と教授への敬意。
この二つを天秤にかけ、目の前の男の相手に持て余しを覚えていた私の心中を察してか、瑠花調査官が私に変わってくれた。
本当にこの女性は頼りになる。
日本で1番偏差値が高い大学の教授を務める人間によくもああまで率先して。
私は緊張してあの有様だ。
天亞「君は…五十嵐くんか?」
瑠花「そうです。数年ぶりですね。先生。」
天亞「卒業以来だよね、恐らく。」
「ちょっとは顔出してくれても良かったんだよ。」
瑠花「私もそうしたかったのですが、仕事が忙しくて。申し訳ないです。」
天亞「確かに君は優秀だったから、ここを卒業してすぐ公安に内定が決まったんだよね。」
「良いことだ。」
瑠花「ありがとうございます。」
「それで、大変心苦しいんですが、我が母校で本日起きたこの殺人事件。」
「その詳細をお話し致します。」
「貴方には知る権利がある。」
突如会話の流れで判明した事実。
瑠花調査官はここ、東京和伶開倫大の卒業生ということ。
おまけに彼女はこの教授の教え子だったということ。
やはり流石は瑠花調査官と言ったところか。
優秀な人間は学生の頃から優秀なんだ。
彼女と自分を比べてもくだらないが、なぜだろうか。
どうしても比べてしまう。
比べた結果、得られるのが劣等感のみと分かっていても、比べてしまう。
すごいとは思う。
尊敬の意を抱くことには抱けるが、どうも抱くまでの工程がひねくれているのだ。
私の悪い癖だ。
この歳になってまで、幼稚で稚拙な比べ合いが身に染みてしまっている。
現代は競争社会と言えど、誰彼構わず自分と比べ合い、その度に一喜一憂するのは邪道だと自分でも思う。
故に身の丈をわきまえないと不幸せになるのもまた競争社会の事実。
面白いものだ。
競争社会と銘を打って、比べ合いをしろと謳っているのにも関わらず、比べ合いをしない競争の仕方があるのか。
いや、そんなものはない。
だとしたら、私の比べ癖は競争社会の鏡なのか。
否…
私がそんな物思いにふけていると、瑠花調査官は教授に説明し終わったのか、今度は私に話しかけてきた。
瑠花「とりあえず先生は…教授は部署に来ることになった。」
「取り調べを受けさせる。」
如月「ど、どうしてですか?」
瑠花「それは─────」
天亞「私は木辺実鈴が殺される直前まで彼女と会っていたからだ。」
如月「会っていた?」
天亞「あぁ、今のシーズンは院生の卒業シーズンでね。」
「多くの未来ある学生が私の元に、卒論の執筆の件で質問をしに来る。」
如月「という事は木辺実鈴は殺される直前、貴方に卒論の事を聞きに行ったのですか。」
天亞「そういう事だ。」
「決まったのなら早いところ行こう。」
「私も論文の仕上げがまだでね。時間が惜しいんだ。」
如月「あ、でも増田くんはどうするんです?」
瑠花「彼も連れていく。容疑者だからね。」
「でも別の車で。」
「教授と容疑者を同じ車になんか、乗せられない。」
天亞「すまないな。増田くん。」
「仕方が無い事だ。」
「ご武運を。」
増田「あ、はい…」
瑠花「という事だ。」
「では如月くん、運転頼んだよ。私も乗るから。」
如月「あっ、はい了解です。」
私達はその後共に車に乗り、公安調査部本庁まだ向かった。
道中の車内では意外にも会話は無く、後部座席に座る瑠花調査官と天亞教授は各々思索にふけているような様子だった。
瑠花調査官は窓の外を見つめながら頬杖をし、じっと何かを考えている様子で、天亞教授は腕を組みながら瞳を閉じ、瞑想をしている様子だった。
こういう時は私の様な人間が場を和ます役なはずなのだが、バックミラー越しに映る彼らの真剣な表情を見て、それは到底出来るものではないと流石に思った。
いや、それだけでは無かったのかもしれない。
運転している私にはもう一つの思いがあったからこそ、その役を全う出来なかったのだ。
確か私はあの時に、なんとも言葉にし難い緊張感というか、緊迫感というか。
それらの感情に似た危機感にずっと苛まれていた。
私が運転するこのセダンには、社会的にも有望で重要な人材を2人も乗せていると。
私の両腕が数センチでも狂うだけで、その2人の命は絶えてしまうかも知れないと。
決してそれらを起こさせない為に私は、手汗と共に久しぶりの10時10分でハンドルをひたすら必死に握っていた。
瑠花「こちらです。お入りください。」
天亞「ああ。」
瑠花調査官が率先して取調べ室の扉を開く。
影山教授が部屋に入りやすいように。
その姿は紳士さながら。
女性なのに出来てるな。
私は彼、影山天亞という人物は知っている。
しかしその人物像というのは、作家の彼。
彼の本は学生のころからよく拝読していた。
とても知的好奇心が刺激される良書の生みの親だ。
良い作家として、私は彼の名を記憶している。
しかし、影山天亞教授の顔は知らない。
少なくとも、私が尊敬している瑠花調査官が尊敬に値すると判断している人物だそうだ。
彼女の教授への配慮やエチケットを見るとそれが分かる。
一体、どれほどのものだろうか。
川上「お疲れさーん」
「いま、取り調べだよね?」
瑠花「居たんだ。」
「そう。事情は聞いた?」
扉を開けるとそこには、ずっと首を長くして待っていたであろう一人の調査官が居た。
川上調査官だ。
彼はうきうきな笑顔を浮かべながら、取り調べの椅子に座っていた。
瑠花調査官は川上のその様子を見ると、呆れたような顔と、どこか安心感が宿っているような表情をしながら川上と言葉を交わした。
川上「事情っつーか、ざっと雰囲気で察したよ。」
瑠花「雰囲気?」
川上「ほら、さっき裏の駐車場に車を止めたでしょ?」
「ということはその日は誰か、重要参考人を連れてきている日。」
「その参考人の安否を案じての表、つまりは中央駐車場に車を停めないという判断。」
「万一の事を起こらせないためにその参考人を人目につけない。そういう目的。」
「でしょ?」
瑠花「気持ち悪い。」
川上「え?」
瑠花「私があの現場に派遣されてから部署に戻るまでの間、ずっと窓から裏の駐車場を見てたのか。」
「私がいつ帰ってくるのかと鼻の下伸ばしながら。」
川上「まぁ〜ね〜」
実にふざけた顔だった。
川上調査官は机に頬杖をつきながら、瑠花調査官の嫌悪の句に対してそう反応した。
別に荒唐無稽という訳では無い。
論理的かつ合理的な行動というのは時に、どうしても見栄えが悪くなるものだ。
川上調査官は彼の目的を達成する為に、実に無駄の無い行動をしたまで。
しかし、なぜそうしてまでも、取り調べをしたいのか。
私は不意に聞いてしまった。
如月「あの、なんで川上さんはそれ程までして、取り調べをしたいんですか。」
川上「君は、えぇと…」
「あのー…あれだ。あれだよあれ…」
川上調査官は私の質疑を聞くなり、私の顔を一瞥したと思ったら目を苦しそうに瞑り、何かを思い出し始めた。
私はため息と共に彼の痒いところをかいてあげた。
如月「如月です。」
川上「そうそうそう!」
「良かったー、思い出せた。」
「如月くんね。きさらぎきさらぎ。」
瑠花「ったく。幼稚だな。」
如月「…それで、どうしてなんですか?」
川上「こうしてまで取り調べをしたい理由?」
如月「そうです。」
川上「それは君、匂うからだよ。」
如月「匂う…?」
私はまたもや彼に心外な事を言われた。
噂には聞いていたがなんでこうも彼は子供っぽいんだ。
瑠花調査官の今吐き捨てた言葉の気持ちもよく分かる。
しかし恥ずかしい話、私は匂うと川上に言われて即座に自分の服の匂いを嗅いでしまった。
自分の体臭が匂うと解釈してしまったのだ。
その矢先、すぐにそれは川上調査官のいたずらだと気付いた。
川上「あははっはっはっ!!」
「そ、そっち、そっちの匂うじゃない」
「ひっかかったねー!?あっはっはっ!」
如月「…」
川上「ははっ!じ、事件が匂うってことね。ふふっ」
川上調査官は大声で笑った後、苦しそうな声で私に訂正を施した。
私はあまりの恥ずかしさのあまり、なにも動けずにいた。
天亞「取るに足らないくだらん言葉遊びは済んだかね?」
「早く取り調べを始めてくれないか。」
川上「あぁ〜あ、腹痛ぇ。」
「あ、この人が参考人?」
瑠花「そうだ。開倫大で務めてる、影山天亞教授だ。」
川上「へぇ〜大層な肩書きですねぇ。」
「いやいや、僕ってばてっきり貴方は容疑者の方かと思っちゃいました。」
「だって…ぐふっ、その…薄汚いじゃないですか。貴方。」
瑠花「川上。」
「いい加減にしろ。」
川上「はいはいはい。」
「じゃあお望み通り、始めますね。ひー怖い。」
「えぇーっと。」
川上調査官はそう言うと、自身のポケットから黒い録音機を取り出し、スタートボタンがどこか目で探した後、その録音機に向かって話し始めた。
川上「えぇー、録音日時を述べます。本日は2023年12月28日。時刻が、午後6時25分。」
「今回は東京和伶開倫大学で木辺実鈴が殺害された事件について、当大学の教授兼今回の事件の参考人である、影山天亞と俺…あぁと、私、公安調査官川上正悟の取り調べ内容を録音として残す旨とする。」
お決まりの様な常套句を慣れた様子で述べ終えると、川上は録音機を机の中心、つまりは川上の声と教授の声が平等に拾われる位置に置いた。
川上「では、まず貴方は影山天亞当人で間違いないですか?」
天亞「ああ。私は影山天亞本人だ。」
川上「結構。では取り調べを行います。」
「まず事件当初の貴方の動向を大雑把な時間帯で良いので付与して、声明してください。」
天亞「私は木辺実鈴が殺害される直前まで、彼女の卒論に関する質問に答えていた。」
「時間は午後4~5時頃、場所は当大学に併設されている東棟研究室A内。」
川上「それはおかしいですねぇ。」
「東棟研究室Aと言えば、彼女が遺体となって発見されたすぐそばだ。」
「いや、そばってレベルじゃない。ほぼ同じ場所。」
「彼女の遺体が発見されたのはその研究室の前。」
「なのになんで貴方はすぐに気づかないんです?事件に。」
