表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/45

始まりの話

 白い広い部屋の中、シンプルなベッドと小さな机しかない空間に一人足を踏み入れる。

 ベッドも机も白く、もう一つあったドアを開ければこれまた真っ白な何も無い部屋が現れた。


「白しかない部屋って気が狂うとか言うよね」


 私しかいないこの場所でポツリと呟けば、少しだけ反響して聞こえた。

 うん、これはこの部屋に入れられた人間は気が狂うというのも納得できる。

 ふふ、と笑ってベッドへ背中からダイブし、持っていた「本」をそっと横に置いた。


「大成功、ってね」


 これから始まる生活を思って笑みが零れる。

 不意に生まれてからここの部屋に入れられるまでの出来事が頭に浮かんだ。


 ______


 思い浮かぶのは生まれ変わる前の事、よく言うブラック会社で社畜のように働かされていた頃。

 あれは三徹目だったか、それとも四徹目だっただろうか。

 久しぶりに家に帰る事が許された私は何故か眠気が酷いにもかかわらず寄り道し、帰り道でテンションの赴くまま宝くじを買った。

 そしてまた仕事の日々に戻り、一か月後の発表の事など忘れて結果を見たのは数週間先。

 なんと数千万円当たっていた。

 けれど連日徹夜の仕事仕事で、変にハイになっていた私は何故かまたそのお金で宝くじを買った。


 一等と二等が同時に当たっていた。


 流石に徹夜明けの眠気など吹き飛び、何百回も番号を確認してから眠る様に気絶した。

 精神的衝撃で気絶する事って本当にあるんだな、なんて思いながら受取日を待つ。

 銀行から戻った一人きりの部屋でゼロが大量に記された通帳を見て、思いっきり泣いた。

 もう、セクハラやパワハラを我慢しなくていい。

 理不尽に罵倒されたり、眠れなくてボロボロになっていく体を嘆かなくてもいい。

 徹夜もしなくていいし、日中に好きな事も出来るんだと思ったら涙が止まらなかった。

 今にして思うと相当追い詰められていたらしい。

 次の日、今まで握りつぶされたり脅されたりして怖くなり出せずにいた退職届を握り締めて家を飛び出した。

 こんなに胸が晴れ晴れとしていたのはいつぶりだろう。

 今日は何を言われても仕事を辞める気満々だった。

 だってもう怖い物は無い、何もしなくても一生過ごせるだけのお金が手元にある。


 仕事を辞めたら何をしよう、まずは埃を被っている愛用のノートパソコンを整備して、ゲーム機も久しぶりにテレビに繋いで。

 職場ではオタクかと散々馬鹿にされた趣味を久しぶりに満喫するんだ。

 そうだ、以前ハマっていた乙女ゲームのシリーズの最新作が出たんだっけ。

 前作ではシリーズの一番初めに登場した最推しキャラの再登場は無かったけれど、今作はどうなんだろう。

 ああ、早くあんな仕事辞めて……


 前世の記憶はそこに車が突っ込んできた所で終わっている。


 最後に思ったのは何だっただろう。

 ただ妙にゆっくりに感じた車が突っ込んで来るまでの時間に、神様を恨んでいたのは覚えている。



 ……生まれ変わったと気が付いた時、母親であろう女性に抱かれているのに気が付いた時、もう一度私は思いっきり泣いた。

 突然泣き出した私を母親が慌ててあやしてくれたのを今も覚えている。

 前世の記憶というものを引き継いで生まれ変わった事は、きっと憐れな最期を迎えた私に神様がくれた同情の一つなのかもしれない。

 だとすれば最後に恨んでしまったのは申し訳なかった。

 私が生まれ変わった世界は前の世界でいう和風RPGの世界と言った所だろうか。

 着物の様な服、古い日本の様な街並みと戦国時代と似た文化、町を一歩出れば魔獣と呼ばれるモンスターが闊歩している事を除けば慣れた世界と似たような世界で良かったとは思う。

