親友からの手紙【2】
前と同じように蘇芳さんと二人並んで座って手紙を覗き込む。
この手紙次第で私達の未来が決まると言っても過言ではない。
少し震える手で開いた手紙は相変わらず丁寧な文章で始まっていた。
「撫子様へ
信じてはおりましたがこうしてご無事だという返事を受け取れた事、嬉しく思います。
本当にご無事で、生きていて下さって良かった。
返事の手紙は全て拝見させていただきました。
おそらく撫子様が一番気になされているであろう事ですが、結論から言わせていただきます。
撫子様と蘇芳色の囚人の方、お二人揃ってその牢獄から出ていただきたく思います。
撫子様だけでも蘇芳色の囚人の方だけでもいけません。
お二人ともそこから出て頂かないと私達の方が困ってしまうのです」
そこまで読んで蘇芳さんと顔を見合わせる。
手紙の文章が上手く理解が出来ないのは二人とも同じなようだ。
これは全く想定外な返答だった。
「どういう事?」
「わからない、俺が今更外の世界と関係しているとは思えないのだが……読み進めてみるしかないな」
二人でもう一度手紙へ視線を落とし、その続きの文章を目で追っていく。
文章だけでなく読みやすい文字も相変わらずだ。
「撫子様、今の外の状況はおそらくあなたが想像しているよりもかなり悪いです。
僅かに力の残る結界のおかげで大型の魔獣こそ入っては来ませんが、防衛手段が整うのが遅かった為に町には魔獣が至る所に潜んでいる状況です。
私達が国に来た時点で兵を配備しこれ以上の侵入は食い止めておりますが、町に入り込んだ魔獣は繁殖を繰り返しどこからともなく現れ続けています。
この町から魔獣をすべて排除するためには、一度結界を完全な状態で復活させるしかありません。
研究書には牢獄の事以外に結界についても記されており、記載された場所を調べた結果、結界へ力を送るための道の様なものが二つ見つかりました。
道の一つには少し前まで力が送られていた形跡がありましたが、もう一つの道はもう長い間力が送られた形跡はありません。
どうやら結界は両方の道から力が送られないと完全に機能しないようなのです。
撫子様が投獄される前まで力を送っていたであろう新しい道と、もう長年使用されていない古い道。
共に調べていた方々も何故二つあるのかと首をひねっておられましたが、撫子様からの手紙でようやく理解出来ました。
維持者は常に一人だけでその一人が亡くなれば次の維持者が現れる、この言い伝えが間違っていたのか撫子様が特別だったのかはわかりません。
ですが撫子様と蘇芳色の囚人の方、今の結界の維持者はあなた達二人で間違いありません。
二人が揃って初めて結界はその機能を完全に取り戻す事になるのです。
つまり撫子様が投獄される前は結界は半分程度しか機能していなかった事になりますね」
そこまで読んで思わず隣に座る蘇芳さんの顔を見る。
どこか呆然とした顔で手紙を見つめている彼もこれは想定外だったようだ。
しばらく手紙を見つめた後何か考え込むような仕草を見せた彼がまさか、と小さく呟く。
「俺は思い違いをしていたのかもしれない」
「思い違い?」
「君が新たな維持者に選ばれたから、俺の維持者としての力が無くなっていっているのかと思っていた。だが本当は単純に君に力の半分が移動しただけなのかもしれない」
「半分? でも確か前に聞いた時は結界の加護はかなり弱ってるって……」
「そうだな、確かに俺を守る結界の加護はかなり低下していた。前はそれこそ腹に刀が突き刺さっても引き抜いた瞬間に塞がるくらいの力があったが、今はじわじわと塞がっていく程度、一瞬で治るのは小さな怪我くらいだ。だが……例えば俺が維持者としての力を百持っていたとして、君が維持者になった事で半分の五十の力が君へ移動したとする。俺は百の力を持っているのが当然だったから、それが一気に半分になってかなり弱まったように感じたのかもしれない」
「なら私は蘇芳さんとは逆に最初から五十の力しか持っていなかったから力の大きさなんてわからなくて、それが普通だって思ってたって事?」
