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妹たちのアルバイト事情

旧ナンバリングでは その2の一部


 HRが終わった瞬間に裏門までダッシュして、校門の植木の影に丸くなって座る。

 めちゃくちゃ、寒い。

 天気の神様は男に違いにない。気を利かせて、昼食明けたら晴れやがれ。


 今日で三日連続の行動だ。

 昨日、独自ルートで入手した、放課後の杏子に関する情報を握るバァちゃんの話を元にすると、杏子は今日動く可能性が高い。


 物陰でひっそりと、黒ごま大福の物真似を続けるのに飽きた頃、分かり易すぎる程、背後を気にしながら、コソコソとやって来る杏子を確認。

 …………かわいいなぁ。

 杏子が通り過ぎてから、おれは子猫を捕らえるようにして杏子の後ろ襟を掴む。

 キャッ!とかキャァ!とか、小さく悲鳴を上げるのを期待したが、杏子はビクっと体を反応させた後は固まっている。

 どうやら掴んだのが誰だか最初から解っていたようだ。


「やぁ、杏子」

「兄さん離して下さい。バイトに遅れちゃいます。……というか、どうして裏門に?」


 杏子はぶち抜き道路の裏通りにある、こぢんまりとした老夫婦が営んでいるみやげもの屋で売り子のバイトをしている。

 そこに行くには、表門から出た方が近い。

 カイリスのバイトと違って、いたって普通の売り子のアルバイトだ。


 杏子が働き出す前までは、夏期シーズン終わりの、店仕舞い時期(オーナーの基準は、一ヶ月のみやげものの客足が一人以下になる)が地域最速だった。と老夫婦が自慢げに話す位やる気の無い店だった。

 その店で人見知りの杏子が売り子として働く事になったのにはちょっとした訳がある。

 ややこしい事に、そこにはカイリスが現在やっている、驚天動地の仕事が絡んでくる。


 今、カイリスは恐るべき事に、芸能界活動からの収入を得ている。

 カイリスはそれについては、別に驚くほどの事じゃないと言う。

 その根拠は、同じグループの子は、自分と同い年と年下だし、それにたまに入る大きな仕事で東京に行くと、同年代やそれ以下の少女は大勢いるからとの事だ。


 だが、ここは東京ではない。

 ここは千葉県の八幡山市。東京から電車で三時間の田舎町だ。

 だから、カイリスの芸能活動というのは、やはり驚きである。

 カイリスは、時間効率が良いからスカウトに乗ったという、夢見がちな同年代の娘達とは隔絶した、男前な理由だ。

 ここ八幡山市に本拠地を置く、やり手っぽく見える女社長一人で切り盛りする田舎事務所へと入った。

 カイリスはスーパーや祭りへのイベント派遣が主な仕事の田舎事務所で、アイドル稼業に乗り出した。


 この女社長が、妹達の一人を芸能界へといざない、もう一人は希望の光りが見えない説得の末に、何故かみやげもの屋のアルバイトとして不時着、いや漂着させた。


 杏子に関して言えば、二人揃えば向こう十年、アイドル業界の天下取りも夢ではないと、熱く語っていた女社長。

 それが今では杏子のアルバイトの話題になると、何故こうなったんだと、今も頭を抱えている。


 女社長の頭を抱えさせた、杏子のアルバイト話の詳細はこうだ。


 カイリスの保護者の同意をもらいに、日本の芸能界にも当然強い力(スポンサー的意味合い)を持つという世界的規模の財閥グループの総帥の住む屋敷に恐々としながら訪ねていった。

、設楽本家では役所もかくやと言うほどのタライ回し(女社長談)にされる。

 やっとのおもいで保護者の所在が分かり、目もくらむような豪邸から、目まいがするような落差あるピソ・アヒルにやって来た時、女社長は杏子に出会った。


 晩春の中、完全に自宅モードだった杏子のその時の格好は、破れジャージ(上下の色が不揃い)、虫食いTを補修した斬新なインナー、親指と小指に補修痕のある靴下という、破れ補修上下四点コーデの大層な姿だった。


