両者の想い:働かせたくない理由・行かせたくない訳
旧ナンバリングでは その2の一部
バイトねぇ。ジッと杏子の横顔を見る。
…………ずっと見ていたい。
……、いや、そうじゃない。
「ところで杏子。何故そんな、ストリップ劇場の新人研修一日目みたいな赤面を?」
「今、まさしくそんな気分だからです!……なぜそんな光景を知っているんですか?」
柳んちのPCで、そんな動画を見た事があるからです。と心中で答えた。
「あぁ!それよりち、近いです!顔が!あと離してください!兄さん!お腹が、裾!」
杏子の羞恥心過多な声音の囁きによって、我に返る。
いつの間にか大分近づいてしまっていた。なるほど、良い香りがするはずだ。
見ると杏子のコートだけでなく、制服の襟まで掴んでしまっていたようで、まぶしい背中とその下の……が見えていた。
杏子は手で必死に隠そうとしていたが、全然隠れていなかった。……ナチュラルにセクハラをしていた。
夏の海でもないのにわざわざ、杏子の裸体(艶やかな腹部)やら色々とを、八高の男共に見せてやるつもりはない。と思いつつ、手を離す。
杏子は手早く着衣の乱れを整えた。
「すまんすまん。杏子。それより――」
顔を赤くして、落ち着かない様子の杏子を正面から見ようとするが、目も合わせない。
顔が赤いのは、ご褒美アクシデントのせいだとしても……その様子を見て確信を深めた。
嘘をつこうとする時の杏子の癖の内の一つ。
二人の事はなんでも解ると自負している。
「――今日もバイトか、忙しそうだな」
「当然です。長女として、中学生のリズばかりを働かせるわけにはいきません」
そう言ってきたので、
「長男も存分にバイトしたいんだがな」
呟くとと、ことさらに視線を合わせてくれなくなった。
おれも最近は隔週の土日だけ、バイトをしている。
二人はその事を快く思っていない。
引っ越し直後、いの一番でカイリスがバイト禁止の沙汰を言い渡してきた。
主に働かせて下僕がのうのうとして生活費を得るなんて有り得ないとの事。
あざといエロ的誘導話術や二人の懐柔術の合わせ技で、勝手に働かないと誓わされた。
だが、おれは諦めなかった。期間をおいて再度バイト交渉に乗り出した。
長男不労の欠点を二人には、こう説明した。
『我が家の家庭環境を知らないお前らのファンの老若男女が、インターネット上で年下の妹達を働かせて、ピンハネしている非道すぎる長男として槍玉にあげられている。世間体の為に、おれにも働かせてくれ』っと。
もう、身も蓋もない程、大手おもちゃ屋の前のガキのように徹底的にゴネまくった。
今思っても、それは妙手であった。ゲスの集合体である、二人のファン共の謂われない評価を最大限落としつつ、しかも働きに出られるという最善手だ。
まるっきり適当な嘘というわけでもなく、油断も隙も見せられない男・柳によれば学校裏サイトなる半地下・狂信・狂乱の掲示板で、結構な頻度で標的になっているらしい。
男共の嫉妬は何にも勝る娯楽。というのが晴れやかな信条であるので、まるっきり気にしていない。
このゼロとイチの世界にのみ存在する突き上げ運動のお陰で、世間体という御旗を掲げ、見事に渋々(この世の終わりが来たような表情をしていた)二人から労働許可が下りた。
山を越えた漁港に、隔週で土曜深夜の出航前の船掃除&漁具の準備(みやげもの屋の爺さん紹介の、自前の缶詰工場を持つ漁師さん)二千円+αと、日曜早朝から十時までの魚市場での見習い(雑魚やアラの土産付き)四千五百円+αだ。
実はおれの方こそ、二人を働かせたくない。
二人が働きに出れば必然、家で一人でいる時間が多くなる。
金と貧乏生活を天秤にかけるまでもない。
一億円だろうが、二人といる時間の換えにはならない。言い過ぎだという人間もいるだろうが、二人と実際に一緒の時を過ごせば、決して大げさな金額ではなく、それどころか二人との生活に慣れたおれ以外だと、一億でも過小評価であると結論づける賛同者もかなりいるだろう。
その大勢の賛同者達(空想上の生物)とは、二人と過ごせる時間が大幅に増えるのだから設楽本家から援助を受けたいと、おれが望む気持ちも理解し合えるだろうというものだ。
おれに設楽本家から事あるごとに提案されている無条件の援助を受けたくないという、男の気概やプライドはない。