「あくまで想像だがな。だがそう考えれば君が維持者になったはずなのに俺にもまだ維持者の力がある理由にも説明が付く気がする。君が俺の代わりに維持者になったのではなくて、俺と分担する形で維持者になったのか……」
「蘇芳さん?」
前髪をぐしゃりとかき上げて笑う彼に声を掛ける。
最近ようやく慣れてきた彼の笑顔が今もまた私に向けられた。
「ここを一人で彷徨っていた俺にとって維持者の力は呪いのようなものだった。これがあるから死ぬことも狂う事も出来ずに、ただひたすら歩き続けるだけ。それがいきなり弱まり始めた事は俺にとっては大きな救いだったが……そうか、君が俺と出会う前から半分引き受けてくれていたんだな」
ありがとう、と続けた蘇芳さんをじっと見つめる。
私が彼の重荷を半分受け持っていた、それが本当ならばすごく嬉しい。
私だって彼にはずっと助けられてきたのだ。
「私こそありがとう」
「ん?」
「……私も、蘇芳さんにはいっぱい助けてもらってるから」
心の中でだけ生まれる前からずっと、と付け足して不思議そうな顔をする蘇芳さんを見て笑う。
お互いに出会ってもいない内から助け合っていたのなら不思議な運命もあったものだ。
桔梗の手紙にはまだ続きがあるようで、視線を手紙に戻す。
ざっと見ただけだがむしろここからが本題のような気がした。
どうしたって蘇芳さんが反乱者という罪人であることには変わりない。
解放される事になったとしても条件付きだとはわかっていたし、手紙の続きもその事についてだった。
「お二人とも揃って出ていただかなければならないのはわかっていただけたかと思います。
しかし協力していただく身でこういう事を申しますのは申し訳ないのですが、冤罪で投獄された撫子様と違い蘇芳色の囚人の方は反乱という罪への罰としての投獄の為、どうしても条件付きでの解放になってしまいます。
ただこちらとしても彼に協力してもらう立場であること、実際に反乱があったのは百年以上前で当時を知る人間はもう皆亡くなっている事。
そしてその反乱で彼が民間人にはほとんど手だしをしていなかった事が、研究書と共に保管されていた日誌に書かれていました。
それらを踏まえて色々と話し合った結果、まずお二人には外に出た際に維持者の儀式を受けなおしていただきます。
お二人とも維持者であると確認できた後、蘇芳色の囚人の方には結界の維持者としてこちらに完全に協力していただき、少なくとも一年間は国の監視下に置かれる事になります。
そして百年前の領主の弟や反乱者という立場を全て捨てていただき、新たな維持者が見つかったという形で国民には発表する事になりますね。
もう一つ、これからは牢獄の管理と研究をこれまで以上に進めていく事が決まっておりますので、彼には牢獄の管理人としての仕事をしていただく事になります。
私達は牢獄に長く滞在する事が出来ませんので、牢獄内に慣れている彼に協力を仰ぐ形になりますね。
牢獄への滞在時間があるため寿命は更に延びてしまいますが、もちろん永遠と言う訳ではありません。
普段は牢獄の入り口近くに住んでいただき、定期的に牢獄内で過ごしていただく形になります。
ようやく解放された永遠の牢獄での仕事が罰にもなるだろうとの判断です。
蘇芳色の囚人という一人の人間の存在が完全に消え、結界の維持者と永遠の牢獄の管理人として国に貢献していただく、それがこちらでの話し合いで決めた彼を出すための条件となっております」
一枚目の手紙はここで終わっていた。
それにしてもこの条件は何というか……
「これは……俺にとっては大した罰にはならないのではないか? 百年前の人間である以上、俺の存在など外の世界では元々無いのと同じだろう。結界の維持は俺がいるだけで自動的に行われる。牢獄に関しても今更多少寿命が延びた所で大して変わらないし、外に出られることが分かっているのならばたいした問題ではあるまい。君と出会う前の俺ならば絶望したかもしれないが……」
「罰という名の新しく外で生きるための手段って感じだよね。一応反乱を起こした国のために働いて償えって事なんだろうけど。とりあえず続きを……って今回の手紙ずいぶん枚数があるなあ」
