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元婚約者

「例えばなんだけど、蘇芳さんが反乱を起こす前に……あ、その、思い出したくなかったらごめん」

「いや、いい。それで?」

「ごめんね。その、自分に身分がある時に視察でもなく完全に私的な用事で町を歩いていたとしてさ」

「ああ」

「そこで怒鳴り合いの喧嘩とか、何か騒ぎが起こっていたらどうする?」


 私の問いに少し首をかしげて考えてから口を開く蘇芳さんを見つめる。


「そうだな……例えばそれが今にも殺し合いに発展しそうなほど切羽詰まったものならば、間に入って落ち着かせながら町の奉行所の人間を呼ぶな。切羽詰まっていなくても声を掛けるくらいはするかもしれないが」

「その場で解決したりは?」

「ないな。俺が口を出してはややこしい事になる。権力者という立場の俺が口を挟めば少しでも味方をした方の人間が有利になってしまう可能性が高い。その場の空気や訴えだけで正しい判断が出来るとも思えないし、そもそもそういう事には専門の人間がいる。そちらに任せた方が確実だろう」

「そうだよね」

「……なるほど、君の元婚約者は口を挟むんだな」

「むしろ全力で割りこんでいくよ」


 一緒に町へ出た時、もしくは彼が一人で町を歩いているのを見かけた時。

 彼はよく揉め事の中心にいた。

 付き合う前は一領民としてしか見ていなかったし、ずいぶん正義感の強い人だなとしか思わなかった。

 今にして思えばツッコミどころ満載だが、自分が直接関係の無い上の人を見る視線などそんなものなのかもしれない。

 けれど付き合いだしてからはこの人は自分の立場を考えていないのだなと気が付いた。




『何故止めるのだ撫子。私は間違った事は言っていない』

『そうだね、言ってる事は間違ってない。でもあなたには立場というものがあるでしょう?』

『次期領主という立場があるからこそだ。間違っている事は正さねばなるまい』

『その気持ちもわかるけど、ちょっと落ち着いて。とりあえずその人の事は他の人に任せよう?』

『だが! この夫婦は自分の使用人に公衆の面前で暴力を振るったのだぞ』

『違うのです!この者は私達が店に入っている間に預けていた荷物を持ち去ろうとしたのです!』

『何?』

『いいえ! わたくしは持ち去ろうなどとは思っておりません!』

『この者はこう言っているが……』

『いいえ! それは嘘で……!』


 ああ、やっぱりこうなった。

 そう思いながら争いの中心に入ろうとする恋人の腕を引き、辺りを見回す。

 騒ぎを聞きつけてこちらへ向かってくる人たちの中に、適切な対処をしてくれそうな人を見つけて声を掛けた。

 無理やり浮かべたであろう引き攣り笑いで、けれどどこか慣れた様子で後処理を引き受けてくれたその人にお礼を言ってから何とか恋人をその場から離す。

 町を散策中に争う人たちの間に強引に割り込んだ恋人にため息を吐きながら落ち着いて話せる場所まで移動した。


『争いを鎮めたい気持ちもわかるけど、もうちょっと様子見しよう? 落ち着かせようとしてくれていた警備の方もいらっしゃったでしょう』

『それはそうだが、あの者は逃げ出そうとしていたではないか』

『周りに人もいたし逃げられるような環境ではなかったでしょう。もしどうしようもなくて貴方が間に入るなら、争ってる人達を落ち着かせるようにしながら部下を呼んでほしいの。あなたが直接間に入って結論を出そうとすると後々大変なことになってしまうわ』

『だが!』

『あなたが言っている事が間違っていない事はわかってる。次期領主だからこそ自分の国で間違っている事が起こるのは許せないんでしょう?』

『……ああ。』

『でも次期領主の立場があるからこそ、軽率に突っ込んだらまずい事になるわ。私も、あなたの信頼する部下たちも何回も言っているでしょう。慌てて間に割り込むのは仕方がないけれど、すぐに他の人間を呼んでほしいって』

『…………』

『貴方が正義感が強い事はわかってる。でもとりあえず、何かする前に一呼吸しよう。どうしても何かがしたいのならあなたが領主になってから、ううん。帰ってから領主様に法整備できないか相談してみましょうよ』


 私の言葉を聞いた恋人は顔をしかめたまま下を向き、一度大きく息を吐き出した。

 顔を上げた時にはしかめた顔はどこか申し訳なさそうに変わっている。


『すまない。だがどうしても間違った事をしている者が利を得るのは許せないのだ』

『私もあなたの部下たちも許せなんて言ってないわ。ただあなた自ら率先して直接動くのをやめてほしいと言っているだけ。あなたの権力を利用しようとしてくる人もいるし、その場の空気だけで真実を判断するのも難しいでしょう。あなたが国の事を思って動いてくれているのは皆わかっているから』

