番外編【期間限定の幽閉生活】
「何だかずいぶん久しぶりな気がするな」
「まだ出てから二か月くらいなんだけどね」
牢獄から出て早二か月が過ぎ、私と蘇芳さんは調査の為にまた牢獄内へ戻って来た。
本当は一か月ほどで戻ってくる予定だったのだが、色々な手続きや作業が多く、なんやかんやとやっている内に時間が経ってしまったのだ。
初期の真っ白な部屋で、二人で顔を見合わせる。
「相変わらずここは静かだな。外の慌ただしさが嘘のようだ」
「結界と新しい領主様のおかげで安定はしたけど、完全に復興するのはまだまだ先になりそうだもんね」
結界が復活したとはいえ生まれ故郷に帰ってしまったり他領へ行ってしまった人たちも多く、町の状況が元に戻るにはまだまだ時間が掛かりそうだ。
桔梗の夫である新領主様は多少の戸惑いと共に人々に受け入れられたが、復興に尽力してくれている事もあり評判はかなり良い。
魔獣によって壊された家々は、元々領主様が統治されていた領地の人々からの手助けもあり順調に建て直されている。
新たな体制にようやく皆が慣れ、町にも徐々に活気が戻ってきた頃、私と蘇芳さんは新たな維持者として町の人達に紹介される事になった。
一か月ほど蘇芳さんの様子を見ていた領主様が、これなら公表しても問題無いだろうと判断した結果だ。
そうして結界が安定し、一カ月ほどならば私達が離れても問題無いくらいに力が蓄積されたのを確認して、私達はこの牢獄に戻って来た。
調査のために手渡されたのは何だかよくわからない術のかかった箱と札。
札を部屋の外側に張って箱を一日一回観察し、箱に起きた変化を書き留める事が仕事らしい。
もし可能ならば外の空間の様子などで気が付いた事を教えてほしいとも言われたが、まずは自分の身の安全を一番に考えてほしいとの事。
何かあればすぐに脱出してきてほしいと言われ、必要な物も貰ってある。
今の所この空間を自由に出る事ができるのは、私の元婚約者だったあの人と同じ血筋の人達だけ。
つまり同じ血を持つ蘇芳さんがいて、更に必要な物を持っている私達は自由に出入り可能という事だ。
とはいえ調査の時間以外はすべて自由時間なので、一か月休暇を貰ったようなもの。
よほど何かが起こらない限りは二人ともここから出るつもりはない。
「とりあえず調査用の箱はこっちの部屋に置いておいて、向こうの部屋に物を出しちゃおうか」
「そうだな、この大量に持たされた荷物はどうする?」
「混ざったらわからなくなりそうだし、こっちの部屋の方に置いておこうか」
私達の視線の先にはこれでもかと言わんばかりに持たされた娯楽品などがある。
ここに調査のために入るために準備していた際、以前約束した通り物の持ち込みは自由なので必要な物は用意するから言ってほしいと言われたのだ。
牢獄内では自由に物が出せるとはいえ、それは蘇芳さんと私の秘密だし、何も持って行かないのはおかしいので蘇芳さんと二人で相談して怪しまれない程度の量の物を頼んだつもりだったのだが、二人とも牢獄での日々に慣れ過ぎていたせいか他の人達からしてみれば物凄く少ない物資量になっていた事に気が付かなかった。
結果、私達が遠慮したのだと取られてしまい、桔梗どころか領主様からもこれも持って行けあれも持って行けと色々持たされてしまったのだ。
断るのはそれこそおかしな話だしすべて受け取っては来たのだが。
「君が出した物が万が一にでも混ざるとまずい事になるだろうな」
「壁で部屋を区切って入れておこうか。使ったら確実にそこに戻すって事で」
「そうだな、食料品の類は食べてしまおう」
「食べ物はいくらあっても嬉しい物だしね」
隠した扉の先の部屋に行き、片付けておいた家具をどんどん設置していく。
一先ず二人で過ごす部屋の方から設置していき、棚の中に詰めたものを整理しながら出していった。
「これはどこに入れていたのだったか」
「隅の棚の中だった筈……たぶん」
