A remnant 逃亡者
架空の盗賊団生活が一か月ほど続いた頃、ギュンターから「恐れていたことが起こった」と聞かされた。
「近隣の都市周辺に勢力を伸ばしていた盗賊団間での縄張り争いが激しい抗争に発展し、いくつかの盗賊団が壊滅。残党が散り散りになって逃亡している。この辺りにも落ち延びてきた奴が出没して悪事を働く可能性がある」
朝から降り続く雨の中やって来たギュンターはかなり疲れた顔色をしていた。
「そいつらが徒党を組んだら面倒なことになる。何度も対抗策を執るよう上に頼んではいるが、相変わらず金を出し渋る始末……。〈街道の狼〉についても現場でなんとかせよと言うばかりだ。連中は死者が出ないと何もしないのか……」
「…………」
「そんな眼で見るな……もちろんお前に誰かを殺せなんて言えるわけがない。他の事件や事故で死んだ人間を被害者だということにして噂を流すか……。あとお前も注意しろよ。本物の盗賊に出くわす可能性がある。〈街道の狼〉の名は今や他所の街へも知られている。この辺りでの主導権を握る為にお前を狙う連中もいるだろう。くれぐれも用心は怠るな」
用心をしろと言われても、とオスヴァルトは困惑した。
ギュンターは自分が10年前のままだと思っているのだろうか。
本物の盗賊に出くわしてしまったら、今の自分の剣の腕では身を守れるかどうか――
その日の夜、オスヴァルトは不安に苛まれながらベッドに横たわっていた。
荒天は酷くなる一方で、外からは嵐の音が轟轟と響いている。
眠ることも出来ずに、暗い天井を眺めながら小屋の軋むギシギシという音を聞いていたオスヴァルトだが、その中に別種の音が混じっているのに気が付いた。
コン、コンコン……と、壁に何かが当たるような響き。
最初は風で飛んできた木の枝か何かが外壁にぶつかっているのかと思ったが、それにしては同じようなリズムで、定期的に、同じ場所から――扉のあたりから聞こえてくる。
オスヴァルトは音を立てずにベッドから立ち上がり、剣を取ってゆっくりとドアへ忍び寄る。その間も、嵐の中で何かがノックする音が弱々しく響いている。
「誰だ」
いつでも剣を抜ける体勢をとり、ドアの向こうへ呼びかけるオスヴァルト。
ノックの音がぴたりと止んだ。
「答えろ。何者だ。何の用があって来た」
数秒間、オスヴァルトの詰問に応えるのは雨と風の音だけだった。しかしやがて微かな震える声がドア越しに聞こえてきた。
「すみません……! 助けてください……!」
か細い女性の声だった。
「盗賊に襲われて……私一人だけ逃げてきて……朝までで構いません! どうか雨宿りをさせてもらえませんか……?」
必死に助けを求める女の悲鳴。そこに偽りのようなものは感じられなかった。
オスヴァルトは警戒を解かないままそっと閂を外し、ドアを数センチ開く。
吹き荒れる嵐の中、立っていたのは年端もいかぬ少女だった。
年のほど15、6といったところか。肩口までの金髪はぐっしょりと濡れて顔に張り付き、簡素なワンピースは泥で汚れて元の色が分からない。
意志の強そうな大きな瞳でオスヴァルトをじっと見上げているが、体はぶるぶると震え、唇は紫色。消耗しているのは本当のようだった。
オスヴァルトはもう少しドアを開いて首を出して外を見渡し、少女以外に誰もいないのを確認して「入れ」と少女に促した。
■□ □■
オスヴァルトは少女の服を脱がせて室内に干し、タオルで髪と体を拭かせ、毛布を貸してやった。さらに暖炉に火を焚き、ギュンターが持ち込んでいたワインを温めたものにハチミツを混ぜて、少女に渡してやった。
「本当にありがとうございます……二日間ずっと森の中を彷徨ってて……もう本当に駄目かと……」
少女はリアと名乗った。商人である父を含めた行商隊で街道を進んでいたところを盗賊に襲われ、散り散りになって命からがら逃げてきたのだという。
「他所で壊滅した盗賊団の残党がこの辺りに入り込んでいると聞いた。おそらくそいつらの仕業だろう。災難だったな」
「……そう、ですね……」
