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チート異世界からやって来たのじゃロリ魔皇女がぽんこつ過ぎて俺の嫁ぐらいしか出来ることがありません。  作者: 村岸健太
この見どころのない村に舞い降りた天使、とてもとても不幸な天使
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他人の不幸を見下ろしながら

 二学期も半ばを過ぎ、清継は受験生として忙しく勉強をしていた時期。東京よりもずっと早い冬の足音が聴こえ、その秋初めてマフラーを巻いてバスに乗り込んだ暁李は、いつもの席に清継がいないことにはすぐ気付いた。東京から来たのだ、決して身体が強そうには見えない、風邪でもひいたのだろうかと案じながらバスに揺られていたら、松之郷停留所では佐原学も乗って来なかった。

 憔悴しきった尊が覚束ない足取りで背後に座る。

「……先輩は?」

 訊いても、返事はなかった。やがてバスが混み、身を(よじ)って後ろへ語り掛けるのも憚られて諦めたが、何とも言えない胸騒ぎを覚えた。

 バスが駅に着き、ほかの生徒たちがホームへの跨線橋に(ひし)めき合うときにも、尊は青白い顔で晩秋の白曇りを見上げて動こうとしない。

「尊」

 ディーゼルカーがやって来た。車内を高校生で満杯にして走り去って行くのを、暁李はその場に屈み込んだ尊のそばで呆然と見送るほかなかった。学校をサボるのは、このときが初めてだった。

「兄貴が、先輩、やりやがった」

 暁李には、尊の言葉が飲み込めなかった。

 いや、飲み込むことを喉が拒否した。本能で判る、毒の味だった。

「和毛山の、……登山道で、やりやがった。あそこ、人、来ねえから」

 暁李はぼうっと突っ立ったまま、今にも嘔吐するのではないかと思うほど浅く苦しげな尊を見下ろして、

「そんなの」

 かさかさに乾いた声が、自分のものではないみたいに聴こえる、耳が音を聴くことを嫌がっている、尊の言葉を聴きたくないと、抗って、炎症を起こしている。「ばかばかしい。見たのかよ」

 それでも、

「見た」

 と尊が言う声は、脳のスイッチをどんなに切っても届いてしまう。「俺の、……ジョギングで、毎日、通るとこだ。先輩の声がして、……それで……」

 可哀想な尊。

 どこかでそう思ったことを、暁李は記憶しているのだ。

 考え得る限り、もっとも残酷なものを尊は見たのだ。

「それで?」

 可哀想な俺。どこかへらへらと、冷静なふりをして訊くことで、何が保てるのかも定かではないのに。

「先輩、……兄貴の、こと、殴った」

「まさか」

 あの先輩が、ちっちゃくて華奢(きゃしゃ)な、先輩が?

「石で」

「石」

「先輩は……、今、警察だ。兄貴は、病院」

 情報の一つひとつは、嗚咽(おえつ)の混じり始めた尊の声と共に、一度も開けたことのなかった、存在さえも自覚していなかった真っ暗な部屋へと積み重なって行く。

 誰よりいちばん長い時間、清継のそばにいたのは、紛れもなく学だったと暁李は思う。後輩二人を可愛がる一方で、学の存在ゆえに清継は守られて来た。学は危険で暴力的な男ではあるが、少なくともそのときまではただの一度も、清継は学のそうした部分を知らずに来たはずである。

 あの甘くて美しい人に、学はきっと恋をしたのだ。それが当時、今と比べてもっと罪深いことであると学が感じたことは想像に難くない。自制と欲の(せめ)ぎ合いで、肉の欲が勝ってしまった。

 清継には学への信頼があった。正当な段取りを踏んだなら、誰にも責められない恋人になることだって出来たかもしれない。少なくとも佐原学と豊嶋清継が同性愛に結ばれたところで、それを非難できる人間などこの村には一人もいなかっただろう。

 清継が学に強姦された。その末に、学を負傷させたのならば、それは正当防衛と呼ぶべきものである。学は死んだのか。いいや、清継の腕力ではそれは不可能だろう。可哀想な清継、可哀想な学。

 強姦、という言葉を知らないはずのレヴィルヴィアだが、緊張して、いかにも頼りなげな顔になった。とても怖い話を聴いているということだけは理解しているのだろう。

 暁李は痛々しく見えるレヴィルヴィアに、珍しく少しだけ微笑みを浮かべた。

「正当防衛って判るか? 先輩は、……先輩が悪いわけじゃないから、すぐに帰って来たんだ。でも、先輩はそれっきり、朝のバスには乗って来なくなった。それで、……あと、尊の兄貴も、大した怪我じゃなかったんだ、でも、そのあと尊の兄貴がどうなったのか、俺は知らない。そのあと、一度も会ってない。尊の話だと家を出て、どこかへ行ったって。東京に行ったとか、そうじゃない大阪に行ったんだとか、噂はあるけど、……とにかく、もうここにはいない」