『ああ。ありがとう』


 何とかなったか、そう思った途端に外から何やら言い争う声が聞こえてくる。

 その声を聞いて座っていた椅子を弾き飛ばす勢いで立ち上がった恋人の腕を、勘弁してくれと思いながらももう一度引っぱりながら制止した。




 そんな事を思い出してため息を吐く。

 蘇芳さんに聞かれたからこそ元婚約者について話し続けているが、思い出すだけで疲労感が増してくる気がした。

 別にあの人は悪い人では無い、ただタチの悪い人ではある。


「先ほどの話に戻すが、君とその男の立場が逆というと、君が別の男に騙されて元婚約者をここに入れた場合という事か?」

「そう。それにあの人ならこの何も無い状態の白い部屋でも余裕で一年過ごしそうな気がする。自分の冤罪は晴れるし騙された婚約者も気が付いて謝ってくるだろう、そして自分はきっとここから出られるはずだって本気で信じこむと思うから。なんていうのかな……正義は勝つ、みたいな。確かに言ってる事は正しいし前向きな人ではあるんだけど」

「だが実際には君をここに入れたのだろう? 自分の恋人を信じずに他の女の言う事だけを真に受けるというのは……」

「そこの所はもう姉の手腕が見事だったとしか言いようが無いね。私をここに入れた時のあの人からの私に対する評価は、コソコソと陰で姉をいじめながら領主である自分に媚を売っていた最低な人間、って感じになってたし。でも今回はたまたま姉が私のやった事を捏造していたけど、もしそれが本当で陰で姉がいじめられていたら? それを勇気を出して泣きながら自分に訴えてくるか弱い女性を守るのは彼にとっての正義になるし、姉にとっても救いになるよね」

「通常はそれを正義にするためにしっかりと確認を取るのだと思うが」

「本当ならね。でもそれが出来ないから思い込みの強さと騙されやすさが問題になるんだよ。いつもなら私が必死に言い聞かせてたけど今回の私は当事者だったし、何より私自身もう良いやって気分になってたからね。これがもし姉が色々と彼に訴えている最中に私が気が付いて必死に説得していたら結果は変わっていたと思う」


 例えば悪人を見つけ強く責めている最中に、その悪人が実は何らかの被害者でどうしようもなくなって悪事を働いていた事に気が付くと、あの人は己の身分など気にもせずにすぐにその人へ頭を下げる。

 そしてその人に罪を償わせながらも、その人にとっての加害者を捕まえに行くのだ。

 これが本当にその人が騙されただけで根は良い人だった場合なら良い。

 ただ、世の中皆そこまで素直ではない。

 今回の姉の件の様に誰かを陥れるために演技をする人間もいるし、権力者が頭を下げた事で色々と利用しようとしてくる人間もいる。

 そういう騙す人間がいる事は何度も説明されているはずなのだが、ともかく悪人が利を得る事が許せず、一度暴走してしまうとしばらく止まらない人なのだ。

 蘇芳さんに説明した通り、今回の件では姉の手腕ややり方があの人の性格に上手い事作用してしまったのだと思う。

 自分の思い通りにするために時には普段の我が儘な行いすら帳消しにしてしまうくらいの口のうまさを発揮する姉が、本気であの人を手に入れるために頭を働かせた。

 悪者を、特に陰でコソコソと悪事を行う人間を嫌う彼にこっそりと相談という名の訴えを繰り返し、彼の感情を自分が思う通りの方向へ操作していく姉の手腕は今回の件では被害者にあたるであろう私から見ても拍手喝采ものだ。

 あの頭の回転を外交や内政に向ける事が出来れば姉と元婚約者の夫婦は名君として名を馳せただろう。

 正直私よりも姉の方があの人の操作はうまいと思う。

 というか、比べ物にならないくらいに上手く説得できるはずだ。

 けれど父親にひたすら甘やかされて育った姉には自分の欲望を我慢するという選択肢はない。

 自分が欲しい物は欲しい、手放したくないものは決して手放さない、そしてそれが許されると思っている姉。

 姉が何か行動する時の前提には自分の願望をいかに我慢せずに叶えるかというものがあるのだと思う。

 母さえ生きていれば、もしくは父が姉に母を重ね合わせなければ結果は変わっていたかもしれないが。


「あの人……元婚約者の基準で考えると、今回の私の投獄の件で一番悪いのは騙してきた姉、次に騙されてしまった自分。そう考えていると思う。ただ同時に自分は姉に騙された被害者だっていう意識もある。だから私には謝れば許してもらえるって思ってる。なぜなら逆の立場の時には自分は謝ってきた人間を許すから。要は自分は相手が間違いを認めて誠実に謝って来れば許すから、他の人もそうだと思ってる。多分私には本気で申し訳ないと思ってるし、心の底から頭を下げると思うよ。なんだったら私が望めば詫びのしるしだとか言ってその場で指くらい切り落としそうな人だし。それと同時に自分はそれで許されるって無意識に思ってる」