天亞「私は彼女の質問に答え終わったら、すぐに研究室を後にしてしまった。」
「その末に、帰ってきたらあの惨状とご対面だ。故にすぐに気づかなかったという結果にはなんの不自然性も無いと思うが。」
「私を犯人と疑っているのか?」
次第に重くなっていく取り調べ室内の空気。
私はその空気に胸を押しつぶされそうになっていた。
川上「疑ってますよそりゃ。」
「だって冷静に考えて、木辺実鈴と最後に接触した人間が一番怪しいと考えるのは普通じゃないですか。」
天亞「”じゃないですか”か。それでも本当に調査職に身を置く者か?」
「こいつは新人か。滑稽だぞ。」
川上調査官は頬杖をした状態で足を組みながら椅子に座り、教授の蔑みをにっこりとした笑顔で聞き入れていた。
一方教授は腕を組んだ状態で川上調査官の事を見下すような目つきと共に睨みつけていた。
なにかが起こる。
その兆候に近しい前ブレが今この場にジンジンと伝わる。
傍観している私でさえも手に汗握ってしまう様な緊張感。
そんな私の気持ちなど知らんと言わんばかりに、無慈悲にも取り調べは続行した。
川上「ちなみに、貴方が今明言した動向の数々。」
「それを大学内の監視カメラで確認してもいいですか?」
天亞「愚問だな。」
川上「愚問ですよ。」
天亞「本当に確認したいのなら私の合否など聞くまでもなく、有無を言わさず勝手に確認すればいい。」
「ちなみに補足しておくと、」
「私にかまをかけても無駄だ。」
川上「ほーう。なぜ?」
天亞「私は殺していないからだ。」
川上「僕は別に貴方が殺したとは思ってませんし、今後も思いません。」
「ただ、なにか引っかかるんですよねー」
天亞「私が嘘をついてるとでも?」
川上「貴方が何かの嘘を既についているのは僕の中でもう分かっています。」
「ただそれより気になるのは、本当のことを言ってない理由です。」
天亞「真偽は置いといて、私は嘘を言っているというより、本当のことを言っていない感じがすると。」
川上「そんな見受けられをされています。僕に。」
天亞「フフッ」
「くだらんな。」
川上「その心は?」
天亞「すべて憶測に過ぎないからだ。」
「第一、私は貴重な時間を割いてここに容疑者として来たわけでもなければ、ボロを出す為録音を取っている訳でもないし、君の戯言に付き合ってる訳でもない。」
川上「ほう。」
天亞「私を君の主観の中で犯人と荒唐無稽に仕立て上げるのは構わないが、私の時間を無駄にしないでくれ。」
「取り調べをしないのなら私は引き取り願いたい。」
「な。お巡りさん。」
なんという口喧嘩の強さ。
あの口達者で饒舌な川上調査官が言い負かされつつある。
なんというか、まるでパンパンに空気の入ったボールの様。
そのボールを破裂させんとばかりに圧をかけるのはいいが、その圧力をも押しのけてしまう程のボールの反発力。
教授の口の強さに関してそのような印象を覚えた。
討論大会なら、教授の優勢という判定が挙げられるだろう。
川上「目を近くで見ていいですか?」
天亞「は?」
次の瞬間、川上は教授に蔑まれた故に静かになったと思ったら、またもや奇行に走った。
なぜなら、彼は許可制の質問形式にして自分から問うてるにも関わらず、教授の合否返答を待たずして、椅子から勢いよく立ち上がり、自分の顔を教授の顔に近づけたからだ。
明らかに怪しい行動。
5CMも間隔が無かっただろう。彼らの顔同士の間には。
まだその場にいる全員が咄嗟の川上の奇行に思考が追いついていない時。
彼は一言、喋った。
川上「凪みぞれ。」
川上「...ふう~ん。」
瑠花「な、なんだ?今のは。」
「川上。」
川上「あ、今のはね彼の眼球運動を観察してたんだ。」
「人間って、興奮したり精神的に動揺したりすると、いろいろな反射運動が体に作用する。」
「例えば今のだと...」
天亞「交感神経を刺激する事によって起こりえる反射運動、通称散瞳。」
如月「さん...どう...」
天亞「彼は今、”凪みぞれ”という特定のワードを突拍子も無いタイミングで私にかけてきた。」
「私がそのワードに反応して瞳孔が開くか否かを確かめてたのさ。」
「”凪みぞれ”。なんのワードだが身に覚えが毛頭無いがね。」
瑠花「なるほど。凪霙は副総理怪死事件の実行犯である大舟雅也のことを、洗脳して操った人物。」
「話によると、その霙自身も誰かに洗脳されていたらしい。」
点と点が繋がっていく感覚。
言葉に出来ない快。
瑠花調査官は続けた。
瑠花「ここからは川上自身の推察だが、大舟のことを洗脳してた人物である霙、を操作してた人物こそが、」
「脳喰い蟲。」
川上はニヤけていた。
笑顔と呼ぶにもあまりに不純なその笑みは、自分が思った通り、講じた策通りに現状が成就している事に対しての快感の表われにも見受けられた。
すこし、怖かった。
瑠花「だが凪霙は現在、身柄を捕らえられており、厳重な牢屋に閉じ込められている。」
「勿論、脳喰い蟲がその事を把握していない訳がない。」
「だが逆を言うと、脳喰い蟲は今、霙に対して過敏な姿勢を取っていると考えられる。」
「そこを裏目に突いたんだな。川上。」
川上「せいか~い♪」
点と点が結ばれ線になり、線と線が結ばれ、面になる。
私の今の心情はまさにそれだ。
川上が急に取った奇行。
あれは奇行などではなく、実に抜け目のない論理的な行動。
それを理解した私は川上という人物の中に潜んでいる怪物と一瞬、対面した気がした。
まず川上は最初から教授は今回の大学内殺人事件に関与していて、プラス、別件の副総理怪死事件の首謀者である、脳喰い蟲だと、一目教授を見た時から推察した。
次に彼はその疑問の答え合わせをすべく、踏み切った行動に出る。
それが先ほどの奇行、教授の目を間近で見るというもの。
教授が本当にクロなのかを判断すべく、”霙”という脳喰い蟲にとって敏感なワードをノールックで出してきて、教授の眼球運動を観察した。
そのワードを聞いた上で、教授の瞳孔が開かなければシロ。
反対に、開けば高確率でクロ。つまり教授は脳喰い蟲。
という要領で、抜き打ちテストをしたのだ。
聞いたことがない。
人間の反射運動の域にまで漬け込んで、調査をする捜査官なんて。
事前にその博識な知識を持ち合わせるのはまだしも、それをこういう土壇場で、かつ即興で、策にまで練り上げて実践に落とし込むなんて可能なのだろうか。
培った知識などを論理的に整合性を取り、利益があるように講じる。
高度なインプットとアウトプットの連続。
なんたる抜け目のなさ。
並みの神経じゃない。
先ほどの、教授に対しての不毛な無礼なども全て、自身のことを程度が低い有象無象だと教授に思わせるための、演技。
教授からしたら驚嘆どころではない。
なぜなら、仮に教授がクロ、つまりは脳喰い蟲だと仮定すると、さっきまで子供染みた行動を取っていた川上が突然仕掛けてきたのだ。罠を。
バカみたいな仏頂面で私に匂うだとか、教授に薄汚いだとか言っていた愚か者が、唐突に不意を突かんとしてきたのだ。
飽くまで仮定の話だが、クロな教授はそれで相当焦るだろう。
故に瞳孔も開く。
なぜなら人間は不安を感じている状況や、心拍が早まり、動揺している状況下だと、散瞳と呼ばれる瞳孔が開く反射運動が起こる様になっているから。
そう設計されているのだ。身体が。
ただでさえ、洞察力が鋭い文字通りの川上の目前。
おまけに、反射神経が確実に働くように念入りに仕込んだ工程を経ている状態。
酷な話だが、教授が実はクロだとしたら、そこに川上を欺瞞する余地は皆無。
故にはっきりと、明々白々に出る答えがある。
教授はシロか、クロか。
あの厳しい工程をクリアしたのなら、それはもうほぼ10割型、シロで間違いない。
しかし逆も然り。
仮にその工程に引っかかり、違反している箇所が一つでもあるとするのなら、教授は限りなく100%に近い割合で、クロ。という寸法。
全く。良く出来てるカラクリだ。
ふざけている様な言動や表情をしている最中、彼はこんな高度なことを即座に頭の中で練って、完成させた挙句、実践したのか。
脱帽以外の言葉が見当たらない。
そういえば、実際教授は心当たりがありその反射運動を起こしたのだろうか。
まだ川上は何も言っていない。
どうなんだ。
如月「あの、川上調査官。教授はその、散瞳を起こしましたか?」
川上「そこだよねぇ。やっぱり。」
「気になるよねぇ。」
と、川上はなんの生産性も無い勿体ぶる素振りを見せ、机の上にあるペンを手に取り、ペン回しを始めた。
くるくると、川上の骨っぽい指の上で踊る一本のペン。
川上は口を開いた。
その、矢先。
川上「結論から言うと教授は...」
「おっとっと、あらら。」
川上は手からペンを落とした。
ペン回しの披露中に川上のお粗末なミスによって飛ばされたペンは、空中で遠心力の恩恵を存分に発揮し、少し先の教授が座っている席の隣にまで羽ばたき、地に落ちた。
川上「あーちょっと失礼..」
「あ、大丈夫。自分で取ります。」
川上は自分のミスにより自分で飛ばしてしまったペンを、教授にお願いして取って貰おうと顔を見上げた。
しかし、途中まで出ていたそのお願い文言を、川上は教授の邪険な表情を見るや否やすぐさま取り消し、自分でペンを拾わんと席から怠惰で重い腰を上げた。
川上「よい、しょっと。失礼失礼。」
「まあ、教授はシロだよ。人畜無害なただの教授。」
「裏で人間の脳みそを好んで貪る狡猾なシリアルキラーなんかじゃない。」
そのセリフを言い終わると同時に、川上はペンを拾うために俯いていた上半身の姿勢をぐいっと上にあげ、教授の顔を一瞥し、席に戻った。
それだけの平凡な川上の動作、行動、作法。
なのに、どうしてだろうか。
なにか、なにかが私に違和感を伝える。
自身の心に芽生えた小さな懐疑。
私がそれに気づくと同じぐらいのタイミングで、瑠花調査官は話し始めた。
瑠花「だろうな。」
「予想とはいえ教授を疑うなんて、バカバカしい。」
