あなたとの出会い
目の前にずっと大好きだったキャラが立っている。
お風呂上がりのマッサージを堪能した私が部屋に戻った時に中に立っていた影は、私が一番会いたかったキャラだった。
本来ならば私しか入れないこの部屋に人がいる事に心臓が飛び出そうなくらいには驚いたが、その正体に気が付いてからは別の意味で心臓が飛び出しそうにうるさい。
すごい、ゲームで見た時よりもずっとかっこいい。
何か言わなくてはと感情の籠らない瞳を見返しながら彼とほぼ同時に口を開く。
「あのっ」
「あ……っごほっ!」
何か話そうとしたらしい彼が口元を抑えてしゃがみ込む。
乾いた咳とヒューヒューという苦しそうな呼吸音に、慌てて駆け寄って手に持つお茶の蓋を開けて差し出した。
差し出されたペットボトルのお茶の形状が見慣れないものだったせいか、戸惑ったようにそれと私の顔を見た彼が一瞬躊躇した後に口をつける。
この空間に病死という概念は無いので病気では無いだろう。
単純に声がでないだけのようでホッとした。
ある程度飲み終えた所で彼も余裕が出来たのか、お茶から口を離した彼の視線が近寄った際に咄嗟に肩に乗せた私の手に向く。
視線に気が付いて勝手に触れてはまずかったかと手を放そうとした瞬間、目を見開いた彼がガシリと私の手を掴む。
ぎちぎちと音がしそうになるほど握りこまれた手に微かに痛みが走った。
「……人、か?」
かすれてガラガラの声で彼が疑問を投げかけて来る。
「ええと、人です。あなたと同じ様にここに入れられた人間です」
私の返答を聞いた彼がホッとしたように大きな息を吐き出す。
ただその表情は何も変わっておらず、死んだような感情の読めない瞳も変わらない。
その変わらない表情の裏に色々な感情がある事は知っている。
普通に感情はある人なのだ、表情筋が死んでいるだけで。
この人の名前は蘇芳。
その名を表すように蘇芳色の服に身を包んだ男性は私が好きだった乙女ゲームに登場したラスボスだ。
引きずりそうな長い黒髪をポニーテールの様に束ねている美青年だが、母親や兄との確執で感情が顔に出にくくなってしまった人。
あのゲームは主人公の住む国を治める一族だったこの人が、正統な後継者で結界の維持者であった兄に対して反乱を起こす所から始まる。
そしてこの人に勝つ事でエンディングを迎える事になるのだ。
負けた彼が抵抗するのを無理やりこの空間に幽閉して終わるので、本来なら白い服に着替えさせられるはずの罪人でありながら彼の服はゲームに登場した服のままだ。
……この人が反乱を起こした理由はただ一つ、自分の行った事に対して正当な評価が欲しいという訴えが通らなかったからだ。
「とりあえず座りませんか?」
座り込む彼にそう声を掛けてソファの方を指し示す。
戸惑ったように頷いた彼と部屋の奥へ移動しながら若干混乱気味な頭の中を整理しつつ部屋の現状をどう説明しようか頭をフル回転させた。
さっきのペットボトルもそうだが普通にこの世界に存在しないものが大量に、というかそれしかないこの部屋。
誰も来ない前提だったので時代も世界も何も気にせずに物を増やしまくったこの部屋をキョロキョロと見まわす彼に内心冷や汗をかく。
唯一の救いはこの世界のモチーフになっているためか、あの乙女ゲームに関するものは買えないしネットに存在しなかった事だ。
気が付いた時は大ショックだったけど今は逆にありがたい。
確かこの人はすごく頭がいい設定だったはず。
変に誤魔化すよりも私の特殊能力だという事にしてごり押した方が有効そうだ、そう判断して彼に座るように促した。
彼にソファを勧めて自分はテーブルを挟んだ正面に座ろうと思ったのだが、痛い位に握られた手が離される気配がない。
「あの……」
離される事の無い手をどうしていいかわからずソファに腰掛けた彼に声を掛けるが、表情が変わらないためその感情をうかがい知る事は出来ない。
声が出し辛いのか、かすれたような声で彼が呟く。
「すまない、少し、だけ……何もないんだ、この外には。不愉快な、色の混ざる空間と……白い部屋。中には発狂した人間か、死体しかない。温度も、意味のある言葉も、無い」
途切れ途切れで聞き取りにくい声、それでも必死に彼が言葉を紡いでいる事に気が付いて耳を傾ける。
……この人がここに入れられたのは私が生まれた時代の百年ほど前だ。
その間気が狂う事も無く一人でこの空間にいたのなら、かすれる声もこの様子も納得できる。
最推しキャラが此処まで弱って自分の手を握り締めているのに振りほどける人間がいるだろうか。
私には無理だ、自分の羞恥心から目を逸らして彼の隣に腰掛けた。
ソファを二人掛けサイズにしていてよかったと内心胸を撫で下ろしながらもう一度お茶を飲むように勧める。
「すま、ない」
未だかすれる声を何とかしようとお茶を口に含む彼の横顔を見つめる。
この人がゲーム中に訴えていたのは、兄が行っているとされる政治の評価は自分の物でもあり、また結界の維持という役割をこなしているのは兄ではなく自分だという事だった。
そうして戦い続けている内に部下も離れていき、最終的に一人ぼっちでここに入れられてしまう。
ただ、ある条件をゲーム中にクリアするとエンディング後に真実が明らかになるのだ。
その条件というのが攻略キャラ全員とトゥルーエンディングを迎えた後に、システム的にかなり厳しいイベントをクリアした時のみという鬼仕様だった。
