変化の兆し
基本的にテレビを見たりゲームをしたりしながら過ごしていた日々に、鍛錬の時間やプラネタリウムをゆっくりと楽しむ時間が増えた。
鍛錬の時間は自分でも気が付いていなかった癖等を指摘してもらえてありがたかったし、蘇芳さんの素振りを見学するのは何回見ても楽しい。
プラネタリウムはフィルムの種類が豊富なので全然飽きないし、精神的にもゆっくり出来る気がする。
誰かといるのに無言という空間が長時間続いても不快に思わないのは自分でも意外だったが、これは相手が蘇芳さんだからなのかもしれない。
沈黙が気まずい、何か話した方が良いのだろうか、そんな考えが全く湧いて来ないあの空気は居心地が良くてすごく好きだと思う。
気が付けば彼と過ごすようになってもう数か月ほど経っただろうか。
二人で一日映画やアニメを見たり、ゲームをしてみたり、ただおしゃべりを楽しんでみたり。
もし蘇芳さんがいなかったら今頃私は何をしていただろう。
ここに入ってすぐの頃はアニメをア行の一番初めの物からすべて見る、なんてことをしていたのでそろそろハ行辺りにたどり着いていたかもしれない。
そんな事を考えて少し笑う。
ここに入ると決めた時に思い描いていた理想の生活とは少し違う今の過ごし方を私は結構気に入っているようだ。
今日も白い部屋で蘇芳さんと二人並んで座り、プラネタリウムを起動する。
白い部屋の方が綺麗に見えるらしいので、結局この部屋は天井も床も壁も白いままだ。
もうほとんどのフィルムを一度は見たにもかかわらず蘇芳さんはプラネタリウムがお気に入りのようで、初めて見た日と同じ様にクッションに頭を預けて横になっている。
海の中等の映像の時は壁際に寄り掛かって座って見る事もあるのだが、星空はこの体勢で見たいらしい。
今日のフィルムは音声で神話の解説が付いている物だ。
もちろん神話は前の世界の物なのでこの世界には無い話なのだが、蘇芳さんは架空の物語の一つとして楽しんでいるようだった。
永遠という途方もない時間があるせいか、ここで過ごす日々は基本的にゆっくりだ。
明日の予定というものが決まっていない日々、時間が無限にあると思うと焦って何かをしようとも思わない。
この日もゆっくりと神話の解説を聞きながら時折蘇芳さんと会話を交わして一日が終わった。
今日はプラネタリウムを起動したまま白い部屋で夕食を食べたので、そのまま蘇芳さんと別れて自分の部屋に戻る。
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみ、また明日」
そう挨拶を交わして自分の部屋のドアを開く。
ドアを閉めようと振り返った時、隙間から見えた蘇芳さんがじっと片手を見つめていた事に気が付いた。
静かにドアが閉まり視界から彼が消えた所で、蘇芳さんが見ていたのはさっきまで私と繋いでいた方の手だという事にも気が付いて自分も手を見つめる。
さっきまで彼の手に包まれていた手、初日がそうだったせいかプラネタリウムを見る時は何となくずっと繋がったままになっていた。
「……もうそろそろこれも終わりかな」
何となくそう呟いて少し寂しくなる。
彼とこの空間で過ごすようになって数か月、二人ともお互いがいる事が当たり前になって来たように思う。
彼が朝慌てて飛び込んで来る事はもう無くなったし、以前は必ずくっついて座っていたがお互いが別々の事をしている時は離れて座るようにもなった。
一緒に映画を見る時などは画面の位置的に二人でソファに腰掛けるので、未だに肩が触れ合ったりはしているのだが。
「良い事、なんだよね」
彼が一人で彷徨い歩いていた頃のトラウマから回復してきている事は喜ばしい事、それは間違いないし私も嬉しい。
ただなんとなくだが、この手が繋がれなくなる事は寂しく感じてしまう。
「……うーん」
この寂しいという感情はどこから来るものなんだろう。
最推しキャラだった彼との触れ合いが減って寂しいのだろうか。
この空間に一人きりだと思っていたから、せっかく出会った気が合う彼との距離が開いてしまったようで寂しいのだろうか。
後者に関しては逆に彼との距離が縮まったからこそ開いた距離だと自分でもわかっているし違う気がする。
なら前者だろうか、けれどそれも違う気がした。
目の前の彼をキャラクターとして見るのは失礼な事だし、やめようと決めてからしばらく経つ。
まあ実物はやっぱりかっこいいな、なんて思ってしまう事もあるので完全に意識しないようにするにはもう少し時間がかかりそうではあるのだが。
とはいえ普段は一人の人間として彼を見る事が出来ているとは思う。
なら……キャラクターとしての彼とではなく、実際に目の前に存在している蘇芳さんという男性と距離が開くのが寂しいのだろうか。
「あ、やめよ」
なんだか気が付くと色々と意識してしまいそうなので敢えて声を出して思考を断ち切る。
寂しい物は寂しい、今はそれでいい。
どうせ時間は無限にある、今急いで答えを出す事でもないだろう。