 憎悪の部屋を久し振りに覗いた。そこにはそれから先のもろごとが、もう所狭しと並んでいて、立錐の余地もない。

「……そのとき、キヨは……、右手を失ったのか。その学という男のことを、信頼しておったのじゃろうに……」

 強姦、が何かを知らないからこそ、レヴィルヴィアはまた勘違いをした。尊の兄に腕をもぎ取られ、むしゃむしゃとむさぼり食われる想像をしたのかもしれない。

「先輩がいまの体になったのは、もっとずっと後のことだ」

 清継はこの一件があって以降、長らく人前に姿を見せなかった。豊嶋のばあさんと佐原兄弟の父親が、おぞましい言葉で衝突したであろうことは想像に難くないが、それはあくまで水面下でのやり取りである。佐原学が豊嶋清継を強姦したことを知らぬ者は村内にはいなかったが、他方、こういう情報が流布されている。すなわち、

「豊嶋清継が佐原学を誘惑したのだ」

 と。

 それが村唯一のスーパーマーケットである「さはらストアー」に端を発する悪質なデマであることは明らかであったし、多くの者はそれを見抜いていた。それでもなお、村で最も権力のある男の発信した情報であるというだけの理由でそれを真実と定義する人間も少なからずいた。

 何があったか、ではなく、誰が言ったか、に思考を放棄した人々は容易く流される。

 次第に豊嶋のばあさんも、村に姿を現さなくなった。老祖母と美しき孫は、和毛山の裾の家に蟄居(ちっきょ)させられたに等しい状況に追い込まれたのだ。

 尊も、どれほど苦しんだだろう。あの時期、尊はずいぶん痩せた。堅牢な若木が理不尽に冷たい長雨に見舞われ、生命の張りを失い、みすぼらしく腐っていく過程を暁李は目の当たりにした。サボり以外では休んだことのない男が酷い不眠症に陥り、何日も引きこもることさえあった。兄の犯した罪、父の犯している罪、大好きな先輩のために何一つ出来ない無力感が、彼から生きる気力さえ奪ってしまったとして不思議ではなかった。事件の核心に近い場所にて、降りしきる冷たい雨に傘も差さずに呆然と突っ立って全てを見ていることだけが、そのとき尊が己に課した贖罪の方法だったのかもしれない。

 暁李はもっと無力だった。清継と学が、そして時には尊さえもいなくなったバスに揺られて、学校へ通い、帰ってくる間、悲しい出来事が何故起きるのかを考えたり、自分に何が出来ただろうかと考えたり、……それに疲れて、学校を抜け出してそのままうろつき回ったり。和毛山の裾の家の前まで行ったことも何度もあった。しかし、その門戸を叩くことは一度も出来なかった。尊との違いは、暁李のほうがほんの少しだけ賢くて、また震源からの距離があって、それゆえに出来ることなんて何一つないと理解することが容易かったという点だろう。

 しかし暁李と尊が二年に上がった四月の朝、不意にバスの客として姿を現した。

 彼を見たとき、尊は人目も憚らずぼろぼろ泣いたのだ。ごめんなさい、ごめんなさい、こどものように大泣きしたのだ。清継は聖なる笑みを浮かべて、「謝らないで。尊は何も悪くないよ」と、尊を抱き締めて何度も何度も言った。 尊の兄のせいで大学進学を諦めた清継は、ひとまずは祖母の面倒を見るために村に留まることを決めたという。今日は久しぶりに外に出る用事を言い渡されて、「それなら……、二人の顔が見たいと思って」と、早起きをしてこのバスに乗り込んだのだそうだ。

 清継は、「学は、どうしてる?」と訊いた。尊の答えを聴いて、「そう」とだけ答えた彼はすぐに、悲しくなるほど懐かしく思えた笑みを浮かべて、

「暁李も尊も、どんどん大きくなるなあ。俺なんてぜんぜん背ぇ伸びないのに」

 二人の頭を順繰りに撫ぜた。

 これは尊に確認したわけではないが、暁李はこのときにはもう、清継に向かう「欲」なんてものは心の中から消え失せていた。誰かに穢されたからでは決してない、……清継は相変わらず美しく、甘く愛らしい。しかし、彼を穢すことはそのまま、自身を学同様の罪びとに変えることとなる。そんな恐ろしいことは、絶対に出来ない。

 清継は尊の父が流した理不尽な噂の中でも背筋を伸ばして生きていた。

 尊は清継の復活を目の当たりにしたその日以来、清継の汚名を(すす)ぐために声を上げ始めた。佐原学以上に傲慢で暴力的な男となって、清継の名誉を毀損する相手に鉄槌を下すことにさえ躊躇わなかった。自然、父との関係は(きし)み、彼は家での居場所を失いつつあった。暁李の家に転がり込んで、申し訳なさそうに数日、床で寝ていたこともある。暁李が尊のために、そして清継のためにしてやれることなど、自分のプライベートの空間を少し分け与えてやることくらいしかなかった。

