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ボロアパート内の最重要人物

旧ナンバリングでは その1の冒頭

 

 七号室を出ると正面に無人の六号室がある。

 アパート(ピソ・アヒル。アヒル荘と呼んでる)の東側には、オーナー兼管理人の住む一号室、隣に二号室。

 その隣が、番号が飛んで六号室、そして番号のない空き部屋が数室。


 西側には、共同炊事場と事前申告制の有料共同風呂があり、次に我が家である七号室がある。

 その隣には年代物の洗濯機がずらりと、並んでいる。


 住人はおれ、設楽貫一が家長の家とオーナーの家の二世帯のみ。

 他は空き部屋だ。

 空き部屋だらけの理由は、アヒル荘には色々と欠点があるからだ。


 人が入らない一番の大きな理由は、廃屋一歩手前な事。

 隙間風がすごくて、一年を通しての寒暖差が半端ない。

 築八十年、市内最古の木造アパート。

 その廊下は一年の半分は極寒で、残りの季節は猛烈に暑い。

 茹だる暑さは、半年前に一シーズン体験済みだ。

 今は、初の越冬を現在満喫中だ。

 

 寒い寒い、と心の中で叫びながら炊事場へと向かう。


 七号室内にも洗面台として使える場所は二つある。

 今、二人が調理に使っている手狭な台所。

 そしてトイレ前に、赤子の手も洗えねぇよという大きさのカランがある。

 後者は顔を洗おうとすれば、床や壁掃除がもれなく付いてくるという代物だ。


 何かとバタつく朝には必然、どちらも洗顔には使えないので、廊下の広い共同炊事場を使う。

 ここは次の夏には人目を盗んで行水してみよう、とか考えたりできる広さだ。


 我が家では洗顔や歯磨き、洗濯板での洗濯時や、めったにない事だが料理の品数を増やしたい場合には、調理助手の杏子が第二調理台として、ここで存分に料理の腕をふるっている。


 炊事場には小さな先客がいた。

 アヒル柄のパジャマの上にネックウォーマーと動物のアップリケが沢山張られた半纏をモコモコと羽織って、シャコシャコ軽快な音を立てつつ歯を磨いている。

 目が合ったので軽快に手を上げて挨拶をする。


 しかし向こうは嫌な奴に会ったといった風に、眉をしかめながらブカブカの木製つっかけを鳴らし、一歩横にずれてくれた。


 ……嫌な奴に会ったから間を開けたじゃないよね?おれに身支度のスペースを空けてくれたんだよね?

 その様子に内心首をかしげつつも、氷水一歩手前の水を顔にかけ、固くなった石鹸を泡立てる。

 思い返すと、一週間位、この子の屈託のない笑顔を見ていないような?

 はて?


「おはよう、(コウ)ちゃん」

「…………………。………………おあよう」

 彼女は、口から泡がこぼれないよう上を向きつつ、挨拶を返してきた。

 不自然な間も気になるのだが、もっと気になるのは視線だ。

 鏡の中から強烈に睨まれている。


 視線の鋭さは刻一刻と、秒単位で険悪になっていく。

 子分気質満載のうっすらとした笑みを返しながら、おれは内心首をかしげた。


 我ら偽設楽一家は、身内びいきに見ても家族としての体をなさない。

 とにかく怪しい。

 家族構成は長男である貫一、長女の杏子、次女のカイリス。

 友人からは『ありえない!』と文句を言われる、光り輝く三人暮らしである。


 設楽の名字は本名ではない。

 でも貫一、杏子、カイリスというのは本当の名前であるらしい。

 名字は世界有数の『超』金持ち設楽寿太郎さんの屋敷に居候していた時に与えられた。

 おれは二つを比べる時、我が家を『偽設楽家』。

 その偽設楽家の基盤を支えてくれている寿太郎さんや屋敷の人々を『設楽本家』と分けて呼んでいる。


 名字の問題だけでこのザマなのに、偽設楽家は顔の作りが皆全然違い、目の色や髪の色さえも違う。

 なのに、我々三人は、実の兄妹だと世間様に対して主張している。


 こんな事情もあり、我々には本来、設楽本家の屋敷以外に住む家がなかった。


 おれにとっては屋敷での生活は、人間関係も含め、その全てが快適そのものだったが、不思議な事に、一抹の居心地の悪さが漠然とあった。

 そして去年、おれ、設楽貫一が戸籍上で成人男子として認められる年になった。

 その途端、カイリスと杏子が文字通り、寝る間も惜しみ屋敷以外に住む場所を求め、猛烈に探し始めた。

 途中からおれも加わり死ぬほど探したが、新住居候補すら発見できなかった。

 おれが成人するまでは無理だろう、と半ば諦めていた頃、偶然発見したのが『ピソ・アヒル』だ。


 ここの美人未亡人大家さんは心が広く、嘘にまみれている我々が『こんなにお人好しで、色々と大丈夫か?』と心配になる程だったが……大家さんには強力な味方がいた。


 それが今、冷たい視線を飛ばすのに飽きたのか、今度は趣向を変えて鏡中で、おれの腰の辺りの低い位置から険のこもった上目遣いで嘗めるようにチンピラ風に熱く可愛らしいガンを付けてくるこの子だ。


 この子は聖母のような大家さんの大事な一人娘の香ちゃん(様)なのだ。


 とりあえず、ガン付け真っ最中の香ちゃんに、おれは脅威の緩和を試み、ニッコリと微笑んでおく。無駄な微笑みどころか、火に油を注いだ感が、彼女から垣間見えた。


 引っ越し当初、彼女は怪しい我々をまんま怪しみ、排除しようとしてきた。


 重要なのは『してきた』という過去形であり、現在進行形ではないはずだが?