 しかし、女社長にとってそんな服装なんてどうでもよかった。

 むしろ、有り得ないほどみすぼらしい姿なのに輝いて見える姿に、カイリスと初対面した時に感じた衝撃を再度受けた。

 後に女社長はノンアルコールビールを飲みながら上機嫌でそう語った。


 カイリスに勝るとも劣らぬ別ベクトルの美貌。

 カイリスにはまだないメリハリある肢体。

 カイリスと同じく画像修正ソフトや技師、撮影トリックに全くお世話にならない完璧な容姿。

 女社長はそんな杏子を狭く薄暗い(節約の為戸口の電球は外し済)戸口で見つけた。

 その瞬間から杏子への、猛烈なスカウト活動が始まった。


 保護者であるおれが色々な書類に目を通しながらサインをしている横で、鼻息荒く口説き始める女社長に杏子は辟易した。

 カイリスとおれの客という事で、逃げ出さずに顔を強ばらせながらも丁寧に応対していた。


 書類の契約条項や小難しい記載事項に対しておれが逐一質問しても、女社長はその度にスカウト行動を中断するのをよしとしなかった。

 数度に渡り舌打ちをしながらおれに応対する態度は正直、社会人、また人として、総じて妹を預かる事になる社長としてどうかと思った。


 しかし、カイリスだけではなく杏子までもが他人からベタ褒めされるのが思いの外、心地よかったので、ぞんざいな扱いでも、それほど腹は立たなかった。

 そして杏子からの全力SOS信号も見て見ぬふり、心を鬼にしてスルーする。

 ……そう、自分の欲望を優先してしまったのだ。その事でおれに新たなS的性癖が目を覚ましかけた。


 姉妹デュオで!と、晴れやかな芸能界の側面を盾に口説いていたが、照れ屋で内弁慶な杏子は頑として譲らない。

 要約すると人に見られる仕事なんて無理と、姉妹デュオ話をあっさりとその日の内に蹴った。


 諦めきれない女社長はカイリスやおれを介し勧誘を続ける。


 その手法は搦め手だった。

 正攻法は杏子の反応から脈なしと早々に判断した辺り、人を見る目はありそうだ。


 すでに地元で怒濤の勢いで人気の出始めたアイドルの姉とのデュオやグループとして、全国区で売り出す青写真を描いていた。

 女社長は『兄の世話がある』や『兄と離れたくない』とのおれ的にかなり嬉しい理由で断り続ける杏子の様子から、まずは籠絡するならば、初対面時からニヤニヤと勧誘の様子を見守るアホそうな兄からと判断した。


