快適生活のために必要な物
おそらく私の事を心配して胸を痛めてくれているだろうゲームの主人公だったあの子、桔梗という名の小さな頃からの私の友人の事を思い出す。
少しだけ浮かぶ罪悪感に心の中でだけ謝った。
ごめん桔梗、私今すごく幽閉生活を満喫してる。
ここに入れられて二週間程。
動画サイトで好きだったアニメをア行の一番初めの物からすべて見るという贅沢な事をしていた私は、ようやくアの付くタイトルの物を見終わりぐっと伸びをした。
うつ伏せに寝転がってひたすらパソコンの画面を見続けていたので流石に腰が痛い。
座椅子を買ってたまに座って見たりもしていたのだが、途中でどうしても寝転がりたくなってしまう。
その座椅子も少し使い勝手が悪かったため、パソコンにあった買い取りサイトに出してみた。
買い取り申請が受理された途端に座椅子は消え、ショッピングサイトのポイントに買い取り値段分のポイントが増えていた。
いらなくなった物はこうして買い取りサイトに出せば、ポイントの減りは抑えられそうだ。
とはいえ、生活費が掛からないのである程度の設備と娯楽品を買ってしまえばあまり買い物する事も無いだろう。
伸び終わっても尚残る腰の痛みにため息を一つ吐いてから部屋を見渡す。
ずっと動画サイトとにらめっこをしていたので、あの初めの日に買い物をして以降はほとんど物が増えていない。
「買い物しよっかな、せっかくだから色々設備を整えたいし」
誰に言う訳でもなく一人そう呟いて、腰の痛みを無視しながらまた寝転がりパソコンに目を向ける。
カチカチとマウスを操作してショッピングサイトを開いた。
「最初に買ったソファは結構いい感じだし、あそこでパソコン見られるようにテーブルでも……あ、そうだ」
テーブルもだがよく考えればスクリーンのような物に映して大画面で見ればいいじゃないかと思い立ち、良い物が無いか探す。
良さげな物を見つけたので、そのスクリーンと手元でパソコンを操作するための移動式のテーブルを買ってみる。
どういう技術なのか今いる部屋の間取り図が映し出され、その図の上で適当な位置にスクリーンを配置してみればすぐにその場に設置された。
おまけにパソコンとの同期も自動で済んでいる様で、いつの間にかホーム画面に追加されていたスクリーンのアイコンをクリックすると設定画面が表示される。
「便利だなあ」
せっかく買ったのでソファに移動し、届いたテーブルにパソコンを乗せて操作する。
作業用に音楽動画を流してみると、かなり良い画質でスクリーンに映し出された。
動画には目を向けず何となく音楽を聴きながら思いついた物を購入して設置していく。
一応時計も買ったが時間に追われる生活でもないので、何かをするのに焦る必要が無いのが嬉しい。
流石に寝る時間は守ろうと決めてはいるが後はひたすら好きな事をしている。
ベッド以外でもゴロゴロ出来るように淡い桜色のラグを買って設置すれば、足元にフワフワした感覚が感じられた。
置いてあった家具の下にしっかりと敷かれているラグを見て設置が自動って便利だなと実感する。
ただ足元が桃色になった事で部屋の中の白さが際立ったような気がして、ちょっと嫌な気分になった。
白色は嫌いでは無いがすべて真っ白というのはやっぱり嫌だ。
見下ろした私の体もここに入れられる時に着せられた白い服に包まれているし、さっさと発狂しろと言わんばかりだ。
「……家具を増やして、服も買おうっと」
ここで過ごしている間についた汚れは気が付くと無くなっており、新品の服の様に戻っている。
トイレにも行きたくならないし、初めから設置されていなかった事を考えると本来ならばお風呂もいらないのだろう。
私は湯船にゆっくり浸かるのが好きなので必要は無くても毎日入っているけれど。
今まで服はずっと新品のままだったので買っていなかったが、なんだか白以外の服が欲しくなってきた。
この世界の服は洋服と着物が混ざったような物が基本の為か、ショッピングサイトに並ぶ服もそのような服ばかりだ。
ジャージ系は無い様で一瞬がっかりしたが、まあ時間はたっぷりある幽閉生活だし多少おしゃれも楽しもうと決めて数着注文し適当な物に着替える。
ちょっと気持ちも入れ替えた所で買い物を再開した。
