亡国に咲く花
数ある作品の中からこちらを見つけてくださりありがとうございます。
高校時代に思いつきで書いた短く拙い物語ではありますが、少しでも楽しんでいただければ幸いです。
遠くからかすかに耳に届いていたはずだった大砲の音が、どんどん大きくなってきている。いや、大きくなっているのではなく近づいているのだ。頭ではわかっているのだが、いざこの時が来ると実感が湧かない。
出窓に腰掛けて、部屋を見渡してみた。一国の王女らしく絢爛豪華だったはずの部屋は、孤児院への寄付や炊き出しを行うためにリアーヌがほとんどの家具を売り払ってしまったせいで、すっかり寂しくなっている。
「…………リアーヌ」
「はい、お父様」
ぼんやりと物思いに耽っていると、扉が叩かれ、現国王であるお父様の呼ぶ声がした。ゆっくりと出窓から降りて扉を開け、そのままお父様のあとをついて行く。
リアーヌの部屋と同じようにがらんとした居間には、お母様と妹のソレンヌとロズリーヌ、そしてまだ4歳の弟ミシェルが揃って座っていた。
「…………リアーヌ」
「はい、お父様。どうなさいました?」
なかなか口を開こうとせず私の名前をただ呼ぶばかりのお父様に敢えて普段と同じように明るく問う。あぁ、あと何度、お父様の温かみのある声で私の名を呼んでもらえるのだろうか。哀しみが胸の内に込上がってきたが押し殺した。気持ちを殺して微笑むなんてこと、生まれてから19年もの間、第一王女として生きることを課してきた私には造作もない。
それからまた数分の間重い沈黙が部屋を満たした後、やっとお父様がぽつりと言った。
「…………逃げなさい」
「え?」
「お前達までこの国と共に死ぬ必要はない。早く、早くここから逃げなさい。」
お父様が絞り出すように口に出した言葉は驚くべきものだった。そして私には到底受け入れることのできない命令だった。
「お父様、わたくしはもうとっくに覚悟を決めました。フィエルテ第一王女の誇りにかけてこの国とともに、そしてお父様お母様とともに、ここに身を沈めますわ」
「逃げなさい!」
「自分で決めたのですから止めないで下さいまし」
「逃げろ!」
「嫌ですわ!」
堪えていた涙がぶわっと溢れだして、感情のままに喚く。あぁ、この歳にもなってみっともない。けれどこれだけは譲れないのだ。でもそれよりも大切なのは。
「お前がソレンヌとロズリーヌ、そしてミシェルを生かしてくれ」
「……………………」
「これはお前にしかできないことだ」
目に涙を湛えて力いっぱいお母様にしがみつくソレンヌとロズリーヌを見た。まだ状況がわからず首を傾げるミシェルを見た。
戦が始まってからずっと、もしもの時は王族としてここに散ることが最期の務めだと信じていた。覚悟も決めたつもりだった。
けれども実際その時になってみると、「一緒に死になさい、それが王族の務めなのだから」、なんて残酷で綺麗な言葉は出てこなかった。愛する弟妹をこの手にかけるなんてできるわけがない。 あぁ、なにが覚悟だ、こんな甘くて脆いものなんて。私はこの子たちの姉であることをやめられない。
…………ならば今、私にできることは。
「…………分かりました」
「リアーヌ!」
「私がこの子たちを守ります」
リアーヌ・アレクシア・ド・フィエルテの名にかけて。何より敬愛するお父様とお母様の娘として。この子たちの姉として。
「守り通して見せます」
精一杯微笑んで、思いっきりお父様の胸に飛び込んだ。お父様は力強く抱きとめてくれ、お母様もその美しい顔を涙で曇らせながら私とお父様を抱き締める。ソレンヌとロズリーヌも加わり、最後にまだ何事かわかっていないミシェルが私たちの塊に引っ付いた。
…………どれくらいの間そうしていただろうか。
