番外編5【三つの杯】
過去、現在、未来。
三つの杯を彼と交わす日がついにやって来た。
「緊張してきた、杯って最初蘇芳からだっけ? 私からだっけ?」
「蘇芳様からですよ。彼から渡されて口を付けたらまた蘇芳様に返してください」
豪華な調度品が品良くおかれた和室で、早くなってきた鼓動をなだめるように胸を押さえる。
先日蘇芳から飾り櫛を貰い結婚の申し込みを受けた私は、もちろん断るなんて真似をするはずもなく結婚式の日を迎えた。
緊張で落ち着かない私を見て桔梗や着付けをしてくれている女性たちが笑う。
維持者同士の婚姻ということで、自領他領問わずたくさんの人が出席することになっている結婚式。
転生前の世界の神前式とほとんど同じなのは助かったけれど大々的すぎて緊張がすごい。
前の世界と同じとはいえ経験がない事には変わりないし、何度も覚えて完璧にしたはずの式の流れが頭から抜けていきそうで怖い。
「桔梗、何かあったら助けてね」
「はい、わかっていますよ。私も自分の式の時はとても緊張しましたから、お気持ちはわかります」
「せめてその桔梗の式を見ていたら色々と変わったかも知れなかったのに」
緊張する私を見かねてか、着付けをしてくれていた内の一人が式の流れを初めから説明してくれるのをありがたく聞きながら化粧を施されていく。
蘇芳も今ごろは別室で準備中だろう。
私の準備は彼にもらった飾り櫛を頭につけられたところでようやく一段落だ。
最後に真っ白な綿帽子を頭からすっぽりと被せられる。
狭くなった視界が白で埋まった。
服の色はあの囚人服と同じなのに印象は真逆だ。
未来の終わりを感じさせる真っ白な囚人服と、明るい未来を思わせる真っ白な白無垢。
この服を着ることのできる喜びを、そしてその相手が彼であると言う幸福をかみしめる。
「撫子様、お父様とはお会いになられたのですよね」
「うん。式の日取りを伝えに行った時と今日の朝の二回だけだけど。義父さんは蘇芳側の親として式に出るから私の方には立てないからね。それに他領の人が大勢来る式で実の親がいるのに他の人に頼んだら後々面倒なことになりそう」
「そうですね。後々何か企みを持った人間に付け入られる隙はなるべく作らない方がいいでしょう」
「祝福はしてくれたし、儀式もしっかり務めるとは言ってくれたけど。少し話してみて色々とわかったこともあるし」
「わかったことですか?」
「うん。牢獄から出て最初に会った時はバタバタしてたせいか気が付かなかったけど、なんと言うか……父さんは未だに過去に、もしくは夢の中にいるのかなって」
受け答えはしっかりできるし、一見すると普通に見える父の目はどこかぼんやりしているように感じた。
これから変わるのか変わらないのかはわからないが、父の時間は今も母が死んだ時で止まっているのかもしれない。
「しっかりものだった母さんに頼ってほしいって父さんがよく言ってたけど、母さんの病気に気がつけなかった自分が許せないみたい。自分がもっと頼りになる男だったら、って。私から見れば母さんは父さんを頼っていたし、何でも相談していたように見えたんだけどね。話している内に父さんは姉さんを大切にしていたんじゃなくて、姉さんの向こうにいる母さんを大切にしてたんだなって思ったんだ」
姉さんのわがままを聞くのは、母さんが言わなかったわがままを聞いてあげている気分になっていたのかもしれない。
姉さんにかかりっきりだったのは、目を離した隙にまた病気になったり死なれたりするのが怖かったからなのかもしれない。
結局のところ、父さんの中には私だけでなく姉さんもいなかったのだろう。
何となく蘇芳の顔が思い浮かぶ。
私ならどうなるだろうか、突然彼に先立たれたとしたら何を思うだろうか。
百年間一人だった彼をまた一人にするのは嫌だが、自分が後に死ぬのも嫌だなと思う。
もっとも寿命ばかりはどうなるかわからない物なのだけれど。
永遠の時を生きる苦しみから、どちらかが置いて逝き、どちらかが置いて逝かれる未来への変化。
「……やめよう」
「撫子様?」
「あ、ごめん。なんでもないの」
せっかくのおめでたい日だ。
彼と夫婦として歩み始める日に考えるような事ではない。
準備が出来たと呼びに来てくれた人に続いて部屋の外に出た。
少し歩いた鳥居の前で、蘇芳が待っている。
こちらを見て優しく微笑んだ彼を見て慌てて下を向いた。
綿帽子があるので私の動きはわからないだろう。
いつもの蘇芳色の着物ではなく、黒の紋付袴の彼。
それがとても似合っていて頬が赤くなる。
こんな素敵な人が私の夫で良いのだろうか。
前世のゲームで彼が攻略できないキャラクターで良かったのかもしれない。
ゲーム中に彼との結婚イベントがあったらもう他のキャラは二度と攻略できなかっただろう。