それの理由の一つは、おれも生物学上の男である以上、ゲスの一員なのだ。だからそんな提案にはホイホイと乗りたい。
だけど二人のプライドは大事にしたい。
二人が屋敷の最低限以上の援助を嫌う以上、おれもおのが欲望のままの幸せ時間の削減を、血涙を流して飲み込まないといけない。
こうして、今日もジレンマのやつらが雲霞のごとく、大発生中だ。
「ほう。じゃぁ、今日はお兄ちゃんも一緒に行こうかな。爺さんばあさんには食卓に出る家庭菜園の野菜の事とか山菜採りの知識やらを、ありがとうってお礼も言いたいしな」
「兄さん、それには及びません。私がその都度オーナーにお礼を言っています。えぇっと?これ以上?礼を言われたら?気まずい状態になりかねませんから、大丈夫です」
何その変な理論。
あと騙すつもりなら疑問系で喋っちゃ嘘がバレバレになるだろうが。
「臨時の休みらしいな?朝早くから東京見物だって聞いてたが?」
起死回生を試みた女社長の祖父母へのリベートだ。
これはいつもの愚痴タイムで得た情報だ。
ぼそっと「兄さんのドS」との呟きを聞き逃さなかった。
「………、………」
……ハァハァ。
今のを好みのシチュエーションでもう一度とか思ってる場合ではない。
「えと……そうだ!早くアパートへ!香ちゃんは兄さんに一番懐いてますし!」
………………それは無いわぁ、なんという悲しく、生産性の無い嘘なんだ。
嘘にも良し悪しがあるが、これはその中でもだいぶ悪しの部類だ。
「そ、それに、えーっと、そう!季節外れの棚卸しです!鍵は前もって持ってます!」
両手の指先をつけたまま手の平を合わせたり離したりする。またも嘘をつく時の癖だ。
「杏子」
「……、えぇ~~っと…………」
「……杏子」
「はい…、ごめんなさい。バイトは嘘です。設楽寿太郎の屋敷に行こうと思ってます」
「……おまえは嘘がとても下手だ」
「はい」
「事情はわからないが、寿太郎さんに今の生活には極力、介入されたくないんだな?」
杏子は力なくうなずいた。その側を部活中の運動部が走って通り過ぎていく。
「それでもって、その交渉の場には、何故かおれは連れて行きたくないってわけだ」
「…そうです。リズからも兄さんは連れていかないでと、……決して一緒に行きたくないんじゃなくて……、心強いんですけど、兄さんはに屋敷に行って欲しくないんです」
「理由は言えない?」
長いためらいの後、消え入りそうな声音で「はい」と答えた。
「なら、おれも行く」
「……そうですか。やっぱり。でも、……どうしても?」
うん。と返事をして歩き出す。
杏子も応じて、黙り込んだまま半歩遅れて横を歩く。
「心配するなって、おれも邪魔にならないよう――」
「そんな事思いません!兄さんを邪魔だなんて思った事なんて一度もありません!!」
――凄い剣幕で否定される。お、おう。……ビックリした。
「んじゃ、言い直す。おれは誘惑にトコトン弱い。でも今回は資金援助とか言ってきたりしてもホイホイ誘いに乗らない。豪奢だった屋敷の生活をまたしたいとも思ってない」
あの頃より今の方が万倍も幸せだしなぁ。
しかし杏子はそれでも浮かない顔だ。
『屋敷に同行させたくない』理由をおれなりに解釈した憶測は見当外れだったらしい。
今のが違ったとなると、他は理由がありすぎて正直、見当がつかない。
だが、それならそれで手はある。
頭をかいた。
しばらくすると、考えがまとまった。
「寿太郎さんにきちんと会うのも、半年以上前か?その頃に、夏の前には引っ越ししたいとか三人で、色々屋敷の仕事もらいながら、言ってたっけなぁ。
「……その頃アヒル荘が見つかって、そっから二週間位で、アヒル荘へ引っ越したっけ?寿太郎さんが豪勢なアレやコレやらを持っていけってのを断って、引っ越しを車で手伝ってくれるっていうシゲさん達の手伝いも断ったから、農家を一軒一軒まわって、埃まみれの壊れかけてた大八車をなんとか修理して、必要っぽかったから学校にも許可取って原付の免許も取ったけど、手頃な中古のカブも売ってなくて。
「結局みんなの手で引いてったから免許自体意味がなくて……そう言えば大八車借りたお礼したっけ?―――した?そうか。えっと……そう、カイ子と歩いてたら空き地だと思ってた草むらの中に空き部屋有りの看板が倒れてたのを発見したんだった。まるで荒れ野みたいで鵜の目鷹の目で観察したけど、あの頃のアヒル荘は、不法投棄だらけで、めちゃくちゃに荒れてたから、やっぱり廃墟にしか見えなくて。「それでも人が住んでるって解ったから、次の日にカイ子とおまえの三人で期待せずに大家さんとこに訪ねに行ったなぁ。あれからもう半年か」