 もっともネグレクト気味だった前世の両親と同じように今世でも私はあまり家族には恵まれなかったけれど。


 石造りの質素な部屋の中で、唯一ある和風のイスとテーブル。

 その椅子に腰かけて、膝の上の「本」を撫でる。

 その拍子に腕にかけられた鎖がじゃらりと不快な音を立てた。

 ……あの時私をあやしてくれた優しい母は、私が三歳になる頃に病気でこの世を去った。

 残されたのは母にべた惚れだった父と、その母の生き写しのような姉。

 残った父が姉を最優先で可愛がったのは言うまでもないだろう。

 親に放置されているのは慣れている、おまけに今世での私の家柄はかなり良く、お手伝いさんがたくさんいる家だったので思ったより不自由はしなかった。

 父親に溺愛されて育てられた姉は妹の私から見ても酷く我がままに育っていたように思う。

 それを更に悪化させたのが、国の周りに張られた結界を維持するだけの力が姉に見つかったからだ。

 元々この国には魔獣から身を守る為の結界があり、何十年か前にその機能を失っていたのだが姉のおかげで復活したらしい。

 国の人間にとって結界は最優先で維持したい事の一つだ。

 その為に姉の我が儘はよっぽどの事が無い限り通される。

 気に入らない人間を見つければ父親に泣きつき、陥れて父の後ろで舌を出して笑う姉。

 私の面倒を見てくれていた使用人達を何度クビにされかけた事か。

 一応娘という事で必死に父に願い私専属にしてもらう事で何人かは助けたが、姉の暴走は止まらなかった。

 姉を増長させる父の暴走が使用人たちに許されているのは、愛していた母を失った悲しみがあるからだろう。

 母が死んだ後の父は見ていられなかったし、それこそ母が生きていた頃は人格者だった父を使用人たちは嫌いになれずにいる。


 今父は何を考えているだろうか、娘の一人である私が永遠の幽閉を命じられたこの時に。


 ジャラジャラと腕にかけられた手錠の鎖が音を立てる。

 腕を持ち上げて何となく鎖を見つめていると部屋の扉が開いて一人の女の子が入って来た。

 大きな瞳に涙を浮かべており、ぎゅっと引き結んだ唇は震えている。

 文句なしの美少女だ。


「ああ、ごめんね。嫌な事頼んじゃって」

撫子(なでしこ)様、どうして……」

「まあ、それが次期領主様の決定だからね」

「ですがっ、撫子様は何も悪くありませんのに! 他国に情報を売ったなどと……撫子様がそんな事をなさるはずが無いと皆言っております!」


 撫子は今世での私の名前だ。

 美男美女だった両親から受け継いだ容姿のおかげで名前負けしていないのが救いだが、呼ばれるとなんだかむず痒い気分になる。

 目の前で涙をこらえる女の子は小さな時からお世話になっていた使用人の娘で……私がこの世界について気が付いたきっかけの子だ。

 私が生前やりたいと思っていた乙女ゲームの新作、その主人公としてパッケージに描かれていた女の子。

 小さい頃は気が付かなかったが、成長したこの子と過ごしていく内にようやく思い出した。

 広がる町並みはゲームの背景と同じだったし、その時付き合っていた私の恋人はゲームの攻略対象の一人だった。

 驚きはしたがまあゲーム通りにすべてが行く訳では無いしと納得して日々を過ごしていたのだが、まさか別の意味でゲーム通りにいかないとは思わなかった。

 私の恋人、この地の次期領主が姉の方を好きになったらしい。

 色々と姉に吹き込まれたらしい彼に散々罵倒されて決まっていた婚約も破棄されたが、私の脳内はお前よりにもよって……で埋め尽くされていた。

 お前本当にそれで良いのか、性格の悪い姉よりも主人公のこの子の方が可愛いし性格も良いし、実は他国の姫様だと後から判明するし良い事ずくめだぞ。

 何故か自分が捨てられたという事よりも、そちらの方にショックを受けた私だが姉は私から彼を取っただけでは気が済まなかったらしい。

 小さい頃から私がクビにしたいと訴えた使用人を庇うお前が気にくわなかった、小さな事でも私の邪魔ばかりして、と怒鳴り付けられたのは記憶に新しい。

 父がだめなら次期領主に頼めばいいと思い立った姉が散々彼に私の悪口を吹き込んだ挙句冤罪までかけた結果、あれよあれよという間に私の永遠の幽閉は決まってしまった。


 永遠の幽閉はこの世界にある一つの刑罰だ。

 魔法がかけられ時間が止まった空間にある真っ白な部屋の中に閉じ込められて部屋ごと亜空間をさ迷い続ける罰。

 その空間の中に部屋はいくつも存在するがどの部屋も真っ白で、中にいる罪人はもれなく発狂していると言われていた。

 まあ事実上の死刑宣告だ。

 どうも私は敵対している他国に情報を売った事になっているらしい。

 私が情報を知っているという事はその情報ルートは恋人だった次期領主の男の説が濃厚になるのだがあの男はそれをわかっているのだろうか?

