A lone wolf 一匹狼
「〈街道の狼〉……?」
「ああ。宣伝には名前が必要だろ?」
ズィルバベルクから隣の都市へと伸びる街道沿いの森をしばらく掻き分けた先に立つ小さな小屋が、オスヴァルトが与えられた盗賊としての隠れ家だった。
ギュンターがテーブルの上に広げたのは、街に掲示された貼り紙。軍が公式に発行したものであることを示すスタンプが押されたそれには、近頃街道に出没するという〈街道の狼〉なる盗賊団の情報が記載されていた。如何に強大な兵力を保持し、如何に残虐な悪行を働いてきたのか。ただし構成員の素性は全て不明となっている。
そして『襲われたら命を第一に守るべし』『金品を差し出して隙を見て逃げるように』『遭遇したら抵抗しようとせず街道警備隊へ』などとしつこいほどの注意喚起が踊っている。
「『盗賊団の構成員は少なくとも150人以上』……? さすがにかましすぎじゃないか?」
「こういうのは吹っ掛けられるだけ吹っ掛けとけばいいのさ」
ギュンターは食料の入った袋をドサリと床に下ろす。
「何か他に欲しいものとかあるか? 可能な限り希望は聞くぞ」
「大丈夫だ」
オスヴァルトは羽毛の入った触り心地の良いベッドを撫でながら答える。
「今までの部屋より何もかもマシだ。むしろ十分すぎて落ち着かん」
「あの部屋が酷過ぎるんだよ。で、装備の方は気に入ったか?」
「…………」
ベルトから下げた鞘から、ゆっくりと剣を抜くオスヴァルト。彼の大きな体躯に見合う、長物の両手剣。柄をしっかりと握り、銀色の刀身を見つめる。
「――重いな」
「すぐに慣れるさ。昔は軽々と振り回してただろう」
「振り回すような事態にならないことを祈る」
「違いない。そして最後に、これを渡しておく」
オスヴァルトが剣を鞘に納めるのを確認し、ギュンターは畳まれた青い布を手渡した。
広げてみると、それはフード付きのマントだった。
胸元にオオカミの意匠を基にしたエンブレムが描かれている。
「それが〈街道の狼〉のマークだ。それを目にしただけで誰しも恐怖に震え上がるような盗賊団をでっちあげる。さ、着てみろよ」
言われるがままにマントを羽織るオスヴァルト。その姿を眺め、ギュンターは満足げに頷いた。
「完璧だな。最恐の盗賊団の誕生だ」
■□ □■
「馬車を停めろ」
突然荷台に乗り込んできた男に剣を突き付けられ、御者台に座った商人は「ひっ」と声を漏らして手綱を引いた。
「と、盗賊か……!?」
「余計な口を開くな。金を全て置いていけ。抵抗しなければ命は取らん。逆らえば殺す。森の中から仲間が弓でお前の頭を狙っている。どうする。すぐに決めろ」
「そ、そんな……」
首に添えられた抜き身の剣から仰け反りつつ、商人は男の方を振り返る。
「――っ!? そ、そのマークは……!」
彼の視線は男のマントの胸元に描かれたマークに釘付けになった。
「そ、そのオオカミの印は……お、お前らがあの〈街道の狼〉……!」
「金を置いて命を拾うか、金を奪われ殺されるかだ。次に無駄口を叩いたら後者と見做す」
有無を言わせない盗賊の態度に、商人は泡を喰って懐から巾着を取り出した。
盗賊は巾着をひったくると、馬車から飛び降りた。
「さっさと街に帰れ」
「はひぃ!」
商人は馬車を方向転換し、ズィルバベルクへと引き換えしていった。
「……はぁ」
盗賊――オスヴァルトはずっしりと重い巾着を見下ろして溜息を吐いた。
街を救うためなのは理解している。
それでも、一抹の気持ち悪さは拭えなかった。
オスヴァルト・アラインは孤児だった。なぜ両親がいないのかは覚えていない。死んだのかもしれないし、ただ捨てられただけかもしれない。物心つく前に教会の孤児院に引き取られ、名前も神父によって付けられた。
