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番外編3【定まらず、変わっていく思考】※本編終了後、元婚約者視点です

 ※本編終了後、元婚約者視点


 静かな波音を聞きながら水平線をじっと見つめる。

 この海の先、ずっと向こうが自分が生まれ育った場所だ。

 少し冷たい潮風が顔に当たったのと同時にため息が零れた。


 撫子が結婚したと聞いた。

 相手は聞かずともわかる、あの牢獄から出てきた時に撫子の隣にいた男、蘇芳色の囚人。

 俺が撫子を好きになって口説き続けた一年間と、牢獄の中で出会って過ごしたあの男と撫子の一年間。

 いったい何が違ったというのだろう。

 俺がずっと欲しかったあの恋慕の情を含む彼女の視線を当然の様に受け取っていた男。

 それと引き換えの様に今まで自分に向けられていた彼女の優しい視線は温度を無くしてしまっていた。

 彼女のあの目を見るまで、もしかしたらやり直せるのではないかと思っていたのだ。

 どれだけ彼女が拒否していると聞いても、そんな事は不可能だと言われても、心のどこかで彼女に許された未来を考えていた。

 牢獄から出てきた彼女に誠心誠意謝って、そうしたら今までの様に彼女は苦笑いを浮かべて、そうしてまた一緒にいてくれるかもしれない、そんな未来をどこかで期待していたのに。