もちろん今目の前にいる本物の彼の方がずっと素敵だし、例えあのゲームが今手元に来たとしてももう遊ぶ気にはならないけれど。
隣まで歩み寄った私に小さな声で彼が似合ってる、と言ってくれて更に顔に熱が集まった。
今日、私はこの人と夫婦になる。
そうして始まった結婚式、美しい音楽が奏でられる中で蘇芳の隣をゆっくりと歩く。
義父達や領主夫婦である桔梗たちも参列した花嫁行列は複数の鳥居をくぐり、神社の中へ。
斎主が述べる祓詞を聞いている内に不思議と落ち着いて来て、頭の中がすっきりした。
式が始まりしばらくして、目の前に大きさの異なる三つの杯が運ばれてくる。
一番小さな杯に巫女さんがお神酒を注いだものを蘇芳が受け取り、二度軽く口をつけてから三度目で飲み干す。
その杯にまたお神酒が注がれ、今度は私の手の中へ。
小さな杯は過去を意味する杯、先祖に向けた新郎新婦の巡り合わせを感謝する意味がある。
百年前に生まれた彼と出会うはずなんて無かったのに。
どこか投げやりな気持ちもあって入ったあの牢獄で、部屋の中に佇む彼を見つけた時の驚き。
出会った日を思い出して何だか泣きそうになる。
一度、二度、唇をつけて、三度目で飲み干しその杯はまた蘇芳の元へ。
二番目の杯は現在を意味する物、二人で力を合わせて生きていく意味の込められたもの。
今度は初めに私の方へ渡された杯を同じ様に三度目に口をつけた所で飲み干し、次に蘇芳が口をつけた物が戻されて、もう一度私が口に含む。
三番目の杯は未来を意味するもの。
安泰や子孫繁栄の意味がある杯。
一度目と同じく蘇芳から私へまわってきた杯に口をつけながらこれからを思う。
ずっと、彼と穏やかに過ごせればいい。
そこに彼との子供がいればもっと幸せかもしれない。
二人きりでも幸せな事に変わりはないけれど。
私が飲み終わった杯がまた蘇芳に戻され、口をつける彼。
彼も過去や未来に思いを馳せているのだろうか。
式はつつがなく進み、来た時と同じ様に美しい音楽に見送られてその場を後にする。
その後、各国の要人や親しい人間を集めて行われた食事会の様な物は大いに盛り上がった。
維持者同士の婚姻という事で参加していた領主様と桔梗、そして国の上役の人達との会話中、感極まったのか突然大量の涙をこぼしだした義父を見てその場が静まり返ったり。
何としてでも蘇芳と個人的に仲良くなりたいらしい領主様が笑顔でにじり寄っているのを桔梗と一緒に笑いながら見守ったり。
幸せな一日はあっという間に終わりを告げ、夜に家へ帰って一息ついた頃にはドッと疲れが襲って来た。
結局泣き続けた義父は私たち以上に疲れたのか、自分の家の方に戻って眠ってしまったようだ。
幸せになるんだぞと泣きながら私達の肩を叩いた力強い手、彼もまた私達にとって家族の一員なんだと心底実感できた。
家の和室で蘇芳と向き合って熱いお茶を飲んで息を吐き出す。
なんだか不思議な気分だ、私たちの関係を表す呼び名が変わっただけだと言うのに何かが大きく変わったような気がする。
「白は俺にとってあまり好きでは無い色だったのだが、今日の君を見ていたらそんな気持ちも無くなってしまったようだ」
そう話す蘇芳の顔は穏やかな微笑みを浮かべている。
白……あの牢獄の象徴ともいえる色。
「私も白無垢を着た時は不思議な気分だったよ。同じ色なのに囚人服とは全然違って」
「式の間ずっと俺は幸福で満たされていた。三献の儀のあの一番小さな杯、先祖にめぐりあわせを感謝する物だろう? 俺はあの時初めて心の中で兄に礼を言ったよ」
「えっ」
驚いた私を見た蘇芳が笑う。
「あの辛かった日々はもうすべて過去だ。今は、そしてこれからは君との未来を生きていく」
まっすぐにこちらを見てきた蘇芳が居住まいを正したので、私もつられるようにしっかりと正座した。
畳の上に座ってお互いにしっかりと見つめ合う。
「これから長い付き合いになると思う。あらためてよろしく頼む」
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。ずっと……なるべく長く、一緒に過ごそうね」
「ああ」
自宅だと言うのに姿勢を正してそう言葉を交し合っている事がなんだか面白くて、けれど幸せで。
零れた笑い声が二人分、綺麗にそろって部屋に響いた。
書籍化について
『パソコン持ち転生令嬢ですが、推しキャラと永遠の独房生活を満喫中です。』
一迅社様より、2020年3月3日に書き下ろしエピソード付きで発売となります!
イラストレーター様などに関してもこの先お知らせとして載せていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します!
また、書籍化作業の関係でこの作品の更新ペースが落ちると思います、申し訳ありません…!