時子と貫一 2
旧ナンバリングでは その4の末尾
時子も情報の吟味が終わったのか、小さくため息をついて紅茶を口に運ぶ。
どこかボンヤリとした様子だ。
おれもそれにならう……紅茶は冷めていた。
二人して無言のまま結構な時間を、己のインナースペースに語りかけ、その思索に費やしていたらしい。
その様子に気づいたのか、時子は慌てて新たに紅茶を入れ直した。
こんな態度だから……
彼女が敵かどうなのか、よくわからなくなってしまう。
いや、いかん。
今は、そういう事は何も考えるな。
入ってきた情報の精査は必要ない。
情報は入ってきたままに、ただ受け入れればいい。
そして杏子が来たらすぐ杏子の側に行く。
シンプルにこれだけを決めておけば、どんな事態でも致命的な間違いは起こるまい。
どうせ待つ身、本当の事を話してくれるとも思えないが、疑問もぶつけてみよう。
「その……時子。あなたにした質問をまたしたい。あなたは――」
「美女さん、あなたは誰?……でした……ね。美女、ですか……フフフ。貫一様、最高の褒め言葉をありがとうございました。この世界に来て最も嬉しかった言葉になりました」
……その質問もしたが。それは意図的だったのか、それにより場の雰囲気が変わった。
「いや、そうじゃなくて―――」
「存じ上げています。私の立場をお知りになりたいのですね」
「今は、あの子達の敵に組しています。そして昔は、お互い大事な仲間でした」
「敵、……それは本当に?」
「はい、とは言えあなた様の言う、モヤ。あの敵とは違います、あれは、あのモヤは異世界人全体、シドラから来た者達全員にとっての共通の敵と言えます。少なくとも私はそう教わりました。皆、同じでしょう。アレの正体を理解している人は誰もいません。知る人がいるとすればそれは貫一様だけ。ですが貫一様もご記憶が曖昧なご様子。でも聞きたいのはその事ではないのでしょうね」
躊躇ってからうなずく。時子の物言いに対して多少気になる事はあったが概ねそうだ。
「設楽寿太郎はそれとは別種のあなた様の敵なのです。過去も、そして現在も」
時子はそう断言した。
…………が、何か釈然としない。
「三沢のあの敵意が何よりの証拠、寿太郎と手を組んだ今の私は杏子さんの敵なのです」
胸中で言葉をかみ砕こうとしたが、やはり、受け入れ難い。
時子も?っと疑念が湧く。
敵意や悪意を微塵も感じさせない。
それどころか初対面であったおれと体を重ねようとさえした。
あれは噂に聞くハニートラップだったのだろうか?
だめだ、またいらないことを精査しようとしている。
……三沢さんの敵意に対し時子はおれに味方するかのように振る舞い、杏子と対峙していた時には、杏子が時子に向けた敵意には対しは、時子はイタズラ心があったものの、敵意や悪意では応じ返さなかったよう思える。
三沢さんとの比較によっても、時子の立ち位置がかなり奇異に映る。
「時子。あなたはおれの敵なのか?」
考え事をしたまま、特に何も考えずに、浮かんできた言葉をそのまま呟いた。
意味もない呟きに予想外の効果が生まれた。
呟きを聞いた途端、時子の顔にはショックの表情が一瞬浮かんだのだ。
彼女は自分の表情に気付きそれを消したが、ボケのおれでもさすがに見逃さなかった。
時計の針の音だけが室内を満たす。
時間すらも厚い絨毯に吸い込まれていくかのようだった。
時子は何かを言おうとして止めるそれをくり返した。
そのまま五分以上は経過したと思う。
「……質問に質問で答える非礼をお許しください。貫一様は私を敵だとお思いですか?」
硬い声音で彼女はようやく口を開いた。
これだけの時間をかけ、自らを杏子の敵だと名乗ったのに、今さら、この質問をした。
このなんて事はない質問は、きっと時子にとって、大事な事なのだ。
「そうは思いたくない。さらわれて監禁されているのは確かだけど、あなたは、時子には、嘘がない気がする。杏子は屋敷の人達には必要以上に壁を作るけど、ここまで来る間、杏子は時子を遠ざけようとはしていたけど、壁は作ってはいなかったみたいだし」
口に出したからこそ自分が本当にそう思っているのだと納得できた。
「だから詳しい事情は知らないけど、時子は、おれ達にとって悪い人じゃないと思う」
「………貫一様」
なんの前触れもなく時子の目から涙が溢れ出した。
あまりの事に言葉を無くしている内に、涙は頬を伝って流れていく。
「ご、ごめん!。ちょっとキザったらしく言っちゃったけど!?涙!?今のおれのクッサイ言葉に、そっ、そこまで効果あった??え、えぇと?」
