離した代わりに満たされて(蘇芳視点)
ひとしきり涙を流して、ようやくそれが止まったと同時に今度は笑いがこみ上げてくる。
無表情だと思っていた自分がこんなに短期間に表情を変える日が来るなんて思わなかった。
泣き笑いをしながら彼女の手紙を思い出す。
結局俺は勝手に一人で思い込んで、勝手にどん底を彷徨っていただけらしい。
彼女の手紙は読んでしまえば先ほどの恐怖は何だったのか、俺が恐れていた拒絶や否定など一文字たりとも書かれていなかった。
「桔梗、ごめんね。
もしかしたら私は外には出ないかもしれません。
もう一つの手紙でお願いした蘇芳さん、蘇芳色の囚人の彼と一緒に外に出る権利、そして外に出た後も彼と一緒に過ごす権利がどうしても欲しいです。
彼に脅されたとかそういう事はないので安心してください。
彼は百年以上ここで一人で過ごしてきたせいで極端に一人になることを嫌いますが、それでも夜になれば女である私を気遣って自分の部屋へ戻ってくれるような人です。
今この手紙を書き足しているのも彼が部屋に戻った後で、彼には秘密で書き足しています。
蘇芳さんとの日々は穏やかで、今の私にとっては絶対に手放したくない、かけがえのないものです。
けれど百年前の事とはいえ彼が罪人であることは変わらないし、もしここから一緒に出る事ができても引き離されてしまう可能性が高いでしょう。
だから外に出た時の私の立場とか蘇芳さんの立場とか、色々と考えて気がつきました。
私が持っていた地位って今はもう無いですよね。
冤罪だろうが何だろうが投獄された時点で私の地位や家名は取り上げられたから、今の私は蘇芳さんと同じただの罪人の一人。
私がこの牢獄に入れられる前に必死に仕事をしていたのは、それが自分の生まれ持った身分に対する責任だとわかっていたからです。
でも今はもうそれは無い。
そもそも罪人として閉じ込めました、そうしたら結界が使えなくなったので、冤罪だという事もわかったし外に出すからまた働きなさい、って結構酷い事を言われていると思うのだけれど。
外にさえ出なければ身分は戻らないから仕事に対する責任は無いし、結界に関しては他力本願で申し訳ないけどあなた達が国を治めてくれるなら無くても何とかなる筈ですよね。
あなたの伴侶の方は元々結界の無い国の人だし、結界が無くても国を治めていく事は可能でしょう。
もし手が足りないというのならば私から地位を取り上げた彼らをこき使ってやってください。
逆に関わらせない方が仕事は楽かもしれないけれど。
そういう訳で蘇芳さんと一緒にそちらで過ごせるならば話は別だけれど、そうでないのなら都合よく利用されるつもりはありません。
もちろん、私だって外には出たいです。
でも彼と一緒に出られないのなら、出た後に引き離されるのなら、外に出る気はありません。
もしも外の人達が強引に私だけを連れ出そうとするなら、蘇芳さんと一緒にこの永遠の牢獄を逃げ回ってでも拒否すると思います。
元々ここで永遠に一人で過ごす覚悟はありましたし、それが二人になった今は入る前に想定していたよりもずっと良い環境で過ごせているので。
外での自由も、死ぬことが許される動く時間も、発狂なんて無縁の未来も。
そこに蘇芳さんがいないというのならばいりません。
ここまで書けば多分察しているとは思いますが、私、蘇芳さんの事が好きです。
また訳ありの男性を、とあなたは怒るかもしれないけれど。
元婚約者だったあの人と付き合う事を了承した時、私は結婚さえすれば新しい家族が手に入ると思っていました。
父も姉もあんな感じで、私には家族なんてもういないも同然だったから。
もちろん桔梗がいてくれたからあまり寂しさは感じなかったけれど、それでもどこかで家族が欲しいと思っていました。
でも今は誰でも良いから新しい家族が欲しいんじゃなくて、蘇芳さんと家族になりたい。
好きではないけれどこの人ならまあ良いかと思って恋人になった事は、あの人に対してすごく失礼だったし申し訳ないと思ってるけど、この感情を無視して蘇芳さん以外の人と、なんてもう考えられないんです。
その蘇芳さんはなんだか思い詰めているみたいだし、もしかしたら私の邪魔にならない様にって勝手に出ていってしまう可能性が出てきてしまいました。