「……信じられんし、何とも言えん。だがそれでよく領主の仕事が務まるな」

「正義感が暴走した所を誰かに騙されて、そしてさらに誰かに騙されて、っていうのは中々起こることでもないしね。それに大体まずそうだと思った時点で側近の人達が動いてたから。その人達も少しでも意識を変えようとはしてたみたいだけど……それに正義感で動くって良い結果につながることも多いでしょう? この間見た外の様子で、領主自ら町の中で魔獣を倒してたの覚えてる?」

「ああ」

「あれも多分、側近たちは危険だからって止めたと思うよ。あの状況で国をまとめる領主が怪我をしたり死んでしまったりしたらそれこそ国が潰れてしまうし。でも町の人達が困ってるからその反対を押し切って町中走り回ってたんだと思う。領民から見れば生活環境は悪化したけれど必死に改善しようとしている風に見えるよね。だからあの人の人望というか、慕われる部分は下がりはしても簡単には無くならないと思うよ」


 理解不能だという雰囲気を隠そうともしない蘇芳さん。

 気持ちはわかる、私も未だに理解が出来ない。

 やっている事は間違ってはいない、ただ領主という権力を持つ人間がやってはいけない事だというだけだ。


「もしもあの人が領主じゃなくて、悪人に支配された貧乏な村の一般人とかだったら英雄になったかもね。自分の正義を信じて臆さずに行動し、それが出来るだけの実力をつけるために努力して。そうして自分が上に立ったら今まで苦労してきた人たちのために自分の身を粉にしてでも働く。悪政を強いられてきた人たちにとっては理想的だよね」

「だがそれはもしも、だろう」

「うん。実際は公私混同を一番してはいけない立場だと思うし。ただ権力だとか騙されてるだとかを考えなければ言ってる事自体は間違って無いから、周りの人も説得しにくいんだよ。どうしても正論って強いし」

「権力の事をよくわからない領民から見れば身分など気にせずに親身になってくれる良い領主に見えそうだしな」

「本当に被害に遭っていた所を庇ってもらった人は尚更そう思うだろうね。実際に彼の正義感に助けられた人も大勢いたし」

「だが君の様にその正義感のせいで被害に遭った人間もいるだろう?」

「周りの人間が動くしその間違いは大体そのうち正されるから。それが判明した途端に周りが止めるのも聞かずに地面に頭を打ち付ける勢いで謝るから、よっぽど重大な被害に遭わない限り許しちゃう人が多いよ。そしてそれを利用しようとする人を何とかするために周りが必死になる、と」


 いつの間にか不機嫌な雰囲気を呆れたものへ変えた蘇芳さんが、多少引きつったような表情を浮かべている。

 これも珍しい表情だ、少し得したな、なんて若干の現実逃避を含めた頭で思う。


「よく領主候補から外れなかったな」

「世襲制で一人息子だし。その重大な欠点さえ除けば仕事は出来るんだよ。やる気もあるし」


 そう言ってから思いっきりため息を吐いた。

 今思い返しても彼の暴走を止め、細かい所を説明し理解させる日々の大変さがリアルな情景で思い出せる。

 そもそも姉の事を選んだ時点で私の彼への好感度はマイナス方面へ振り切れている。

 本当は誠実な人だから、悪い人では無いから……そんな事を思いながら彼を支えていた頃に戻りたいなんて絶対に思えない。

 あれは彼に対してそれなりの好意があったからこそ出来たものだし、もうあんな疲れる日々はごめんだ。


 どうせ困難な道を共に歩むなら、目の前で私をじっと見つめて来るこの人とが良い。

 外の世界よりも数倍嫌な場所であるはずのこの空間、ここで彼と過ごす日々の穏やかさを知ってしまった今、外に出たとしてもこの人と一緒に過ごしたい。


「撫子」

「ん?」

「君は、その男のどこが良くて恋人になったんだ?」

「えっ」


 じっとこちらを見つめ続ける蘇芳さんは私の答えを待っている様だ。

 自覚したばかりとはいえ好きな人相手に前の恋人、しかも今は嫌いな相手の好きだったところを話さなくてはならないのかと顔が引き攣った。



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