 あれは、高校二年の秋だった。

「お前、東京行けよ」

 コートを着て、薄い毛布に包まった床の幼馴染に向けて、ベッドの上から暁李は言った。

「東京行けば、……先輩ぐらいに綺麗な人はきっといっぱいいるんだ」

 尊は「あー」と暗い目で天井のそのまた向こうを見据えて答えた。「そういうもんなのかなあ……」

「だって、先輩はどこから来たよ」

「……東京」

「だろう。東京には、あれぐらい珍しくない」

 暁李も尊も東京に行ったことはない。この村から出たことだって数度しかない二人にとって、「東京」は未知の場所であり、それだけにどんな奇跡だって起こる可能性があるのだった。

「東京……、と申すのは、つまりあれじゃな、この国の王都であろう」

 レヴィルヴィアが久し振りに声を発した。彼女はいつからか、ほとんど瞬きもせずに暁李の言葉に黙って耳を傾けていた。この通り話をするのはあまり上手くない男の語る話に根気強くついてくる。そして現実のものとして捉えられてはいないのかも知れないが、同性愛に対して驚きはしたものの、非難する言葉を発することはなかった。非生産的とでも言われたら、どれだけ長い時間を要してもその勘違いの愚かさを是正していたところだが、案外にこの少女は聡いのかもしれない。

「この国に『王さま』はいないけど、そうだな」

「そこには、キヨのような美しい男がうようよおるのか……?」

 結論から言えば、いなかった。

 それは、尊に上京を勧めた暁李自身が大学進学を機に自身の目で確かめたことだった。尊は三年の夏までは同じく大学を目指して勉強に励んでいたが、それを断念せざるを得ない事態に見舞われたのだ。

 一つは、豊嶋のばあさんの死。あの口の減らず声の大きいばあさんは、学の一件以後家に引きこもってばかりいた。精神的に相当に堪えていたのだろう。急激な痴呆の症状を来し、清継はその介護に追われる日々を過ごしていたが、ある夜に彼が少し目を離した隙に外へ出て、車に()ねられて死んだ。小さな小さな葬式に参列した人間はごく僅かだった。

 尊はそれすらも、自身の罪だと思い込んで生きることを決めてしまった。我欲と切り離したところで清継に奉公することこそ、自分の生きる道であると、まだ選挙権も有しない少年は人生を定めたのである。

 もう一つは、彼に弟が出来たことだ。言うまでもなく、弟の名は「朝陽」である。それは大きく考えれば尊にとって幸福なことではあったろうし、今の姿を見ても明らかな通り、朝陽は尊に懐いている、尊も十五歳も歳の離れた弟を目に入れても痛くないと可愛がっている。ただ、朝陽がまだ言葉も上手に扱えない二歳児として佐原家にやってきた経緯は決して「幸福」などと言ってはいけない。

 佐原朝陽は尊の父が外の女と作ったこどもであった。

 暁李は母を十四のときに病気で喪ったが、尊の母は今も健在である。

 年に一度、鮒月の金持ちが集まって海外旅行へ出掛ける。そのときに行った先で、現地の日系人女性と作ったこどもが朝陽であった。その歳の暮れ、言葉に癖のあるその女性が朝陽を連れて佐原家に乗り込んで来たとき、その場で一体どんなやり取りが行われたのか、暁李は知らない。尊はそのことをほとんど話さず、最初はただ「弟が出来た」とだけ言った。どういうことだ、と問うた暁李は次の瞬間、久しぶりに尊の笑顔を見ることになった。

「もう……、もう、さぁ、すんっ……、すっ……ん……げぇ、可愛いの!」

 そこから先はマシンガンのように、スマホの写真見ろほらめっちゃ可愛いだろ俺のこと「にーたん」って呼ぶんだ俺が一緒じゃねーとおしっこも行けねーの俺のこと大好きでさあ学校行くときいっつも大泣きすんだよ!

 経緯を考えれば、尊が突然出来た弟を置いて佐原家を飛び出すことなんて出来ないに決まっていた。彼は兄と父の愚行によって出来た二つの守るべきものを守るため、この村に残ることを決めたのだ。

「……朝陽は尊の本当の弟ではなかったのか。

なるほどのう、全然似とらんと思うておったのじゃ。何というか、骨の形からしてまるで違う。朝陽のほうが細うて優しい線で出来ておるし、め尊は朝陽と違って愛想がよい」

 守るべきもの二つを得て、尊は半ば自身の負うべきものではない罪を負う形ではあれど、強く正しく人生を歩むことを決断して高校生活を終えた。暁李は東京の大学に進学し、……ああ、東京にだっていやしないんだな、そんな当たり前のことを理解したばかりである。

 それぞれの道は別れ、……もちろん暁李も夏と正月には鮒月に帰ってくることはあったし、時間が止まっているのかと思うほど変わらぬ美しさを見せる清継の姿や、時間通りに少しずつ成長した朝陽を「可愛い超可愛い」と愛する尊の姿に心癒されることもあったが、東京のバス会社に就職して忙しくなるとそれも少なくなった。だからその間、鮒月村で、……もっと言えば、自分の生まれ育った家の周囲で何があったのか、直に目にして知ることはほとんどなかった。

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