おれは慌てて立ち上がろうとするのを時子が手で制し、そして後ろを向いてしまった。
再度沈黙が室内を満たす。時子は嗚咽を上げるでもなく、肩を振るわせるでもなくただ静かにうつむいている。
「確かに……歯の浮く言葉ですね。でも……嬉しい、いえ、嬉しかった。私を、私を覚えていらっしゃらないのにも関わらず……」
そう言った時、語尾でわずかに声が震えた。
そして時子の表情は見えなかった。
もし、時子が、彼女が語る、言葉通りの敵で、そしてこれが演技なのだとしたらおれは自分で思っている以上に、女に対しては相当チョロイ男なんだろうな。
「取り乱して申し訳ありません。話を……、……戻します。貫一様」
時間をかけて向きなおった時子には、わずかに潤んだ目以外に泣いた痕跡はなかった。
「カイリスちゃんにその夜に連れ出された後、ご自身に変化はあったのですね?」
「それが全然。カイ子は手応え有りって言ってたけど、記憶が戻ってないのは言わずもがな、超絶パワーもピンとこない……二人を落胆させたくないからこの事は言っていない」
あの夜の帰り道、皆浮かれていた。
カイリスは最高にご機嫌だった。
寝静まった街の街灯の下を杏子の手を取って二人は踊るように歩いていた。
おれは遅れて歩きながら二人の喜ぶ姿を眺めながら歩いた。
その時はようやく穀潰しでは無くなるのかもとか思っていて。
おれもちょっと、本当に軽く、そしてこっそりと浮かれていた。
……現実はあの晩からも変わらずに穀潰しのままだったわけだが……あぁ、二人に申し訳ないなぁ。
「カイ子は喜んでたっけなぁ。それこそこっちが見ていてホッコリするくらいに。でも杏子はなんて言うか……カイ子の確信に対して喜んでいるような、そんな感じだったな」
「そうですか……」
そう言うと時子は何かソワソワと居心地が悪そうにしていた。こっちを見て、口を開いては閉じ、意を決したようにして口をまた開くも喋り出さないという感じだ。
「どんな質問でもいいよ。おれに話せる事は全て話す、そう決めたから」
「い、いえ……別に聞きにくいと言うわけでは……。いえ、やっぱり……、あの、カイ子……ですか、リズちゃん……カイリスちゃんの事ですね、いつもそうお呼びに?」
ちょっとシリアスに浸っていたので、そんな質問をされて……ちょっと脱力した。
人の事はあまり言えないが、時子も緊張感が持続しないのかな?
「状況にもよるけど、大抵はカイ子かなぁ。……やっぱり、変なあだ名かな?」
「いえ、以前、シドラに居た頃は貫一様が、部下をあだ名でお呼びになるなんて想像さえできませんでしたので。……納得しました。杏子さんやカイリスちゃんは幸せ者ですね」
「―――ふむ?」
その答えの、意味が分かる分かるような分からないような?
「私達はシドラにいた時は別の名前で呼び合ってました。私の事はアメリア、カイリスちゃんもカイリス。でも大抵は役職名でした。筆頭狩猟官およびアメリア狩猟官、登城せよ。いつもそんな感じでした。フフフッ、そうですか、カイリスちゃんは、今はカイ子ちゃん……ですか」
「え~~と。話の……流れ?が分からないんだけど?」
「分からなくてもいいのです」
そう言うと時子は微笑んだ。嬉しそうなのに、どこか影を感じた。
気を取り直したのか話題は戻り、おれは辛抱強く質問に答えた。
話題は主に杏子とカイリスがおれにシドラの力を見せた夜の出来事。
おれはふと関係ありそうな事を思い出す。
「あ、でも動体視力……なのかな?それが上がった気がする。あの夜もさっきも時子や杏子の超人漫画じみた動きが見えるんだ。慣れってやつなのかな?」
その言葉に時子は真剣なまなざしでおれを見つめた。
透き通るようなその目に直視されると途端に落ち着かない心地になる。
やはりとんでもない美人だ。こんな人とさっきは……。
まずい、違う意味で、エロい気持ちの為に、落ち着かなくなる。
自分がどんどん赤面していくのが分かる。
おれの馬鹿野郎。さっきのドアへの八つ当たりも含め、そうとう格好悪いな。
「そうですか……。わかりました。では、これで尋問は終わりとさせていただきます」
……唐突な尋問?の終わりを告げられた。
なら杏子を!と言う前に、杏子を連れてくるのでもうしばらく部屋に居てくださいと言いながら、彼女はドアを開けた。
……どうやって鍵を?
「後で、少し不快な事があるかもしれません。でもそれで万事が上手く運ぶはずです。では貫一様、私は杏子さんと、この屋敷の主を呼んできます。しばらくお待ちを」
不快な事?時子が退出後、最後に残った不穏な余韻を、紅茶と共に口に流し込んだ。