再び響いた大砲の音に我に帰って、慌てて身支度をする。ほとんどの使用人たちは避難させたが、残ると言って聞かなかった侍女たちや乳母と、少しの服と下着を詰める。もうドレスは必要ない。宝飾品はお金に換えるためにいくらか詰め込んだ。
「…………お父様たちも行くわけにはいかないのですか」
いよいよ別れの時になっても諦めの悪い私は聞いた。
「私はこの国の王だからね。逃げるわけにはいかないよ。しかしクリスティアーヌ、お前は」
「わたくしもこの国の王妃ですから。それにあなたは、わたくしがいなければ何ひとつできないではありませんか」
「クリス…………」
「テオ…………」
結婚して20年以上経つと言うのに相変わらずな二人にいたたまれなくなって目をそらす。そろそろ行かなくては。
「それでは。…………ありがとうございました」
「あぁ、くれぐれも元気でな。頼むぞ」
「あの子たちをお願いね。またリアーヌたちが笑顔になれる日が来るように願っているわ」
最後にもう1度だけキスをして足早にその場を去った。
目指すは敵の陣。普通に考えれば自殺行為だが、この度の軍の司令官であるベルナールという男は、数々の戦いで武功を挙げた勇猛果敢な猛将と名高い一方で、たとえ敵国であろうと関係の無い民、そして女子供には決して乱暴をせず慈悲深いことでも有名なのだ。自国の領地でも名君と慕われているという。そんな男ならば、私たちを助けてくれるかもしれない。一縷の望みにかけて妹弟たちと連れてきた侍女たちとともに無言でひたすら歩いた。
その頃、アムール帝国軍の陣にて。
「ベルナールさまぁ」
「何の用だ」
机に置いた地図を睨んでいるがっしりとした武骨な男に、それとは真逆ないかにも軽そうな雰囲気の男が絡んでいる。
「なんかぁ、さっき小耳に挟んだんですけどぉ」
「あぁ」
「今日フィエルテ城を攻めたじゃないですかぁ」
「あぁ」
「でもぉ、そのフィエルテ王国の第一王女ってぇ」
「あぁ」
「すっごく美人だったらしいじゃないですか! そんな美女が!若くして死ぬなんて!おぉ、なんと勿体ない!」
「別にわざわざ殺しはせん」
「いやいや、城に踏み込んだ時には既に国王夫妻は自害してたらしいですよぉ? なら子供だってきっともうどこかで死んでますって〜」
「…………まぁそうかもな」
その時、一人の兵士が駆け込んできた。
「どうした」
「報告します! 不審な女が辺りをうろついていたため、捕縛しました!」
「何だと?」
「閣下との面会を求めておりますがいかが致しましょう」
その時、ふとよく分からない予感がした。未だになぜ、あの時彼女を通したのかは分からない。
「わかった。通せ」
ただ、そうせねばならぬ、という気がしただけだった。
入ってきたのはあちこち傷だらけの十七、八歳くらいの少女だった。しかしその目は力強い光を湛えてこちらの様子を探っているように見えた。
「お初にお目にかかります、フィエルテ王国第一王女、リアーヌ・アレクシア・フィエルテと申します。閣下におかれましてはご機嫌麗しゅう」
嫌味なほど丁寧に口上を述べたあと、これまた優雅に完璧な淑女の礼をしてみせた。そして1通の手紙を渡してくる。
「…………父からです」
それまで勝気だった少女の声が少し震えたような気がした。フィエルテ国王直々に敵国軍の司令官へ手紙とは何用だろうか。中を確かめると。
「なんだと…………」
それは国王からの手紙ではなく、ある一人の父親からの、子供たちを案じる気持ちが溢れた手紙だった。
曰く、自分たちは国王として自害するつもりだが、まだ幼い子供たちには何としてでも生きてほしい。ベルナールは情け深く立派な人物であると前々から聞いていたから、その身を託したい。どうか最期の願いを聞き届けてほしい、と。
ベルナールはその重責に武者震いがした。同時にフィエルテ国王から王女たちを匿うという大役を仰せつかった栄誉に鼻が高い気分だった。そして目の前の少女に呼びかける。