クリアできればこの人が国の政治を裏で支えていた事と真の結界の維持者だった事が明らかになるが、それが判明するのはエンディング後。
この人は此処に入れられた後で、救出は不可能という後味の悪い物になってしまう。
この隠し要素が明らかになってこの人の人気は爆上がりしたのだが、続編には一切登場せずまた攻略ルートも存在しないというファン泣かせな人だ。
声が戻らない様子の彼に傍にあったメモ用紙とペンを差し出す。
この世界には筆しか無いが、ペンを使って見せるとすぐに使い方を理解してくれてサラサラと美しい文字が紙に書かれる。
『ありがとう、俺は蘇芳という。君の名前を聞いても良いか?』
「撫子です。蘇芳さん、罪人の白い服では無く蘇芳色の服を着た囚人の話は伝わっています。私が生まれる百年程前に反乱を起こしたその人物がここに幽閉されたと」
知っている事だがあえて聞く事にしてそう口にする。
蘇芳色の服の囚人の話が伝わっているのは本当の事だ。
百年前と聞いた彼が一瞬止まる。
『今何年だか聞いても良いか?』
「私がここに入れられたのは二週間ほど前なのでその時の物でよければ」
そう言ってから告げた年を聞いた彼がうつむいた。
小さく百年前、と呟くように口を動かした彼が続けて文字を書く。
『それは俺の事で間違いはない、反乱を起こしたのは事実だ。だが結界の維持をしていたのは俺で、政務も表に出ない重要な部分は俺が行っていたのも事実なんだ』
「……そうなんですか、まあ私も冤罪でここに入ったわけですしそういう事もありえますよね」
少し考えてからそう言った私があまりにもサラリと受け入れたせいか、彼が無表情ながらも訝し気な空気を出して首をかしげる。
説明のしようがないがゲームで真実を知ってしまっている身としてはそう言うしかない。
とりあえずそれなりに理由になりそうな言葉でも付け足しておこうと口を開く。
「こんな永遠に年を取らない空間で細かい事気にしてたらきりがないですし、せっかく会えた人間の言葉を信じた方が暮らしやすいじゃないですか」
『それはそうだが、君も冤罪なのか?』
「まあそうですね。他国に情報を売った覚えはこれっぽちもありませんので」
『冤罪でこんな場所に幽閉されたというのに君はずいぶん平気そうに見えるが』
「あーこの部屋を見てもらえれば分かると思いますけど、こうして好きな物を揃えられるような力もあるし冤罪を晴らすのも色々大変そうだったので。正直もう仕事はしたくないというか、姉が巻き起こすトラブルの後始末やそれを許容する父に付き合うのも嫌になっていたので。九割自分の意志でここに入りました」
感情の籠らない目がパチパチとまばたきを繰り返す。
そう言えば作中の彼の立場と今の私の立場は似ている。
彼の兄が彼の功績を自分の物だと思い込んだのはその兄を溺愛する母親のせいだったし、私が此処に入れられたのも姉を溺愛する父親が姉を増長させたせいでもある。
実際に彼をここに幽閉したのはこの国の歴史書の中で兄だと伝えられているし、私は姉に入れられたようなものだ。
「あの、あなたが此処に入れられたのが百年前だとしてどうやってこの部屋に? それに大体の人は気が狂っているか死んでいるかだと思うんですけど、蘇芳さんはご無事なんですね」
私の言葉を聞いて何故か固まった彼が何かを噛み締める様に唇を引き結んでうつむく。
相変わらずその瞳は感情を示さないままだったけれど。
少しの間の後、彼がサラサラと紙に文字を書き始める。
『この部屋に来たのは偶然だ。ここに入れられてしばらくしてから白い部屋に缶詰めなのが耐えられず外を歩くようになった。たどり着いた他の部屋には狂人か死者がいるか、誰もいないかのどれかだったから覗くだけで中へは入らずまた歩いてを繰り返していた』
そう書いた彼が部屋の中を見回すので、説明する時どう誤魔化そうかと考えながら彼の言葉を待つ。
『この部屋の近くを通った時に音がしたので覗いて見たら、部屋の中が白ではない上に見た事の無い物が大量に並んでいたから思わず入ってしまった。すまない』
「いえ、そういえばここって鍵とか無いですもんね」
この空間自体から出る事が不可能なので部屋自体に鍵などはついていない。
もちろん外から人が入ってくるなんて想定外だった。
「それにしてもよくあの空間を歩いてこられましたね。私はこの白い部屋よりもあの不気味な色の混ざりあった空間の方が気持ち悪いですけど。部屋に戻れなくなってあの空間を永遠にさ迷う方が気が狂いそう」
『この白い部屋は空間を歩いている間は後ろについて来るんだ。だからどちらかに耐えきれなくなったらもう一方に戻る事を繰り返していた』
「え、そうなんですか? それにしてもよく百年も気も狂わずに過ごしてこられましたね」
『俺は結界の維持者だ。維持者は結界維持の役割の代わりにその恩恵を受ける事が出来るから、身体的にも精神的にも守られて通常の人間よりも強くなる』
「なるほど」
今まで知らなかった事を知って驚いている私に彼から更なる驚きがもたらされる。
『君も結界の維持者だろう? そのくらいはわかっていたのではないのか?』
「…………へ?」
当然の様にサラッとそう言った彼の言葉を呑み込むのに時間がかかる。
え、結界の維持者って……え?
目を見開いたまま固まった私を見て彼が無表情のまま首をかしげる。
思ってもみなかった言葉に返す答えが出ないまま、その感情の籠らない目を見返した。