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デストロイ

「確かにさっきお前が言ったみたいな……、『愛情』の形があったっていいとは思う。けど、お前が先輩に向けてる感情って、そんなに綺麗なものなのか」

 ポケットに手を突っ込んだまま、尊は暁李の声を聴いていた。

「お前は、先輩のこと今でも好きなんだろ」

 尊は顔のあらかたに不満を立ち(のぼ)らせて、「お前は違うのかよ」と訊き返してきた。

 友達ではない、かもしれない、のだとしたら。暁李はこの数十分でずっとそんなことを考えていた。

 暁李は尊と対等であったためしがないのだ。

 高校進学前のあの事件が起きるまでは威張り散らしていたのは尊のほうで、いまとなっては信じがたいことであるが、暁李は尊のことを「尊くん」と呼んでいたのだ、……物心ついたときからずっと、暁李は呼び捨てにされ続けてきたのに。

 高校進学後は、ずっと尊が暁李に遠慮し続けてきた。会社としての立場も、暁李のほうが上である。関係性に「友達」というラベルを貼るには、二人の間にあるものはぶつぶつびっしりと細かな(いぼ)に覆われている気がした。

「好きだよ。でも俺は先輩を自分のものにしようと思ったことはない。……どこの世界に、自分の親父とくっついてた人を、親父死んだからってどうにかしたいって思う奴がいると思うんだよ。それに、……今はどう足掻いたって出来ない。俺には、わけわかんないのがくっついてるから」

 そもそも、そんなことを問われることじたいが可笑しくって、暁李は少し笑った。仮に自分が告白したなら、先輩はどれほど迷惑に感じるだろうか。自分から右腕を奪った男の、あまり似てはいないが息子からじっとりとした思いを寄せられたとして。彼が拒絶するために要するパワーを想像するだけで暁李は身が縮む。

「だから、お前はいまでも先輩のこと好きだって言うなら、先輩を選べる。お前は俺とは違う」

 明らかに尊は気分を害していた。

 それでも構わない気持ちで、暁李は言葉を継いだ。

「お前は先輩のことを諦めてない。だから朝陽ときちんと向き合えていない」

 尊がきつい目をして睨んできた。構わない、だって、

「朝陽も当然お前がどういう気持ちでいるかぐらい察してるんだろう。それがあいつにどれだけストレスだったか」

 尊が不快になったって仕方がないという気持ちで言っているのだ。

 単純な話である。朝陽と向き合え、それだけのことである。朝陽が尊を兄として見ていないことは明白で、つまりあの少年は自身を「尊の弟」だなどとは定義していないのだ。そんな朝陽に対して「兄貴だから」と言うのは、背中を向けているに等しい。朝陽が男を愛することにためらいがないのは、彼の視界のど真ん中に立った太い柱である尊がずっと教えてきたに等しいのだ。

 朝陽の思いに背を向けている尊がどこに目を向けているかと言えば、言うまでもなく清継である。

 朝陽が残り一ヶ月半、鮒月バスを支えるスタッフの一人として過ごす時間を思うとき、時を(あぶ)られ秒を焼かれるような焦燥に駆られて苦しまなければならないことを少年の兄の「友達」ではなく会社の経営者として察しているのなら、状況の改善を求めるのは当然のことであろう。

 しばらく凄い目をして睨んでいた尊が、

「……兄貴が犯した人を、兄貴がいなくなったから、俺が?」

 上唇を歪め、門歯を覗かせて笑顔を返した。「でもって、その相手が、今度はお前の親父に取られて、お前の親父が死んだから、俺が?」

 尊の顔は青ざめて、握られた右の拳が震えていた。声の底が抜けて尊自身はきっとまだ控えようとしているヴォリュームのコントロールが上手く行かなくなっている。暁李は久しぶりに中学のときの傲慢な男を見た気がした。気に入らないことがあるとすぐ声が大きくなり、手が出る、……こう言えばどれほど怒るか想像も付かないが、あの恐ろしい学とそっくりだった尊の片鱗が隠せなくなっている。

 ただ、暁李は言い放った。

「三月が終わるまで待つ気でいるわけじゃないなら」

 中学のころまで、暁李と尊の間には明らかな体格差があった。自分よりずっと背が高くがっしりと男らしい尊の容姿に気圧されていたことを、暁李は認める。いまや暁李は尊と身長においては大差なく、尊から威圧感を受けなければならない理由もないのだ。

「早く朝陽を楽にしてやれよ。お前が朝陽の『何』でいるかを決めるのはお前の自由だ、先輩に向ける思いをいまでも持ってるのも自由だ、でも、その思いで朝陽を苦しめるな」

 言うべきことはそれだけだった。言葉がどう受け止められるかは知らない、受け止める側が咀嚼し解釈し自身の行動に繋げればいい。しばらく、……恐らく数日に渡って、息苦しさを感じることになるだろう。しかし言うべきことを言った結果なのだから仕方がない。

 ああ、ひょっとしてこれが「友達」だろうかと、暁李はぼんやり、寂しく思いながら尊に背中を向けた。遠慮なく物を言った、清継にはきっと言えないこと、尊が不快に思うことを想像の上で、怒らせることも承知の上で、それでも必要なことを。

 しかるに、暁李は尊が明確な行動に出るほど激怒するとは思っていなかった。浅はかと言われればそれまでのことであるが。

「暁李ぃいいっ」

 甲高い声が響いて反射的に投じた視線の先、いつからそこにいたのか、何故ここに来たのか、暁李には全く判然としないが、レヴィルヴィアの声だった。清継の隣、どうしてそんな格好なのか暁李には判らなかった、車掌のユニフォームとして勝手に定めたメイド服の少女が、大雑把な雪掻きだけしかされていない道を、走って来る、まろびそうになりながら。

 結局、無様なほど転んで。

「ならぬ……、ならぬッ、尊っ、悪いのは……、悪いのは妾なのじゃ……!」

 膝を擦りむいたのではないか、顔から落ちることは避けられたにせよ、荒く踏み固められた雪は砂利よりも鋭利である。暁李は尊がすぐ背後で、自分に向けて殴りかかろうとした形に身を固めていることにそのときはじめて気が付いて、身を強張らせた。

「尊」

 清継が、レヴィルヴィアを片腕で抱き起こして言った。「やめなさい」

 獰猛な息を食い縛った歯の隙間から長く漏らした。その隙間を縫って、

「いやじゃ、……いやじゃ、いやなのじゃ……」

 レヴィルヴィアの啜り泣きが響いた。ばかなこども、そう定義して一度も疑ったこともなかったが、レヴィルヴィアが泣くのは擦りむいた膝が痛いからではない。

「妾が、悪いのじゃ、妾のせいで、妾のせいで……っ」

 清継によって心の深いところから自分のしでかしたことを理解し、それによって生じた亀裂が決定的な崩壊を招くことを恐怖するがゆえの涙は、昨夜の身勝手なものとは全く異なるものだ。

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