孤児院の教育方針は「都市に奉仕する人材を育てること」であった。
銀の山の名の通り、銀山の齎す富で繁栄するこの街において、街の為に働き、街に必要とされる者になれば、生まれに関係なく食べていくことは出来るからである。
オスヴァルトは実直な少年で、頭の出来は並だったが、人より立派な体格と体力、運動神経、そして何より人一倍の奉仕精神を持っていた。
立派な青年に成長した彼は周囲の勧めで軍に志願。訓練兵時代には持ち前の身体能力と真面目さで最高の評価を受けた。
そして同期のギュンター・リンデマンらと共に街道警備隊に配属されて間もなくのこと、武器を横流しして私腹を肥やしたとして突然告発された。
当然オスヴァルトには心当たりがなく否認を続けたが、認められることはなかった。
それでも最初は都市を追放されるはずのところを、ギュンターを始めとした同期達の必死の陳情で除隊処分のみで済んだ。
軍を去り、生きる目的を失ったオスヴァルトは、その足で鉱山を目指したのだった。
銀を掘り、ズィルバベルクに尽くす為に。
そんな自分が、何の因果で盗賊などやっているのだろうか。
脂ぎった髪をボリボリと掻き毟った。
■□ □■
「どうだ、盗賊稼業の調子は」
「…………」
隠れ家に戻ると、食料を運びがてら様子を見に来たギュンターがビールを飲んでいた。オスヴァルトは複雑な表情を向け、先ほど脅し取った巾着をギュンターの胸元に投げた。
「うおっとと……おお、結構入ってる。上手いこといってるようだな」
「おかげさまでな」
ギュンターの情報は恐ろしく正確で、これまでにオスヴァルトが襲った商人は全員大人しく金だけ置いて逃げ帰ったので、今のところ剣を血で汚す羽目にはなっていない。
「〈街道の狼〉のマークを見た途端、どいつもこいつも怯えて金を置いていく」
「だろう? 〈街道の狼〉がどれだけ悪逆非道な連中か喧伝しまくっているからな。今じゃズィルバベルクでその名を知らない奴はいない」
「やりすぎじゃないか?」
「まだまだ。街の噂話程度じゃ、ケチな貴族様に金を出させるにはまだ足りない。それに、さっさと逃げてくれた方が剣を振るう必要無くていいだろう?」
「そうだが……」
オスヴァルトにとって勝手に自分の架空の悪行が都市中に知られていくというのはなんとも気色悪い気分だった。
本当に自分は元の鉱夫に戻れるのか、どうしても不安になる。
「それじゃあ、今回もこの金は匿名の寄付という形で被害者に返還していいんだな」
「ああ」
「お前も相変わらず律儀だな」
ギュンターは巾着に手を突っ込むと、金貨を一枚取り出し、テーブルの上に放り投げた。
「……おいギュンター」
「いいからとっとけって。あの商人は金貨一枚程度でどうこうなる資産規模じゃない」
ギュンターは巾着の口を締めて、懐にしまって立ち上がった。
「じゃあ次の標的が決まったらまた来る。鈍った剣の腕でも鍛え直して待っていてくれ」
ギュンターは空になったジョッキにビールを注ぎ、オスヴァルトの手に押し付けてさっさと隠れ家を出ていった。
静かになった小屋に立ち尽くしたまま、オスヴァルトはジョッキに目を落とす。おもむろに持ち上げて口をつけ、一気に呷り液体を飲み干した。
投げ捨てるようにテーブルにジョッキを置き、腰の剣に手を掛け、ゆっくりと鞘から引き抜く。両手でしっかりと握り、腰を落として構えを取る。
「――シッ!」
かつて積んだ修練の日々を思い出しながら突きを繰り出す。
「…………はぁ」
諦めたように息を吐き、剣をさっさと鞘に納め、ベルトから外して鞘ごとテーブルに放り投げた。