「お前らしくないな。予想が外れるなんて。川上。」
川上「面目ないよね。」
「いやほんと。」
天亞「勝手に空回りしてる所申し訳ないが、もうすぐ予定が’あるから帰っていいか。」
川上「あぁ~!どうぞどうぞ。」
「ごめんなさいね、先ほどの無礼を陳謝します。」
「いやいやぁ、仕事柄他人に嫌われる様な事でも捜査を優先してしなければいけないんでね。」
天亞「まだなにか聞きたいことがあるのなら、彼女を通しての取り調べを希望したい。」
教授は帰ろうと席から立ち上がると同時に、その文言と共に瑠花調査官を指さした。
瑠花「え、あ...いや是非。」
「本日はわざわざありがとうございました。先生。」
天亞「ああ。」
「では、私はこれで。」
瑠花調査官がそう挨拶すると、教授は軽く会釈をして、取り調べ室のドアを開けた。
私と瑠花調査官と川上が残されたこの部屋に5秒ぐらいの沈黙が流れる。
すると瑠花調査官はスタスタと机まで歩を進め、川上の前に置いてある録音機をそっと止めた後、満を持して話し始めた。
瑠花「お前は天邪鬼か。川上。」
川上「フフッ」
瑠花「いつも言ってるだろう。」
「参考人や容疑者を連れてきて、取り調べや尋問を行う際は出来る限り相手の事を挑発するなって。」
「これはルールだ。なぜ反対の事をする?」
川上「確かに。いつも言ってるね。」
「でも、今回はそうせざるを得なかった。」
瑠花「どういうことだ?」
「実際にかまをかけてみた挙句、結局教授はシロだったんだろう。」
川上「そうだよ。その時は教授は散瞳反射を起こさずに、瞳孔のサイズは同じままだった。」
「でもそれは1フェーズ目の時ね。」
瑠花「1フェーズ目?」
「ということは、2フェーズ目のかまかけがあったのか。」
川上「そう。俺が天亞にかまをかけたフェーズは二つ。」
「一つ目はご存じ、”凪霙”というキーワードと共に奴の瞳孔を間近で調べた時。」
「二つ目は、俺がペンを落とした時。」
瑠花「お前がペンを落とした時が2フェーズ目....?」
「どういうことだ?」
瑠花調査官は困ったような顔と共に首をかしげながら、川上にそう聞き返した。
私も要領を得れていなかったので、瑠花調査官のその聞き返し兼説明の催促の言葉は個人的にありがたかった。
川上はまたもやペンを回しながら、それに応えるように説明を始めた。
川上「俺がペンを落とした時の会話の脈絡はどんなだったか、憶えてる?」
「あの時の取り調べの成り行き。」
瑠花「あの時は確か、如月君がお前に、結論教授はシロかクロかの是非を問うた時だった気が。」
川上「そう。大正解。記憶力良いね。きっと神経衰弱得意でしょ?」
瑠花「そういうの、いいから。話を続けろ。」
川上「フフッ。まあいいや。」
「そう、そんな最中俺はペン回しを始め、挙句にはみっともなくペンを落としてしまった。」
「教授の席の真横にね。」
瑠花「ああ。憶えているぞ。」
「それでお前は、教授にそれを拾って貰おうとする怠惰ぶりだったよな。」
川上「そう。だけど俺は結局自分で取りに行った。」
「それと同時に俺は、如月君の質問にそこで初めて回答した。」
「あの時、あのタイミングで。」
「教授はクロじゃない。シロだと。」
「ある種の朗報として、如月君の質問に答えた。」
瑠花「...まさか...お前...そんな事をやっていた...のか。」
川上「お。気づいた?感が鋭いね。」
瑠花調査官はそこまでの川上の説明を聞いて何かに気が付いたのか、手を自身の口元に当て、考え始めた。
瑠花「...うん。合ってる...そういう事なら、辻褄が合う...」
「お前...なんていう...」
川上「まあまだ説明の途中。」
「とりあえず聞いて。」
瑠花「あ、あぁ」
川上「俺はペンを拾い上げると同時に、教授はシロだと言った。」
「そのあと俺は上半身をあげて、教授の顔を見たんだよ。」
「いや、顔というより、瞳孔。か。」
繋がる繋がる。
私がちょうどその時に感じていた”違和感”という名のパズル。
それを一つ一つ、と、川上がはめていき、パズルの正体が見えかけてきている様な気がした。
川上「再度瞳孔を確認した時俺は、なんの目的でまた同じことをしたと思う?」
瑠花「朗報、つまりは教授にとって安心感のある言葉をかけることによっての安堵により、小さくなった教授の瞳孔を確認した。」
「それで、1フェーズ目の時の瞳孔のサイズより小さくなったか否かを、確かめた。」
「縮瞳。」
川上「正解♪」
矢先、私のよどんだ心の中に漂っていた霧。
その霧のせいで更に見えにくくなっていた違和感という名のパズル。
それらが全て、瞬く間に鮮明になった。
先までどろどろと漂っていた霧は、燦々とした太陽の光に照らされ、その風景が明晰になり、先まで仮面を被っており姿が見えなかった筈のパズルは、その不明瞭さなど有って無かったが如く、瞬時に全てのピースが揃った気がした。
爽快だ。
川上が言っている2フェーズ目のかまかけ。
2フェーズ目が1フェーズ目と違う所、それは、動揺したり興奮状態に入ったりして瞳孔を大きくする1フェーズ目の散瞳反射とは相反して、2フェーズ目では落ち着いたり安堵を感じた時に瞳孔を小さくする縮瞳反射という反射運動を川上は利用したという所だ。
1フェーズ目は瞳孔が大きくなるように誘い込み、2フェーズ目では逆に瞳孔が小さくなるよう誘い込んだ。
これならあの時、川上がペンを拾い自分の席に帰ろうとした際に、教授の顔を一瞥した理由が分かる。
それは、教授が瞳孔を小さくしたか否か、つまりは川上の教授に対してのシロ発言を聞いて、教授自身が安心しているかどうか。
それを川上はあの時、確認したのだ。
確かにこれなら、実に辻褄が合う。
仮に教授がクロで、1フェーズ目の川上のかまかけを運よく通り抜けたとする。
しかし、あの時の教授の心情は未だに多大な不安で溢れていた事だろう。
だから川上は安堵の言葉を教授にかけた。
大丈夫。貴方はシロですよ。と。
その川上の言葉を聞いて安心したという事は、逆を言うとさっきまで教授には心当たりがあったから動揺していたという事だ。
自身はクロ、自分は脳喰い蟲本人。
本人だからこそ、あの時正体が割れないか誰よりも心配していただろう。
故に、揺さぶりをかけられている時の教授の瞳孔は必然、大きくなっている。
川上はそこを逆手に突いたのだ。
なんの生産性の無いものだと私が思っていたあのペン回しは、川上が教授のそばにペンを落とし、眼球運動を確認できるぐらいまでの距離に近づくための、口実作り。
なんの理由も無しに再び教授のそばに近づくと、教授は良くも悪くも身構えて瞳孔を小さくしなかったのかも知れない。
だからこそ、自然で妥当な近づく理由が必要だったのだ。
そこを川上は即興で、かつ違和感がない様に、事を起こさせた。
そういうことだったのか。
点は点と結ばれ線になり、線は線と結ばれ面になるが、今はまるで、面と面が結ばれ立体になった様な合点の行き具合。
五臓六腑に行き渡る爽快感。
”理解をする”という行為が、これほどまでに気持ちが良いものなのか。
パズルのピースを揃えるということは、これほどまでに清々しいものなのか。
瑠花「だがなぜ1フェーズ目、教授は散瞳をしていなかった?」
「だって、縮瞳をしたということは散瞳していたということだろう。」
川上「あぁーそれね。」
瑠花「まさか、嘘をついたのか?」
「本当は散瞳しているのに散瞳していない。とか。」
川上「いや、嘘はついていないよ。」
瑠花「え?」
川上「1フェーズ目の時、天亞の目のサイズは本当に変わってなかった。」
「考えられる理由は二つ。」
「一つ、俺が1フェーズ目のかまかけを行う以前から奴は散瞳していた。故に俺が確認した時は既に瞳孔が開いている状態だったからこそ、キーワードを聞いて初めて散瞳をしているようには見えなかった。というもの。」
「二つ目....」
川上は好調だった自身の弁の捲し立てをいきなり止め、少し間を空けてから続けた。
川上「影山天亞は散瞳を...いや、基本的な人体の反射運動を克服している。というもの。」
瑠花「なっ...そんなことが.....」
川上「確かに彼は2フェーズ目の縮瞳反射には反応した。」
「だがそれも、あのタイミングと俺のテクがあってこその結果だ。」
「それに、安心の克服よりも、不安の克服の方が余程タチが悪い。
「散瞳の克服。それは同時に人間としての感情を放棄するという事だ。」
「感情がそもそも存在しなければ、不安も動揺も生まれないからね。」
「正直、驚いたよ。奴が散瞳しなかったことには。」
瑠花「....」
川上「だから、言ったじゃん。」
「”今回はそうせざるを得なかった”って。」
「ルールだったり規則だったりに俺が仮に従った取り調べ行っていたら、俺らは全員奴に欺かれていたよ。」
「影山天亞。全く、大した人狼だ。」
瑠花調査官はただ、黙っていた。
それもそうだろう。
自身の大学時代の教授、影山天亞は脳喰い蟲だという可能性が限りなく高まったのだ。
良くも悪くも川上の智謀のおかげで、浮き彫りになりかけているのだ。
皮肉なものだ。
正義に準ずる仕事を志していた大学生時代の瑠花調査官は、影山天亞という巨悪にそのいろはを教わっていた。
悪から正義を教わっていたのだ。
私が彼女の立場だとしたら、どうしたらいいか分からなくなるだろう。
しかも彼女は今の今までその人間を久方ぶりにあった恩師として、律儀に敬意を払い続けたのだ。
思っていた記憶が、想っていた感謝が、尽く裏切られたのだ。
瑠花調査官はただ、黙っていた。
3-3
悪企
メネンデス「やあ、ミスターテンア。久しぶりだな。会えて光栄だ。」
天亞「久しぶりだな。メネンデス。」
メネンデス「いやぁ、君に呼ばれ来たこの日本という国はなんとも狭っ苦しい所だな。テンア。」
「まあそのかしと言ってはなんだが、この国の飯と女は実に美味い。また食べたくなるよ。ハハッ。」
天亞「なあ。」