ベッドの上で毛布に包まり、リアはホットワインを一口ゆっくりと味わって呑み込んで、ほっと息を吐いた。
警戒を解いたオスヴァルトは剣をテーブルに置き、椅子に腰かけてリアと向かい合った。
「仲間は無事なのか?」
「分かりません。盗賊は少人数だったので、逃げきれてると信じたいですが……ただ――」
幾分か顔の色も健康的になってきたリアだが、暗い瞳を伏せて唇を震わせた。
「――父は、目の前で殺されました」
「……そうか」
オスヴァルトには掛ける言葉が見つからなかった。
「これからどうするんだ」
「どう……すればいいんでしょうか」
「……行商隊はズィルバベルクへ向かっていたのか?」
「はい」
「だったらそのまま街へ行くといい。生き延びた連中と合流出来るかもしれない。もし出来なくても……まだ若いお前なら仕事は見つかるだろう。酒場とか……ああ、父親と行商をしていたなら商家に住み込みで下働きさせてもらうのがいいかもしれん。朝になったら送っていってやる」
「……何から何まで、ありがとうございます。オスヴァルトさんはこんな森の中でお独りで、一体何を?」
「俺は――」
まさか本当のことを言うわけにもいかない。狩人をしているとでも言うか――そう思案していた時だった。
「――――」
リアの視線が室内の一点をじっと見つめている。
大した家財道具も無い小屋の壁に掛けられたマント。青い布の胸元に記されたオオカミのエンブレム。
まずい、とオスヴァルトが思った瞬間だった。
リアは手に持っていたコップのワインをオスヴァルトの顔面へぶちまけた。
「ぬぅっ!?」
封じられる視界。思わず目元に手をやったオスヴァルトの隙を突いて、リアはテーブルに置かれた剣の柄に手を掛けた。
「くっ……!」
オスヴァルトは音で状況を把握し手で抑えようとしたが、鞘を押さえるのが精一杯で中身の剣はリアに抜かれてしまう。
「やめろ!」
「近寄らないで!」
リアは裸体を覆う毛布がずり落ちるのも気にせず、両手で握った剣をオスヴァルトに突きつけた。
「あのマーク! 青地にオオカミのエンブレム……お前がズィルバベルク周辺で幅を利かせてるという〈街道の狼〉か!」
「……俺も有名になったもんだな」
他所の街でも名が知られているとギュンターから聞かされていたが、ここまでとは――とオスヴァルトは顔を顰める。
「悪名は聞いている! まさか、仲間を襲ったのもお前の差し金か……!」
「断じて違う。信じてはもらえないだろうが――」
突きつけられた剣先に目を落とすオスヴァルト。彼でもブランクで重さに難儀した両手剣。リアの細腕では支えるのがやっとで、がたがたと震えて安定しない。
「落ち着け。お前は勘違いしている」
「黙れ〈街道の狼〉! 父さんの仇め! 私がお前を殺す!」
重い剣を振り上げることが出来ないリアは、そのまま突進するようにオスヴァルトの胸目がけ突きを放つ。オスヴァルトは身体を横向きにするだけで難なく突きを避け、一瞬で距離を詰めると右足でリアの両脚を刈り、同時に右手で彼女の胸を押して床に倒す。
「ぐあっ……!」
簡単に仰向けに倒されたリア。オスヴァルトは続けて彼女が剣を握ったままの右手を踏みつけて床に固定し、左腕も右手で押さえつけて完全に組み伏せた。
「くそっ……! 私を保護したのは身体目当てか!? やってみろ! 呪い殺して地獄へ道連れにしてやる……!」
「いい加減に落ち着け。まったく面倒なことになった……」
余った左手でぼりぼりと頭を掻き毟るオスヴァルト。
「……仕方ない。事情を全て話す。寝たまま大人しく聞いてろ」
■□ □■
「――危機感を植え付けるために架空の盗賊団を……?」
ギュンターから託された計画を全て明かすと、リアは少し困惑したような顔をした。
「本気でそんな話を……?」
「信用できないのは分かるが――」
「あ、いえ……信用しますよ、あなたのことは」
「そうか、ありがとう。誰にも言うんじゃないぞ」
「言いませんよ……私は自分の身が可愛いですから」
「……? 言うなとは言ったが、別に言ったからって傷つけるつもりはないが……」
