自覚
あの外の世界を見る事が出来た日から、私のパソコンのホーム画面には新しいアイコンが増えた。
赤い鳥居のアイコンはクリックするとランダムで外の様子が見られるようだ。
音が出たのはあの最初の時だけで、一度ぷつりと音が途切れてからは無音映画のような映像が流れるようになった。
正直私には見慣れた景色だし今はもう戻れない場所である以上、特に興味はない。
ただ蘇芳さんは百年後の外が気になるらしいので彼が見たいと言った時にはスクリーンに映すようにしている。
彼と過ごすようになってから一週間、二週間と経ち、徐々にだがお互いに遠慮が無くなってきたように思う。
朝一で彼が来る事に変わりは無いが、飛び込んでくる回数は減って来た。
日中ずっと蘇芳さんと一緒なので一人の時間が無いのがきつくなるかなとも思ったが、そんな事も無く平和な日々を過ごしている。
蘇芳さんも手を握らなくてもどこかしらがくっついていれば安心するくらいまでは回復して来た。
両手が自由になった私は最近は動画ではなくゲームをするようになったし、蘇芳さんは様々な世界観のアニメや映画を楽しんでいるようだ。
そんなわけで今日私はここに入れられた時に一つだけもう出来ないと諦めた事をやろうと思う。
蘇芳さんがスクリーンを使っているので、窓代わりの薄型テレビを使う事にしてそちらにゲームをセットする。
向き的に蘇芳さんとは別の方向を向くことになるので、彼の肩に背中を寄り掛からせる形でゲームを起動した。
画面に映し出された美しい日本家屋の画像はどこかおどろおどろしい。
そう、私が諦めていた和風ホラーゲームだ。
多少ホラーにも耐性はあったので前世ではよくやっていたのだが、生まれ変わったこの世界は昔の日本の町並みとそっくりだったのが悪かった。
外の世界にいた時に一度だけ夜にこっそり携帯ゲーム版を布団の中でやったのだが、自分の部屋のデザインがゲームの世界とシンクロし過ぎて凄まじい恐怖に襲われてしまった。
眠れなくなってビクビクとしながら出歩いていた私を心配して桔梗が声を掛けてくれたのだが、突然だったため大げさに驚いてしまったのは申し訳なかったと思う。
怖い夢を見たのだと誤魔化したが桔梗の微笑ましいものを見るような視線に居た堪れなくなったのもしっかりと覚えている。
結局朝まで私の部屋で深夜のお茶会に付き合ってくれた桔梗には感謝しかないが。
そんなわけで一人きりの空間では恐怖に襲われそうで封印していたこの和製ホラーゲーム。
背中に蘇芳さんがくっついている事だし、恐怖も和らぐだろうと思いまたやってみる事にしたのだ。
「蘇芳さん、こっち音出して良い?」
「ああ、大丈夫だ」
蘇芳さんの集中力なら大丈夫だとは思うが、別の映画を見ているので一応一声かけてからスタートボタンを押した。
このゲームはかなり怖いのだが画像は綺麗だしストーリーが良いのでお気に入りだった物だ。
前世で攻略した時の方法はもううろ覚えだが、初めから新鮮な気持ちで楽しめるのはちょっと嬉しい。
綺麗なオープニングムービーを見ながらワクワクした気持ちでコントローラーを握る。
日本家屋の中を主人公を走り回らせながら脱出を目指して色々と集めていると、映画を見終わった蘇芳さんが気になるのかじっと見て来ている事に気がついた。
「やってみる?」
「いや、俺はそれの使い方が良くわからないからな。興味はあるから君が良ければ今度教えてくれ。今日は見ているだけで良い」
「そっか、やってみたくなったら言ってね」
「ああ」
興味深げに画面を見つめる蘇芳さんを見て、これは上手くやれば彼にゲームを覚えてもらって対戦や協力系のゲームも出来るようになりそうだな、なんて思う。
簡単な物を見繕って誘ってみようかと考えながらゲームを進めていくと、突然画面に幽霊の顔のアップが勢いよく表示された。
すっかり忘れていたイベントにびくっと肩が跳ねて、小さく悲鳴が漏れる。
くっついていたせいで蘇芳さんにも伝わったのか、頭の後ろから小さくふっ、と笑う声が聞こえたので振り返る。
少しだけ首を傾げた蘇芳さんと目が合った。
「笑わなくても良いじゃない」