メネンデス「ああ、分かってる分かってるよ、思い出話でも私はしたい所だが、どうやら君はそのムードじゃ無いらしいな。テンア。」
天亞「察しが良くてありがたい。早速本題に移ろう。」
狭くて暗くて、窓の無い閉鎖的な部屋。
一つの机を挟んで二つの椅子が置かれており、それぞれに彼らは座っている。
彼らの周りには私達カルカラの兵隊が武装をした状態で円を描くように立っている。
人数は25人ほどだろうか。
部屋の雰囲気とは反して、汚れやシミが一つもない高貴な白いスーツを着こなし、首や指、挙句には歯までもが煌びやかに輝く装飾で溢れているメネンデス主導。
一方、その主導の対面に座るテンアと呼ばれる日本人の身なりは実に素朴だ。
薄汚れた白衣はそのくたびれた彼の身を包んでおり、白髪混じりで雑に分けてある頭髪にはかなり年季が入っているのが伝わる。
私は疑問に思った。
我々の先導者、メネンデス主導はこの弱々しい日本人と対面しても実に気が抜けていない。その訳を。
それ程までにこの日本人の内に秘めたる何かというのは、大層なものなのか。
主導は、その事を誰よりも深く理解しているのか。
メネンデス「どうやら、私に向けてビジネスの話があるらしいじゃないか。テンア。」
天亞「ああ。そうだ。」
「まずは、これを見てくれ。」
メネンデス「いいとも。」
天亞はそう言うと、自身のバックからノートパソコンを取り出し、動画フォルダを開き、とある画面をメネンデス主導に見せた。
その画面に写っていたものは、
メネンデス「これは…」
天亞「これは、私が勤めている大学の生徒、水谷純一だ。」
「彼は今、とある場所に私が監禁隔離している。」
メネンデス「ほう〜。」
「ジュンイチね。」
メネンデスはそう言うと、ピアスの空いた真っ赤なベロを口から垂らし指で顎を撫で始めた。
それは、主導が興味をそそられている時のいつもの癖。
その画面に写っていたもの、それは真っ白い空間にベッドの上で寝かされている状態の1人の人間だった。
その人間の手足には錠がはめられており、顔には堅牢な鉄仮面が付けられていた。
しかもよく見てみると、保存していた動画だと思っていたそれは、その部屋に設置されている監視カメラを通じての中継映像だと、画面右下の進み続ける日時テロップのおかげですぐに分かった。
私がまた主導は危ない橋を渡ってまでして、大金を稼ごうとしているな。という思いを抱き始めたと同時に、テンアは話し始めた。
天亞「彼は二重人格者でね。一つの人格は変凡でおとなしい性格だが、もう一方の人格は極端に曲者だ。」
メネンデス「曲者…か。どんなだ?テンア。」
天亞「詳しくは取引が成立してからじゃ無いと言えないが、彼はそのもう一方の人格に変貌を遂げた時、自身の知能指数が著しく上昇する。」
メネンデス「知能…指数…ハハ…なるほどな。」
「よく覚えていたな。テンア。私の欲しいものを。」
天亞「普段は平凡で社交的な人格、しかし隠されたもう一方の人格は実に頭脳明晰でキレる人間。」
「私は彼と大学のキャンパスで初めて話して以降、特別なものを感じ、長い期間彼を研究し、分析したよ。」
「その結果、私は彼の精神や心理、思考に至るまで掌握することに成功した。」
「実績で言うと、彼に人殺しをさせた挙句、その死体と性行為させるに至るまでの掌握を実現させている。」
「倫理観などはほとんど有って無い様なもの。そのレベルまで彼の思考に漬け込む事が出来た。」
メネンデス「フゥ〜♪ クレイジーだな。テンアは。」
天亞「無論、私だけがこの兵器を操れるという訳では無い。」
「操作マニュアルも作成済みだ。」
「どうだ?この兵器。」
「潜入や、隠蔽工作員としての人間兵器にピッタリだと思わないか?」
メネンデス「地獄耳だな。テンアは。」
「我々カルカラの、次に合衆国に対して起こすテロの事をどうやって知った?」
「それを知らないと、この兵器を我々に薦める道理が無い。」
天亞「私は世界有数の科学者だ。地獄のような耳がなきゃやっていけないさ。」
メネンデス「天晴れだな。」
「テンアはなんでも見透かしてるってか。」
「戻るが、つまりはこれが君が用意した俺との取引のブツか。」
天亞「そうだ。」
メネンデス「確かに、今のカルカラはこんな人間兵器は喉から手が出るほど欲しい状態。」
「だが、実際にこの場で取引道具として成立するか否かは、君がこの人間兵器の見返りとして、私に何を望むかによる。」
メネンデスはかけているサングラスを外し、肉眼でテンアの目を直視しながらそう言った。
この作法は、主導がいよいよ取引を真剣に取り組む際によく行うもの。
天亞は察しがついたのか、口角を上げながらゆっくりと、だけど響く様に、呟いた。
天亞「ある時間に、ある場所の上に輸送機を飛ばして欲しい。」
「私が望むものはそれだけだ。」
メネンデス「飛行機か。なにを乗せる気だ?」
天亞「それはまだ言えない。」
「お楽しみだ。」
メネンデス「オーケー、それが君のラストオーダーで良いか?」
天亞「ああ。構わない。」
メネンデス「グッド。取引を承ろう。」
主導は快良くそう言い終えると、席から立ちあがり天亞に結託の握手を求めた。
天亞は虚な目で主導のギラギラと輝く手を一瞬見つめると、自分も席から立ち上がり、握手を結んだ。
主導は小さな声で言う。
メネンデス「また悪巧みか?テンア。」
天亞「あぁ。」
「悪巧みさ。」
メネンデス「面白い。愉快な友が開くパーティーを我々も一口噛もうではないか。」
主導は椅子に座りながら振り返り、私達にそう勧誘してきた。
メネンデス「さぁ、祈ろう。全ては父なる赫咲の恵みの元に。」
「リコリス・マンサー」
天亞「ああ。」
「リコリス・マンサー」
私は分からない。
そこにちっぽけと居る、テンアという日本人が何を考えているのかなんて。
しかし、自由の国でギャング同士の群雄割拠を勝ち抜いたメネンデスが、こんなにも真摯になる理由が、そこにはある。
連邦調査局FBIから特別危険組織1級認定をされている、メネンデス率いるカルカラが、この1人の日本人に会いにわざわざ太平洋を渡った理由が、そこにはある。
今はまだその正体は見えないが、ひとつだけ分かることがある。
テンアと呼ばれる彼のその脳内では、壮大で緻密な智謀が練られており、我々カルカラもその計画の歯車になるのだ。
計り知れない。
何を考えているんだ。
その、小さな体で。
テンア、お前は、誰なんだ?
八木「以下の理由で、今回の開倫大女大生惨殺事件の首謀者は、副総理の件同様、脳喰い蟲だと考えられる故、その方針でこれからは調査を行う。」
「なにか質問は。」
私は会議ホールにいた。
公安内に突如として響き渡った速報、公安調査官数人が脳喰い蟲だと思われる人物と接触。
私たちは勿論の如く、情報共有を余儀なくされた。
ステージの壇上には私と如月君、1番端に不機嫌そうな顔で川上が座っており、私たちの前には会議の進行を務める八木調査官が居た。
調査官A「質問です。」
八木「じゃあ、そこの君。」
調査官A「なぜ川上調査官は、脳喰い蟲をそのまま行かせたのでしょうか。」
「怪しいと思ったのなら、拘束しておけば良いはずです。」
「多少強引ですが、事態はそこまで来ていると考えております。」
八木「に、対して答弁を。川上調査官。」
八木調査官はそう言い終えると自身の長い白髪を揺らし、川上にマイクを渡した。
川上は辛抱効かなそうな顔だった。
それもそうだろう。
この会議が開かれて、川上はその様な批判に近い質問を既に10件近く投げられているのだ。
うんざりもする。
川上「あーあー、」
八木「大丈夫。入力スイッチはオンですよ。」
川上「すぅう〜…」
川上は深く息を吸った。
次の瞬間、私は何か良からぬ事が起きると瞬時に察知し、耳を即座に塞いだ。
今思えば、正しい判断だった。
川上「…」
「……お前ら全員、死ねぇええ!!」
キーンと、会場に響き渡るマイクの接触音。
いきなりの大きすぎる入力反応のせいでマイク内部で接触不良が起こったのか、耳障りなその機械音は川上の喚叫の後、暫く響き続けた。
それがようやく収まるとき。
川上は続けた。
川上「あのぉ!何回も言ってるんだが!あの場面であいつを強制にも足止めしたら、怪しまれて2度と姿を表さなかった可能性があったんだよ!」
「良い塩梅で加減しなきゃいけないのに、拘束なんて強引な手ぇやってみろよ!お前らはせっかく捕まえた魚を川に返すことになるだろうな!金魚すくいもどうせ下手っぴなこった!」
川上「だからぁ!そんな簡単な物事の区別も付かないで余計な事をやれやれ言ってくる無知蒙昧な糞どもは、全員死ねぇええ!」
瑠花「.....」
如月「.....」
調査官A「.....」
川上「…ふぅ。」
「以上。」
八木「フフッ」
「はいどうも。」
川上は募っていた自身の不満を幼稚な罵詈雑言に変え吐き出すと、すっきりとした様子で八木調査官にマイクを返そうとした。
その時、
一石が飛んで来た。
調査官A「異議あり!非ィ!論理的だ!」
「当時、貴方が余計な事をしなかった理由が、脳喰い蟲に警戒され逃げられる事を危惧していた。というものなら、なおさら今回そのまま行かせた事に疑問が残ります!」
「何故なら、貴方が言っているその余計な事をせずとも、奴がもう2度と姿を現さない可能性だって往々にあった!」
「なのなら!あの時点で身柄を押さえた方が賢明だ!」
プッチン
そんな音が、川上の頭の方から聞こえた気がした。
川上「んそんなん分かってるわ!その上で天秤にかけた際にこっちの手段の方が確実だと思ったから、この選択をしたんだよ!」
「てかお前誰だよ!まず質問するなら名乗れ!」
「賢しらにああ言えばこう言いやがって...」
坂口「坂口です!だから私が言ってるのは疑問が残るという手段を取っているその了見なんですよ?」
「私が提示した手段の方が適切なのは明らかだ!」
川上「だか…!」
八木「まあまあまあまあ。」
