思い絡まり、重なって
いつか見てみたいと思っていた笑顔が目の前にある。
前世で見たスチルよりも、そして想像していたよりもずっと深く穏やかな満面の笑み。
握られた手が熱くて、ただ彼の緩やかに細められた瞳を見返す事しか出来ない。
いったい何が起こっているんだろう。
昨日までの危うさとか焦燥感とか、そんなもの元々無かったかのように今の蘇芳さんは穏やかだ。
……彼は今何と言った?
好き?
私を?
彼の言葉を理解した瞬間、まるで爆発音でも鳴ったのかと思うほど一気に頭に血がのぼった。
顔に熱が集中する。
何かを言わなければと思うのだが、口からは音になって出てこない。
同じ気持ちなのかなとは思っていたが、自分から告白する流れを考えていたのでこれは完全に想定外だ。
自分からの告白ならば頭の中で色々と考えてから話す事が出来る。
だからこそ、突然のこの状況になんと返して良いのかが思い浮かばない。
「あ、その……」
ワタワタとしている私を見ても彼の微笑みは崩れない。
今この表情だけを見た人がいれば、彼が普段無表情だなんて絶対に信じないだろう。
本当に嬉しそうな、幸せそうな笑み。
その笑みを見てふっと気持ちが落ち着いた。
今彼が返して欲しいのは変に飾り付けたりした言葉では無いだろう。
もし私が逆の立場だったとしても、本心そのままが聞きたいと思うはずだ。
「わ、たしも、好きです。家族になるなら、蘇芳さんが……良い」
やっとそれだけ口に出してうつむく。
語尾に行くにつれて声量も下がったし、とっさの語彙力が無い事がちょっと悲しい。
それでもそっと彼の胸に引き寄せられて抱きしめられれば、言って良かったと思えるのだから不思議だ。
「……好意を口に出して言ってもらえるというのは、こんなに幸せな事なんだな」
噛み締めるようにそう言った彼の腕に力が籠る。
少し悩んで私からも広い背中に手を回せば、彼が嬉しそうに笑ったのが分かった。
どのくらいそうしていただろう。
気が付けばいつも通りソファに二人並んで座っていたが、どうやってここまで移動して来たのか記憶が曖昧だ。
目の前のスクリーンに流れる映画の内容なんてまったく頭に入って来ないし、さっき蘇芳さんと一緒に食べたはずの朝食の味も覚えていない。
間違いなく幸せではある上に、両想いで彼からの告白という私にとって最高の現状なのだが、いざ二人きりだと思うとどうしていいのか分からなくてオロオロしてしまう。
私のこの態度で蘇芳さんを不安にさせていないかと、隣に座る彼の方を見る。
その横顔はいつも通り感情を宿していない無表情のままだ。
私が見ている事に気が付いたのか、蘇芳さんがこちらを見てふわりと笑う。
私を見る時だけ浮かべられる笑顔に更にドキドキしてしまってどうしようもない。
強制的に二人きりの状況を嬉しく思ってはいても逃げたいと思った事は無かったのだが、まさか幸せ過ぎて逃げたいと思う日が来るとは思わなかった。
ちょっとトイレ、なんて手はここでは使えないし、まさか寝室や風呂に引っ込むわけにもいかないので頭の中を整理する時間が取れない。
オロオロしている私の反応を見ても更に笑みが深まるだけなので、彼を不安にはさせていないようなのが救いだ。
私の態度を見ておかしそうに笑うあたり、彼に私の心の中は筒抜けのようだが……あれ?
