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再会

 開いていく扉の先、光の向こうには桔梗夫婦と部下、そして私の元婚約者がいるはずだ。

 小さくため息を吐いて嫌だな、と呟く。

 あの人の性格的にこちらへ攻撃してきたり責めてきたりする事は無いだろうが、自分に対して死ねというのも同然な刑を与えてきた事に変わりない。

 ある意味安全な牢獄内の時は軽く考えていたが、そういう風に言ってきた相手に会うというのは嫌な気分になるし多少の恐怖もある。

 特に話したい事も無いし、謝罪の言葉だって欲しくない。

 出来るなら会話をせずに終えたい所だが、そうもいかないのだろう。

 姉さんが自分の主張を崩さずに訴え続けたおかげで、私との復縁は無いのだとあの人が思い直してくれた事だけが救いだ。

 もう一度ため息を吐いた私の顔を覗き込んだ蘇芳さんが、私の手を取ったまま立ち上がり軽く腕を引いてくれる。

 扉の前まで行った時、一番前に立っていたのが桔梗だったことがわかり彼女の名前を呟いた。

 私の呟きを聞いた蘇芳さんが一緒に外に出ながら、そっと背を押してくれる。


「撫子様……」


 ゆっくりと抱き着いてきた桔梗の背に自分でも腕を回す。

 同じくらいの身長だったはずなのに今は彼女の方が少し高く、顔立ちも大人びている。

 スクリーンで見て知っていた筈なのだが、直接会った事でそれを強く実感する事になった。


「そっかあ、桔梗の方が年上になっちゃったんだもんね」

「はい、でも撫子様がお元気そうで良かった」

「うん、色々ありがとう」


 話したい事はたくさんあるけれど、何を言って良いか分からなくて今はお礼を言うだけに留める。

 私達の様子を笑顔で見守っている桔梗の旦那さんの後ろから聞きたくない声が響いて来た。


「撫子、その」


 視線を向ければ、元婚約者が以前と変わらず姿勢良く立っていた。

 私の視線を受けた彼の表情が少し驚いたものに変わった後、何かを堪えるようなものに変わる。

 彼が一歩こちらに踏み出したのが見えて思わず一歩下がれば、視界に見慣れた色が映った。

 私の前に蘇芳さんが立ったことで視界いっぱいに彼の服の蘇芳色が広がっている。


「蘇芳さん」


 そう声を掛けて彼の服を引く。

 気が付いたらしい彼が振り返り、私の顔を見て少し笑った。

 その笑顔を見てホッとして、同じように笑みを返す。

 あら、と桔梗の笑い交じりの声が隣から聞こえた。


「そうか、あなたが……」


 そう口にしたあの人がその場で頭を下げる。


「牢獄で撫子を支えてくれた事、感謝申し上げる」


 相変わらずどこかズレている人だ、という感想しか出てこない。

 実際に本気で言っている所が更に質が悪いというか。

 それに返す蘇芳さんの声はとても落ち着いたものだった。


「貴殿にそれを言われる謂れはない。救われたのは俺の方で、彼女には感謝してもしきれない。だからこそ、今貴殿に彼女に話しかけてほしくはない。己へ死の判決を下した男に会う事がどれだけの恐怖か、その程度の事は想定していただけるだろう」

「それは、だが俺は……」


 おや、と思う。

 なんだか前よりは人の話を聞いているような気がする。

 牢獄に入る前の彼ならば、蘇芳さんの言葉などものともせずに私の前に立ち頭を下げるくらいの事はするはずだ。

 さっき目が合うまでの彼の空気はそれくらいしそうな雰囲気だったので少し拍子抜けしてしまう。


「貴殿から見れば犯罪者が何を、と思うかもしれないが、俺にとって彼女はかけがえのない人だ。その彼女が恐怖を感じているというのに後ろに引っ込んだままではいられない」


 私の赤くなった顔を見て、手を握り合っている桔梗がおかしそうに笑う。

 あの人の向こうに立っている桔梗の旦那さんも穏やかに笑ったままだ。

 周りの空気と、握った手から伝わってくる桔梗の温かさと、何よりも私を庇ってくれる蘇芳さんを見て覚悟を決める。

 どっちみち、元婚約者として最後に話さなければならないとは思っていたのだ。

 彼に伝えたいと思っていた事もある、桔梗と繋いでいた手を放して蘇芳さんの隣に並ぶようにして彼の前に立った。

 心配そうな視線を向けてくる蘇芳さんに笑みを返してから、あの人の顔を見る。

 そこで初めて彼の表情が酷く絶望的な物へと変わっている事に気が付いた。

 私達の様子を見て唇を噛み締める彼に向かって口を開く。


「まず、ごめんなさい。あなたからの告白を受け入れた時から最後の時まで、あなたに対して恋愛感情は持っていなかった。あなたの告白を受け入れたのは、私が家族が欲しかったから。あなたなら、家族になったらきっと最後まで大切にしてくれると思ったから。一緒に過ごしている内にきっと愛は育っていくだろうって思ってた」

「…………」

「でも、結果は今の通り。あなたは私の訴えに耳を貸さず、姉さんの事を選んで私をこの牢獄に入れたね。あの時、あなたが私を牢獄に入れると宣言した時から、私はあなたの顔を見たくなかったし、こうやってあなたと話をするのも嫌だったし、蘇芳さんが言ってくれた通り少し怖かった」


