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貫一の生きるこの世界 一章  日常の朝



 一月二十日(火曜日 早朝)


 三兄妹の末っ子として、世間に対して戸籍を詐称している次女の朝は早い。


 外見どころか、音もひび割れた年代物の目覚ましが鳴る数秒前に、次女は目覚める。

 狭い部屋なので、重なり合う布団に寝る長女を抱きしめたまま目覚めるのが常だ。

 長女は毎日次女に抱き枕代わりにされているこの事実を知らない。

 次女も引っ越してから発見した自分でも意外なこの癖を誰にも語っていない。

 暑がりの長女は、夏は寝苦しそうにしてたが、冬になった今、ボロ家と薄手の布団のコンボにより、夏には次女のハグから逃れようとするかのように見えた長女の寝相が変化の兆しを見せ、今日は二人が、互いから暖を取るような姿勢に変わっていた。


 起こす可能性はかなり低いが、自分の体に回された姉の腕の中からスルリと抜け出す。

 長男からは猫のようだと、たびたび揶揄される事もある次女だが、この姿を見たらますます言われてしまいそうだと思い、その団らん風景を思い描くと自然と笑みが浮かぶ。


 目覚まし時計のアラームを、長女が起きる時間に合わせ直す。

 自室から音を立てないように出て、後ろ手で継ぎ当てだらけのフスマを静かに閉める。


 隣はすぐに居間。そして今肩に触れそうな程近い、左横のフスマは、長男の部屋だ。

 今まではほぼ毎日、閉めるのは嫌だとゴネて、フスマは常時開け放たれていたが、さすがに観念してくれたようだ。よかった。こんな事で風邪をひかれてはたまらない。


 次女はたった二歩で居間を通り抜け、台所へと出る。狭すぎる我々のお城。

 とても静かだ。

 耳を澄ますと兄の寝息と、隙間風の音がする。足元を寒風が抜けていくのを諦観した思いで感じ取る。今度、どこかにあるその隙間を補修しようと、心のメモ帳に書き込む。

 何かと姉妹に気を配る長男が、先にこの事に気づいてしまうよりも前に。


 朝食作りは私の仕事だ。最近は私のアルバイトが忙しくなったからか、朝食作りは私が受け持ちましょうか?と長女から提案された。

 だが、次女は忙しいからこそ、毎日の朝食だけは必ず作りたいと強く願っていたので、次女はその提案をやんわりと拒否した。


 パジャマの上に袢纏を羽織り、襟口の中に入っていた髪を袢纏の上に広げる。

 中に入っていた髪が無くなると首元が非常に寒い。

 家族一の毛量を誇る私の髪。不便な事も多々あるけれど、冬の保温や長男とのコミュニケーションにも使えるので切るつもりは全くない。

 制服はまだ着なくても良いだろう。長女が起きる頃にでも着替えればいい。


 一㎡程の極狭キッチン。ギシギシどころか長男が歩くと時々、板の内部がピシピシと割れる音がする床を踏み、シンク前に立って前夜にタライに張っておいた水で顔を洗おう。

 表面の氷を割りながら氷水をすくい、そっと顔を洗う。

 シンクは狭いので大きな動作での洗顔だと床がビショビショになる。

 眠気が根こそぎ吹き飛んだ。

 現状では石鹸すら無駄にできない。登校前の身支度時に本格的に洗顔できればいい。


 水道の蛇口は今は完全に凍り付いていて使えない。晴れた日は昼前にようやく水が使えるようになる。

 長女が朝の水道管の問題を長男に漏らしてしまい、長男は断熱材を巻くと言っていた。

 長男には雑事などはして欲しくないが、本人が望んでいる事なので諦めていた。


 朝食作り開始には、凍り付いた水道管をどうにかしなければならない。

 振り返りフスマが閉まっているのを確認後、耳を澄ます。

 相変わらずの寝息と、そして隙間風の音が聞こえる。大丈夫。長男は見ていない。


 今は、私と長女だけが行使でき、長男は半信半疑の知識のみの『凄い力』で水道管を温める。

 これを見せられれば疑いも解け、長男が色々と疑う話の理解が進むのに、と思いながら作業を続ける。

 私の手から発せられる猛烈な熱気によって熱が伝導し、すぐに水道が使えるようになる。

 毎回無駄な力の使い方をしているという脱力感があるが、今の所はこれ以上の良案がない。


 『凄い力』という最近長男の言い回しを頭に浮かべたからか、自然と笑みがこぼれる。

 そしてそろそろこの力の行使を、こうしてコソコソと隠れてする必要を無くしたい、と願う。


 空き空間の方が目立つ冷蔵庫内から昨日の夕食の残りの、萎びて冷え切ったかき揚げを取り出す。

 朝食を摂る寸前に揚げなおそうかと思ったが、ちょっと考えてから断念した。

 こんな些細な事でも節約をしないといけない現状が、次女は本当に腹立たしい。

 長男は笑いながら『そんな事は我慢ですらない』と多分本心で、笑いながらそう言うが、次女にはそれでもこの節約生活を打破できない自分達に腹を立ててしまう。


 今から出しておいて、みそ汁を作る時に火元の近くに出しておけば多少なりとも温かいかき揚げを出す事ができる。

 そう納得する事にした。こんな事で悩む私を長男も見たくないだろうと思うと、これはこれで価値のある決定を下したのだ、と心がちょっと軽くなる。

 朝が弱い姉が起きるまでの間に、色々と家事を済まそう。

 小声で気合いを入れ、バイトで慣れきった持ち歌を小さく口ずさみながら、朝食作りの下ごしらえに取りかかった。





  一月二十日(火曜日 早朝)


