戦場
「──総員、戦闘準備──」
ライゼの掛け声。その言葉途中に、第二パーティーの騎士二名が、武器を手に駆け出した。
予定では三十六人でのゴブリンとの集団戦闘、その為の準備はしてきた。だが実戦は計画通りとはいかず、三パーティー、一八人が不在のままである。しかし敵は想定より少数の──奇しくも自分たちと同数の十八体。
百の敵を相手にするわけではない。数の優位性を失った敵など、魔大陸製の武装を身に纏った自分たちの敵ではない。どんな相手であれ、ここまでの道中、全ての敵を一刀のもとに切り伏せてきたのだ。この程度の敵など──
そんな思いがあるのだろう。その表情には余裕にも似た色が見える。
さらに言えば彼らを指揮するのは元々民間人に過ぎないライゼである。選民意識の薄まった時代を生きる彼らとは言え、やはり貴族。階級が上であろうと、ライゼたち平民を下に見る傾向がある。
それが戦いの場であるのならなおの事。彼女の声は、この瞬間彼らの耳には届かなかった。
狙うは敵の首魁と思われる一体。一番大きな、中央に立つ鎧をまとったスケルトン、ボーンナイトだ。
が、それを守るように立つ十七体の敵も案山子ではない。迫る二名の騎士に剣を向けた。
「待て。引け──」
叫んだのは第三パーティーのラルジュである。
遅れて駆け出した彼の声が耳に届いたのか、接敵寸前の騎士の口元に笑みが浮かぶ。
それは出遅れた同僚に対する嘲笑か、スケルトン如きが振りかざす剣など物の数ではない。そう言わんばかりに、敵の剣戟を片手でいなそうとした騎士の剣が、金属音を響かせ宙を舞った。
「へ?」
呆けたように剣を失った自身の右手を見つめる騎士に、周囲のスケルトンが殺到する。
ひぃ、と情けない声をあげる騎士を後目にもう一方の騎士は、結果的に囮となり周囲の敵をすべて引き付けた彼のおかげだろう、滑り込むようにボーンナイトに駆け寄ると、そのまま袈裟懸けに剣を振り下ろした。
背後の同僚の事は気になるが、首魁さえ倒せば雑魚共は逃げる筈だ。所詮は烏合の衆、最後の一兵まで戦おうなどと思わない筈。だからこそ一撃で。そんな渾身の一撃。
口元に浮かぶのは勝利の確信。
だが──
鳴り響く金属音。
確かに騎士の剣はボーンナイトに届いた。
だが、剣を握ったその手に伝わるのは斬撃の感触ではなく、まるで固い岩を意図せず全力で叩いたような──痺れだ。
ビリビリと震える右手を抑え、見開いた騎士の視線が、目の前の怪物を追う。傷の一つさえつけることの出来なかった灰褐色の鎧を。表情の一つもない黒い眼窩を。
ゆっくりと振り上げられたロングソードを。
「避けろ!」
ラルジュが叫ぶ。
騎士は応えず、ボーンナイトの刃は、騎士の左肩から胴の半ばまでを、真っすぐに通り過ぎた。
装備していた鎧など意味をなさず──いや、鎧が無ければその身は両断されていたかもしれない。ならば鎧に意味はあったのだろう。
崩れる様に落ちた騎士は、信じられないものを見るような目で、自身を中心に広がってゆく血の流れを見つめながら、ひゅうひゅうと荒い息を繰り返している。
何が起きたのか理解しながら、それでも現実を受け入れることができないままで。
その光景を前に、アルスがたじろぐように一歩下がった。
初めて目にする、人が斬られる瞬間。その光景に顔面は蒼白である。
乱世の世ではない。血の流れるような争いの殆どが失われた世の中である。それでも一端の兵であれば別かもしれないが、たかだか十一歳の少年、被災地などで亡骸を見たことはあっても、人が殺される瞬間など見たことがあるはずもない。
ゴブリンは人ではない。
スケルトンも人ではない。
いかに人と良く似た形をしていても、彼らは自分達とは全く異なる存在。その意識があるからこそ、それらの死が、少年の心に影を落とすことは無かった。
だが──
ボーンナイトの剣が再び振り上げられる。
いまだ息のある、足元に転がる贄に止めを刺すために。
ちっ。とリアが舌打ちをした。
「ライゼ!」
はっとしたようにライゼが杖をボーンナイトに向ける。
「ラルジュ。援護します。第一パーティーの騎士は第三パーティーのフォローを。それ以外のパーティー編成は維持のまま、両翼より敵を殲滅。第一パーティーはその間、あのデカブツを押さえる!」
彼女の指示は果たしてその耳に届いたのか、ラルジュが振り下ろされたボーンナイトの剣を受け止める。が、力の差か、押し込まれるようにそのまま膝をついた。
ガクガクと鍔が鳴る。歯を食いしばり、両手で剣を支えるも容赦なく押し込まれ、その刃がラルジュの目前に迫る。
同時に鳴り響く炸裂音。
ボーンナイトの顔面で爆散する魔法の残照。その向こうに杖を構えたライゼの姿があった。
衝撃で僅かに緩んだボーンナイトの剣を、ラルジュが押し返す。