「フィエルテ国王陛下からの頼み事、しかと承りました。あとは私にお任せ下さい」
怖がらせないように(しかし部下達からは魔王の冷笑と評判の)ベルナール渾身の笑みを見せると、その少女は安心したように初めて年相応の笑顔を見せた。その笑顔は優しく彼の心を揺さぶったのだった。
敵軍の司令官ベルナールは噂に聞いていた通りの男だった。
熊のようにがっしりとした大きな体、獅子のように威厳溢れた顔つき、そして知性と慈愛の光が灯る目。まさに猛将、名君という言葉がしっくりとくる。
正直に言えば、ベルナールと対峙するのはひどく恐ろしかった。いくら慈悲深いと名高くとも相手は敵、滅びた国の王女をどう扱うかはわからない。政略結婚の駒にされるならまだしも、最悪奴隷に落とされる可能性もある。
ひとまず私一人で面会を求めることにしたこの選択は正しかったのだろうか。もし、弟妹や侍女たちに手を出すような者であったならば胸元に隠しておいた短刀で時間を稼ぎ、彼らを逃すつもりだ。騒ぎが起きたらすぐに逃げるよう既に言い含めてある。
フィエルテ王家の生き残りとして無様な真似はできない。手が震えないよう注意してお父様から預かった手紙を渡す。
ベルナールは真面目な顔つきで目を通したかと思うと、いたく感激した様子でこちらに向き直った。
「フィエルテ国王陛下からの頼み事、しかと承りました。あとは私にお任せ下さい」
その真摯な言葉、そして少し不格好であたたかい笑顔に全身の力が抜けた。これで大丈夫、私の役目は果たされる。そう思った途端恥ずかしいことに一気に気が緩んでしまったようだ。
突然倒れた私をベルナールは慌てて支えると、激しく狼狽しながら部下に水や薬を持ってくるよう指示を出し始めた。不審な女への警戒で静まり返っていた陣はにわかに騒がしくなる。
その後、目を覚ました私が最初に彼に頼んだことは、騒ぎを勘違いし決死の覚悟で逃亡を始めてしまっていた弟妹たちを探すことだった。
たくましい腕の中で感じた体温は、優しく私の心に染み込んでいった。
その後、戦が終わり自国へと引き上げるにあたって、ベルナールはリアーヌたちフィエルテ王国の生き残りを、表向きは捕虜として連れ帰った。
そしてソレンヌとロズリーヌはベルナールの姉夫婦のもとに預けられた。ミシェルにはベルナールの養子としての名、ミシェル・テオドール・ド・カヴァリエを、そして私は。
「あなた!」
「こら、リアーヌ。危ないだろう」
「だって2ヶ月ぶりにお会いできたんですもの! 怪我をなさらないか心配で心配で」
「ははっ。私の可愛い妻は心配症だな」
私はリアーヌ・アレクシア・フィエルテ・ド・カヴァリエ、そう、あのベルナール様の妻となっていた。
ベルナール様は噂と違わず慈悲深く立派で、けれど少し不器用な方だった。
彼のあたたかさに触れるうちに私は強く惹かれていき、とうとう結ばれた。ベルナールが功績の褒美として私を望んでくれたのだ。
今ではお父様とお母様以上に目も当てられないほど仲の良い夫婦になった。弟妹や夫の部下からは事あるごとに冷やかされている。
「でももう君一人の身体ではないんだから、気を付けてくれ。見ててひやひやするぞ」
「以後気をつけます…………」
今でも夜、夢でお父様お母様を思い出して泣くこともあるけれど、隣にはベルナール様がいる。任務で一緒にいられないときも気持ちのこもった手紙をくれる。
ミシェルは私たちの養子として元気に育って義父であるベルナールと同じく軍で活躍しているし、ソレンヌとロズリーヌはそれぞれ素敵な旦那様に嫁いで幸せに暮らし、時々私たちを訪ねてくれる。もうすぐ待ちに待った私たちの子供も生まれる。
少しの陰りはあれど、それを埋め尽くすほどの愛と幸せに包まれている。あの日と同じたくましい腕の中でベルナール様の瞳と同じ色をした空を見上げた。
終