 おれの後ろ暗いクリティカルな計略により、現在のおれと香ちゃんは金で縛られた関係となり、追い出そうとか、そういう意思表示はパッタリとナリを潜めている……のに?


 おれは洗顔を終え、髪を整える為にまた鏡をのぞき込む。

 香ちゃんがいかにも私は超不機嫌です!という感じに睨んできた。

 こっちがあえて無視を決め込んでいるので、ふてくされ気味だ。


 二、三日ぶりだけど、今朝は一段と嫌われてる。その割りに、タオルを寄越してくれたり、歯ブラシやコップを出してくれたりといつも通りの優しい行動だ。


「香ちゃん、どうした?怖い夢見たとか?」

 …………………………。…………………………。

 悲しいかな、白い吐息と共に発せられたおれの質問は、どうやら香ちゃんの耳には届かず、冷たい廊下のどこかに消えていった。


 彼女の発するシャコシャコと軽快な歯磨きの音だけが場を満たす。

 メンチはきるが喋る気はないらしい、目は合ってるのにガン無視だ。

 ものごっつい……居心地悪い。

 鏡面の視線は鋭さを増す。

 タイミング悪く、彼女は溜まった歯磨き粉をペッと吐き出したが、気分的にはツバを吐かれたみたいだ。


 自分でも意外な程にショックを受けた。

「えーーっと。おれ、なんかしたっけ?」

 睨みに夢中であきらかに磨き過ぎなこの子に歯磨きを終了させる為、コップに水を満たし、コップを手渡す。

 素直に受け取った香ちゃんは、多分、無意識にペコリと頭を下げた。

 生来の素直さを垣間見て、笑みがこぼれそうになり、同時に少しホッとした。

 ガラガラと数度うがいをする少女を見る。


 半年でわかったのは、大家さんは娘の香ちゃんの意見をかなり尊重する。


 香ちゃんがダメッと結論を出すと大家さんは追従するという事が多い。

 大きな対偽設楽家生殺与奪権を保持してそうな、一人娘様のこの不機嫌は怖い。


 借りたタオルで彼女の濡れた口元を甲斐甲斐しく拭く。

 拒絶はされない。

 香ちゃんはまた会釈した。

 大家さんの教育の賜物だなぁ……と暢気をかましているとまたも睨まれる。


「えっと……アパートの役に立てそうな、なんか手伝いある?」

「役立つ? 誰が? 貫一君が?? 何が?死ぬのか? 庭に埋まって春にミミズの肥料にでもなるとか? それが一番このアパートの為になるじゃない? このロリコンの嘘つきヤロー」

 おおぅ、この舌戦の鋭さたるや……小五とは思えない程の口の悪さ。


 香ちゃんが持つおれの人格判断で、ロリコンうんぬんの誤解は解くのはもう不可能だろうから、今は泣く泣く飲むとしても……。


 はて? 嘘つき? ……。…………待てよ、一つ思い当たる節がある!

 しまった! と思い、香ちゃん、ちょっとここで待ってて! と声をかける。


 不機嫌の権化な彼女はツンと愛らしくそっぽを向くも、待ってくれる気が満々のご様子である。

 騒々しく七号室に走り込み、自室のシークレットゾーン(エロ系も充実した密度の濃い場所をもダミーとしたさらに秘密の場所)から手製のファンシーな薄い紙包みを取りだし、何事かと、注目するカイリスや杏子の目から紙包みを隠しながら廊下へともどる。


 おれの持つ紙包みをチラリと横目で捉えた香ちゃんは、湧き上がってくる天真爛漫な笑みを抑えようと、口元の緩んだ不機嫌顔もどきになった。


 それを確認して胸をなで下ろす。

 そして廊下に人目が無い事を素早く(だが確実に)確認し、借りたタオルの下に紙包みを隠すようにして、彼女にそっと手渡した。


 黄金色のまんじゅうを受け取る悪代官のように、目に欲望の色が浮かべ紙包みを受け取った彼女は、かわらしく仕切りなおしの空咳払いをした後、ようやく、晴れやかな笑顔を見せてくれた。

 現金なものだが、こんな香ちゃんもかわいらしく微笑ましい。


 再度、まともな朝の挨拶を交わし、世間話に花を開かせつつ身支度を整えた。


 途端に上機嫌になった香ちゃんは、洗い場に腰掛け、足をブラブラとさせながら、ドライヤーを取ってくれたり、寝癖を押さえてくれたりしながら、カイリスと杏子の今朝の様子を聞きたがり、年相応にコロコロと笑う。


 今そこにあった危機は脱した。

 彼女が大事に胸に抱え込んでいるタオルの下にあるのはカードの束だ。

 小学生の女子児童に大人気のアーケードゲームに使用する。


 この賄賂の事を忘れるなんて、おれは弛んでる。

 この賄賂のアイデアを授けてくれたのは大家さんだ。


 大家さんは一見で、新聞を全国紙三紙+地方紙くらい取りかねないと見抜けるほど、ほわほわで、のんびりとしているのだが、香ちゃんの事には、しっかりと目を配っている。


 香ちゃんは袖の下が大家さんにバレていないと確信を持つが、すでにバレバレだ。


 隠し事をするようになった罪悪感で、家のお手伝いや宿題を積極的にするようになったので助かっている、と大家さんはこっそりと教えてくれる。


 賄賂に隠し事。

 親の記憶がないので比較できないが、豪快で変わった教育法だと思う。


 大家さんから聞いた内緒話と香ちゃんと偽設楽家の話を合わせ、初めて、偽設楽家の引越しにまつわる、すべての真相を知った。

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