「蘇芳さん、もしかして眠い?」
「ん? ああ、まあ」
こちらを見て笑う彼の瞳のトロリとした感じは、彼と初めて出会った時に見せた寝落ちする直前の物とよく似ていた。
それに気が付いて心が少し落ち着けば、彼の発する言葉もどこかぼんやりしている事に気づく。
「寝てないの?」
「色々考えこんでいたからな。せっかく君と気持ちが通い合ったのに眠ってしまうのは勿体ない気がしていたが……だめだな、安堵した分一気にきてしまったようだ」
「え、だっておとといも寝てないよね。私と一緒に一晩中起きてたし。昨日もってことは二日間寝てないの?」
余裕に見えていたが彼も色々と勇気を出してくれたらしい事に気が付いて、嬉しいような恥ずかしいような気持ちになってなんだかムズムズする。
「外からの返事が来るまでまだまだあるんだし、一回寝たら?」
蘇芳さんが眠ってくれれば私ももう少し落ち着ける時間が出来るかもしれない、そんな下心もあって眠るように促すとどこか躊躇する様子を見せる彼。
何か眠りたくない理由でもあるのだろうか。
「せっかく俺が何かするたびに照れ続ける君が見られるのに……」
「そんな理由っ? もう絶対寝た方が良いよ」
からかっているわけでもなく本気で言っているあたりが蘇芳さんらしいというかなんというか。
私の返事にも不思議そうに首をかしげているので、冗談のつもりで言った訳でも無いようだ。
もう頼むから一度寝てほしい、そして私に落ち着くための時間を与えてほしい。
そんな事を考えながら再度彼に一度眠るように促すと、いつもと違って崩れない笑顔のままの蘇芳さんの手が私の頬を撫でる。
蘇芳さんがこちらに体重をかけるように顔を近づけて来たので妙に距離が近い。
またしても顔に集まる熱、これは絶対にしばらく慣れる事はないなと確信した。
「目が覚めても君はいる、んだな? 俺の、君が……」
『明日も、君はいる、のか?』
近い距離、そしてどこかで聞いたようなセリフに初めて出会った日を思い出す。
目覚めた時に一人だったらと恐れる過去の蘇芳さんと、幸せそうに笑う今の蘇芳さんが重なる。
もっとも表情も言葉も今の方がずっと余裕があるのだけれど。
「いるよ、起きたらもっといっぱい話そう。私もまだまだ蘇芳さんと話したい事があるから」
「そうか……俺ももっと、たくさんの事を君と話したい」
どこかぼんやりとした様子でそう返事をした彼の瞳がゆっくりと閉じられていく。
私の頬に添えられていた手が肩を滑り、彼の頭が私の膝の上に落ちて動きが止まる。
膝枕状態になった事に驚いて体が飛び跳ねそうになったが、彼の眠りを妨げるわけにはいかないと必死に堪える。
狭いソファの上でも寝やすい体勢を見つけたのか、相当眠かったらしい彼から寝息が聞こえてきた所でようやく力を抜いた。
「絶対足痺れるなこれ」
角度的に彼の顔は少ししか見えないが、それでも見える部分の表情が酷く穏やかなのはわかった。
ソファの背もたれにかけてあったひざ掛けを引っ張り下ろして彼の体にかける。
偶然にもこのひざ掛けはあの日私が蘇芳さんにかけた布団と同じ青色の物だ。
あの日、初めて彼と出会った日はまさかこんな関係になるなんて思ってもいなかった。
「俺の、って……あー駄目だ」
眠る前の蘇芳さんのセリフを思い出してしまい、一人で赤面する。
この人と恋人同士になったのか、前世でも今世でも好きになったこの人と。
じわじわと湧いて来る実感に、彼が眠ったというのになかなか落ち着けない。
穏やかに寝息を立てる蘇芳さん、彼にいったい何があったのだろう。
桔梗からの手紙が来た後から、一気に不安定になってしまったように見えたのに。
彼のサラサラとした髪を触りながら、テーブルの上へ視線を向ける。
昨日届いた箱は朝起きた時にはまだあったのだが、蘇芳さんに抱きしめられている間に消えてしまっていた。