 目覚ましの音で、杏子は目を覚ました。

 アラームを止めてから三分程度数え、気合いを入れて、布団を這い出す。寒い。

 また布団へと戻りたくなる欲求をねじ伏せて、モタモタと布団を片付ける。

 布団に戻ってしまっては、猶予としての三分は何の為だったのか。

 それに、自分では三分のつもりだけど、それだって怪しい、途中寝てしまっているかもしれないのだ。

 本当はすぐに起きないとダメなのに、今日もダメだった。

 押し入れに布団を抱えたまま体ごと押し込み、そのまま顔を布団へ押しつける。

 眠れそう……、ハッとして頭を振って重い眠気を払う。

 顔を布団から多大な意志の力で離しフスマを閉める。立ち寝を数分間していたようだ。


 重い足取りと自覚するヨタヨタ歩きで居間に入ると、制服にエプロン姿の妹が繕い物をしていた。

 台所の方を見れば、一口しかないコンロにはフタをした鍋がすでに置いてある。


 朝食準備は今日も万端のようだ。妹はバイトも大変なのに、と思う。

 妹は、毎日の炊事は私のストレス発散法!みたいに考えているようなので、これでいいのかもと最近は納得していた。だけれど、やはりちょっと彼女の体が心配になる。


 おはようと挨拶してから妹の隣にペタンと座りこみ、繕い物の一部を手に取る。

 今朝は座布団の修繕のようだ。妹が箪笥にかけてあった私の袢纏を肩に掛けてくれた。

 感謝の言葉を言って、私もマイ針を取って修繕を始める。


 妹は優しい笑みを浮かべて座り直し、彼女も繕い物を再開した。

 妹はしっかり者だ。自分も……と思っているが朝は絶望的にダメだ。昼と夜に妹よりしっかりしようと努力してはいるが、一日中、凜として完璧に見える妹にはかなわない。


 あれこれと雑談をしながら縫い物をしている内に完全に睡魔に打ち勝った事を自覚できた。

 妹が時計を見て、再び朝食作りの為に立ち上がる。


 私も身支度を整えて、兄さんを起こしに行こう。

 夏前に引っ越してきてから始まった疑似家族による家族的習慣。とてもとても幸せだ。


 立ち上がり二歩歩くと兄の部屋のフスマ。

 フスマに手を伸ばした所で、動きを止める。

 なにやら中からモニョモニョと不明瞭な声が聞こえる。

 もう、起きている?いや、寝言だろう。中で丁度、目覚ましが鳴った。

「入りますね。朝ですよ、起きてくださ――」

 兄さんの寝言を聞いてしまったが故に、その場に凍り付いてしまった。





 一月二十日(火曜日 朝)


「……すぼーど」

 年に数回見る夢を見ていたのを認識し、緩やかに目覚める。すぼーどって?と夢にツッコミを入れながら、上体を起こす。何やら寒い。ああ、フスマが開いている。


 そして戸口には妹が居た。妹役なのだが妹っぷりが板に付いている。

「やぁ、おはよう、杏子」

 枕元の目覚ましは七時を指している。伸びをする。

「お、おはよう……ございます。あ、あの……朝です!起きてます?」

 いきなり杏子がテンパっていた。意味わからんと思いつつ、おれはアクビをする。

 何をテンパって……、こっそりもぞもぞと布団の中で男の生理現象を据わりのいい位置へと正す。

 欠伸をかみ殺し、もう一度杏子を見てみる。


 頬を染め、ソワソワと落ち着きなく、カイリスがいるであろう台所を気にしている。

 おいおい?アレか?おれの思春期の妄想が、いよいよ現実を浸食して境界を破る気か?

 就寝中に、最近杏子たちが強く主張するような、凄い力に目覚めたとかか?

 杏子の瞳も潤んで……いる? ない? 潤んでる…よな?

……まぁいい、潤んでるさ。きっと、多分。


 杏子は無遠慮に見つめられて居心地が悪いのか、アタフタとした後にうつむいた。

 学校へ行くまでには大分時間がある為、今朝はまだ編み込んでいない側頭部からハラリと、長く艶やかな髪が一房落ち、その横顔を少し隠す。今日もキレイかわいいな、杏子!!