「……笑う? 俺が?」
無表情な自覚はあるらしい蘇芳さんだが最近はほんの少し、よくよく見ないとわからないくらいだがたまに笑ってくれるようになった。
まあ間違い探しをしている気分になるほどわずかな変化なのだが。
いつもはちょっと口角が上がる程度なので声が出る事は珍しい。
「最近少し笑ってる事あるよ。今みたいに声が出たのは初めて聞いたけど」
驚いた時や意外に思った時にパチパチとまばたきを繰り返す彼も少しだけ見慣れて来た気がする。
その仕種を可愛いと思ってしまうのは変わらないのだけれど。
そうか、と呟いて目を伏せた蘇芳さんの感情を読み取る事は出来ない。
彼の感情を深く理解するには流石に私達はまだ付き合いが浅すぎる。
ここで暮らすうちにきっと理解できるようになるだろうけれど。
何か声を掛けようかと口を開いた瞬間、背後の画面から幽霊の唸り声が響いた。
そのせいでまた驚いた私を見てもう一度かすかに笑う蘇芳さん。
冗談混じりの声でまた笑ってるじゃない、と彼へ詰め寄るフリをする。
またまばたきを繰り返す彼を見ながら、二人だけで過ごす空間はお互いへの理解を深めるにはちょうど良いのかもしれないな、なんて事をぼんやりと思った。
彼と夕食を取り眠る前の挨拶をかわし、部屋に戻る彼を見送ってからお風呂へと向かう。
まずいなと思ったのは髪を洗っている時だった。
ホラー系の怖さってどうしてシャンプー中に一気に来るんだろう。
背中の後ろが気になって早々に風呂を出る。
鏡も何だか怖い気がして、あまり見ないように用事を済ませてからさっさと寝室へ向かった。
布団に入っても暗闇が怖くなって、早々にホラーゲームをしたことを後悔し始める。
「失敗したなあ……」
呟いた言葉がわずかに反響するのも尚怖い。
部屋の隅に何かがいるような気がして視線が動かせない。
おかしい、もう少しホラー耐性はあったはずなのに。
消えている窓代わりの画面すら怖くなってきたので、もう開き直って動画でも見ようと決めて起き上がった。
電気をつけるためのリモコンを探すが、いつもの位置には無い。
「……怖くてすぐに布団入ったんだっけ」
急いで消して潜り込んだから、おそらくテーブルの上だ。
なんでわざわざ電気を切ったんだろう、つけっぱなしにしておけば良かった。
ため息を一つ吐いてから暗闇の中を手探りで歩く。
部屋の隅の方を見ない様にしていたのが悪かったのか、若干目を逸らした状態でテーブルの上のリモコンに触れようとした瞬間指先に痛みが走る。
「痛っ!」
慌ててリモコンの位置を確認して電気をつける。
昼間ゲームソフトのビニールを切った時に使ったカッターの刃が少し出ていたらしい。
リモコンに触る前にそちらに触ってしまったようだ。
「あーあ……」
指先から滴る血を見つめてがっくりする。
カッターを使ったのも刃が出ていたのも、ついでに言うと勝手に怖くなっていたのも自業自得なので何とも言えない。
まあこの空間は小さな怪我なら一日もすれば塞がってしまうので明日には傷すらないだろう。
そう思った私の目の前で指先の怪我がすうっと消えた。
「えっ」
思わず指先を顔に近づけてみるが、さっき滴っていた血すら指先には無い。
他の指で触れてみても、痛みどころか怪我をしていた痕跡すらなかった。
いくらなんでもこんなに早く怪我が治るのはおかしい。
『俺は結界の維持者だ。維持者は結界維持の役割の代わりにその恩恵を受ける事が出来るから、身体的にも精神的にも守られて通常の人間よりも強くなる』
『死のうとして腹に刀を刺してもすぐに治った』
蘇芳さんの言葉が脳裏をよぎる。
「維持者の、恩恵……」
呆然と呟いた言葉をきっかけにしたように、自分の周りを何かに守られている様な感覚を感じた。
怪我をしていたはずの手をじっと見つめながら、裏返したり表に戻したりを繰り返す。
まるで体の周りに薄い膜が張っているみたいだ。
それにさっきまであんなに怖がっていた心もすごく落ち着いている。
何かに守られている、そう強く感じた。
一人きりの部屋の中でフワフワしたラグの上に座り込みながら、私は初めて自分が維持者であるのだと自覚した。