思考を断ち切ってベッドへと潜り込む。
繋がっていた手だけ妙に温かいような気がした。
次の日、いつも通り部屋に来た蘇芳さんと朝食を取る。
今日はまた外の様子が見たいと言う蘇芳さんの希望に応えて、パソコンの鳥居のアイコンをクリックした。
目の前のスクリーンに町中の様子が映し出される。
「これ自分で操作が出来るなら、空を多めに映したり森の中を散歩するみたいに映したりしたいなあ」
「ああ、それは面白そうだな」
もし出来るならプラネタリウムの機械で映し出すのとは違った楽しみ方が出来そうだ。
実際には操作は出来ないので映し出される映像を見るだけなのだが。
結界の範囲は狭くなっているのだろうが町の様子は平和に見える。
もしかしたら身分が上の人達は気が付いているのかもしれないが、町の人達は平和に過ごしているように見えた。
ゆっくりと進んでいく映像の行き先は完全にランダムのようだが、今日は見覚えのある建物へと向かって行っているようだ。
幅広く整った石畳の道の先、荘厳な印象を受ける外壁の建物が映る。
「領主の屋敷か」
「来客を迎えるための場所だよね」
「俺の時はそうだったな。今もなのか?」
「うん、来客の中でもかなり重要な客を迎えるための場所だったはず」
画面に映る屋敷は障子がすべて開け放たれており、複数の人影が見える。
映像はその建物の近くまで行って止まり、中の人影の顔がハッキリと見えた。
「あ」
「どうかしたか?」
思わず口から零れた私の声を拾った蘇芳さんが反応を返してくれる。
「あー、その、中にいる人なんだけど」
「知り合いでもいたのか?」
「前に話した元婚約者。そう言えば今は領主だろうから映るのは当然か」
蘇芳さんの問いにそう答えて一人で納得する。
画面に映る建物の中には、私をここに入れた元婚約者が立っていた。
何だか見ていて嫌な気分になる。
確かにあの人の事は好きだったはずなのに、最後に会った時が私をここに入れると言う宣告の時だったからだろうか。
君がそんな人だとは思わなかった、実の姉だと言うのに純粋な彼女を影でコソコソと虐げるなんて……あの人に言われた言葉が一瞬で脳内に思い浮かぶ。
思い出したら何だか腹が立ってくる、私の言い分も聞こうとせずに一方的に罵られた腹だたしさを思い出してため息を吐いた時だった。
「……は?」
少しの間の後、今まで聞いた事の無い低い声で蘇芳さんからそう言葉が返ってくる。
驚いて彼の顔を見ると、その横顔は無表情ながらも瞳に不快そうな感情が乗っているように見えた。
「……蘇芳さん?」
「…………」
名前を呼んでみても視線を逸らさずにじっと画面を見続ける彼を見て少し不安になる。
元婚約者に罵られた怒りは一気に萎み、じっと蘇芳さんの横顔を見つめた。
画面に向けられた彼の瞳を見ている内に、もしかして、と一つの可能性を思いつく。
シリーズ物の乙女ゲームにはたまにある事だと思うが、攻略対象キャラが前作の面影を引き継いでいる事がある。
この世界のモチーフになったゲームもそういうキャラデザインをしていた。
蘇芳さんが登場したシリーズ第一作目のメイン攻略対象は蘇芳さんをここに入れた彼の兄、そして私の婚約者も最新作のメイン攻略対象だ。
もちろん別人なのだが外見の雰囲気や基本的な性格は似ている。
蘇芳さんの兄は私の元婚約者の曽祖父になるので血筋が繋がっているという事もあるのだが。
色々思い出させてしまっただろうか、ただ私は蘇芳さんの兄の顔は知らない事になっているので滅多な事は言えない。
どうしよう、そう悩んでいると一度小さく息を吐き出した蘇芳さんが私の顔を見た。
「すまない、何でもないんだ」
「……そう」
なんと返事を返して良いかわからず、短く返事を返す。
視線をどこに向けていいかわからず画面に戻すと、建物の中に姉もいた事に気が付いた。
画面の中の元婚約者と姉が勢い良く頭を下げたのを見て、思わず声が出る。
「は?」
さっきの蘇芳さんと同じ様な声が出てしまったが、私のこれは驚きからだ。
まさかの姉が頭を下げている事への驚き、ただ下に向けた顔が怒りに染まっているのを見てその驚きは収束した。
なんで私が頭なんて下げなくちゃいけないの、そんな声が聞こえてきたような気がして、やはり姉は変わっていないのだなとしみじみと感じる。
「あの服……他国の使者のようだな」
画面に視線を戻した蘇芳さんがそう呟く。
さっきの不愉快さを含んだ声でない事に安堵しつつも、私も画面内を見つめる。
建物の中には姉たちの他に独特の衣装に身を包んだ数人の人間が立っていた。
「あの服って他の国の伝統衣装だよね。それも別々の国の使者の方が同時にいらっしゃるみたいだけど」
「ああ、共に大国だったはずだが。今はどうなんだ?」
「片方は軍事面でかなり強い国だね、もう一つは確か農業での生産量がかなり多い国のはずだけど」
軍事面と農作物の生産に強い国の使者の方に向けて、領主夫婦が頭を下げる。
どうやらここに入れられた時に私が想定していた事が徐々に現実になってきている様だ。