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ouroboros  作者: 納見 丹都
第三話
33/65

漂流者

 キリエ・エレイソンにとって、その旅は何事もなく穏やかに終わる。そういうものになるはずだった。


 早春。

 桜によく似たロイツの花の蕾が間もなく開く。

 生まれ育ったレベック領のあるテオルボ大陸を離れ、この地域でも有数の商会の長である父と共に、王都のあるセレスタ大陸への旅路についたのは、そんな時期の事である。


 いまだその顔に幼さを残した十二歳。

 物見遊山で行くわけではない。父の後継として、次代の商会の長として。その力を、知識を得るために行くのだ。

 この春から通うこととなる王立オルティナス修学院のある王都、レントに向けて。


 それは他愛もない、安全な航海のはずだった。


 テオルボからいくつかの群島を経由し、カルマートへ。

 更にそこから幾つかの港町を陸沿いに進み、王都(レント)までは観光をしながらのゆったりとした船旅。

 軍から引き抜かれた護衛艦二隻を含む計十隻の船団である。小規模な海賊からの襲撃などあるはずもなく、穏やかな航海となるはずだったその旅は、しかし目的地にたどり着くこともなく、唐突に終わりをつけた。


 カルマートの沖合、六〇キロ。

 そこで船団は巨大な怪物と遭遇。交戦状態に陥った。

 相手は軍ですら手を焼く怪物である。現行艦とはいえたった二隻の護衛艦でどうにかできるはずもなく、わずか数分で船団は崩壊。気が付けばキリエは僅か数名の乗組員と共に、洋上を彷徨う身となった。


 この戦闘のことを、キリエはよく知らない。


 室内でゆったりとお茶を楽しんでいる最中に、突然轟音と共に船が揺れた。

 甲板の方から怒声が響き、別室に居た父が慌てた様子で部屋に飛び込んでくると、キリエの肩を掴んだ。


「ここに居なさい。外に出てはいけないよ?」


 そう言われ頭にブランケットを被せられ、部屋の隅でかがんでいるように指示された。


 鳴り響く轟音に耳を塞ぎ、固く目を閉じる。

 状況はわからない。どうすることもできない。だからただ嵐が過ぎ去るのを待つように、小さな肩を震わせながらしゃがみ込む。はやく、はやくこの嵐が収まってくれ。そう祈りながら。


 やがて音は消え、体が横に引きずられるような感覚に襲われた。

 同時に部屋の調度がその感覚の方向に滑ってゆく。


 ──船が傾いてる?


 そう理解するのと、バタバタと靴音が響き、再びドアが開いたのはほぼ同時だった。

 キリエは反射的にブランケットの隙間から相手を確認する。


「──おじさん?」

「お嬢様! こちらへ! はやく!」


 幼い頃から知る商会の人間にそう言われ、手を引かれる。

 そのまま引きずられるようにして、いまだ吊るされたままの端艇(ボート)に乗せられた。


「行きます!」


 その声と同時に投げ出されるような感覚と着水の衝撃が少女を襲う。

 被せられたままのブランケットが大量の飛沫に濡れるが、先ほどの声の主だろうか、誰かがキリエを守る様に覆いかぶさっているために、それを脱ぐこともできずに瞼をぎゅっと閉じたまま固まっていた。


 ゆっくりと、覆いかぶさっていた誰かの重さが消える。

 頭に被せられたブランケットを脱ぎ。自分の周囲を確認する。


 自分を含め、端艇に乗っているのは九名。見知った商会の人間が二名。あとは話したこともない船乗りたちだ。そこに父の姿は無い。


 あわてて父の姿を探そうと立ち上がり、同時にそれが目に入った。

 自分たちがもと居た場所にあるもの。その方向にあるものが。


 初めて見た惨状。


 十隻の船のうち、残っているのは炎上しながらもいまだ砲火を上げている護衛艦と、傾き、半ばまで沈みかけた、ついさっきまで自分が乗っていた商船。

 周りに浮かぶ破壊された船の破片と無数の亡骸。そして──


 ゆらり。と水面を揺らし、巨大な白色の、まるで何かの触手のような影が持ち上がった。


「な、に?」


 キリエが呟く。かすれた声で。


 触手は護衛艦の砲火など気にした様子もなく、いまだ戦闘の意思を見せる獲物に、いくつもの吸盤がついたその身を絡みつけ、メキメキと音をたてながら木造の護衛艦を握りつぶしてゆく。