「杏子。顔が赤いぞ?どうした?」

 その気持ちを言ってみるといい、おれは決め顔を意識しながら、言葉を待つ。


 そして途端にピンと来た!確か今日は二人でおれに荒療治をって宣言した日だ。

 だから、こんな風に……きっと覚悟とか色々と……。

「え!?、い、いえ、そのなんでもないです、兄さん」

 ワタワタと手の平を振りながら視線をあちらこちらに泳がせた。

その仕草に微笑ましさを感じる。期待を込めて、なおも杏子をジッと見つめ続ける。


 いよいよ覚悟が決まったのか、杏子はもじもじとしながら、ため息をついた。

「寝言を言ってましたので……その、卑猥な感じの」


 卑猥な……だと!?淫夢でも見てたっけ!?この股間は朝の生理現象でもなかった?

 しかし、動揺しつつも興味が勝った。

 ほ、ほう? その寝言が、杏子の琴線に触れたと? 意外とムッツリ?爽やかな朝だというのに……。

 あくまでクールに続きをうながす。

「よっちゃん。イイよとか、最高だ……イケ!とか。同じクラスのあの人ですよね?」

「…………………………あぁ、そっち?]

 そう言って嘆息する。力が目覚めた、とか思ってしまった自分が情けない。

 あるかどうかもわからない、絶賛行方不明中の力を目覚めさせる前に、今は自分の眠気を覚まそう。

 そう思い伸びをする。

 バシッと自分の両頬を軽く張って頭を完全に目覚めさせた。

 そういえば『すぼーと』とか言って起きたよな。


……なるほど、全てが繋がった。夢の寝言だ。多分バンド名だろう『スボード』。あの夢は、メンバーは変わらないが、なぜか、毎回バンド名はコロコロ変わる。

納得納得。

 杏子が勘違いした同級生とは断じて違う。そもそも性別が違う。

 夢のよっちゃんはヒゲ面のドラムスのおっさん。

 そこでおれがバンドのボーカルとなり、不思議夢基準でメンバーに選ばれた正体不明なメンバーの一人。それがよっちゃんだ。

 夢では、ライブハウスで、いい感じにMCをして、笑いをとりながらメンバー紹介をし、各々がソロ演奏する場面がある。その寝言を見事に勘違いしている。

「そっち……ですか?」

 誤解が面倒事になりかねないので正そうと思うが、自分の中の股間を中心にして考える悪魔が、説明の義務感を思い直させる。

 今、誤解を解くと、今後は杏子が勝手想像を逞しくして照れまくりながら、たどたどしく状況説明をする、というこのほっこり型セクハラが消失する。

 おれは釈明するのをやめる事を固く決意した。

「そうだ、『そっち』だ。これ以上は………。もう、いいだろ?杏子」

 絶妙な間と言葉の少なさはダンディズムに近づくと信じている。


 そして杏子と見つめ合う。

 ……、………あぁ、ダメだ。杏子のあの顔はマジでおれのダンディズムが伝わっていない。

 顔が赤いだけで、平静時ならば「はい? ええと?? はぁ? わかり…、……ました?」とか言う表情だ。


「あ、あの、もう起きましたよね!」

 赤くなった顔を手で扇ぎながらながら出ていった。……。

 凝り固まった筋肉をほぐす。 

 すると寸前まで身中にあった、後ろ暗い肉欲的な情動は嘘のように消え、それとは明らかに一線を画す、ときめきを再確認するという、大変良い寝起きとなった。


 布団で慎重にプレスしておいたYシャツと、鴨居に掛けておいた学生服に手早く着替え、布団を畳み押し入れにしまってから三畳の自室を出る。


 狭い自室から、やや広い四畳半の居間に行くと、食事の用意が整いつつあった。

 杏子がワタワタと、背の低いカイリスの指示を受けつつ朝食支度の補助をしている。

「カイ子、おはよう。今日も寒いな。いい天気になりそうだ」

 料理全般を担当するのは、末っ子のカイ子ことカイリスだ。

 朝食は彼女の監督の元に執り行われる。杏子はその補佐だ。朝のこの光景に毎度、軽い感動を覚える。

 何せ平日は毎朝、二人の制服+エプロン姿が見られるのだ。

 家の中で好きな光景の一つ。

 そして多分もっと好きなのはまだ見ぬ朝の光景だ。

 腕枕系とか、薄着、おれのYシャツの上だけ!?、二人ともスケスケのネグリジェでのおねだりとかショーツのみとエプロンの組み合――


「おはよう、マスター。まだ少し時間が掛かるから、先に顔を洗ってくるといいよ」

 ――エロい妄想に暴走しかけていたおれにカイリスが挨拶を返す。

 しばらくこの光景を見ていたかったが、カイリスは軽くでも怒らせると怖いし、まして彼女の伝家の宝刀を抜かれると思い出すだけで膝に震えが来るので、そそくさと七号室から共用通路の廊下へと出る。


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