 おれからの直接的な説得は絶対に無理ですよ、と言い聞かせても、この頃の女社長には馬耳東風だった。


 おれは主的な意味合いでの絶対命令権を持っているからこそ、行使するつもりはない。

 それがどんな悪手でも、杏子とカイリスは絶対遵守してしまいそうだからだ。


 女社長はおれに頼った所で、盤面はすでに詰んでいる事実を知らかった。

 のらりくらりとする長男が頼りにならないと、即判断を下した有能さの片鱗を見せ始めた女社長は、偽設楽家の生活レベルを察した。

 そしておれに直接、豪勢な飲食系の差し入れを、短いスパンで何度も手渡してきた。


 これには本当に参った。

 その頃には正式なカイリスの雇い主だし、好意を無碍にするわけにもいかない。

 だが偽設楽家全員の共通認識として、付き合いの浅い人からは借りを作らないという暗黙の了解的な空気感がある。


 まず豪勢な差し入れ(平時の食事代に換算すると二週間は賄える)を受け取る。

 そして必ずおれかカイリスが、その金額を昔気質のデカもかくや、というほど足を使い調べあげ(時間も浪費)女社長に返していた。


 その都度、生活費に壊滅的な打撃を受けた。

 ある時、アヒル荘に移ってデフォルトとなった空腹のさなか、冷蔵庫に黒トリュフがポツンと、鎮座ましましているのを見た時は、一体、なんの苦行中なんだとさえ思った。


 最初は返金をも受け取ろうとしなかったのだが、唐突すぎるカイリスの『社長。短い間、お世話になりました』発言を喰らう。


 契約時、どうしてもカイリスが欲しかったので、その契約内容はカイリスが断然優位のユルユル契約となっていた。

 女社長にはカイリスの早すぎる引退宣言を止める手立てが無く、彼女は、心底ビビった。


 それはそうだろう、カイリスは事務所加入一週間で、たいした広告も打っていないのに、あっと言う間に口コミで、そのアイドルの存在を地元の男達は知った。

 そして持ち歌もない、衣装も各自の持ち出し、そんなアイドルユニットの初ライブでは童謡を歌いまくるという斬新なものだった。

 だが、起死回生のつもりで二回目のライブ(内容は安易に握手会、そして懲りずに童謡熱唱)を発表(事務所の窓に告知の紙を張っただけ)すると、ライブチケット発売当日、事務所初の手書きの整理券を配った程、地元で広く話題になる逸材だ。


 そんな逸材であるカイリスが、突然の三行半を突きつけた。

 カイリスが芸能界で唯一の煌びやかな世界に微塵の憧れも抱かずに芸能界入りしたアイドルだと、早々に理解した女社長(短時間労働で結構稼げるのならとの理由はカイリス風照れ隠しジョークだと思ったらしい)は豪華手土産攻撃を断念した。

 手土産の代金か、カイリスを取るかの二者択一。女社長の答えは明白だった。


 後日、二人がいない時に来宅し、梅酒片手に愚痴りながら幻の第一回引退宣言時の様子を、半べそをかきながらおれに語り聞かせた。

 その時を狙い、杏子の芸能界入りは、今は難しいと諭すと、ようやく勧誘も断念した。


 ……表面上は。


 女社長は芸能界に杏子を入れたい、しかし本人は拒否。

 理由は二つ。

 一つは重度のブラコン。これは現状ではは有効な手だてが無いと判断を下した。

 もう一つは理由。杏子の極度の人見知り

 それならば、人見知りの方に対して、今の内に手を打っておく事に損はないと女社長は一計をめぐらす。


 杏子の動向把握、あるいは庇護下に置こうとしたのかは不明だが、女社長は自分の事を猫可愛がりする父方の祖父母を杏子に紹介した。

 祖父母の経営する閑古鳥鳴く、昔からの常連以外、新規の客など来ないみやげもの屋で売り子のアルバイトをしてみては?っと杏子に薦めた。

 時間に色々と融通が利くバイトを探していた上、ご老人達との堂々巡りしがちな長話等を不得意としない杏子は、渡りに舟とばかりに好条件のアルバイト話に飛びついた。


 かくして、杏子のバイトが始まったわけだが、ここで嬉しい計算違いと悲しい誤算が生まれた、と、後に社長が濁った目をしながら、スルメと日本酒片手に愚痴った。


 愛想は良いが店員が八十越えの老夫婦のみで、品揃えの感性は古く、流行への対応は鈍い。

 その上、路地裏という立地も悪い。

 そして一番肝心な販売意欲がない。

 そんな、半しもたや状態のみやげもの屋に、劇的な変化が起きた。


 競合店曰く、眠れる魔獣は最初の月にムクリと身を起こし、翌月にはその牙を剥いた。

 その魔獣の名は『乾物・新米・雑貨・灯油・鼈甲・おみやげの信兵衛商会』

 杏子が働きだしてから、海際大通り沿い大手競合店の百五十%越え(女社長による試算)、前年度の自店同月のみやげものだけの売り上げと比較すると、実に八万%いう超ハイスコアを叩きだした。


 その時は女社長も狂喜乱舞の様相で、老夫婦、杏子、女社長の四人だけで、ささやかなパーティーを催した。

 おれもその時の事は覚えている。

 老夫婦から土産屋にあるもので欲しい物があるのなら、なんでも持っていきなさいと言われた杏子が台車に乗せた米10kgと高級スルメという実用的消耗品を得意げで嬉しそうに持ってきたのを覚えている。