「もう過ぎた事だ。言い争ってもしょうがないだろう。」
「討論大会を開いてるつもりは無いんでね。」
川上「チッ」
これから更に白熱する予定だったであろう坂口対川上の口喧嘩を見限ってか、八木は半ば強引に、今にもタブーな発言を言わんとしている川上からマイクを取り上げた。
八木「えぇ…と、さて。」
「なにか伝え忘れた事は無いかな。」
八木はそう言うと、川上の席から自身が立っていた場所まで戻り、そこにある資料に再度目を通した。
八木「ああぁ、これだこれだ。」
「えーっと、容疑者として瑠花調査官が連れてきた増田幸吉。」
「彼はやはり目撃者だったらしい。」
如月「増田…やはりか。」
八木「彼を尋問中、彼自身が落とした証言は、我々と検察が事件現場を観察して作り上げた予想シュミレーションと合致。」
「ただ一つ、新しい情報が降ってきた。」
「それは、木辺実鈴を殺害し、彼女を死姦した人物は水谷純一という在学生だということ。」
瑠花「水谷純一…」
八木「この情報は、彼の家族だったりに水谷の事件当日の動向を聞き込んでも矛盾がなかった為、確実な物だと見て良いだろう。」
「なお、現在の水谷の行方は未だに掴めていない。」
八木「故に、これからは脳喰い蟲だと思われる影山天亞の水面下調査と、実行犯の水谷純一の行方を調査するという方針に変えて、二手に分かれて捜査を行う。」
「情報が入り次第、共有する旨とする。」
「以上、各々持ち場について仕事をせよ。」
八木調査官がそのような言い分と共に会議をお開きにして数分後、私はステージの壇上から降り、会議ホールから退出しようとしていた。
私は不意に後ろを振り向いた。
そこには未だに不機嫌そうな顔でいる川上が私の後ろを歩いているのが見えた。
私は少し気になっていたことを、川上に聞いた。
瑠花「川上。」
川上「なに。」
瑠花「今回の件、園団が関わってきていると思うか?」
川上は少し間を置いた後、答えた。
川上「無いね。」
瑠花「そう。なぜ?」
川上「園団が関わってきているっていう言葉の範囲にもよる。」
「なぜなら現代で起きている全ての凶悪犯罪は辿っていくと必ず、そこには園団の影がある。」
「そういう広い意味で瑠花が聞いて来てたのなら答えはYESだけど、表面上だけの意味なのならNOだよ。」
「なぜかというと、仮に今回のこの大学内殺人事件に園団が関わっていたとすると、園団は影山天亞を、つまりは脳喰い蟲を酷使しすぎだ。」
瑠花「なるほど。確かにな。」
川上「園団ほどの規模と影響力を持つ犯罪組織が、優秀とは言え一人の人間だけに固執し続けることは、まず無い。」
「そもそも、そこまで他人頼りになる必要がないからね。園団は。」
「俺の予想だけど、園団内には脳喰い蟲に引けを取らない程の連中がわんさかいると思う。」
「だから、自分たちだけで出来ることの幅がそもそも広いんだ。」
瑠花「じゃあなんで脳喰い蟲は副総理怪死事件の際、園団に協力しているような様子を見せたんだ?」
「四肢が無い副総理の遺体に彼岸花が刺さっていたことが、それを物語っているが。」
川上「あれは撹乱の意味があるね。」
「彼岸花を遺体に差して園団に模倣するための。」
瑠花「そうか。だとしたらなおのこと、園団が脳喰い蟲を頼った理由が分からないな。」
「園団が自分達で犯行をしないという決断をしたのに、なんであたかも自分達がしたかのような痕跡を残させるんだ?」
川上「俺、調べたんだけど、影山天亞って脳科学界だと右に出る者が居ない程の白眉らしいね。」
「なんか、20代の頃にはもう学会で他のアカデミー生を総舐めしたとか。」
「そこの実績と能力は園団は評価してるんじゃない。」
瑠花「脳喰い蟲は園団員ではなく、アマチュアだというのか。」
川上「十中八九ね。」
「論理的じゃない話をすると、脳喰い蟲という名の通り、自分が他人の脳を食す為ならどんな事も厭わない彼の狂気も評価されたのかもね。」
瑠花「一理あるな。」
川上「それで莫大な金と共に交渉が成立した。」
「そんなところだと思うよ。」
瑠花「うん。だいぶ考えがまとまった。」
「ありがとう。助かった。」
川上「....」
次の瞬間、なぜか川上は目を皿にして私の目をじっと無言で見てきた。
私はそれにむず痒い違和感を感じたので、彼に聞き返した。
瑠花「な、なんだ。」
「なんでそんなに目を見てくる?」
川上「いや、なんか何年も関わってきて、今初めて感謝されたなーって。」
「感慨深かっただけ。」
「じゃ、俺こっちだから。また。」
瑠花「は?お、おい…」
川上は私にそう別れの挨拶をすると、矢継ぎ早に角を曲がって行った。
何なんだあいつは。
まあいつもの調子だろう。
そんな事より、私には考えなければいけない事がある。
それはなにか、今まで見落としていた根本的なもの。
私は考えていた。
川上の予想では、園団内にいる人間は脳喰い蟲程度の連中がわんさかいると。
その発言に呼応するように、私の中で一つの疑問が現れていた。
園団に加入する方法はどんなものだ。
冷静に考えれば、今までに無い着眼点だ。
今までは園団の既存のメンバーがこれから起こし得る悪意の散布に対してのみ、心血を注いで来たが、そもそもの供給の部分にはあまり着眼されてなかった。
数年であれほどまでに組織成長し、今や世界の犯罪組織の頂点とも言われる始末なのなら、その土台を作る巧妙なシステムも必ずあるはずだ。
まだ私には分からない。
私にはまだ何も分からないが、一つだけ言えることは、仮に入団制度が試験の様なもので、その人間の知能や培った能力が真っ向から試されるものだとするのなら、その試験はこの世の中に存在する、各々の頭脳を駆使して合格するテストの様な物の一切より何倍も難関だということ。
なにも根拠や証拠などはない。
しかし私の経験則と、緋花の園団という言葉が放つ絶対的な魔力が、その曖昧な自分の考えに対して疑問を持つことを許してくれないのだ。
そう思いながら私はただ、考えを巡らせた。
園団に加入する方法はどんなものだ。
と。
川上「って、今頃考えてると思うよ。君の姉ちゃんは。」
「そういやまだ楓くんは赤い試問に合格した末に、園団に入った事を言ってないんだよね?瑠花に。」
楓「うん。まだ言ってないですよ。」
「てか、なんか騒がしいんですが。」
川上「あー、今は部署で電話してるからね。」
楓「仕事中になんで関係のない電話をするんですか。」
「てか、部署うるさ過ぎでしょ。」
川上「今公安内では一つの目処が立って、切磋琢磨として励んでいるからね。」
「周りが騒げばてめぇも騒ぐ。理由も分からず。ダチョウみたいな奴が大半だよ公安なんて。」
楓「そうですか。」
川上「楓くん今何やってたのー?学校?」
楓「休校です。不祥事があってね。」
川上「おー、なら今から会おうよ。」
楓「寒いです。外。」
「あと眠いです。」
川上「まあまあ、そう邪険になさんな。」
「なら君ん家のそばの店に集まろう。どこがいい?」
楓「いやいいです。駅前で待ってます。」
川上「渋谷駅前ね。だったら5分ぐらいで着くから待ってて。」
楓「いや早過ぎでしょ。」
「あれ。切れてる。」
「なんだこの人。」
川上「こっちこっち楓くん。」
楓「あぁ、はい。」
川上は窓を開けると、犬が座っている姿の像がある方向に向かって、そう呼びかけた。
その声に気が付いて、人混みの中からすたすたと歩いてくる楓。
ルームミラー越しに映っている川上はなぜか運転席で楽しそうな顔をしている。
川上「こんばんは。楓くん。」
「あ、乗って乗って。」
楓「あれ、姉貴も居んじゃん。」
「どうしたの?」
瑠花「晩御飯は食べた?」
楓「家の冷蔵庫にあるやつ適当にレンチンして食べようって思ったら、川上さんから電話があったから食べてない。」
瑠花「晩御飯、食べに行こう。」
楓「え、は!?この人と?」
楓はそう言いながら慌てた顔で運転席に座る川上の事を指差した。
川上「まあでもいいじゃん。俺の奢りだよー」
楓「えぇでもなんか...」
川上「なんか?」
楓「気持ち悪い。」
店員「ご注文承ります。」
川上「えぇと、天ぷら蕎麦と山菜そば、それと瑠花はどうする?」
瑠花「えぇと、きつねうどん並お願いします。」
店員「はい。了解しました。」
店員はそう言うと忙しく手元のメモにペンを進め、厨房に向かう。
すると川上はニコニコした様子でピッチャーを手に取り、私達のコップに水を淹れ始めた。
川上「はいどうぞ。」
楓「…」
瑠花「…」
川上「え、君達いつもご飯食べる時食卓で話さないの?」
「2人して同じ目付きで、野良猫みたいに睨んできてるけど。」
瑠花「お前と同じ食卓で何を話すんだ。」
楓「うん。」
川上「あっそうそう。何を話すで思い出した。」
「瑠花さ、渋谷駅に着く前の俺の車の中で園団の入団方法について疑問に思ってたよね。」
瑠花「うん。言ってたな。」
川上「真相知りたい?」
瑠花「真相?」
私がそう返事をすると、川上は私から視線を外し、私の隣に座っている楓の方を見た。
なんだ?
どういうことだ。
私がそう思う始めるのも束の間、川上は続けた。
川上「これから俺が話すことは、信じても信じなくてもいい。」
「まあ瑠花なら十中八九信じるかな。」
瑠花「なんのことだ?」
「もったいぶらず早く言え。」
川上「もし、」
「自分の弟が園団の一員だったら瑠花はどうする?」
瑠花「....」
私は一瞬で全ての察しが付いた。
川上は普段から沢山の嘘をつく。
だが今彼がした告発が嘘だとは、到底思えないのだ。
根っからの真相。
真っ赤な真実。
冷静に考えたら今の会話の流れというのは、”~だったらそうする?”と、前置きを挟んでその経過を吟味してから本題を伝えるような口調だが、なぜだろうか。
恐らくその前置きこそが本題であり、真実のような気がした。
さて、どうしようか。
中々珍妙な展開になってきた。
公安調査官である私。
園団員とされている楓。
なお私たちは姉弟関係。
私は、どう対応すればいい?