そうして色々と吟味しながら買い物と模様替えを終え、ある程度満足いく部屋になった所で買い物を止める。
じっと見ていると際限なく買ってしまいそうだ。
パソコンとにらめっこしていた事で固まった首や肩を回して部屋の中を見回す。
ゲーム用とは別の壁掛け用のテレビを設置し、その両脇にカーテンをつけて疑似的な窓にしてみた。
いくつか買ったDVDを使って今は海の中を魚が泳ぐ映像を流している。
広い壁についた窓の外をゆったりと泳ぐ魚たちの映像は飽きずにずっと見ていられるほどに綺麗だ。
空模様や山道の散策などのDVDも購入したのでいつでも好きな映像に変えられる。
さっき買ったラグの上に大きなクッションも買ったし、部屋の片隅には本棚とクローゼットも設置した。
少し調べた所、生き物はこの空間には連れて来られないらしいので動植物は諦めて造花とぬいぐるみを飾るだけに留める。
キッチンスペースには冷蔵庫を買い、空間から提供される食事以外にアイスやジュースを買って入れて置く事にした。
淡い色で纏めた家具で埋まり満足いく出来になった部屋を見回して、よし、と口に出して立ち上がる。
真剣に買い物をしていたせいでもう寝る予定の時間が近づいてきている。
買った服の中から寝やすそうなものを取り、風呂を設置した部屋の方へ向かった。
もちろんこちらの部屋も改装してある。
こちらの部屋も広いので新しく壁を設置して空間を区切り、風呂場のスペースとは別に部屋を作っておいた。
その部屋の方に前世では部屋の狭さ的に諦めていたマッサージチェアを設置し、その横に飲み物専用の小さめの冷蔵庫も備え付ける。
ちょっと開いているスペースがあるがあそこには何を置こうか、運動不足になったら嫌だしエアロバイクでも買おうかな。
服などはこの世界に合わせた物しか買えないというのに、何故か家電やゲーム機などは買える不思議さはあるが今の私にはありがたさしかないので深く考えないでおく事にする。
こちらの部屋も満足の出来栄えだし、運動器具さえ買ってしまえばしばらく物を買う事は無いだろうか。
何となく満たされたようになった気持ちで湯船に体をすべり込ませた。
温かいお湯が固まった全身を解きほぐす様で心地良い。
リラックスしたせいか、桔梗の顔が思い浮かぶ。
あの子はもう西の国へ旅立っただろうか。
「……そろそろ少しくらい上手く行かなくなる頃かな?」
何となく呟いた言葉が風呂場に反響して、クスリと笑う。
あの時、桔梗に国を出るように言ったのは姉の事があるからだけでは無い。
ここ数年、うちの使用人達の家を中心に農業や工業の生産率が上がり、我が国は他国と有利な条件で色々な契約を交わしている。
生産率の向上は天候に恵まれたためだと思われているが、使用人達に入れ知恵をしたのは私だ。
この世界の農業や工業は昔の日本の様に古いやり方で行われていた。
このデジタル機器だらけの部屋で過ごしていると忘れそうになるが、作業は人力で機械などはほとんど存在していない。
だから私はパソコンで検索して、昔の農業で使っていた機械などで今の技術でも作れそうな物を探して使用人達にこっそり試してもらっていたのだ。
生産率が上がるかは判断が効かなかったし、成功するかどうかも断言出来なかったため特定の使用人達にのみお願いしていた。
そう、あの家で姉では無く私の味方だと確実に分かる人達にだ。
母が生きていた頃の父への恩がいくら強くても姉の暴挙が酷くなり、父がそれを抑えずに更に増長させていればいくら強い恩義を感じていたとしても目減りしていくに決まっている。
それでも彼らが私の家に仕えてくれていたのは、自惚れでもなんでもなく私が居たからだ。
私が試してほしいと言った技術で家業は上手く行き、姉の暴挙を何とか食い止めようと私が努力していた事もみんな見てくれていた。
けれど今、他ならぬ姉の手によってあの家から私は消えた。
「ふふっ」
思わず零れた笑い声。
姉が私を嫌いな様に、私も姉が大嫌いだ。
そして母恋しさゆえにそれを良しとしている父ももうどうでもいい。
姉が言った私の邪魔ばかりして、という言葉は私から姉に向かう気持ちにも当てはまる。
私が幼い頃から仲良くしていた同い年の使用人は桔梗だけではない。