そのまま体勢を立て直すために、いったん距離をとろうとするのだが、敵がこちらの都合に合わせて追撃の手を緩めてくれるわけもない。踊るように、ボーンナイトも前に出る。
一合、二合。
繰り返される打ち合いに、ラルジュがじりじりと後退する。
力の差は歴然だ。回避に専念しているからこそ何とかなってはいるが、このままではいずれラルジュも露と消えるだろう。
合間に打ち込まれるライゼの魔法も、状況の打開には繋がらない。もちろん効果が無いわけではない。ダメージは確かに蓄積されているのだが、仮にも相手は階層主である。いくらアストレアでも上位に位置する莉々やグラムに師事する身とはいっても所詮は低レベルの、しかもNPCに等しい人間。一人二人の攻撃で、どうこうできるはずもない。
あと一手。敵の動きを封じるひと押しが欲しい。
ラルジュの攻撃。魔法を撃ちこむ間。その間を埋める一手が。
そう思いながら、ライゼはすぐ傍に立つ銃士たちを横目で見る。だが彼らも、こうもラルジュと敵が接近していては撃つタイミングがとれないのだろう、構えたままの姿勢で、銃口を動かすことしかできずにいた。
他のパーティーのメンバーも左右に散り、それぞれがスケルトン兵を抑えている。
不介入を宣言しているリアとキリエを除けば、手が空いているのは、青い顔で立ち尽くしているアルスだけだ。
ライゼが唇を噛む。
彼に声をかけることに戸惑いはある。
自身の盟主。その長子。しかも未だ幼い十一歳の少年に、戦闘への参加を強要するのだ。成人としてそこに抵抗があるのは当然だろう。
もちろんこのダンジョンへは観光に来たわけではない。最初から戦闘は想定されていたことである。道中はもちろんのこと、ゴブリンの集落戦もまた然りである。
それは一人として例外なく、アルスもまた戦うためにここに来たのだ。戦えと命じることに、何の不都合があるだろうか。
それでも、とライゼは思う。
これは誤算だと。
装備を万全なものとし、過剰ともいえるスペックで臨んだ今回、少なくとも第一階層における戦闘に関して言えば、アルスの存在などあろうがなかろうが関係なく一方的に敵を圧倒する、いわば殲滅戦となることを前提としていたのだ。
実際、道中では確かにそうだった。全ての敵が一撃で葬り去られてきた。剣戟でも、魔法でも。
そこにアルスの存在など、本来は不要である。
想定していたゴブリンとの集落戦。第一階層、最奥での戦闘もまた然り。その筈だった。
集落戦では全体をいくつかの区画に分け、騎士が囮として区画内の敵を挑発し、一か所に集めたうえで範囲魔法及び銃撃で殲滅。威力的に一撃で落とすことのできない上位個体は騎士を前面に各個撃破。
自身の索敵範囲内に侵入した敵にしか反応しない、魔物たちの特性を利用したものであり、莉々曰く『良くある範囲狩り』というものらしいが、ゴブリンが相手であるのなら、十分にライゼたちにも再現可能な戦闘方法ではないかという意見が軍内部でも多数あり、莉々もまたそれを肯定したが故の戦略である。
その中にあって、いまだ範囲魔法を習得していないアルスに求めたられたのは、当人の意志はさておき、傍観者として、後に状況を伝える者としての務めのみである。それこそ非戦闘員、守られるべき存在として。
だが──
「アルス様、戦えますか?」
魔法を撃ちながら、ライゼが問いかける。
その言葉にアルスが目を見開き、横目で彼女を見た。
「ファイアボールなら乱戦の中でも味方にあてることなく、軌道を変えて攻撃することが可能です」
アルスに目を向けることなく、ライゼは言葉を紡ぐ。
その言葉に対し、少年の内に反射的に浮かんだのは反感である。
大人のくせに、自分のような子供に何を言っているのかと。戦場で殺しあえと命令するのかという反感。それと同時に──
「道中と同じです。ただ敵に魔法を撃つ。それだけのこと」
──周りの人間の反対を押し切って、それでもここに立つことを望んだのは自分自身であるという事実に唇をかんだ。
道中、ただのスケルトン相手に調子に乗ってその気になって、そのくせ強い相手の前に出ればこの体たらく。今更恐怖におびえるなどと、笑い話にもならない。
背後に立つ少女に、視線を向けることなく意識を傾ける。
魔大陸に流され、本人意思と無関係に戦場に立たされ、人殺しを余儀なくされてきた自分と同い年の少女に。
白くなるほどに自身の拳を固め、ふとむけた視線の先、そこに血を流し、倒れたままの名も知らぬ騎士が映った。
ようやくの事で敵の包囲から逃れ、仲間の介抱を受けるもう一人の騎士が映った。
「恐怖は、今は捨ててください。ここは──」
ライゼの杖、その先端に再びの光が宿る。
敵を打ち倒す、戦うための──殺意に満ちた光が。
「──戦場です」