私は仕事柄、園団を目の敵にしている。
幼い頃、園団に父親を殺されてから彼らの影を追うのを止めた事がない。
父親の亡骸を見て最初に思ったことが、復讐に近い報復の感情だったのが物語っている。
だが、嘘か本当か分からない真実を吐いている川上曰く、楓が園団員らしい。
灯台下暗しもいいところだ。
私がちょうど園団の入団方法について頭を悩ませている時、その答えが降ってくるなんて。
いや、落ちているなんて。
そうだな。
まず私には聞かなければいけないことがある。
まだ、知らなければいけないことが。
それは、
瑠花「楓は、いつ入団したんだ?」
「園団に。」
川上「俺の口から言うのもなんだろうから、楓くん、説明してあげてくれ。」
楓「うん。一ヶ月前ぐらいかな。」
瑠花「入団した方法は?」
楓「あいつらはなんらかしらの法則性に従って、とある人間をピックアップした後、アプローチを仕掛ける。」
瑠花「ってこはお前は園団に目をつけられたのか?」
楓「ピックアップの段階では俺は無関係だったよ。」
「事実、園団がその時にピックアップした人間は俺では無く、俺の周りの人間だったからね。」
「でも、紆余曲折有って俺も話に巻き込まれた。」
「それで…」
そこからは実に黙々と、楓の話は続いた。
最初は園団が受験者を先に見定め、その人間に対して、その人間にしか気が付かない方法でアプローチを仕掛けること。
受験者がそのアプローチを清算したら、園団と一度接触できる機会があること。
その際、園団から一度集会をかけられる告知があること。
その集会では赤い試問と呼ばれる園団入団式は、合格すれば生き残り、落ちれば即死ぬなどという命が常に天秤にかけられていると受験者に告知するものだと。
かつ、鋭くて狡猾な人間しか生き残れないような数々の試験は連続していること。
なお、その試験の中で副総理怪死事件実行犯、凪霙と対戦したこと。
楓はその試問を1位で突破したこと。
正直、私は信じ切れなかった。
楓といつも通り関わってきたここ1ヶ月2ヶ月。
こんなにも過酷で非現実的な事が、自分の弟に起きていたという事に。
何故なら至って楓は普通だったのだ。
2日以内に解かないと身に何が起こるか分からない暗号式の数独を解いた後でさえ、
人間を1人、口頭操作力だけで時間内に死に導かないと、万力で締まり付ける縄で自分が殺されるという試験の後でさえ、
開いた本のページ数が相手のそれより小さい数字だったら、青酸カリを静脈から伸びる点滴に落とされるというゲームをクリアした直後でさえ。
楓は至って冷静な様子で私と今の今まで関わってきたのだ。
全てはポーカーフェイスだったのだ。
いつの間にこんなにも嘘が得意になったのか。
いや、良くも悪くもこの赤い試問で培われたのだ。
話を聞いているだけでもその試験を体験した人間は、人としての当然の協調性や共感性、信憑性を失くす程の過酷な環境だったということは想像に容易い。
だから、培われたのだ。
幾重にも続く命のかかった騙し合い、嘘のつき合い、欺き合いの中で。
眠っていた脳の機能を目覚ましたのだ。
赤い試問
一体、どんな。
楓「一通り、こんな感じ。」
川上「改めて聞いたけど、すごいね。」
「小説みたいな展開だ。」
瑠花「…なぜ…伝える?」
楓「伝える…?」
瑠花「ここで、それを私に伝えた所で、何になるんだ?」
楓「隠しててもいずれ分かる事だから、先に言っておこうと思って。」
瑠花「そうとも言えないかもしれないぞ。」
「楓なら、私の事を欺瞞し続けるなんて朝飯前だろう。」
楓「俺をなんだと思ってるのさ。」
「俺が姉貴に隠し事しない理由知ってるでしょ?」
「いつも姉貴にめくられるからだよ。」
瑠花「そう…か。」
川上「ま、とりあえず本題はここから。」
「俺から一つ提案したい事があるんだ。」
川上のその声が響いた直後に聞こえてきたのは店員の声だった。
私たちは湯気立つ各々の注文を受け取り、目の前に置き、話を続けた。
川上「んん、ほんじゃ、提案したいことなんだけどぉ、」
川上が勢いよくすすった麺を口に含んだまま、話を始めた。
こいつには行儀という概念は無いのか。
私は我慢ならなかった。
瑠花「分かったから、口開いてから喋って。」
川上「ん、ふぅ失礼、それで提案したい事なんだけど、」
「楓を公安に協力させるのはどう?」
瑠花「協力…?」
川上「今俺ら公安って、脳喰い蟲と水谷純一を捕まえる為に動いてるじゃん?」
瑠花「ああ。」
川上「そこで園団とコネクションがある楓を捜査に使えば、めちゃくちゃ融通効くし助けになると思わない?」
瑠花「なるほど。」
「私はアリだと思う。まぁ楓次第だがな。」
川上「どう?楓くん。」
楓「う〜ん」
「微妙かも。」
「理由は二つ、一つは赤い試問に合格したはいいものの、園団側から更なるアプローチがまだ無いから下手に動けないのと、二つ目、その事件が面白そうだったら考えてみるって感じです。」
川上「と、言うと思ったから川上ちゃん今回これ持ってきました〜!」
川上はおもむろに自身の椅子にかけてある鞄に手を伸ばす。
何が詰まっているのかよくわからないその鞄は妙に厚みがあり、触ったわけでもないのにそこそこの重量感があると知覚できた。
川上「じゃじゃーん!」
「事件簿!」
手品師の様な掛け声と共に川上が出して来たのは、その演出に沿わない素朴な白ファイルだった。
しかし、どうしてだろうか。
それを受け取る楓の目は、文字通り手品師のトリック披露を間近で見ている子供のように煌めいていた。
それほどまでに楓にとって推理というものは楽しいものなのか。
私がそう思いながら楓の横顔を見ていると、話は進んだ。
川上「この事件簿は、まさに今日起こった開倫大女大生惨殺事件の詳細が書かれてある。」
「これについて調査をするのだから、楓くんがこの事件簿に目を通しても面白味を感じないのなら、無理強いはしない。」
楓「なるほどね。ちょっと読んでみます。」
川上は期待しない。
なぜなら自分以外のこの世に存在する人間は全て、自分より下だと思っているから。
上辺で期待しているような素振りは見せるが、それも誰よりも優れている己が計画を実行させるために必要な過程にすぎない。
人間は脆いもんで、心に固く契った自分だけの約束も外部と関わると、なんだかんだその頭角を隠し始める。
それは人間の心が常に暖かみを求めているから。
この暖かみを自分は今感じているのに、なぜ故にこんなにも冷徹で孤独な約束を自分の中で遵守しなければいけないのだろうか。
だんだんと、そういう思考になってくる。
良くも悪くも臨機応変に対応してしまうのだ。
しかし川上の場合は違う。
どんなシチュエーションに彼のその身と心が遭おうとも、絶対に芯はぶれない。
外部がどんなにも人情に溢れた状況下だろうと、外部がどんなにも憂いで溢れた状況下だろうと、川上はひたすら虎視眈々と目論み続ける。
貫き続ける。
彼のその動力となっているものこそが、他人に期待を毛頭していないという所に落ち着く。
他人に期待も希望も願いも何も求めていないから、常に冷たさに身を預けられる。
まさに冷静沈着。
私は困惑している。
今の川上、つまりは楓に協力を仰いでいる今の彼の眼にはその情景が伺えないのだ。
川上とは長い付き合いだ。
いくらこいつが嘘を隠すのが秀でていようとも、察知ぐらいはする。
しかし、今はそれが全く感じられない。
完璧に隠しているのか。
いや、まさか、
根っから楓に期待をしている?
だからこそ先の邪な川上の心が見えない。
だからこそ先のやましい川上の思考は見えない。
そう考えれば合点がいく。
川上は期待をしているのか。
しかしどうしてだ。
川上は自分以外の全ての人間は自分より劣等だと思っている。
故にそれは、川上自身が期待をしないという行動の原動力となっているのだ。
つまり楓は自分と同等程度の能力を持っていると川上は思っているのか?
だから期待するに足ると還元されているのか?
川上が自分以外の人間の能力を嘘やお世辞以外で認めている姿は見たことがない。
しかし、今この瞬間こそが、彼の心の中で人間らしい非合理的な感情を持つことを許可されている瞬間だとするのならば、川上は人間に近づいたのだ。
楓はその機会を川上に与えたのだ。
楓「気になる事が一つありますね。」
川上「ん?なんだい?」
楓「この事件の被害者である木辺実鈴、彼女の遺体の手首にはあざが残っていたって書いてあります。」
「それで、恐らくその傷は強姦中に、木辺実鈴が抵抗したから手を上げれないように犯人が強く握った際に付けられた物だと思われる。と。」
川上「それのどこが気になるんだい?」
楓「彼女は死姦の被害者ですよね?」
「死んでいながら強姦をされたのなら、彼女は抵抗する余地など無いはず。」
川上「なるほど。つまり手に付いていた痣は、別の要因で付けられたのもだと。」
「そう言いたいんだね?」
楓「そうです。ていうかこの資料雑ですね。」
「こういう簡単な矛盾が入ってるんですか?公安の事件簿には。」
川上「まあまあまあまあ。今日起きた事件を今日即席でまとめた物だから、しょうがないよ。」
「でも矛盾に気づけて良かった。」
「それで、」
楓「分かりますよ。推理しろですか?」
川上「なんでも読まれちゃうな~楓くんには。」
「そう。ではなんで木辺実鈴の手首には痣が残っているのか、どのような経緯で生まれたのか、考えてみて?」
楓「これってもう、」
川上「うん。僕はもう分かってるよ。」
楓「じゃあ俺に聞く意味...」
川上「まあ、考えてみて。」
「その間に蕎麦食べとくから。」
川上はそう言うと、湯気立っている目の前の蕎麦に向かった。
決定的だ。
川上は試したいのだ。
楓の言った通り既に川上の中に意見があるのならなぜわざわざ他の意見を知る必要がある?
川上が知見を広めるためにそれをやっているとは到底思えない。
となるとやはり川上は楓を試したいのだ。
自分と同類か否か。
確か一ヶ月程前にもこんなシチュエーションがあったな。
大舟の事件簿を引き合いに、推理ゲームと謳って川上は初めて楓を試した。
そこでどんな収穫を得れたのかは川上本人しか分からないことだろう。
しかし、終盤のあの不気味な笑み。
あの笑みからはなんというか、かしまるべきタイミングなのにも関わらず、物事が自分が期待した通り、いや、企てた通りに進んでしまって功を成した際に漏れる成就の笑みだった。
だが川上はそれでは物足りないのか。
また今現在、同じ試しをしている。
楓「事件現場が曖昧ですね。」
川上「開倫大東棟併設研究室A前が?」
楓「それは言ったら、場所の名前です。」
「僕が知りたいのは場所の地形や作りこみ、間取りなどです。」
川上「あれ?そこに書いてない?」
楓「書いてないです。地図とかで示されているのならまだ分かるけど。」
瑠花「廊下だ。」
私は川上に言われ、再度資料のページをめくらんとする楓にそう告げた。
合っている。
そこには場所名しか載っていない。
それを知っている癖に。川上ってやつは。
私はそんな徒労を今にも働こうとする楓を見過ごせなかった。
楓「廊下?」
「確認するけど、それって死体が発見された場所がそこってこと?」
瑠花「そう。」
楓「ならー、犯人と被害者は事件勃発前、なんらかのアプローチを挟んでいてその末に被害者は犯人から逃走を図ろうとした。」