 ちょっと頭の弱い所も可愛いと思っていたが、まさかそこまでとは思わなかった。

 まあ私もすぐに死刑になると言われたら必死に抵抗したかもしれないが、罪状が永遠の幽閉だと聞いて逆にチャンスだと考えた。

 いい家に生まれるという事はそれだけ仕事量も多い。

 流石に前世の様にボロボロになるまで働かされる事は無くても、死ぬ前にゆっくり出来ると心躍っていた私には仕事をするという行為がすごく苦痛だった。

 それでも私を助けてくれる使用人たちの為にも必死にやっていたが、永遠の幽閉という罰を受けるならばもう仕事をしなくてもいい。

 それはこの上なく魅力的な事だった。


 結果、私の腕には手錠がかけられ、その場所へ連れて行くために彼女が来た。

 私の身分故か幽閉先への案内人は指名可能だったのでどうしても伝えたい事があった私は彼女を指名したのだ。

 幽閉先には本を一冊持ち込むことが出来るので手元の「本」を持って立ち上がる。


「じゃあ、行きましょうか」


 たどり着いた先の扉を開けると、様々な色がマーブル模様の様に混ざり合った空間に出た。

 これがオーロラのようだったら綺麗なのだが、残念ながらあまり見ていたくない感じの見た目だ。

 その空間にいくつか大きな球体が浮いており、その内の一つがまるで待っていたかのように私の前に下りて来て、その表面に中へと繋がるであろう穴が開いた。


「撫子様……」


 ぐすっと鼻を鳴らす彼女の明るい性格にはこれまでずいぶん助けてもらった。

 仕事で煮詰まって来た時に彼女とするおしゃべりは楽しかったし、作ってくれたお菓子は温かくて優しい味がした。

 部屋に入る前、誰にも聞かれる事の無いこの場所で彼女に向かって話しかける。


「いい? 私がこの中に入ったらなるべく早くこの国を離れて」

「え?」

「西の国に行くと良いわ。これを持ってね」


 本の間に挟んでいた紙を取り出して彼女に手渡す。

 西の国はゲーム中に判明した彼女が王女になる国だ。

 色々と訳あってこの国で使用人をしていた彼女が西の国の王女だった事が判明してあのゲームは始まる。

 西の国に出来た私の友人がゲームの中では彼女の友人だった事に気が付いて、その子の家への紹介状を書いたのだ。


「姉さんは私と仲が良かったあなたの事も気に入らないわ。私の友人に話をつけておいたからこの紹介状を持って早く国を出るの。地図も一緒に挟まってるからね」


 ついにぼろぼろと泣き出した彼女につられて鼻の奥がツンとする。

 この国での暮らしも決して嫌な事ばかりじゃなかった。


「大丈夫、私は私でこの空間でも楽しくやるから。その手段もちゃんとある。発狂したりはしないって断言できるから、あなたもなるべく早く西の国へ逃げて幸せになってね」


 ぎゅっと彼女と手を握り合う。


「楽しくやれる自信はあるけど、あなたの手作りのおやつが食べられないのが残念だわ」



 ______



 そして、彼女と別れて今ここにいる。

 少し感じた寂しさはあるが、それよりも今は笑いが止まらない位ワクワクしている。

 ごろりと寝返りを打って持ち込んだ「本」を引き寄せて開く。

 そう、この「本」が私が楽しく過ごすための物だ。

 気が付いた時には私の傍にあったこの「本」は私の目には本には見えない。

 周りの人間からは本に見えていたらしいけれど、これはどうみても私が前世で使っていたノートパソコンだ。

 ふふふ、と笑ってパソコンを起動する。

 何故かある電波、元の世界に繋がるネット、そして本体には絶対に壊れませんというシールが貼ってある。

 オンラインゲームも出来るし、動画サイトも見る事が出来る。

 しかもしっかり元の世界の状況に合わせて更新しているらしい。

 通販が出来るショッピングサイトもあり、電池が減らないこのパソコンですべて使い放題だ。

 使えるショッピングサイトは見た事の無い一つだけだが、何でも売っている。

 それこそ家具やお風呂なんかの設置まで出来ると書いてあったし、一度試したらしっかりと出来た。

 その時買った物は人の目があったので返品したが、この空間なら使い放題だ。

 このショッピングサイトではポイントを使って購入できるのだが、私のポイントの数字には見覚えがあった。

 私が生前当てた宝くじの金額そのままだ。

 神様が同情でくれたのかもしれない生前の記憶、そしてこのパソコン。

 引きこもり生活の幕開けだと思っていた前世の願いがついに叶ったんだ。

 零れる笑いが止まらないまま、もう一つあった部屋にお風呂を買ってみる。

 ジャグジー付きの広い物を買ってみて、隣の部屋に行けば買った物と同じものが設置されており、お湯もしっかりと出た。

 変なテンションになっているのか、更に笑いが止まらなくなる。


「ソファでしょ、テレビとゲーム機でしょ、あ、キッチンもつけようっと。後はー」


 白いだけでかなり広い部屋にポンポンと物を買い足す。

 この空間はあくまで幽閉用の術が掛かっているので中に人間がいる間は願えば食べ物は自動的に出て来るらしい。

 発狂した場合は食材は出ないのか、それとも腐っているのかは知らないが私に関しては少なくとも数十年発狂しない自信がある。

 そして家賃やら水道光熱費やらが掛からないので変に節約しなくても良いのが嬉しい。


「よし、ダラダラしようっと」


 ふかふかな物に買い替えた布団に寝っ転がり、動画サイトで好きだったアニメを見ながらお菓子を口に放り込む。

 元々引きこもるのが苦にならないタイプだ、ルンルン気分で私の新生活は幕を開けた。


 誰も入れないはずのこの部屋に私の最推しキャラだったシリーズ初期のラスボスが訪ねて来るなんてこの時の私は全く気づいていなかった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