永遠の牢獄に関する研究書が読みたいとは言っていたので、とりあえずあなたからの返事が戻ってくるまではここにいてくれるだろうけれどその先はわかりません。
もしも蘇芳さんが今いる部屋を出ていくのなら、その時は私もついて行きます。
彼が願う事とは違うから拒否されるかもしれないけれど、そこは私も譲れないと思っています。
だから、ごめん。
もしそうなったら私は今いる部屋へは戻らないし、たとえ違う部屋にあなたからの手紙が届いても、きっともう二度と返事を書く事は無いと思う。
あなたとは親友だと思ってる。
だからこそあなたが無茶な公私混同をしないのもわかっています。
ある程度は便宜を図ってくれるとは思っているけれど、それでも無理だった場合は私はここから出ないという事でよろしくお願いします。
世間には発狂していた、もしくはもう死んでいたとでも発表して下さい。
もし蘇芳さんと一緒に過ごせる未来が保証された状態で出られるというのなら、その時は結界だろうがなんだろうが私が出来る事は精一杯協力します。
あの人とやり直す事以外で、ならですけど。
その時は永遠の時間があるからと悠長に構えていたせいで、未だに蘇芳さんに自分の思いを伝えられない私の相談にでものってくれると嬉しいです。
お互いの立場とか、周りへの気遣いとか、生きていく上での常識とか。
全部抜きにしてただの親友であるあなたに宛てた手紙という事で書き足しました。
こんな手紙が最後になるかもしれなくて、色々と押し付けて、本当にごめんなさい。
もしも外に出ない選択をしたとしても、親友としてあなたの幸せをここからずっと祈っています。
撫子」
笑いが収まってくるとまたじんわりと視界がゆがんだ。
……そうか、俺を選んでくれるのか。
俺で、いや、俺が良いと言ってくれるのか。
元恋人でも自由な外の世界でもなく、こんな牢獄にまで友情と信頼を示し届けてくれる友でもなく。
他のすべてを捨ててでも、こんな絶望へと向かうしかない場所だとしても俺を、俺と過ごす事を選んでくれるのか。
母から見た兄と自分、兄から見た母と自分、そして親友だった男から見た何かと自分。
いつだって捨てられるのは自分の方だった。
だからどれだけ撫子が態度や言葉に出してくれていても不安だったのだろう。
どう足掻いても最後に捨てられるのは自分だと無意識の内に思い込んでいた。
俺の物だとくりかえし心の中で叫ぶことで必死に彼女を自分の所へとどめようとしていたんだ。
なんだ、俺が必死に彼女にしがみついていなくても、彼女の方からもちゃんと俺を掴んでいてくれたんじゃないか。
涙と共にずっと心にあった重い何かも流れてしまったような気がして、今までで一番大きく息を吐き出す。
「……だるい」
少し落ち着いたと思ったら一気に体が重くなった気がする。
泣くという行為はこんなに疲れる物なのか。
だが体のだるさとは裏腹に心の中はすっきりしている。
まさか女性の手紙一枚で、こんなに心が軽くなるとは思わなかった。
「一人で思い詰めるとろくな事が無いな」
判断力も相当鈍っていたようだ。
今俺が此処で出ていってどうする、と先ほどまでの考えに自分でも呆れてしまう。
そもそもあの手紙には出す準備が出来たと書かれていただけで、それがいつになるのかは書かれていなかった。
準備に時間がかかるから今すぐではないとも書いてあったし、もしもその準備に何年もかかったらその間彼女は一人になってしまう。
撫子が一人で過ごすのが平気だと思っていたのはこの空間でずっと一人だと覚悟していたからだろう。
そこに俺が無理やり転がり込んだことで孤独ではない生活に慣れさせてしまった彼女を、俺と一緒にいたいと言ってくれた彼女を、勝手な思い込みでまた一人にするところだった。
……この空間で一人きりで過ごす苦痛は自分が誰よりも知っていた筈なのに。
しかし俺が出て行けばいいのではと思っていた事が彼女に気づかれているとは思わなかった。
もしも彼女の想定外の時に俺が出ていったら、この当てなど全くない空間を探し回ってくれたかもしれない。
心底申し訳ないと思うが、同時に嬉しさもこみ上げてくる。
そんな風に他人から思われた事など今まであっただろうか……そう考えた瞬間、彼女の手紙の一部が頭の中に思い浮かんだ。
「好き……俺を、好き?」
現金な事に自分がもう一人になる事が無いと安心した途端、頭の中が手紙の二文字だけで占められる。