一気にそう、まくしたてた。
「………兄さん?」
杏子が戸惑い、次々変わる話題に対し形のいい眉をひそめている。
「……寿太郎さん元気かな、久しぶりだし話も盛り上がりそうだ。だけど、あれだ、おれは途中で話に飽きるに決まってる。寿太郎さんは話が回りくどい上、説教臭いのが玉にきずだからな、ちょっと話をしたら屋敷をウロウロしたい。えーっと、屋敷内で会いたい人はっと。まずはシゲさんとアニさんだろ、それから……研さんとか勇二さん、ヨーコさんに幸歩さんにツネさん。時間にすると……一、いや二時間くらい、帰宅は結構遅くなるけど、カイ子も今日は遅いんだし、それでもいいだろ?」
杏子はおれの狙いが解らずに首をひねりながら聞いていたが、ハッとした表情になる。
「はい!そうですね。それだけあれば――」
――設楽寿太郎も聞き分ける事でしょうと呟く。
剣呑な響きの言葉はこの際スルーだ。
大人しい杏子が寿太郎さんにどんなクレームを言いたいのか、大変興味がある。
同郷?同じ異世界出身?を警戒しすぎの、変な人間関係含めて、いつかは解るだろう。
……無礼があったら寿太郎さんには後日、内緒で会いに行って、誠心誠意、謝ろう。
「よし。じゃぁ、いったん家に帰るか」
預かった現金封筒を持っていかないとな。
「家ですか?帰ってから、あらためて設楽寿太郎宅へ行くのですか?」
「ああ、手間だけど、あのかネ、……。杏子は先に屋敷に行っておくかネ?」
「???。いえ、いったん帰るというのなら、好都合だなぁって。白子屋に寄りたいんですけど兄さん、付き合ってもらってもいいですか?」
馬鹿みたいに早口で口滑らかに適当に喋ってたから、危うく金の存在を暴露しかけた。
普段からおれの奇行に慣れている杏子は語尾の件をスルーしてくれている、いい子だ。
現金封筒の返却タイミングは難しいだろうが、杏子の隙をみて、こっそり返そう。
「ああ、そうか。あれ?でも今日は肉のマンスリーセールの日じゃなくないかネ?」
ウチには月一しか用のないスーパーマーケットだ。
そして今日はその日ではない。
「あっ、……違うんです。お肉は今、ごめんなさい、お金が無くて買えません。その……段ボールをもらいに。窓に張っておくと、夜が暖かいらしくて。兄さんの部屋にと……」
その発言で、今考えていた様々な事がすべて吹き飛んだ!!
くっそぉぉぉぉおおお!!!
金め!!!!
封筒が膨らむ程もあるのに使えないとは!!
お預けプレイで苦しめるだけでは飽きたらず、おれを泣かす気か!!!!!
「そうか!工作ならおれがやっとく。時間あるしな!一人分じゃなくて、段ボールは持てる限りもらおうぜ!アヒル荘全室分だろうと持ち運びはチョロイもんだ!」
おれが凍えようが、そんな事は気にすんな!!!とか言いたくなる。
言えば二人が重荷にしてしまう事が分かり切っているので、言いたいけど言わない!
今、カイリスと杏子に圧倒的に足りていないものが解った。
金なんかじゃない!
自己愛だ!
お前達二人はおれへの慈愛が過ぎると言ってやりたい!
封筒を無性に使いたくてしょうがなくなってきた!
二人に人並みの贅沢させて、綺麗な服とか着て欲しい。
ローションを商会の婆ちゃんから貰うとか、知恵袋的なモンじゃなく、好みのを買って欲しい!
良い事があった時の定番となりつつある、デザートのたいやきを一尾か二尾かで二人を金輪際、悩ませたくない!
………………でも、封筒の金を、あの寿太郎さんの支援を受けたらカイリスと杏子が悲しいというのであれば、現在の我が家では必要としない金だ。
見事なまでのアンビバレンス。ハッピーな暮らしの代償を神様が求めてるのか!?
……バイトを頑張って二人に何かプレゼントしよう。
マメにやっていけばいいんだ。
「兄さん。ありがとう」
内心身もだえしていると、杏子が恥じらいながら突然そう言った。
「?」
「話し出す前に耳の上を掻くのは、私達の事を考えての行動の時の癖ですもんね」
深淵を覗く時…と有名な文章が雰囲気的にもそぐわないが、頭に浮かんだ。