二か月戻ってこなかっただけで細かい物の配置が思い出せなくなっている事に笑いながら、半日以上をかけて二人で過ごしていた頃の部屋に戻していく。
柔らかなラグ、正面に設置されたスクリーンとテーブル、そしてソファ。
懐かしい気分になりながら、二人でソファに腰掛けてぴったりとくっつく。
約一年の間過ごして来た二人の定位置だ。
少しの間が開いて蘇芳さんがため息を吐く。
嫌な事があったというよりは一段落のため息だろう。
「疲れた?」
「そういう訳では無いが、なんだか不思議な気分でな」
部屋の中をぐるりと見渡して蘇芳さんが笑う。
「まさかこの牢獄に来て安堵する日が来るとは思わなかった」
「……外は嫌?」
「まさか。皆良くしてくれる。百年前よりもずっと過ごしやすいさ。ただ……」
「ただ?」
一瞬間を開けて、膝の上に軽い衝撃と重みが加わる。
驚いて下を見れば私の膝の上に頭を乗せた彼と目が合った。
楽しそうに笑っている彼を見てなんだか力が抜ける。
「俺の監視役のあの御仁も気の良い方だ。監視といえど嫌な気分になった事は無い。俺の話をしっかりと聞いてくれるし、俺なんかとは比べ物にならないほどの知識もあって話をするのも楽しい。この間は碁盤を囲んだのだが、なかなか勝たせてもらえなくてな。数度勝負して、今は引き分け状態だ。調査が終わったらまた勝負しようと言われている」
「あの人相手に勝てるのもすごいと思うけどなあ」
「いつも僅差だがな。それにあの方は俺が久しぶりの外を感じられるように庭での囲碁や散歩も誘ってくれる。鍛錬をすれば助言もくれるし、監視されているというよりは面倒を見てもらっている気分だ」
「それでこの間は朝早くから庭の木の下で碁盤を囲んでたんだね。朝そっちに行ったら二人とも地べたに座り込んでいるから何事かと思ったよ」
「……風も、自然の光も、土を踏みしめる感覚も、誰かと話すという事も。俺が彷徨っていた百年間で渇望していた物が全てある。ただ一年間ずっと君と二人で過ごしていた事に慣れていたから、君が隣にいないのが寂しい」
「えっ」
膝の上からじっと私を見上げて来る彼の視線にたじろいでしまう。
確かに私もくっつけないのは少し寂しく思ってはいた。
けれど同じ家には住んでいないが、同じ敷地内の家には住んでいる。
彼らの住む家の離れのような場所が、新しく私に与えられた家だ。
離れといえども一軒家なので一人暮らしには少し大きいのだが。
夜は一人の家に戻るが、昼間は彼らが住む家の方にお邪魔しているので一緒に過ごす時間は変わっていない。
「君は近くにいるとはいえ、ここで過ごしていた時の様に四六時中くっついたままという訳にはいかないからな。監視は覚悟していた事だし、生活の窮屈さもわかっていた事だ。覚悟していたよりもずっと過ごしやすいが。だが、君とここまで触れ合えないとは考えていなかった」
「……それは私もだけどね」
人の目が無いからこそのべったり加減だったのだ。
外に行けば他に人もいるし、蘇芳さんに至っては監視付きだ。
多少くっついても何も言われないだろうが、ここで過ごす時のように常にべったりするのは流石に気まずい。
人目がある環境からしばらく離れていたので、外に出てからあまりくっつけない事に気が付いてがっくりしてしまった。
今までが密着し過ぎだっただけなのだが、習慣って恐ろしい。
膝の上に広がる彼の髪に触れながら、視線を交わして笑い合う。
久しぶりに、二人きりの時間だ。
「今日は何する?」
「久しぶりにあの機械で星が見たい」
「いいね、何も出してない方の部屋に行く? あっちの方が綺麗に見えると思うけど」
「今はあまり動きたくない気分だ。ここで良いんじゃないか」
「……そうだね」
少しだけ手を伸ばして、近くに置いてあったプラネタリウムを起動する。
体を起こした蘇芳さんがラグの上のテーブルを少し移動させて二人が寝転がれるだけのスペースを作った。
蘇芳さんの隣に寝転がってから照明を消すと、前に白い部屋で見ていた時よりはぼんやりとだが人工的な星空が広がる。
