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時子と貫一 1

旧ナンバリングだと その4冒頭

一月二十三日(金曜 午後)


おれは再び杏子と引き離されてしまった。

今は椅子に座って話を黙って聞いている。




 貫一の抵抗むなしく、ビロード張りの椅子や黒檀の家具が並ぶ豪華な客間へと連れてこられた。

見事な意匠の小振りなテーブルが置かれ、その前の椅子に貫一は腰掛けている。内心は焦躁にかられているが態度には出さないように気を使っているようだ。




 とにかく落ち着かない。先ほど時子とソフトなのかハードなのかという狭間のペッティングをした相手と密室にいるというのもあるが、なにより杏子が気に掛かる。

 一度目のトリモチ落とし穴の時とは、焦燥感において桁が違う。


 焦燥している理由は分かっている。それはガラスを割って登場してからの杏子の行動だ。

 なぜなら、杏子は明らかに時子に、あの鋭利そうな槍での攻撃を仕掛けようとしていた。


 つまりはそういう事なのだろうか?準備だのなんだのと言っていたのは、肉体的攻撃も辞さないほど、敵対してる人間がこの屋敷内にいるのか?




 貫一はそんな事をグダグダと考えていた。

「あんな事の後でこう言うのもなんですが、昔は杏子さんとは仲が良かったんですよ?」

 対面に座る椿時子は紅茶を入れながらそう切り出した。

 貫一はその間も設楽杏子の所へ戻ろうと試みているが、部屋のドアには鍵、窓は鎧戸が閉まっていて出ることができない。

 貫一はこわごわと遠慮しながらも詰め寄ったが、その度に時子は先ほどの熱量、欲情が夢幻だったかのような慇懃な態度で謝罪と杏子の安全をくり返すだけだった。


 貫一は話が済めば杏子を連れて来るという時子の口約束を信じる事しか選択肢はなく、今は焦燥感に駆られながらも、出された紅茶を飲んでいる様子だ。

「ですが、シドラでも護衛官、今もなお貫一様の護衛官であり続けているのに、あんな挑発に乗るだなんて……彼女が本調子じゃないのは嫌という程解りました、ですから――」

「護衛官?」

「敵からあなた様を守る者の呼び名でした。杏子さんは護衛官。私は狩猟官。狩人の狩猟です。カイリスちゃんはそれをまとめる立場、筆頭狩猟官です。私はでしたというのが妥当かもしれませんね。ケルプでは職務を放棄してから久しいわけですから」

 その語尾が段々と小さくなっていった。

「……。敵から守る?あぁ……あの夜の、モヤみたいなやつの事?」

「貫一様は、私達シドラ人が世界の境としか呼びようのない、膜の世界をご存じでしたね。いつお知りになられましたか?」

 貫一はわずかに逡巡した後、「二日前」と正直に答えた。

 なにも時子なんかにバカ正直に答えなくてもいいものを。っと俺は舌打ちしたくなった。

「二日前……、……そうですか。では、そのモヤや杏子さん、カイリスちゃんのシドラ的な運動能力や術などをご覧になってどう思われましたか?」

 時子の丁寧で穏やかな質問に対し、貫一の負の感情が急激に高まっていく様子が手に取るように解る。

 エロガキの顔を押しのけ、もっとガキ臭い貫一の一面が勝ったようで、こいつには我慢の限界が訪れたようだ。




 おれは机を強く叩きながら立ち上がった。

「これは今、話さないといけない事なのか!?」

「……ここから解放する事はまだできません。屋敷の主との面会の事もあります。状況を理解して欲しいのです。今の状況は……私の先ほどの態度や玄関口からあなた様に接していた態度いかんに関わらず、敵対者同士の会話と考えてください。そして人質となります。質問は全て尋問と捉えてもらっても結構です」

「敵対者!?人質!?杏子がか!屋敷の人達は何者だ!杏子をどうするつもりだ」

 いても立ってもいられず扉のノブを掴むが、今回も全く動かない。

激情に任せ、思い切り扉を蹴りつける。反作用によって跳ね返され絨毯に尻餅をついた。


「落ち着いてください。彼女は無事です。あの足止めもすぐに抜け出た事でしょうし、害はないでしょう。杏子さんの実力なら、今は元気に飛んだり跳ねたり、色々壊したりしながら貫一様を捜し回っているはずです。そして屋敷には彼女を抑止できる者など……」

 その様子を想像したのか、時子は邪気のない顔でクスクスと笑った。


 おれはそれを見て……なんというか……心底自分を恥、そのおかげで冷静になれた。

 尻餅から、胡座をかき、膝に肘を置き、そこに頭をのせて髪を掻きむしる。


「私が人質との言葉の選択を誤ったようです、こう考えてください。私の推測が正しいのであれば二日前に杏子さんの力を見たのではないでしょうか?杏子さんの力を知っているのを踏まえれば、貫一様と杏子さんのどちらがより、この屋敷の人質に近いと呼べますでしょうか?」

「……わかった。おれは杏子や時子みたいに超人的な動きはできない。つまり人質は…」

 床に胡座をかいたまま、時計の音を聞いて気持ちを落ち着かせる。


 おれは……なんて、情けない家長、大黒柱だ。

 あの夜を経験してから今日にいたるまでの間、自分の中で前々から聞かされてきた話に真実味がでてきたので、今の自分はシドラにいた頃の自分と同じく主役のなんだと思っていた。


 だが違う。

 今のおれには力も記憶も何も無い。

 主役の一人であるかもしれないが、今は舞台袖だ。

 皆はおれが人質なんだと解っていたのだ。

 おれだけがそんな簡単な事を理解していなかった。


 あの夜の杏子の尋常ではない動きの数々を見たじゃないか。

 大丈夫だ、杏子は無事だ。


「確か……どう思ったかって質問だったよな……あの夜に見せられた光景には驚いたし二人が戦う?姿にはもっと驚いた。モヤの奴は正直よくわからない。物凄い数に囲まれたけれど、二人があっという間に蹴散らしたから観察する間もなかった」

 それを聞いた時子は「そうですか」、と言って黙り込んだ。


 おれは元の椅子に腰掛けた。

 尋問だと言ったが、これは尋問なんかではない、たんなる質問だ。

 愚かなおれでも大事にされている事くらいは解る。


 この人はおれの精神的負担を考慮した説明を試みている。

 なんで、おれ達はこんな敵対的な……。

 ……そうだ、時子の雰囲気に飲まれていたが……とっくに敵対してるぞ?


 何を今まで呆けていたんだ。

 三沢さんが突然激昂したあの態度も、おれが敵としてならばうなずける。

 二人が設楽本家を毛嫌い、警戒していたのは……こういう事なのでは?


 時子と杏子の諍いや三沢さんのあの態度も敵であるというのであれば理解できる。


 でも敵だったとしても、昨日今日そうなった訳でもないのに、今さら何で争う?


 いや、鈍いおれでもさすがに『あの夜』がきっかけになった事は理解するのに容易い。


 だが、それほどの変化か?

 あの夜は、ただカイリスと杏子の超人的な力を目の当たりにしただけ。

 おれには、なんの変化もないんだぞ?

 ここまで考えたが、止める。

 これ以上は何を考えようとも、意味がない。

 下手な考え休むに似たり、だ。


 精査できそうな情報が少ないし、おれの頭や体はすぐ桃色になる。


 今は待とう。

 質問に答えながら杏子が来るのを待つ、それが最良の選択だ。

 そして現時点で、おれが杏子を危うくする情報を持っているとは思えない。


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