何度もその二文字が頭の中で繰り返され、妙に熱くなった顔を両手で押さえた。
人が書いた手紙を盗み見るというやってはいけない事をしでかした自覚はあるが、これはもう俺が絶対に読んではいけなかったものではないだろうか。
何となく彼女の思いは察していたし同じような気持ちを抱いていた自覚はあるが、言われたわけでもないのに勝手に彼女の心の内を知ってしまった罪悪感が一気に湧き上がってくる。
そしてそれと同時に心が歓喜で満たされていくのがわかった。
大半が彼女への依存で満たされていた心。
全て無くなった訳ではないだろうが、それでもその依存がなくなった部分に今度は彼女への恋慕があふれ出してくる。
何となく、おそらく、そんな言葉が付いていた好意がどんどん自分の中で明確になっていく。
「俺も、俺も君が…………」
小さくそう呟いて、口元を押さえる。
短時間の内に泣いて笑って勝手に照れて、一人で部屋にいると言うのにまるで気が狂ったみたいだ。
申し訳なさや情けなさ、喜びと照れくささ、そんな感情がぐるぐると回っていては眠気など訪れるはずもなく。
気が付けば部屋に設置された時計の針はもう朝を示していた。
撫子が起きたのか、背中のドアを挟んでパタパタと動き回る音がかすかに聞こえる。
しばらくその音を聞いてから静かに立ち上がった。
一晩中座り込んでいたせいで体がバキバキと鈍い音を立てる。
体も頭も重い、そういえば昨日どころかその前も眠っていなかった。
彼女の部屋へ行くまではもう少し余裕があるので風呂へ向かう事に決めて一歩踏み出す。
自動的に清潔が保たれる空間とはいえ、何となく今の状態で撫子に会うのは抵抗がある。
冷水を被るなり熱い湯船に浸かるなりすればこの頭の重みも取れるだろうし、自分がこれからやるべき事もはっきりするだろう。
そうして身だしなみを整えて時間を確認し、未だ若干ふらつく頭とだるさの残る体でいつも通り彼女の部屋へ続く扉を開ける。
扉の向こうで茶の準備をしていたらしい彼女が、俺を見てふわりと微笑んだ。
「おはよう、蘇芳さん」
……笑う彼女の後ろに太陽の光が差しているのが見えた気がした。
一瞬で消えたそれは疲れた脳が見せた幻だったのだろう、ここはいつもと変わらず真っ白なだけの部屋だ。
それでもその一瞬の光景は自分の頭の中にしっかりと焼き付けられる。
もし彼女と共に外に出る事が出来たら、共に過ごせることになったら。
太陽の光が差し込む家の中で、同じ様に笑ってくれる彼女と共に朝を迎える事が出来たなら。
俺も、俺も家族になるのならば彼女が良い……いや彼女でなくては嫌だ。
その場に立ったまま挨拶も返さずに動かない俺に疑問を抱いたのか、彼女が不思議そうにしながらもこちらへ歩いて来る。
彼女越しに見える部屋、この部屋はこんなにも明るかっただろうか。
心が変われば景色も変わるとはいうが、ここまでとは思わなかった。
「蘇芳さん?」
そばまで来た彼女の目を見つめれば、その視線からは心配と好意がしっかりと伝ってくる。
彼女はこんなにもわかりやすく好意を示してくれていたのか。
それすら気が付かずに勝手に疑って、暴走して、彼女の秘めた思いまで盗み見て。
「撫子」
「どうかした?」
「その、すまない」
「え、何が?」
「いや。色々と、だな」
手紙を盗み見た件についてはこの先絶対に何らかの方法で詫びようと決意して、不思議そうな表情を浮かべる彼女の瞳をじっと覗き込む。
せめて……せめてこの思いを先に口にするくらいはしなければ彼女に申し訳ない。
いや、それ以上に己の口から告げたいという気持ちの方が強いのだが。
盗み見という卑怯な手段で答えを先取りしているにもかかわらず、緊張に襲われて手が震える。
それでもそっと彼女に向けて震える手を伸ばした。
昨日あれだけ俺が暴走したにもかかわらず、その手を不思議そうに見るだけで避けようともしない彼女。
向けられる信頼と好意にさらに心が歓喜で震える。
そっと彼女の手を取り、少しかがんで顔を覗き込む。
パチパチと瞬きを繰り返す彼女の黒い瞳に自分の顔が映っている。
「……君の事が好きなんだ。この先、生きる場所が外であってもここであっても、俺と家族になって……ずっと、一緒に生きてほしい」
驚きで見開かれた瞳と、一拍おいて真っ赤に染まった頬。
彼女の瞳に映る自分の顔は、自分でも見た事が無いくらいの満面の笑みを浮かべていた。