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過ぎ去った日々の事

 几帳面な印象を受ける文字が、傾きもゆがみも無く真っすぐに並んでいる。

 私の元婚約者もこんな感じの字を書いていたな、なんて思いながら蘇芳さんと一緒に文字を追っていく。

 日記というよりは日誌のような印象を受ける程に一日当たりの文章は短いが、毎日少なくとも一言程度はつけられているようだ。

 蘇芳さん曰く、兄弟二人揃って頭の中を整理するために起こったことや思ったことを書き留める習慣があったらしい。

 もっとも蘇芳さんは百年の間書いていなかったせいで、その習慣は無くなってしまったそうだが。

 一日に一言か二言程度の文章でまとめられている日記の一ページ目は、蘇芳さんのお兄さんが結界に異常を感じた所から始まっていた。


『町の隅で魔獣が目撃された。結界をすり抜ける事等あるのだろうか』

『どうもおかしい、反乱の混乱が落ち着いて来たというのに魔獣の事で民に不安を与えるわけにはいかない。監視と討伐の人員を増やす』

『やはり魔獣は町に侵入してくる、結界の範囲が狭まっている様だ。町へ入れさせない為に更に体制を整える』

『民には何とか知られずにすんでいるが魔獣討伐の人員が足りない。仕事も今まで出来ていた物が妙に時間がかかる様になった』

『母が自分の部下達をこちらへ回してくれ、妻も協力してくれる。これだけの人数が揃えば魔獣を町に入れる事無く討伐できるだろう』


「これ……もしかして蘇芳さんが此処に入れられてから結界が無くなるまでに時間があったのって、この人がすぐに気が付いて対策してたから知られてなかったってだけ?」

「そのようだな。今回一気に被害が広がったのは君が此処に入れられた後に結界の異常に気がつかず、魔獣が町に完全に入り込むまでに対応が間に合わなかったからだろう」


 つまり蘇芳さんのお兄さんは結界の効果が切れ始めてから自分が死ぬ直前まで、町の人たちに知られる事無く魔獣の討伐を指示していたのか。

 今回とは違って母親や奥さんが協力者なのも大きいのかもしれない。

 パラパラとページをめくっていた蘇芳さんの手がピタリと止まる。


『母や神職の方々の隙をついて一人で鏡の前に行く。鏡は俺に向かって光を伸ばさなかった』

『蘇芳の部下だった男に会いに行く事にする。家族の安全を盾にした俺への心象は悪いだろうがそうも言っていられない』


 やはりそうか、と小さく呟く声が聞こえた。

 部下と言うのは蘇芳さんが前に裏切られた、と言っていた人の事だろう。

 そのまま更に次のページを読み始めた蘇芳さんになんて声を掛けていいのかわからず日記に視線を戻せば、次のページの一部に目が吸い寄せられる。

 今まで几帳面に揃えられていた文字が崩れていた。


『蘇芳の言っていた事は全て正しかった』


 書いた時の混乱を表すかのように乱れた文章と、震える文字。

 今まで毎日書かれていた日記はそこからしばらく日付が飛び、再開された時には元の几帳面な文字へ戻っていた。


『永遠の牢獄と結界についての研究を始める事にする。蘇芳の部下だった男が手伝ってくれる』

『部屋に置いたはずの牢獄の資料がすべて無くなっている』

『資料のすべてが母に処分されていた。母の息がかかった部下が持って行っていたようだ』

『資料を集めなおした。いつの間にか周りの部下たちには母の手が回っている。この件に関して信頼できるのは蘇芳の部下だけだ』

『母をごまかす事は出来たがおそらくあの納得は表向きだろう。蘇芳の部下を正式に雇い、資料の管理を頼む』

『何故母はかたくなに蘇芳の事を拒むのだ。何故俺は蘇芳がいる間におかしいと気づかなかったのだ』

『蘇芳の部下を雇ってから妙に時間がかかる様になっていた仕事が上手く回る様になった。彼がやっている仕事が蘇芳が今までやっていた物なのだろう』

『蘇芳が維持者ならば少なくとも出す意味はあると訴えたが母は聞く耳を持たない。自分に忠誠を誓ってくれる部下を増やしていなかったことが悔やまれる』

『神職の連中が儀式の間違いを認めない、領主すら儀式の間に入れないとはどういう事だ』

『母と神職が敵に回っている状態だ。彼らの協力は諦め、今のままの人数で蘇芳を出す手段を見つけることにする』

『母をごまかす時間が惜しい、研究が進まない。魔獣討伐の件を任せているせいで強く出る事も出来ない。せめて神職の連中がいなければ』


 数年かけてつづられていた日記には、牢獄の研究中の出来事が細かく綴られていた。

 最後の文字の筆跡はかなり力強く、相当苛ついて書いたのだろう事が見て取れる。


「母は、俺に何の恨みがあったのだろうな」

「蘇芳さん……」

「あの時、領主としての地位こそ兄の物ではあったが実際に権力があったのは母の方だ。あの状態では兄がどう動こうとも母の方に部下はついただろう。それまで母と兄の考えは一致していたから大した問題は起こっていなかったが」