今頃桔梗の元へ届いている事だろう。
しまった、告白できない相談にのってくれると嬉しいとか書いてしまったんだった。
だってまさか、手紙を書いた次の日に彼から告白されるなんて想像すらしていなかったんだ。
これは桔梗から手紙が来た時、返信に悩むことになりそうだと冷や汗をかく。
返信か……もしも蘇芳さんがすべてを吹っ切るとしたら、桔梗からの返信で研究書が送られてきて、それを読んだ時だと思っていた。
そこに書かれていた事次第ではもしかしたら悪い方へ吹っ切ってしまうかもしれなかったが、蘇芳さんが完全に立ち直る手段もそれしかないだろうと予想していたのに。
蘇芳さんは昨日、桔梗への返信を書く前が一番荒れていたように思う。
私の言葉に表面上は納得していたが、心底信じていたようには見えなかった。
外に出ても一緒にいたいとは言ったし、それに対して俺もだと答えてはくれたけれど、気が付いたら彼がいなくなってしまいそうな気がして不安だったくらいだ。
彼が部屋に戻った時も一見普段通りには見えたが、色々と沈んでいたようにも見えたし。
いったい何が彼をここまで吹っ切れさせたのか。
あまりの変わり様に実は回復したように見せかけて思いっきり沈んでしまったのかと思ったくらいだ。
ただこの短い時間でもわかるほどに蘇芳さんは穏やかになっている。
これが演技だとしたら私にはもう絶対にわからないし、本当に吹っ切ったのだと何となくだけれど感じてはいる。
もちろん彼の回復は良い事ではある、あるのだがどうにも気になってしまう。
「……ねえ、何があったの?」
眠る彼から返事が返ってこない事はわかっているが、小さくそう問いかける。
外に出るにしてもこのままここにいるにしても、いつか話してもらえる日が来るのだろうか。
なんにせよ、今は桔梗からの返事が来ない限り動きようがない。
もしかしたら返事が来ないまま私だけ強制的に出されてしまう可能性もあるが、この状態の蘇芳さんなら身を引いたりせずに私と一緒に逃げてくれるだろう。
助けに来てくれるはずの人達から逃げる計画を立てるなんて、色々とおかしい気もするけれど。
どんな選択肢でも一緒にいたいという気持ちが同じになった今、前よりも不安はない。
今は彼からのアプローチに混乱してしまう心を落ち着かせるのが最優先だ。
心を落ち着けようと深呼吸したり、眠る彼の髪を触ったりしながら起きるのを待つ。
一時間ほど経って足がしびれて来たので彼の頭をどかしてはダメだろうかなんて色気の無い事を考えたが、移動できない体勢だったのでひたすら我慢するしかない事に気が付いてがっくり来たりしつつ、彼の顔を覗き込む。
覗きこんだタイミングでうっすらと彼の瞼が上がり、その瞳が私の顔を捉えてふわりと笑った。
どうやら一時間程度では全く効果が無かったらしい。
思いっきり赤面した私を見た蘇芳さんが更に笑みを深めた。
「おはよう」
照れたのをごまかすようにそう口にすると、少しだけ目を見開いた蘇芳さんが口を開く。
「ああ…………幸せだ」
「……うん、私も」
彼の口から発せられる噛み締めるような幸せだという気持ち。
本当の心の底から出たような声、どうやら本当にもう大丈夫なようだ。
頬に伸ばされた彼の手にそっと自分の手を重ね合わせた。
桔梗からの返事は、蘇芳さんと恋人同士になってから八日後に送られてきた。
色々と話し合う事もあるだろうし、この箱だって特殊な術か何かで送っているのだろう。
時間がかかるだろうと予測はしていたのだが、何となくやきもきしていた八日間だった。
前と同じ撫子色の箱を開け、中を確認して一番上にあった手紙を取り出す。
蘇芳さんと二人で覗き込んだ手紙は、私にとっても蘇芳さんにとっても驚きの文章で始まっていた。