「オスヴァルトさんは本当にお人好しなんですね」
言葉の真意はよく分からなかったが、仄かに微笑むリアから敵意が消えたのを確認し、オスヴァルトは彼女の腕を固めていた手足を外して、剣を取り返して鞘に戻した。
自由になったリアは押さえつけられていた腕や床にぶつけた頭を撫でていたが、裸なのを思い出して赤面し、拾い上げた毛布を纏ってそそくさとベッドの上に戻った。
「ワインが零れてしまったな……入れ直そう」
何事も無かったかのように暖炉へ向かうオスヴァルト。その背に向かってリアは独りごとのように零していく。
「おかしいとは思ったんですよ。『盗賊っぽさ』みたいなのが全然無いので、オスヴァルトさんには」
「そうか? まだまだ役作りが足りないな。どうすればもっとそれっぽく見える」
「あなたには無理ですよ。そういうのじゃないんです。もっと内面から匂うような、魂から感じ取れるような、そんな吹き曝しの『悪意』みたいなものが、オスヴァルトさんには無かった」
リアの口調はどこか昔を慈しむような響きがあった。
「随分盗賊に詳しいんだな」
「……いろんな経験しましたから。行商しているといろんなことがあります」
リアはぱたりとベッドに横たわった。
「疲れてしまったので、私はもう寝かせてもらいますね――」
言うが早いか彼女はスースーと寝息を立て始めた。雨の中、飲まず食わずで二日間森を彷徨ったのだ、相当疲れていたのだろう。
オスヴァルトは椅子に腰を下ろし、入れ直したワインをぐいっと呷ってから両足をテーブルに乗せ、目を閉じた。
■□ □■
翌朝、パンと干し肉だけの簡素な朝食を終え、八割ほど乾いた服を着直したリアを連れて、オスヴァルトは街道へ向かった。剣は腰に下げたが、もちろんマントは着ない。
そのまま街道を進み、ズィルバベルクの市街へ続く城門が見えたところで立ち止まる。
「俺が付き添えるのはここまでだ」
そう言って背後のリアへ振り向くオスヴァルト。
「両手を出せ」
「?」
素直に差し出されたリアの両手に、ずしりと重い巾着が載せられた。
「……え、これって」
「門を通るのも通行税がかかる。そして新しい服を買って、あとは当面の生活資金にでもしろ」
リアが震える手で巾着を開けると、中には金貨や銀貨がぎっしりと詰まっていた。
「こ……こんなに……!? 受け取れませんよこんな! これっ……これだけあったら半年――いや1年は余裕で暮らせますよ……!?」
「ギュンターから受け取ったあぶく銭だ。俺が持っていても仕方ない」
「でも……」
「せいぜい良い服でも買え。せっかく良い見た目なんだから綺麗にしていないと勿体無い」
「…………」
リアの大きな瞳が潤む。口を押えて嗚咽を押し殺し、震える声で「本当にありがとうございます……!」と感謝を口にした。
「オスヴァルトさんに出会えなかったら私、どうなっていたか……本当ならあのまま森の中で野垂れ死んでいたところです。どれだけ感謝してもしきれません。いつか絶対に、このご恩を返しに参りますね」
「要らん。忘れろ。その頃にはもう俺はあそこにはいない。どこかの坑道の奥で石を掘っているだろう。知らんどこかで勝手に生きてろ」
「……お人好しが過ぎますよ、本当に……!」
語気を強めて呟くリア。充血した両目でオスヴァルトの顔をじっと見る。
「昨夜言いました。オスヴァルトさんからは悪意を微塵も感じないと。大抵の人間からは、大体何らかの悪意や下心を感じるものです。盗賊となれば尚更。でも、覚えておいてください。質の悪い悪人ほど、悪意を隠すのが上手いものなんです」
そしてリアはオスヴァルトにぶつかるように抱き着いた。
「必ず恩返しします。それまで絶対に生きててくださいね」
胸に顔をうずめてそう言うリアの頭を、オスヴァルトはぽんぽんと撫でた。
リアはひょいと離れ、深々とお辞儀をすると、しっかりとした足取りでズィルバベルクの城門へと歩いていった。
彼女が無事に門を通過して街へと姿を消すまで、オスヴァルトはじっと見守っていた。