「しかし犯人はそれをさせんとばかりに被害者の手を強く握り、その場に留めようとした。しかしその際に手首に傷が残り、今に至る。」
「って感じ。これじゃない?」
楓「あ、あとこの事件は計画性が無いものだと思う。」
川上「なんで?」
楓「まず、突発的では無い殺人なら大学で犯さないし、後始末もしっかりしてる。」
「でも今回は公共の場でそれが起こった。」
「つまりは突発的。なにか犯人にとって特別なことがあった。」
「こんぐらいかな。だいぶ簡潔的だけど。」
川上「もう~瑠花、ちょ、ヒントあげんなよ~」
「場所の詳細が載っていない号の資料をわざと持ってきたのに意味ないじゃん。」
瑠花「いずれにせよ、楓はたどり着いていたと思うぞ。」
「この資料には廊下だという情報こそ載っていないが、血痕が南から北へ数十センチ進んでいると書いてある。」
「これだけの情報でも、楓なら被害者は犯人から距離を置こうとしたって分かるし、その延長で手首の痣の真相も分かったろう。」
楓「ま、姉貴の買いかぶりは相変わらず鬱陶しいんだけど、それで、なに?」
瑠花「は?お前、人が褒めてやってんのに...」
川上「フフッ仲が良いね。」
「そう、それで楓くんに改めて聞きたい。」
「どう?この事件。おもしろそう?」
楓「正直、普通の事件すぎてあまり面白味が無いように感じます。」
「同時に、やっぱり貴方がなにかを隠している様な気もしますしね。」
川上「正解。」
「実はこの事件、脳喰い蟲が首謀だと俺は見ているんだ。」
楓「脳喰い蟲?」
川上「ああ。副総理怪死事件の黒幕でもある男さ。」
楓「死体を食す欲望が抑えられない人間と、死体を犯す欲望が抑えられない人間同士の共犯。役満ですね。」
「それでだれか、目処は立ってるんですか?」
川上「立ってるよ。」
「その人物こそが、東京和伶開倫大学名誉教授、影山天亞という男だ。」
楓「...なるほど。」
「じゃあ早いとこ、奴を牢屋へぶち込めばいいんじゃないんですか?」
川上「いや~俺もそうしたいんだよ。」
「でもね、こいつがまた中々のポーカーフェイスの持ち主でさ。少し手を焼いていたところなんだ。」
楓「だから俺に協力をしろと?」
川上「そう!」
楓「まあそれなら、川上さんと前にやった推理ゲームの延長だし、構わないですよ。」
川上「よし!」
「じゃあそうと来たら、今から俺の計画を細かく話すからよく聞いててね。」
「名付けて....プランオブキャッチザ脳喰い蟲~!」
と、川上はそのままの意味の計画名を雄弁に豪語すると、楓としばらくの間話し続けた。
最初は水と油の様に相容れない関係になると思っていた楓と川上。
しかし今一度彼らを俯瞰してみると、お互いがお互い拮抗する能力を持ち合わせているからか、よい友の様な関係になっている。
この先、彼らが結託してこの日本犯罪史上トップレベルで難解な怪奇事件を解決することができるだろうか。
私は不安などがない焦燥感に苛まれながら、自身が注文したうどんを啜っていた。
3-4
昔々
私はただ、奪われていた。
生まれた家庭の家族構成は、父親と母親、一人息子の私。
父は昔、影山商店という名で百円均一店を営んでいたが、婚約と同時に店を畳み堅実に勤労し始めた。
なにも不思議な事はない平凡な家庭。
だけど、一つだけ他の家庭とは違う所があった。
それは親のエゴの多寡だ。
今思うと、そのおかげでどれだけの私の人生の自由を奪われたのか。
私の親は私の事を人間と思っていなかった。
記憶に残っている範囲で、親が最初に私に与えたものといえば、2Bの鉛筆と大学ノートだった。
彼らは5才の私に高水準な教育を施そうとしていた。
そう、”していた”のだ。
夕日が沈んで、住宅街は一軒一軒と明かりを灯し始め、家族同士食卓で顔を合わせている時、私は暗い部屋でひたすら孤独に勉強机に向かっていた。
私の親は、頭が悪かった。
彼らの人生で彼ら自身が受けてきた低知能が故の様々な迫害、弾圧、損失。
それらの反動か、今度は生まれてきた私にそれによって培われた黒い感情をエゴとして押し付けてきた。
だから数学の勉強をしろと、5才の私に赤本を渡してきたり、英語を勉強しろと、DVD屋でレンタルしてきた字幕も吹き替えも無い洋画を突きつけてきたのだ。
明らかに頭が欠損していた。
片手で数えられる程の年齢しか人生を生きていなかったあの幼少の頃の私は、小さい心を持ちながらも彼らを反面教師として見ていた。
こうならぬよう。
こうあらぬよう。
こう生きぬよう。
冷たくて固い床が私の足を青く染めるあの閉鎖的な部屋で、私はそんな事を延々と頭の中で繰り返していた。
小学校を卒業し、非効率的な勉強の末になんとか合格した名門中高一貫校。
ある日、私の心の宇宙に転機が訪れた。
それはいつもの下校の道中。
限りなく黄色に近い橙色が、空の多くを横暴にも占領しているあの時間。
私は草臥れながらも退屈な帰路についていた。
矢先、私の視界の端に猫が居た。
猫の右前足は無慈悲にも千切れており、その残忍な風景は痛々しい交通事故の直後だと私の脳に語りかけてきた。
機械的かつ強引な万力の様な圧力が、猫の柔肌に加わっているその惨状は妙に私の好奇心の息吹きの吹き起こそうとしていた。
しかし、もう一つ私の頭に語りかけてきたものがある。
悪魔だ。
瞬きをする時間さえも、ガラスにひびが入る時間さえも、遠く退屈に感じてしまう様な光速の刹那にて、毛も生え揃ってない中学生の私は思ってしまった。
この猫はどんな味がするんだろう。
魔が差した。とはよく言ったものだ。
だってあの時の私にはその様な何かいけない魔物の様なものが憑依していたのだから。
周りを周到に見渡した後に怖気ながら、かつ慎重に一歩、一歩と、猫に歩み寄る私。
今思い返せばあの歩みこそが、こっち側とあっち側を繋いである吊り橋を渡っている歩幅だったのかも知れない。
猫と至近距離と呼ばれるまでに近づいた私は、その猫を急いで学校指定の学生鞄に力の限り強引にしまい込み、その場を後にした。
帰宅し、親へ中間テストの結果表を渡すのも早々に、私は自室へ駆け上がった。
嫌に視界を揺らす様に私の脈は打っている。
私は部屋の鍵を閉め、鞄の開閉ボタンに手を伸ばした。
中に入っていたのは、奇しくも猫だった。
何も奇妙では無いはず。
自分で道路で死んでいる猫を拾い上げ、鞄に詰め込み、その数刻後にまた鞄を開封したのみ。
己が行動で己が心を惑わしている。
しかしその時の私の目には、学生鞄という不愛想かつ退屈な物の中に猫が入っているという事がどうにも奇妙に映ったのだ。
私は自身の学生時代の青春の大半を捧げた勉強机の引き出しから大きな鋏を取り出した。
その鋏で試しに卓上に転がっていた下敷きを切ってみた。
私はその鋏が合格ラインを満たしている切れ味を持っている事を確認すると、猫の腹にその冷たい刃を交差させた。
まずはゴワゴワとしている猫の体毛が切れる感触。
その感触の直後に伝わる、伸縮性のある皮が裂かれる感覚。
猫の下半身からスタートしたその交差運動が猫の上半身まで登り詰めた時、私は一旦鋏を止めた。
中からは様々な腹わたが漏れ出してくる。
赤紫色の猫の肝臓。
緋色の猫の心臓。
朱色の猫の腸。
得体の知れない温度と得体の知れない触り心地を私の指先に存分に伝えてくるその臓物はどれも健康的で、スーパーの肉売り場で品出しされている様々な生肉の一切よりも、私の食欲をそそるような妖艶さが備わっていた。
私がまず手に取ったのは肝臓だ。
艶があり、私の部屋の天井をガラスの様に反射する。
束の間、私はそれを口に運んでいた。
矢先、私の口内に伝わる幾多の違和感。
猫血の生臭さ、猫肉の獣臭さ。
鼻と口が陶酔してしまう程の異臭と異味。
だが、なぜだろうか。
苦悩の中、私が咀嚼すればするほど猫肝から溢れ出すそれら異味異臭は次第に珍味へと変貌を遂げ、感じていた違和感も着々と満腹感へと変化しているような。
いけない。
おかしい。
血生臭くて反吐が出てしまいそうだったあの肉塊は、私の口内で持て余す程美味と感じているのだ。
美味しい。
癖になった。
もう私は手を止められない。
新たな、更なる美味が欲しい。
40分程で猫の中身を空っぽにした私は、真っ赤に染まった口周りを制服で雑に拭きながらそんな事を思っていた。
次の日からは真新しい授業が始まる。
中間テストである程度区切りの付いたカリキュラム。
それらを背に控え、私たち学生は新しい章へと続く教科書のページをめくる。
まるで私だ。
昨日憶えてしまった生の肉の味。
生肉の味ではない。
生の肉の味だ。
あれはもう止められない。
正直、罪悪感は他の感情を尽く打ち消す程感じていた。
しかし、その罪悪感がまた私のスポットを刺激するのだ。
こんな行為は忌諱に触れていると言って普通の人間なら忌み嫌うのだろう。
だが巧みにも、それは私の嬉々にも触れるのだ。
最も甘美の悦を感じる箇所に、正確かつ精巧に。
明らかにタブーな非道理的行為をこんなにも幼い自分が起こしてしまっている。
それ故のこの世の万物から神羅万象に至るまで何事にも形容し難い様な凶悪的高揚感。背徳感。満足感。
あの頃の私は自身の小さい体の中で沸々と溶岩の様に湧き出るその黒い食欲を傍らに、かつ過保護に受け入れ、中学1年生を終えた。
二年生ではクラス替えがあった。
皆が訳もなく騒ぐ。
私は誰と同クラスになりたいなどの青臭い欲求はいささかも無かった。
だが、見飽きた仏頂面達も、並び方が変わればいとおかしなもんだ。
初めましてのホームルームも終え、クラス内で各々くだらない勘ぐり合いを始めた時、私は自分の席に着く。
小前「あ、あの影山くん?」
天亞「?」
小前「と、隣の席の小前大智だよ。宜しくね。友達になろう!」
天亞「...うん。宜しく。」
小前「影山くんは何の食べ物が好き?」
天亞「食べ物か。猫」
小前「え...?」
天亞「あ、俺、今なんて言った?」
小前「ご、ごめん、僕の聞き間違えだと思うけど...」
「今、猫って....」
天亞「言ってないよそんなこと。」
小前「だ、だよね。」
天亞「食べるならどこぞの猫型ロボットのほうが油乗ってそう。」
小前「あはは。」
「面白いね。天亞くん。」
天亞「小前くんはどんな食べ物が好き?」
小前「僕は普通だよ。寿司とハンバーグかな。」
天亞「美味しいよね。」
小前「うん。うちの母さんがいつも週末に作ってくれるんだ。ハンバーグ。」
「チーズが中に入っててね、口の中でとろけるんだ。」
天亞「うわぁ、猫のがうまそーーー!」
小前「あ、え、は...?」
天亞「小前くん、今日時間ある?」
小前「え、うん。いつも塾だけど今日は休みだよ。」
天亞「俺んち来てゲームしようよ。」
小前「ゲ、ゲーム?」
天亞「そう。プロコントローラー貸すからさ。」
小前「で、でも悪いよ。」
「ほら...僕たち今日知り合ったばかりだし。」
天亞「なんで?」
「俺たちもう友達でしょ?」
「ねえ違うの?」
小前「あ...そ、そうだね。」
「か、母さんにどこ行くか言わなきゃだから、その、住所とか教えてもらえる?」
天亞「下北沢杵島町284-87。」
小前「分かった。」
「そこなら近場だし、母さんも許可出してくれると思う。」
天亞「なら良かった。」
「じゃあ放課後ね。集合はデパ前のゲーセンでいい?」
小前「うん...」
胸に晴らせない灰色の雲が漂う。
不透明だが透明な当たり障りのない違和感。
そんなしこりの様な違和感。