「領主は自分だから言う事を聞け、って言うのも無理な環境だったの?」

「当時政治に関わっていた人間たちは大半が父の部下だった人間だ。父が死に後を継いだのは幼い兄、その代わりに長年政治を回していた母の方が影響力は強いし、下手をすれば領主よりも権力の強い神職が母についている。無理に役職持ちの人間を変えても大きな反発があっただろうし、俺が反乱を起こしていたという事実に間違いは無い。魔獣の討伐も同時進行でやっていたなら尚更手が足りないだろうな。時間をかければ可能だっただろうが……」


 言葉を切った蘇芳さんの視線は日記の続きへと向けられている。

 少しだけ唇を噛み締めながら複雑そうな顔で文字を追う彼に倣って私も視線を戻した。


『血を吐いた、体がおかしい。妻が心配するので医者に診てもらう事にする』

『なぜ今なんだ、なぜ』


 書いた本人が握りしめたのか、ぐちゃぐちゃに皺が入った跡をじっと見つめてから蘇芳さんがページをめくる。

 そこから数年間、病と闘いながら研究を続けていたらしい彼の日記は、初めて見る長い文章を最後に別の人間の物へと変わっていた。


『どうやらもう体が限界のようだ。妻と子には残せるだけの物を残した。研究は部下に引き継いでもらう。母はまだ病気知らずなほど元気だ。本来ならば喜ばなければいけない事だが、これ以上研究の邪魔をされてはかなわない。部下には少し離れた場所の領地を与え、そこで研究を続けていってもらう事にする。可能ならば俺が生きている内に蘇芳を出したかった。何を言っても俺がやった事は変わらない、これは自己満足でしかないが、蘇芳、すまない。他にも手はあったかもしれないが、俺は最後までお前でなく国や家族を選ぶ事にする』


 一瞬息を飲んで文章をなぞる様に触れた蘇芳さんは今何を考えているんだろうか。

 無言で読み進める彼の邪魔をしない様に、体だけをぴったりとくっつけたまま同じように無言で文章を追う。

 次の文章からは今までのきっちりした文字とは違い、少し崩れた文字で始まっていた。


『領主様から研究を引き継ぐ。蘇芳を信じず、妻と子の安全と引き換えにあいつを売った俺が今更と思いもするが、あの空間でまだ蘇芳が生きているのならすぐにでも出さなければ』

『あの人はいったい何なのだろう。愛する息子が死んだ今、蘇芳を出す事に何の問題があると言うんだ。もう意固地になっているようにしか見えない。見張りがきつい、隠し部屋を作って全ての資料を運び込んだ。今は俺一人で進めるしかないがあの人も年だ。彼女の影響力も薄くなり始めているし、もう少ししたら他の人間に協力を仰ぐことにする。後の大きな問題は神職の連中だがどうしたものか』


 毎日日記をつけていた蘇芳さんのお兄さんとは違い、時折つけられるだけになった日記。

 どうやらこの日記の八割は蘇芳さんのお兄さんが書いていた部分のようだ。

 いい資料が見つかった、仮説が一つ間違っていた、等の言葉が数日置きに書かれた後、日記は唐突に終わりを迎えた。


『牢獄の中に物を送る手段を見つけた。手紙と、食料と、後は何がいるだろうか、蘇芳はまだ無事だろうか。今から魔獣討伐の任務があるのが悔やまれる。あの母親からの要請だしこれ以上疑いを強めない為にも行くしかない。任務が終わり次第急いで送る準備を整えることにする。頼む、どうか生きていてくれ』