他にも数名いた友人たちは姉のちょっとした怒りに触れて、家族ごとクビを切られて他国へと行ってしまった。
それ以外にも細かい姉からの被害はあったが、私の中で姉を敵認定したのは姉が私の飼っていた小鳥に危害を加えた事だ。
幼い頃から可愛がっていた私の小鳥は声が煩わしいと毒を飲まされ、もう少し発見が遅ければ命を失っていただろう。
引き換えの様に声を失ってしまった小鳥を見て馬鹿にするように笑った姉の顔を今も覚えている。
その子は本来の寿命よりもずっと早く私をおいていってしまったが、その寿命を短くした原因が姉の飲ませた毒で無いと誰が言いきれるだろうか。
その時私が訴えた言葉も父には届かず、姉が軽く叱られただけだった。
あの時、私の中で姉に対する恨みは静かに爆発した。
いつか何かで苦しませてやりたいと思っていた。
今回私の恋人が姉に取られたのは想定外だったが、それはもう良い。
姉の事を好きだという人は嫌いだ、もう何の未練も無い。
さて、姉の暴挙を止めていた私という人間がいなくなった後、実家が高い生産性を持っている使用人達はあの家に残るだろうか。
気に入らないという理由で理不尽な目に合うかもしれない、けれど結界の維持という役割を手に入れて幼い頃より暴君と化した姉を咎める人はいない。
私が提案した技術で実家に戻ってもやっていけるだけの稼ぎがしっかりとある以上、私への恩義と自分の身の安全の為にさっさと使用人の仕事を辞めて実家へと帰って行くのはほぼ確定だ。
色々な技術を教えた使用人達は他国から出稼ぎに来ていた人たちも多い。
自国に帰ればその技術を広めるだろうし、我が国の独占市場はもう無くなるだろう。
私の恋人だった次期領主とくっついてくれたのは、ある意味ありがたい。
私を幽閉した後はすぐに結婚すると言っていたし、そうすれば領主は代替わりし、あの男が就任して姉はその妻として上に立つ事になる。
国のトップが変わった途端に落ちていく自国の生産率、そしてその代わりに他国の生産率が上がるだろう。
そうすれば領主夫婦の評判もどんどん落ちていく事になる。
元々国民には様々な所でお金や身分に物を言わせて我が儘し放題だった姉を嫌う人も多い。
人望が無いトップの下でどのくらい国が保たれるんだろう。
きっとそれは後数か月もしない内に確実に起こる出来事だ。
じわじわと真綿で首を絞められるように追い詰められていけば良い。
その為に桔梗にはなるべく急いで国を出るように言ったのだ。
「……ざまあみろ」
そう笑ってお風呂から出て新しい服に袖を通す。
冷蔵庫から冷えたお茶を取り出して口に含み、マッサージチェアの電源を入れた。
固まった肩や腰が解されていって気持ち良い。
前世でも買っておけばよかったなあ、なんて頭の片隅で思いながら眠りそうになる意識を無理やり起き上がらせる。
別にここで眠ってしまってもこの空間では病気にはならないらしいから別に良いのだが、やっぱりふかふかのベッドで寝たい。
マッサージチェアから降りて、冷蔵庫からもう一本お茶を取り出してもう一つの部屋に続くドアを開ける。
さっさとベッドにダイブして眠りたい、そう思いながら眠気で半分閉じかけていた私の目は、部屋の中に立つ一人の人物を視界に入れた事で見開かれる事になった。
誰も入って来る事が出来ないはずのこの部屋の中でこちらに背を向けていたその人は、私がドアを開けた事でこちらを認識して振り返る。
高く結ばれた床に届きそうな長い黒髪がふわりと揺れて、感情が感じられない無機質な深い緑色の目が私を見て少し見開かれた。
黒みを帯びた赤い服が淡い色の部屋の中で一層際立つ。
今の私はその人の事を知らない、けれど前の私は知っている。
この世界について知った時、会えないのかと残念に思った人。
この国を舞台にした乙女ゲームシリーズの第一作に登場したラスボスと呼ばれる存在。
私が生まれた時代は第一作から百年近く経過した第六作目だったので彼はもういないものだと思っていた。
その彼が今、私の目の前にいる。
何かを言おうとして口を開いたのは二人とも同じタイミングだった。
声にならずに咽こんだ彼に慌てて駆け寄りお茶を手渡すまで後数秒。
私と彼の、本来なら交わる事の無い道が交わった瞬間だった。