二枚目の手紙は国を通さずに桔梗から私個人に宛てたもののようだ。
さっと見て蘇芳さんに読まれて困るような事は書いていなかったのでまた二人で覗き込む。
「撫子様、こちらは私個人からあなたへの手紙ですので他の人達は見ておりません。
まず撫子様には冤罪での投獄に対する国からの償いをする事に決まりました。
ある程度の生活の保証と何か望みがあればできる範囲で叶える事、そして地位と家名の返還が行われる予定です。
もしも撫子様が今更家名も地位もいらないとおっしゃられても、他の形で希望をお聞きする事も可能になっております。
例えば、維持者として蘇芳色の囚人の方と一緒に過ごしたい、なんてことも可能ですね。
その場合は撫子様にも彼と共に牢獄の管理をしていただく事になってしまいますが。
撫子様の御父上は家に戻られるだろうと思っている様ですが、きっと撫子様はそちらを選ぶのでしょう。
筋さえ通っていれば私の夫は私の話に耳を傾けてくれますし色々と考えてくれますが、国の為に無理だと判断したら切り捨てるのに躊躇の無い方なので、こういう形で撫子様の希望が通る様に持って行きました。
共に生を終えられないのは残念ですが、生きている間はまた私と仲良くして下さいね」
一緒に文字を追っていた蘇芳さんが安心したように息を吐き出し、私の肩を抱いて来る。
彼の肩に寄り掛かることでそれに応えて手紙の内容を理解するために頭の中で文を反芻する。
投獄される前は私から話しかけない限りほぼ関わりの無かった父が私が戻ると思っているのには驚いたが、まあそれはどうでもいい。
そんな事よりも桔梗は随分気を使ってくれたようだ。
蘇芳さんに関しては結界の維持者として働かせるためにこういう罰にしたのだとはわかる。
外の人達にとっては重い罰にして彼の協力が得られないのが一番困ることなんだろうし、外でも出来るそれなりの罰を与える形で蘇芳さんを出したいと思っているんだろう。
ただそれに加えて私が蘇芳さんと過ごせるようにもしっかり根回ししてくれている。
これなら外に出ても堂々と蘇芳さんと一緒にいる事が出来るだろう。
もし桔梗がいなかったら外には出られなかっただろうし、例え出られたとしても蘇芳さんとは離されてあの人と夫婦にされていたかもしれない。
そもそもこの決定には反対意見も多かっただろう。
私があの人と復縁しないという事は国が一つ消えるという事だ。
町の人達には治める人が変わるだけでも、治める人間に近い立場の人達はそうもいかない。
自分の国が他国へと吸収されて無くなるなんてなるべく避けたいに決まっている。
私がお願いしたとはいえ自分の立場もあるだろうに……この短い期間ですごく頭を使って立ち回ってくれたのだろう。
親友からの精一杯の贈り物に鼻の奥がツンとする。
ありがとうと小さく呟いてから、この言葉はここから出てから直接伝えようと思い直した。
手紙にはまだ色々と書かれているようだったので一先ず最後まで読んでしまおうと文字を追う事にする。
「色々と詳しくお伝えいたしますがまずは領主様の件です。
撫子様からの復縁のお断りの件はお伝えしたのですがそれでも納得はしておりませんでした。
撫子様の目がどうしても忘れられないのだそうですよ。
ただ私も驚いたのですが領主様の説得に意外な所から助け船が来たというか。
今まで撫子様と復縁したいとおっしゃっていた部分が現在揺れている様です」
まず私の目、って何だろう。
どこにでもいる一般的な黒目だと思うのだけれど。
「私の目って何か変わってるのかな?」
「……見た目は普通だと思うぞ。ただその男の言う事もまあわからなくもない」
「え、どういう事?」
「その、すまないが説明が難しい。それよりも君の元婚約者は君を諦めかけているという事で良いのか?」
「そういう風にも読み取れるけど。意外な助け船って所が関係してるのかな。えっと……ああ、なるほど」
「……は?」
手紙の先を読んで納得した私とは反対に、蘇芳さんが意外そうな声をあげる。
まあそうだよな、なんて思いながら手紙の続きを目で追った。