 やがて白い本体がゆっくりと姿をあらわす。

 リムニアの民が見たことのない生物が。


 アストレアの民が見れば。あるいは地球に住む人間が見ればその影の事をこう呼ぶだろう。


『クラーケン』と。


 やがて白い影は、最後に残った護衛艦が海の藻屑と消えるのを見届けると、付近に浮かぶ屍を器用に触手でかき集め、カパリと開いた嘴に放り込んだ。

 食事はその後も続き、やがて遠さがる端艇に乗るキリエたちの視界からも消えてゆく。


 それはカルマート領、領主クラル・コルネットより航路の安全に関する布告が出される一月ほど前の事。調査船団が魔大陸を発見した、丁度その頃の事である。





 端艇は流されてゆく。外洋へ。

 帆を広げ風を捕まえようにも異様なまでに海は凪ぎ、ならばとオールを漕ぐも潮の流れは速く、元々積み下ろしや連絡用に使う小さなボートに過ぎない端艇では、それに抗う術などあるはずもなかった。

 では進路は? と、船乗りの一人が羅針盤を手にそれを確認する。


 ──北東。


 船乗りは、力なくそう告げた。


 北東には何がある?

 何もありはしない。島も、何も。


 大洋の中央に向け、ただひたすらに陸地から離れるコース。自分たちが進んでいるのはまさにそれだ。

 逃げる様に乗り込んだ端艇である。食料も水も僅かしか持ち出せていない。この状況で、たかだか十メートル程度の小さな船で、大洋を横断など正気の沙汰ではない。

 でも、もしかしたら流された先に未発見の小島くらいはあるかもしれない。食糧だって──


 それが儚い希望であることは誰の目にも明らかだった。

 なにより歴史上の冒険家も遭難者も、それを発見してはいないのだから。


「このまま海流に乗り、大洋を弓なりに進めば、いずれセレスタ大陸にはたどり着けるかもしれません。ただし、流された先人のように、海鳥についばまれ、干からびた死体となって。ですが」


 最後にそう付け加えた船乗りの言葉に、あるものは天を仰ぎ、あるものは力なくへたりこんだ。

 等しく言葉を失ったまま。





 一週間が過ぎた。


 水も尽き、食糧も尽きた。

 体力の消耗は激しく、限界は近い。既に体を起こしていることすら彼らには苦痛である。二月とはいえ緯度の低い地域である。水温も高く日差しも強い。


 遭難して以降。不思議なまでに天候が荒れることもなく、海は凪いだまま。ひたすらに照り付ける太陽を避けるために、既に用を為さなくなった帆を、日よけの様に垂らし、九人はそれが生み出した影の下で項垂れ、ただ審判の時を待つ身となっていた。


 ふと。天幕の様に張られた帆が、バサリと揺れた。


 誰かが顔を上げる。

 帆布越しに見える日差しが、いくらか弱まった気がする。

 船乗りの一人がもぞもぞと日よけから顔を出し、空を見上げた。


「どうした。ナザル。嵐でも来るのか?」


 同僚の言葉にナザルと呼ばれた男は答えない。

 ただ固まった様に空を見上げている。

 声をかけた男が「ちっ」と一つ舌打ちをしながら、モゾモゾと日よけから這い出した。

 残るキリエたちも何事かとそちらに目を向け、ナザルと同じように固まっているもう一人の姿に首をひねった。


 キリエが日よけから這い出し、空を見上げる。

 その目が。日差しに目を細める筈のその目が、見開かれた。


 周囲の明るさに変化は無い。

 だというのにどうして太陽を直視できるのか。

 どうしてこれほどまでに空が赤いのか。



 どうして、この太陽は塗りつぶされたように黒いのか。と。

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