この世界で一番強い力
町の様子を見たいと思っていたら思いがけず親友の幸せそうな姿を見る事が出来て嬉しさでいっぱいになった。
この場に来たという事は彼女の結婚相手は他の国の要人なのだろう。
恋人というだけではこんな場については来ないだろうから、結婚済みのはずだ。
西の国の姫様としてここにいるのかと思ったが、桔梗は男性の後ろに控えるような形で立っているのでおそらく男性の方が立場が上になるのだろう。
どこか他の国へ嫁入りしたのだろうか。
姉の白無垢よりも桔梗の白無垢姿の方が見たかった、そんな事を考えていると後ろから引っ張られて尻もちをつくような形でソファに座る羽目になった。
スクリーンの前に立っていたので高い目線からいきなり低い目線へ移動したため頭の中が混乱する。
ただその体勢に気が付いてからの方が混乱は大きかった。
この場には二人しかいないので私を引っ張ったのは自動的に蘇芳さんになるわけだが、着地した場所がソファに座る彼の足の間というとんでもない場所だった事に気が付いて体が硬直する。
お腹に回った彼の腕と背中に密着する体。
蘇芳さんが私の肩に顎をのせたせいで彼の顔がものすごく近い。
恥ずかしさが一気に湧き上がり、顔が紅潮しているのが自分でもわかるくらいに頬が熱い。
この体勢になった意味が分からず頭の中に盛大に疑問符が飛び交っている私の耳に、どこか苦しそうな蘇芳さんの声がダイレクトに聞こえてくる。
耳元の声に顔は赤くなるし物凄く恥ずかしいのだが、その声の苦しさに気が付いて何とか心を落ち着かせた。
「……あの男は、君の知り合いか?」
「お、男? 今入って来た方の?」
「ああ」
「ええと、知らない人だね。私の友達はあの女の人の方」
「そうか」
そう言ったきり無言になってしまった蘇芳さん。
少し待ってもピクリとも動こうとしない彼におずおずと声を掛ける。
「蘇芳さん?」
「…………あの」
「え?」
「あの男が、俺の知り合いに似ている」
「桔梗の、えっと私の友達と一緒に入って来た人?」
「ああ」
お腹に回った腕の力がさらに強まり密着具合が上がるが、照れよりも心配が勝ったのでじっと身動きを取らないまま彼の言葉を待つ。
私の肩に顎を乗せた体勢から蘇芳さんが少し移動し、顔を肩に埋めるようになった彼の声が少しくぐもる。
「俺が反乱を起こした時、最後までついて来てくれた男がいた。ただ俺の負けがほぼ確定した時、あいつには町で待つ家族がいたんだ。だから俺はあいつがもう俺にはついて行けないと言った時に止めなかった。あいつまで俺と一緒に死ぬ必要は無いと思ったんだ。死ぬなら俺一人で、兄にも母にも邪魔されず生を終えようとっ……だが死にたいと思った場所へ行った所で俺は捕まった。俺が死に場所を伝えた相手は一人だけ、取り押さえられた俺を見つめる兄の横に立つ親友だと思っていた男だけだ。最後の最後に俺は親友だと思っていた男に裏切られたんだ」
お腹に回っていた手にそっと触れれば、その手が彼の手に握りこまれる。
ここまで強く握られたのは初めて出会った頃以来かもしれない。
「君の元婚約者が俺の兄の子孫ならば、あの画面に映る男はあいつの子孫なのかもしれないな。この状況で来るという事は身分も高いのだろう。俺を売った代わりに兄から身分でも貰ったか。もっとも今の状況を見るに画面の男の方が兄の子孫よりも立場は上のようだが」
どこか吐き捨てる様にそう口にする蘇芳さん。
彼の部下はゲーム画面ではモブ扱いというか、全員黒のシルエットだったので容姿に関しては初めて知った。
ただ蘇芳さんがこんな状態になるくらいに似ているのならば彼の予想は正しいのだろう。
ある程度口にしたことで少し落ち着いたのか、蘇芳さんは一度大きく息を吐き出してソファに寄り掛かった。
必然的に彼に抱えられている状態の私もそのまま引っ張られて彼に寄り掛かる形になる。
そのままどこかぼんやりした様子で握っていた私の手に指を絡めてみたりまた握ってみたりを繰り返しだした蘇芳さんに何も言えずに、ひたすら恥ずかしさを噛み殺す。
普段だって手は繋いでいるのにこうも恥ずかしいのはこの体勢のせいだろうか。
傍目から見たらじゃれあう恋人同士にしか見えないだろうな、なんて思いつつも彼が話し出すのを待つ間、握られる手から意識を離すために画面の方を見る。
画面の中の桔梗は睨みつける姉の方を一切気にせずに男性へ寄り添っていた。
その男性は手に持っていた布に包まれた物を領主に見せる様に前に出し、その包みを解いていく。
金銭かそれとも同盟の契約書か、その辺りを予想していたのだが出てきたのは一冊の本だった。
「本?」
予想外だったせいかポロっと口から声が漏れる。
私の声に反応した蘇芳さんが顔を上げてヒュッと息を飲んだ。
「何故……」
私の手に指を絡めたまま呆然とそう呟く蘇芳さん。
ちらりと振り返ってみるとその視線は画面の中、男性の持つ本に固定されている様だった。