 あの男を見る瞳に宿っていた溢れそうなほどの愛おしさを目の当たりにして。

 悲しみや苦しみの入り混じった痛みに襲われたあの瞬間を今でも覚えている。

 どうしても考えてしまう、周りの言う事を聞いて自分を見つめ直す事さえ出来ていれば。

 いつかは撫子からあの視線を向けてもらえていたのだろうか。

 皆が言っていた事はわかったつもりだ。

 しかし自分が心の底から納得するためには何かが足りない。

 もう少し深く考える事が出来ればもっと何かがわかりそうな、けれどわかってしまえば今までのすべてが否定されてしまいそうな気がして、いつも途中で思考は止まってしまう。


「……もう否定されたと同じなのかもしれないな」


 撫子はあの男と共に幸せになっているだろう、領民たちは新たな領主の元で幸せにしているだろう。

 民の幸せは俺にとってもありがたい事だ。

 彼らの笑顔を引き出しているのが俺でなくても、皆の生活が平和な物になっているのならばそれで良い。

 この流刑地に来てから色々と考える時間が増え、考えが変わった事もある、けれど変わらない事もある。

 ここである程度の生活の基盤が整っているのは領民達からの訴えがあったかららしい。

 俺の今までの行いに対しての恩情を、と皆が訴えてくれたと聞いた。

 その事があるからこそ、まだ俺は全てを否定されたわけでは無いと思いなおす事が出来ている。

 足元に打ち寄せる波をじっと見つめてから踵を返して海に背を向けた。

 手には貝殻で作った首飾り、それを握り締めて家への道を歩き出す。

 こんなもので彼女の機嫌が直る訳は無いのだが……胃がキリキリと痛むのに気が付かなかったふりをして歩を進める。

 心に残る未練はどうであれ、選んだ過程がどうであれ、俺が最後に選んだ女性は今の妻なのだ。


 深い森の中の整備されていない細道を抜ければ家が見えて来る。

 相変わらず監視の者に何かを訴えているような涙交じりの声が聞こえてきてため息を吐いた。

 監視の者が日常の世話を焼きながらそのやり方を教えてくれるだけでもありがたいというのに。

 妻もそうだが俺も生活の大半は使用人達がやってくれていた。

 一から自分で覚えるのはなかなか難しく、上手く行かない事も多い。

 それを楽しめるような精神状態では無い上に指導期間の終わりも近付いている。

 覚えなければいけないのだと何とか妻を説得したが、未だに納得がいっていないようだ。

 何を言われても自分というものを譲れない辺りは似たもの夫婦なのかもしれないな。

 苦々しい気持ちで家の扉を開ければ、こちらを振り返った妻がパッと笑った。


「おかえりなさい!」

「……ああ」


 こちらへ向けられた妻の笑顔は多少影はあれど、俺が欲していた恋慕の情がはっきりと読み取れる。

 これも俺が撫子ではなく妻の言い分を聞いた理由の一つなのかもしれない。

 人の感情はどうにもならないものだ、特に恋慕の情は。

 だからこそ俺は撫子に待つと言ったし、好きになってもらうための努力をするとも言った。

 けれど俺はどこかで焦っていたのかもしれない、口ではそう言いながらもう待てなかったのかもしれない。

 ……今となってはどちらでも良い事だが。

 いつの間にか監視の者は姿を消し、家には妻と俺の二人だけになっている。

 どこかで見てはいるのだろうが、専門の人間なのか俺でも気配を辿る事は出来なかった。


「ねえ、どうしてもあの首飾りは手に入らないの?」

「何度も言っているだろう、あれは領主の妻が持つ物だ」


 色々と諦めもついてきたらしい妻だが、今一番執着を見せているのがあの首飾りだ。

 領主の妻に代々受け継がれ、有事の際に金策に使うための物。

 彼女は最後まで国のために手放してくれる事は無かったが。

 取り上げられた装飾品や地位に関しては初めは文句を言っていた妻はもうその事には触れない。

 けれどあの首飾りだけはずっと気にして、何とか手元に戻らないかと騒いでいる。


「今はどこにあるの? まさか撫子が持っているわけじゃないでしょう?」

「持っているとすれば今の領主夫人だろう。だがおそらくはもう国の復興のために売られたと思うぞ」


 他の事の説得で忙しく後回しにしていたが、首飾りの件も諦めてもらわなければならない。


「なぜあの首飾りにこだわる?」

「だってあれは私が持つべきものでしょう」


 何を当たり前のことを、と言わんばかりの雰囲気だ。

 また出そうになったため息をぐっとこらえて話を続ける。


「あれは領主夫人の持つ物だ」

「ええ。だからあなたの妻である私が持つべきものでしょう?」

「俺はもう領主ではない。あれが領主夫人の持ち物だと言うのならば、今の領主の妻である桔梗殿が持つべき物だ」

「えっ?」


 また泣きだされるのかと思い眉間に皺が寄ったのが自分でもわかる。

 けれど大きく目を見開いた彼女からは予想外の反応が返って来た。


「そっか、そうね。あれはもうあなたの妻であることの証じゃないものね」

「……は?」


 思わず聞き返した俺をじっと妻が見つめて来る。

 そうして一度俯いた後、今まで騒いでいたのが嘘のように静かに口を開く。


「あれはあなたの妻が持つ物だったでしょう。他の女性じゃなくて、もちろん撫子でもなくて……私、私こそがあなたの妻であることの証。だったら誰にも渡したくない。でももう、そうじゃないのね?」

「あ、ああ、俺はもう領主では無いからな」


 今までの大騒ぎが嘘のように納得したらしい妻を見つめながら、いったいどういう事なのかと頭の中を疑問符が飛び回る。


「もう首飾りの事は良いのか?」

「え、だってあなたの妻が持つ物じゃなくなったんでしょう? ならもういらないわ。すぐに思い至らなくてごめんなさい、もし撫子が持っていたらって考えて焦っていたみたい」


 あっさりとそういう彼女に今度は俺がどうしていいかわからなくなってしまう。

 彼女は欲しい物が手元に来ないと騒ぐが、時々こんな風にあっさりと諦める事もある。

 自分が欲しい理由が無くなった時や、手に入れる価値が無くなった物の時。

 ならあの首飾りに執着していたのは金銭的価値が高いからでは無くて……あれを持つ事が俺の妻であることの証だからだという事なのか?

 彼女はおそらく俺が未だに撫子に未練がある事をわかっている。

 だからこその執着だったのかもしれない。

 

「それにしても、皆酷いわ」

「……何がだ?」

「だって、散々あなたに助けてもらったのに。ここでの環境を整えてくれたからなんだって言うの? もっと減刑を願ってくれたって良いじゃない」

「国を守れなかったのは領主だった俺の責任だ。今までの歴史の中でも、国を滅ぼしかけた領主は流刑か処刑になっている。流刑の上に生活基盤をある程度整えてもらっているこの状況は恵まれているんだ」

「だって! 結界の維持者が私じゃなかった事なんて私にもあなたにも責任なんてないじゃない! あの儀式が間違っているだなんて誰も知らなかった。むしろ選ばれたと思っていた私が恥ずかしかったくらいだわ。撫子が維持者だってわかっていれば私だって流石にあの場所へ入れようだなんて思わなかったもの」

「……結界の異常に早く気が付いてさえいればもっと他にやり方があったかもしれない」

「気が付いてからすぐにあなたは動いていたじゃない。自分でも刀を持って走り回って、色々な人を助けて。領主は自分から率先して動いちゃいけない、って何? それで助けられた人達だっているのに」


 ぎゅっと唇を引き結ぶ妻に今度こそ何も言葉を返せずに見つめ返す。


「私があなたと出会った時、変な人達に絡まれていた所を助けてもらった時は本当に嬉しかった。殴られそうになった時にあなたが割り込んで来てくれてすごく安心したわ。領民達だってそうじゃないの? あなたが助けた人たちは確かに存在しているのに、その人達は新しい領主の元で幸せにしているのに、どうしてあなたがこんな所に流されなきゃならないの? あなたが助けなかったらそもそも死んでいたかもしれないじゃない」


 彼女の言葉を聞いて胸の中に込み上げて来る何かに気が付いて、慌てて口元を押さえる。

 ……俺は今何を考えた?