 無言でこちらを見つめて来るあの人の目をしっかりと見返す。


「きっと私とあなたの立場が逆なら、あなたは私が謝れば許すんだろうね。でも、私はあなたじゃない。何かがあった時に抱く思いは人それぞれで、自分はこうだから相手もそうだろうって言うのは通じない。私、何度もあなたに伝えたわ」

「……ああ、覚えている」

「私はあなたを許せない、どれだけ謝られたとしても、私を信じてくれなかったあなたの事を、私の言葉を聞いてくれなかったあなたの事を許せない」


 私の言葉に返事を返さず、少しうつ向いたあの人が静かに目を閉じる。

 そして一拍おいてから、小さな声で話し出した。


「……君とやり直せない事は色々と聞いていてわかっていた、つもりだった。だが心のどこかで領主を続けながら君が隣に立つ光景を思い浮かべてもいたんだ。俺が何かしでかした時に止めてくれる君がいる事が俺が領主を続ける条件だったからな」


 いつでも真っすぐに前を向いていた彼がうつむいたまま、それもここまで絞り出すような声で話しているのは初めて見る。

 

 「君が俺に恋愛感情を抱いていないのはわかっていた。そもそもそういう条件で君と恋人同士になったんだ。君が俺に恋をしてくれるように努力するのは俺の役目だった。それでも、恋では無くても君が俺に向けてくれる視線は好意的な物だったから、すごく居心地が良くて……君と再会した時、またあの目が見られるとどこかで勝手に思い込んでいたんだ。手放したのは俺だと言うのに」


 ゆっくりと顔を上げた彼の目が泣きそうに歪んでいる。

 それでも私の心は不思議なくらいに動かなかった。


「牢獄から出てきた君の目を見て、君の視線が彼に行ったところを見て、俺が何をしようとも君が俺の所に戻らないという事を初めて実感した。どうしてあの時、君を信じなかったんだろう。どうして俺は思い込みで行動するなという君の説得をしっかり聞かなかったのだろう。どうして……俺は君をそこにいれてしまったんだろう、そこに入れさえしなければ、君と彼は出会わなかったのに」


 ゆっくりと視線を上げた彼の目が静かに私を見つめる。

 こんな風に落ち着いた状態で話せたことは初めてかもしれない。


「すべては過ぎ去った事だ。俺がやった事は変わらず、君の思いももう変わらないだろう。俺は俺の罪を償う。妻を、君の姉さんの事を捨てるつもりはない、今の俺の妻は彼女で、それが俺の選んだ道だ。もう君と会う事も無いだろう。本当はもっと、色々言いたい事や伝えたい事もあるが、これを伝える資格が自分に無い事だけはわかった。だが……許さなくてもいい、これだけは言わせてくれ。すまなかった」


 それだけ言って頭を下げた彼の視線が蘇芳さんの方を向き、しっかりと姿勢を正してもう一度深々と一礼した。

 少し驚いた様子の蘇芳さんへ、そして私へ背を向けて、振り返らずに部屋を出ていく。

 周りにいた桔梗の夫の部下であろう人達がその背を追うのを見送り、大きく息を吐き出した。


「思ったよりもあっさり終わりましたね」

「あの人には悪いけどホッとしてる。蘇芳さん、庇ってくれてありがとう」

「話をしたのは君だろう。俺は少しの間君の前に立っていただけだ」


 そう会話する私達を見て桔梗が苦笑した。


「今までたくさんの誰かが訴えてきた言葉よりも、もっと彼の胸に突き刺さる物があったのでしょうね」

「え?」

「彼も言っていたでしょう? 撫子様が分かりやすいという事です」


 ふふ、と笑った桔梗が私の隣から夫の、新たな領主様の隣へと移動する。

 少し空気が固くなったような気がして背筋を伸ばす。

 領主様が穏やかな笑みのまま口を開いた。


「出てすぐに申し訳ないが、鏡の儀式をやり直させてもらいたい。色々と説明したい事もある、しばらく慌ただしいが、よろしく頼むよ」


 今更反抗する理由も無い、彼の言葉に頷いて移動を開始する。

 開けた扉の先、窓から差し込む光に眩しそうに目を細め、そこから見える葉が散り始めた木々を見つめる蘇芳さん。

 移動は止まってしまったが、その場にいる誰もが何も言わずに少しの間待っていてくれた。


 それからは随分忙しかったように思う。


 鏡の前では身元引受人を引き受けてくれたあの人が待っていた。

 私の顔を見て力強く頷きながらよく戻った、と投獄前と同様に手を握ってくれる。

 そのまま私の隣にいた蘇芳さんの顔をじっと見つめた後に小さく頷き、しっかり見させてもらうぞ、と告げた。

 よろしくお願いします、と返した蘇芳さんをじっと見つめながら、ああとだけ返して部屋を出ていく背を見送る。

 

 鏡は光を二股に伸ばし、私と蘇芳さんの胸元をそれぞれ指し示す。

 私達が一歩横に移動しても光がついて来たことにホッとしつつ、私達の外の世界での生活は始まった。






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