 まるで祈るように文字にされたその言葉を最後に、日記には何も書かれていない。

 最後までページをめくってみたがずっと白紙のままだった。

 おそらくここに書いてある魔獣討伐で何かがあったのだろう。

 母親の目から隠すために離れた国での研究が続けられ、唯一存在を知っていた彼に何かがあった事で研究書は隠し部屋に入れられたまま。

 その後の年月で完全にこことは別の国になり、嫁いだ桔梗が偶然見つけるまで誰にも見つかることなく眠っていたようだ。

 真っ白なページを数度見返し、大きなため息とともに日記を閉じた蘇芳さんがしばらく目を閉じた後に立ち上がる。

 彼の反応が気になっていた事もあり、つられるように中腰になった私の前で蘇芳さんが箱へ日記を戻した。

 振り返った彼が私の体勢を見て少し笑ったので、何だか恥ずかしくなって誤魔化すように口を開く。


「もういいの?」

「ああ、俺が知りたかったことはほとんどわかったしな……撫子」

「え……えっ?」


 先にソファに座りなおした蘇芳さんの横に座ろうとしたところで声を掛けられる。

 視線を向ければ自分の方に来るように手を広げる蘇芳さん。

 それに応えるという事は彼の腕の中へ収まるという事なのだが……返事の声が裏返る。

 でも日記を読んだ直後だし、顔には出ていないけれど不安なのかもしれない。

 恋人同士だし私も彼とくっつくのは好きだ、今までだって散々抱擁はしているから問題はない筈なのだが妙に気恥ずかしい。

 おずおずと伸ばした手を嬉しそうにとった彼の腕の中に収まったと同時に、頭上からもう一度大きなため息が聞こえた。


「大丈夫?」

「ん、ああ。自分で考えていた以上に平静を保ってはいるな」


 その言葉からは無理している様子は感じ取れない。

 前の様に不安定になった感じもしないので、ひとまず胸を撫で下ろした。

 頭に伝わる振動で蘇芳さんが少し苦笑したのが分かる。


「複雑な気分だ。俺をここへ入れた後にあの二人が何を考え、何をしていたのかは分かった。だがそれだけだ、俺が百年間彷徨い歩いていた事は変わらない、俺の反乱の罪が変わらないのと同様にな。今更書面で謝られようが、俺を出す意思があったと知らされようが、俺はあいつらを許せない。だが色々と納得は出来た。俺が起こした反乱は民衆にはあまり手を出さなかったとはいえ被害が無かったわけではない。首謀者である俺が投獄されたことで安堵を覚えた国民の方が多いだろう。そこにすべての事を公にして俺を出す研究をすると言っても反発は免れないし、無理に私情を挟む様ならば君の元婚約者と同じだ。秘密裏の研究が領主としての判断だというのならば納得できる。母の事はよくわからんが……まあその時に出る事が出来ていたとしても、一人きりの牢獄暮らしが此処か外かになるくらいの差しかなかっただろうな」


 そこまで言って私の顔を覗き込む蘇芳さんにあたふたしてしまう。

 その笑顔が日記を読む前と変わらず穏やかなままなのが救いだ。


「君に思いを告げた前日、色々と考えてわかった事がある。一人で彷徨っていた時、俺はずっと誰か、誰かと心の中で叫んでいた。話を聞いて欲しかったし、俺を信じてほしかった。投獄される前からずっと……誰かに選んでほしかった。今は誰かではなく、君に俺を選んでほしい」

「……もう、選んでるつもりなんだけど」

「ああ、そうだな。だが君が選んでくれたのを良い事に、俺はあの時代に得られなかった物を今全て君から貰おうとしているのかもしれないぞ」

「私があげられるものであれば全然かまわないよ。私だって蘇芳さんには色々と貰ってるんだもの」

「それなら良いのだが。君は俺相手に嫌だという感情を出してくれないから、君に嫌がられる事をしたくない俺にとっては判断が難しい。俺がすることで嫌だと思う事があったらすぐに言ってくれ」

「そ、そうは言われても」

「例えば俺がこうして君に触れるのが嫌だとか、いきなり刀を持ち出して手紙を斬り裂いた時の事だとか」

「ええ……」


 触れられるのは照れくさくて慣れないだけで全然嫌ではない。

 手紙を斬り裂いた時も驚きはしたが、次に浮かんできたのはすごい、これ漫画で見た事ある、なんて言う緊張感の無い物だった。


「基本的に、蘇芳さんにされて嫌な事って思いつかないけどなあ……あ、一人でここに置いて行かれるのは嫌かな……そうだね、蘇芳さんが私から離れて行っちゃうのだけは嫌」


 私の言葉を聞いた蘇芳さんがいつもの様に瞬きを繰り返す。

 そんなに驚く事を言っただろうかと思ったが、彼の頬がジワジワと赤く染まっていく事に気が付いて私の方が驚く事になってしまった。

 彼が多少照れる事は今までもあったが、こんなに赤くなる所は初めて見た。


「君は本当に俺に甘いな……ここに入れられなければ、百年間彷徨わなければ、百年後に生まれた君とは出会えなかった。唯一それだけは、あいつらに感謝している」

「百年間で得たものが私との出会いじゃ全然足りないと思うけど」

「少なくとも、今の俺にとっては十分だ」


 頬を赤く染めたまま嬉しそうに笑う彼を見て、胸に湧きあがる温かさを噛み締める。

 ずっと見たかった彼の笑顔は最近常にそばにあったが、これからもこんな風に色々な笑顔を見る事は出来そうだ。



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