 オフシーズンの今でも店は、近隣の男子中高大学生・若いリーマン等、眼球内にハートマークを得る事に成功した男共で入れ食い状態だ。

 地元の常連客、夏に海水浴に来て杏子の存在を知った八幡山市近郊の男達。

 彼らが週一で、丸いだけの謎の星の砂(二百円で利鞘がいい。ダメ元で勧めてと初日に言われ、杏子は今でも馬鹿正直に実行中)等を買っていく。

 きっとあの砂は食べられるに違いない。


 変化はそれだけではなかった。

 性格を変える、という女社長の策略は、ある意味当たった。

 確かに性格が変わった。

 ……杏子のではなく、老夫婦の性格が。…………である。

 店のオーナーであり、孫の女社長をこよなく愛す老夫婦が突如、女社長の潜在的な敵となったのだ。


 杏子は清掃中、品出し中、休憩中といった、客のいない合間合間に、芸能界には入りたくないと老夫婦にやんわりと愚痴っていたらしい。

 遠くの身内よりも近くの他人という言葉通り、老夫婦二人は、杏子をこれでもかと言うほど猫可愛がり始めた。


 ちなみにおれの懸念だったのナンパ客は、ご近所の老婆五人の憩いの場がカウンター真横にあるので、今も鉄壁のガードを誇っている。閑話休題。


 女社長は祖父母の変化を最初は、さては予想外の売り上げによる銭ゲバ魂が芽生えたのか!、と思ったらしい。

 だが祖父母とディスカッションした結果、なお質の悪い庇護欲の塊となったらしい。

『金の為じゃない!そこまで言うならこの店は畳む!杏子ちゃんには、庭の菜園のお手伝いとして給金を払う!』と激昂し、閉店覚悟の祖父母をなだめすかし、辛抱強くと説得して、店の営業は続けてもらったという。


 ……危うく杏子の人見知り克服の場が無くなる所だったと、ウォッカ片手に力無く述懐する女社長に対し、おれはそこの要素がなくなったらバイト紹介した意味まったくなくなるよね、うん。っと、鼻歌交じりに手製のバッグを作りながら、恨み言に付き合った。


 女社長は祖父母に『芸能プロダクションのスカウトが来たら手段を選ばずに追い払って』と頼んでいた。

 最近では例えそれまで楽しく孫・祖父母・杏子の会話に興じてようとも、芸能界の話になった瞬間に祖父母から手酷く追い払われるようになったと聞く。

 いや!確かに私もスカウトだ・け・ど・もっ!と、ブランデーを流し込みながらしていた歯切れの良い愚痴ツッコミが今も耳に残る。

 その時に「ちーちゃん、ちーちゃんって、私を可愛がってくれた、あの優しい祖父母はもういないのぉぉぅ!わかるぅ!?」

 っと、ちゃぶ台でスピリタス片手にクダを巻いている姿とともに、漬け物を漬ける合間に作らされた、酒のつまみのピーナッツを炒っていたおれ自身の姿も、同時に思い起こせる。


 女社長曰く『スカウトはバカが多く、謙虚に見えてその実、芸能界に入りたいんだろう?うん?的な上から目線も多いので、営業時間中だろうが図々しくもスカウト活動をするだろうが、祖父母はそんな礼儀知らずが大嫌いだから、完璧なお守りになる』、アハハハと快活に高笑いしてたのが、今は盛者必衰という言葉を連想できて、もの悲しい。


 杏子とカイリスは知らないだろうが、アルバイトを紹介した当初、女社長は手土産ついでに自分の周到さを誇らしげに自慢していたのだが、最近では二人の不在時を狙い訪ねてきては、何故こうなった。と、おれに話しかけるでもなく、ブツブツ呟き書類仕事をしつつ頭を抱えているというのが、来客時の女社長のデフォルトの姿となった。

 正直、そんな愚痴は、自分の事務所内でやっていて欲しい。


 とまぁ、今や杏子を孫の芸能プロダクションに入れるのにも、猛烈に反対し始めた老夫婦の中では、杏子>>>決して越えられない壁>可愛い孫という図式が存在する。

 こうして、女社長の祖父母は、杏子にとって完全無欠の盾となり、強大な味方となった。


 これが今の杏子のアルバイト状況である。

 杏子の人見知りは相変わらずだが、最近は店番を楽しみながらこなしている節がある。

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