「どうかした?」
「……本の表紙」
「表紙?」
流石に画面越しだと小さくしか見えない表紙には、名前のようなものが見える。
著者の名前なのだろうが持っている男性が本を動かしながら何か話しているせいで揺れてしまっており、その文字は中々読み取れない。
「兄とあいつの名前が書いてある」
絞り出すようにそう言った蘇芳さんの視線は未だに画面に固定されており、表情があまり変わらない彼にしては珍しく眉間に皺が寄っている。
あいつと言うのはその最後に裏切ったという親友だった人の事だろう。
何だか妙な予感がしてきて私も蘇芳さんの手を握り返す。
結界が弱まり国が追い詰められたこのタイミングで、前の結界の維持者だと伝えられている人間が書いたらしい本を持った訪問者が、それも桔梗が来るなんて……何かが起こる予感がする。
本に書かれている名前が蘇芳さんの兄の物だけならば結界に関しての情報が記載されているのだろうくらいにしか思わないのだが、彼の親友の名前も書かれているのが引っ掛かった。
外の世界とこの空間は断絶しているので、外で何が起ころうとここには何も影響はない筈なのだが。
今までより強く握り返された手の感触で、彼も同じように何かを感じている事が分かる。
どうしてか湧き上がってくる妙な予感が止まらない。
さっきまで感じていた蘇芳さんとのこの体勢に対しての照れや戸惑いが吹き飛ぶ。
もう一度画面を見ると、男性が本を見せながら何か領主夫婦に説明をしている様だった。
そして桔梗が口を開き、何かを言われたらしい元婚約者と姉の瞳が見開かれたところで画面が消えてしまう。
「あ」
「……時間切れか。映っている角度さえ違っていればある程度は何を話していたかわかったのだろうが」
この外の映像は何故か見ている最中に触ってもいないのに消えてしまう事がある。
消えるまでの時間はバラバラだが次の日になればまた見る事が可能なので問題は無い。
けれど今回に限ってはもう少し見ていたかった。
私と蘇芳さんの間に消化不良のような変な空気が流れる。
「……撫子、鍛錬でもして少し体を動かさないか?」
「ああうん、そうだね。夜になったらプラネタリウムでも見ようか。ちょっと夜更かししたい気分」
「そうするか」
何となく一人になるのが嫌な気分だ。
薙刀を持って蘇芳さんと二人で部屋を後にし、彼の部屋の方にある鍛錬用の部屋に向かう。
体を動かしていればこのモヤモヤとした気分も多少は消えるはずだ。
そう思っていたのだが、日付が変わっても結局お互いに妙な不安は消えなかった。
他の事に集中しようと二人で囲碁を打ってみたり映画を見たりしつつ、最悪寝落ちできるだろうと思いプラネタリウムをつけてみるが落ち着かない。
床に寝転がっているというのに結局眠れず、この空間に来て初めて一睡もせずに二人で過ごす事になった。
長いような短いような夜が明けて、多少落ち着いて来た心にホッとしながら蘇芳さんと二人であくび交じりにスクリーンがある部屋へのドアを開ける。
一晩中起きていたので今は少し眠い気がするし、朝食を食べたら一眠りしても良いかもしれない。
そんな事を考えながら扉を開けた私の視線は、中央のテーブルの上にある物に吸い寄せられることになった。
扉を開けた状態で固まった私を見て不思議そうに首をかしげた蘇芳さんが、私の視線を追って同じ様に固まる。
「撫子、何か新しい物を出したのか?」
「……ううん。出してない」
中央のテーブルの上、いつも朝食を食べる場所なので昨日部屋を出る時に片づけたはずのそこに、少し紫がかった桃色の箱が置いてあった。
その上には一輪の花、青みを帯びた紫色の花が箱の上に乗っている。
『この色、撫子色と言うんですね。撫子様の名前と同じです。紫の様な、桃色の様な……素敵な色』
『こっちは桔梗色って言うみたいね。桔梗の名前と同じだ。青っぽいけど紫かな、私この色好きだな』
『私達の名前は花と色から取ったのでしょうか』
『ねえ桔梗、私たちお互いの祝い事の時には贈り物を送り合っているじゃない? これからは相手の名前の色の箱に入れて自分の名前の花をつけて送り合うっていうのはどうかな?』
『わあ、それ、すごく素敵です』
幼い頃、桔梗と二人でお互いの名前の色を見つけて笑い合った時の事が頭をよぎった。
撫子色の箱の上、桔梗の花が私が手に取るのを待っているような気がして静かに歩み寄る。
「撫子?」
「多分大丈夫」
心配そうな声で私を呼び止めた蘇芳さんにそう返事をしてテーブルの前で止まり、花と箱を見下ろす。
……私のパソコンは本来ならこの世界にはありえない物で、反則的な力を持つ物だ。
けれどそれよりもずっと強い、比べ物にならないくらいの力。
それでいて反則でもなんでもない、純粋な力を持っている人がいる。
運命を引き寄せ、どんな不可能でも可能にする事が出来るのはいつだって物語の主人公だ。
そんな事を考えながら、箱の上に置かれた桔梗の花をそっと手に取った。