「大丈夫? どうかした?」


 心配そうにこちらを見つめて来る妻に振り絞った声で大丈夫だと答える。

 俺が撫子をあの牢獄に入れたように、勝手な思い込みで流刑にした人間は他にもいた。

 その人の人生に取り返しのつかない事をしてしまった自覚はある。

 領主としての責任を放り出して、自分がやりたいように動いていた事もわかっている。

 わかったふりをして、人の意見に耳を貸さなかった事が俺の罪だと思っている。

 ……思っているのは確かだ。

 それでも、彼女の言葉に同意してしまいそうだった。

 俺がやった事はそんなに責められるほどの事なのか?

 あの時命を助けた子供は、俺がいなければ死んでいたかもしれなかった。

 なぜ助けた俺が母親から責められなければならない?

 俺が助けた人々は、なぜ今俺を助けてはくれないのだろう。

 いや、助けてはくれているのだ、だからこそこの家や周囲の環境がある。

 じわじわと湧きあがってきた黒い思いを打ち消すように必死に頭を働かせた。

 嫌だ、こんなことは考えたくない。

 今まで散々人に言われても曲げなかった自分の信念が一歩間違えればひっくり返ってしまいそうな恐怖。

 領民達が幸せになっているのならばいいではないか、それが領主として生きて来た俺のやるべき事で、誇れる事だ。

 そして無実の人間に勝手な思い込みで死ねと言った事は領主として、人間として許されない事だ。


 だがすべて俺が悪いのか?

 

 人を助けたいと願い動く事は良い事だと皆言ってくれていたじゃないか。

 いや違う、俺が此処にいるのは領主として国を守れなかったからで、他の事は関係無い。

 じわじわと湧きあがってくる黒い思いに必死に蓋をする。

 嫌だ、嫌だ、この気持ちを認めてしまえば俺が俺で無くなってしまう。


「ねえ! 本当に大丈夫?」


 俺の腕を掴んで揺さぶる妻の瞳には俺を責めるような色は浮かんでおらず、感じられるのは心配と好意だけだ。

 俺を騙して、撫子に無実の罪を着せるきっかけになった女。

 彼女さえいなければ優秀な人材を追い出すような真似もしなかったかもしれない。

 それが無ければ結界の事があってもなんとかなったかもしれない。

 けれど今はその彼女が俺の唯一の肯定者だ。


「なんでもない、少し考え事をしていただけだ」


 そう言って握っていた貝殻の首飾りを差し出す。

 砂浜に落ちていた美しい貝殻に紐を通しただけの子供が持つような首飾り。


「え、もしかしてあなたが作ったの?」

「ああ、あの首飾りとは比べ物にならないくらいのおもちゃだがな」


 そんな俺の言葉など聞こえていないかのように嬉しそうに笑う妻。

 彼女が喜ばないと思っていたのも俺の思い込みだったようだ。

 これも皆が言っていたような俺の悪い部分なのだろうか。


 思考が纏まらない、考えるのが面倒だ。


 今嬉しそうに笑っている妻もしばらくしたらまたぐちぐちと文句を言い始めるだろう。

 それを聞いている内に嫌な気分になり、けれど変わらない好意に救われての繰り返しだ。

 そうやって俺を否定せず愛してくれる彼女だからこそ、撫子の件があっても責められないのだろう。

 いや、撫子の件に関しても最終的な判断を下したのは俺だ。

 永遠の牢獄はここよりもずっと、比べ物になら無いくらいに最悪な場所だった。

 だが結果的には彼女はもう外にいて、牢獄で出会ったあの男と幸せになっている。

 代わりのように俺たちがこの場所に来たのだ。

 彼女と違って俺たちはずっとこのまま、ここで過ごさなければならないのに。

 逆の立場ならば許せると思っていた、だが……


 嫌だ、また妙な思考になっている。


 妻も俺もこの場所で幸せだと感じる事はほとんど無い。

 今目の前にある妻の陰りの無い笑みだって久しぶりに見た気がする。

 ずっと感じていたやりがいや、生きる意味、自分の信念。

 それらすべてを取り上げられて、もう何もする事が出来なくなってしまった空虚感。

 妻の事も心から愛しているわけではない。

 それを敏感に察知しているからこそ、妻も不安に付きまとわれて幸せだと思えないのだろう。


 俺が妻と共に自分を見つめなおして穏やかに過ごせるようになるのが先か、すべてを捨てて妻と同じ様に他人を恨んで過ごすようになるのが先か。

 どれだけ我が儘でも、己への好意だけは変わらないこの瞳に俺は負けずにいられるのだろうか。


 死ぬまで妻と二人きりのこの場所で、俺はいつまで俺を保っていられるのだろう。



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