小前くんが僕に対して抱いている初印象はそんな所だろう。
十分。
あの頑固な親父に玩具を懇願した時と比べれば、十分に小前さんの思考を支配出来た。
あのクソ親父は悪い意味で策が通じないからな。
日本語が通じない外国人に話しかけている様だよ。全く万事休す。
だが今回は小前くんだ。
日本語は通じそうだな。
期待出来る。
小前「あ、影山くん...!」
天亞「おー、小前くん。」
小前「待った?」
天亞「いいや。ちっとも。」
小前「あ、あのね。影山くん。」
天亞「なに?」
小前「ゲーセン。誘ってくれたのは嬉しいんだけど、お小遣い今月もう使っちゃってさ、だからプレイ出来ないんだよね。ごめん。」
「学校で誘われたときに言えば良かったなって、ずっと思ってたけど、言えなくて。ごめん。」
天亞「取り越し苦労。遊ぶ場所はここじゃないよ。」
小前「え?」
天亞「言ったでしょ?俺の家でゲームするって。プロコン貸すって。」
「着いてきて。こっちだよ。」
小前「あ、うん。」
小前「影山くん...」
天亞「ん?」
小前「なんでこんな山道来てるの...?」
天亞「...」
小前「影山くん...?」
天亞「山に住んでるからだよ。」
小前「そう...」
天亞「山。嫌い?」
小前「いや、なんかこんな感じだと思ってなかった。」
天亞「意外か。でもそんなにか?」
小前「うん...下北沢にこんな林があったなんて知らなかった。」
天亞「確かにね。」
「ほら、もう着くよ。」
小前「え...ここって...」
天亞「いいよ。入って。」
小前「な、なにこの小屋...なんか、なんか変な匂いがする...」
「ね、ねえ影山くん...なにこれ...?」
天亞「俺の家だよ。」
「遠慮せずに入って。」
その小屋は錆びかけているアルミ板で雑に作られており、面に赤いスプレーで”寂び”と書いてあった。
明らかに怪しくて、危なそうな雰囲気だったけど、僕は影山くんに誘われるがまま中に入ったんだ。
部屋の中を一目見た僕は狼狽した。
そこには皮を剝ぎ取られ、内臓などを全てくり抜かれた状態の猫が天井から吊り下げられていたんだ。
それも何匹も。
吊るしてある場所の隣には台所があって、そこで捌かれている途中の猫も含めると15匹はその小屋の中に居た。
僕は叫び声を上げることすら出来ず、かと言って口から嘔吐する気分にもなった。
だから僕は振り返り、走ろうとしたんだ。
でも、
小前「な、なんだよここ!?」
天亞「我が家さ。さ、ゆっくりくつろいで。」
影山くんの馬鹿は扉の鍵を閉めてたんだ。
南京錠をロックすると、影山くんは僕に近寄ってきた。
影山「僕は猫が好き。」
「猫が好き猫が好き猫が好き猫が好き猫が好き猫が好き猫が好き猫が好き猫が好き猫が好き猫が好き猫が好き猫が好き猫が好き猫が好き猫が好き猫が好き猫が好き猫が好き猫が好き猫が好き猫が好き猫が好き猫が好き猫が好き猫が好き猫が好き猫が好き猫が好き猫が好き。」
「分かるかい?猫が好きなんだ。」
小前「ひ、ひいぃぃい...!!」
僕は腰を崩してしまった。
だって影山くんが急に近くでよくわからない事を言うんだもの。
あーあ
しかもポケットから携帯が出てきちゃった。
転んだ拍子に落ちてきたんだ。
天亞「これ、小前くんの電話?」
「すごい。初めてみた。僕も早く買って欲しいな。」
小前「....」
天亞「これ、ここを引くと防犯ブザーが鳴るんでしょ。」
「すごいなぁ。かっこいいなぁ。」
母さんが僕の為に買ってくれた安全携帯が影山くんに見られてる。
羨ましいように見られてる。
僕の、僕の携帯なのに。
天亞「う~ん。なんだかなぁ。」
「ちょっとうざいから痛めつけさせて。」
「よいしょっと。」
天亞「これ、なにか分かる?」
「これね、牛刀っていうんだよ。」
「一突きで人を殺しちゃう魔法の道具さ。」
小前「や...やめて...や...やだ...」
天亞「じゃあコロンビアネクタイって分かる?」
僕は首を横に振ったよ。
仮にでも知ったかぶると影山くんが持ってるあの牛刀で刺されそうだったから。
でもね、だけどね。
でも、
天亞「コロンビアネクタイっていうのはね、まず人間の首を横一文字にズバッと深く切って、そしたら気管が隙間から見えるようになるから、そこから舌を引っ張って来て隙間から垂らす処刑法なんだよ。」
天亞「自分の舌をネクタイかのように首元にぶら下げてる様を、コロンビアの小指が無いような人たちは好き好んだんだって。」
「そう本に書いてあったんだよ。」
天亞「僕はね、それを知った時とてつもなく試したくなった。」
「だれでもいいから、その処刑法を他人に行使してみたいって。」
小前「...は...?ま....ま...さか....」
天亞「君が被検体になってくれよ。」
「舌を外せばこの電話も持っている意味がなくなるだろう?」
「だから、この携帯も僕にくれよ。」
天亞「なあ...いい...だろ...って。」
僕の首元に冷たい刃が触れる。
そう感じると同時に、歪んだ。
喉を牛刀で切られた。
あれ
意外と痛くないぞ
あれれ
影山くん、ミスをしたのか
あ待って、少しこそばゆい
あれ、だんだんと痒くなってきたぞ
あ、あれ止まらない
あああ痒い痒い
喉の切られた部分に蕁麻疹ができたように痒い
痒くてたまらない
痒い
痒い
痒い
いや、これは痒くない
これは、い、痛
あ、あ、あ、ああああああああああああ
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
小前「愚ヌギイッツつっツうjsjたあダいHDH」
天亞「あはははははははははは!」
「もうなにもまともに話せないね!これで!」
「良ーいネクタイだな!」
「ブランブラン揺れてるよ!そのネクタイ!」
天亞「じゃあこれは貰うよ~」
「あ~かっこいいなぁ。僕の電話。」
天亞「そうだ!」
プルルルルルル
母さんだ。
僕がその着信音に気づくと、影山くんは僕の様子を伺ってきた。
なにを探ろうとしているの?
僕を探ったってもうなにも変わらないのに
僕の反応を観察したところで君はその電話に出るだろう。
さあ、出てみろよ
その着信に。
その瞬間、君は負ける。
天亞「”母さん”だって。この着信。」
「どうする?」
やっぱり影山くんは馬鹿だ。
ネクタイをしていて返事が出来ない僕に質問なんか聞いてきて。
だが僕はもう安心。
なぜなら絶対にあの着信の秘密をこの口から漏らすことは無くなったのだから。
あの着信の秘密。
僕の電話は児童向け安全携帯と言って、防犯にも電話にもなる優れものだ。
あの携帯には防犯ブザーもあれば、ある一定以上の衝撃を携帯が感知すると自動で救急車を呼ぶシステムもある。
そしてなによりの最終兵器。
それは、自動逆探知履歴蓄積機能。
この機能を簡単に説明すると、携帯契約時に設定した特定の番号からその安全携帯に電話がかけられた場合、自動でサーバーを経由し逆探知の軌跡を残すというもの。
つまり逆探知の探知が可能。
この機能は元は児童誘拐のシチュエーションを想定して開発されたもの。
まさかこんな所で、またこんな形で役立つとは思ってなかった。
僕のその携帯は勿論、親の番号をその機能が実行される番号に設定している。
つまり、君がその着信に出てしまったら時間の問題で僕はこの場所に居たと知られるし、周囲の詮索も始まる。
だが君はこの機能を知らないだろう。
この地雷の存在を。
この罠の存在を。
さあ、出てみろよ。影山くん。
その瞬間、君は負ける。
影山「あ、もしもしー?」
「大智くんとはもう解散しましたよ。」
「この携帯は彼が別れ際に落としてしまったものです。」
「あ、分かりました。では明日学校で渡しておきます。」
「はい。失礼します。」
勝った!
影山くんが着信に出たことによって既に巻かれた逆探知蓄積データ。
ここがバレるのも時間の問題!
間抜けが!
易々と電話に出た暁には苦い思いをするぞ。
勝った!
勝ったぜ!
天亞「と、でも思ってそうだね。」
「そうだろう?なあ小前くん。」
小前「.....!?」
影山くんはニヤけながら僕に携帯の画面を見せてきたんだ。
するとそこには”通話を拒否しました”と表示されていた。
これがどういう意味か。
着信に出た後に通話終了という形で電話を終えた場合、画面には”通話を終えました”と表示される。
しかし今回は違う。
今回は”通話を拒否しました”との物言い。
これは、影山君は電話に出なかったということ。
電話に出るふりをして着信を切り、継続して猿芝居を続けたということ。
ああ
なんで
なんでそんなことを
この、嘘つきが。
天亞「この嘘つきが。と、でも今は思ってるかな。」
「まあ今はってか、もう死んでるから今際か。」
「ははっ。おもしろい。」
「今際でそんなこと思ってるのなら冥途の土産にもう一つ。」
天亞「人間は死んでしまった後でも、聴力はしばらく稼働しているらしいから教えてあげるよ。」
「僕がなんで電話に出たフリをして君を驚かせたのか。」
「それはね、人間って死ぬ直前に恐怖や甚大なショックを受けてそのまま絶命すると、その脳波がしばらく脳に流れたままになるんだよ。」
天亞「戦きを憶えて漬けられた脳って、すごく美味しいんだよ。」
「僕はその味の虜でね。その味を感じたいが為にもう5人は殺してる。人を。」
「僕は寿司でもプレーンの握りよりヅケの方が好きだから、そういう習性が出てるのかな。」
天亞「まあそれだけだよ。君は僕にとってそれ以上の価値なんかない。」
「だから、それ以上の理由も要らない。」
「わかるだろう?」
メネンデス「では、ご拝聴願おう皆の衆。」
「テンアカゲヤマだ。」
主導が壇上でそう高らかに声を上げると、スポットライトがある一人の男を照らした。
腕と足を組んでおり、白衣で身を包んでいるあの日本人。
その日本人は先までの主導の演説の間、居眠りをしていたのか眠い目を擦り開けるような素振りを見せた。
その目は遠い昔を見ているような目だった。
まるで遠距離にある物を見た後に至近距離の物見ると、目のピントが合わずによく視認出来ないように。
その日本人の目はまさにそうなのだ。
遠くの物を見た後に近くを見て、視界がぼやけている。
今は近くにない、遠い遠い場所にあったなにか。
それを凝視したか。
彼は眼鏡を白衣の袖で拭くと、椅子から立ち歩き始めた。
ステージのマイク台に着く頃には眼鏡をかけ直されており、その日本人はマイクの角度を調節している。
天亞「あーあー、」
その言葉だけだった。
その二つのひらがなが連続で投げられただけなのに、その貫禄や容姿はまるで教壇に立つ学校教師。
ステージ上に立つプレゼンターとは紙一重。
なぜかは分からない。
だけど、そんな情景が私の目に如実に伝わった。
影山「まず本日はカルカラの皆さん、お集まり頂きありがとうございます。」
「時間が惜しいので早速本題に移らせていただきます。」
「それではお話致しましょう。」
「我々がこれから実行する、」
「都心人肉爆弾空襲計画の全貌を。」
CHAPTER 3 完
作:1人泣く鍵っ子の家
いかがでしたでしょうか。
楽しんでもらえたのなら幸いです。
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改めまして、ご読了誠にありがとうございました。
次CHAPTER 4は2024年3月中に頒布予定