ソファとテーブルに挟まれた狭い場所で、彼とくっついたまま寝転がって見上げる天井。
たった二か月とはいえ、一緒に過ごしていたとはいえ、出会ってからずっとここで過ごしてきた時間の様に触れ合う事は出来なかった二か月間。
その間に離れていた距離をお互いに埋めようとしているのかもしれない。
「監視が終わったら、外でも同じ家で一日過ごせるようになるね」
「そうだな。真面目に過ごして、きっちり一年間で終わらせてもらうとしよう。それにしても昼間は一緒で夜の間は君と離れているのはここで過ごしていた時と同じなのに、なんだか距離が開いてしまった気がするな」
「確かに。あ、そういえば実際に外に出てみて何かしたい事はできた? ここを出るって決まってから話した事以外に」
「……」
少し戸惑ったような雰囲気になった蘇芳さんが、少しの間をおいて口を開く。
「実は、最近色々と悩んでいた」
「悩み?」
「ここを出てからしばらくの間はそれこそ久しぶりの外を感じるので精一杯だったが、一か月を過ぎて落ち着いて来た辺りで色々と戸惑ってしまってな。百年前は評価はされなくても政治には関わっていたし、魔獣の討伐なんかもしていた。だが今は……」
「する事が無い?」
「維持者としての役割はあるが、それは俺という存在があればいいだけで何かする必要は無い。魔獣の討伐に率先していく事はそれこそもう無理だろう。領地を守る結界の要である維持者が率先して危険に突っ込んでいくわけにはいかない。何かあった時のための鍛錬はするがな。政治に関しても監視付きの人間が関われるものでは無い。生き方ががらりと変わるというのは、なかなか難しい物なんだな」
真面目な人だな、なんて思って笑う。
私なんて何もしなくて良いと言われたら喜んでしまうと思うが。
いや、でも本当に何もしなくて良いと言われて周りがせっせと働いていたら罪悪感は覚えるかもしれない。
「生き方が変わったなら、やれることも変わるんじゃない? ここで過ごす間に一緒に考えてみようよ。時間はいっぱいあるんだし」
「ああ。ありがとう。なんにせよ、すべては監視期間が終わった後だ。今色々と動いては逆に周りに迷惑だろう」
「しばらくはここでも外でも引きこもり生活だね」
笑い交じりでそう言えば、彼もおかしそうに笑った。
外に出た事で、彼の目の前にはたくさんの選択肢が広がっているのだろう。
それこそ今は見えない範囲まで沢山の事が。
私ももう家には戻らないつもりだが、なにかしらはしたい所だ。
桔梗がバリバリ働いているのに、のほほんとしているのも申し訳ないし。
隣の彼を見れば、その視線は天井に固定されている。
どうせなら、彼と一緒に出来る事は無いだろうか。
私も彼の監視期間が終わるまでの間に、色々と考えてみる必要がありそうだ。
でも今は、後少しだけは……ここで過ごす間くらいは、彼と二人でのんびりと過ごしたい。
「夜になる前には寝室と風呂場も設置しないとね」
「そうだな……寝室は一緒でも良いだろう? 外では君と二人きりにはなれないんだから」
「えっ? まあ、うん。いいよ、そうしよう」
少し悩んだが、囚人以外の生命がどうなるかわからないような場所で蘇芳さんが手を出してくる事は無いだろう。
桔梗が派遣する予定の調査員だって、色々な術を使って入る予定らしいし。
最後の日、彼の腕の中で目覚めた幸福感を思い出す。
恥ずかしくはあるが、あの時の幸せな気持ちをまた味わえるのならばそのくらいは我慢できる。
そうして、久しぶりに入った二人きりの牢獄生活は幕を開ける事になった。
以前とは違い、いずれ訪れるであろう暗い未来を考えない様にしていた日々ではない。
時間が来れば外に出られる、けれど二人きりなのも外には無い道具に囲まれているのも変わらない期間限定の幽閉生活だ。
出入りが自由な以上、幽閉とは言えないかもしれないが。
幸せな気分に浸りながら、少しぼんやりとしている星を見上げた。