-第一章- 【災害】
翌日の朝、ファラが船乗りと口論しているのを、紅魔は退屈そうに眺めていた。
「冗談じゃないわよ! 首都への出航日が未定? ぜんっぜん笑えないわ! おちょくるのもいい加減にしてよね!」
「だから冗談ではないと言ってるだろう! 首都行きだけじゃない、すべての船が出航見合わせなんだよ!」
「あんた馬鹿なんじゃないの? 大馬鹿なんじゃないの? この港が機能停止したら我が王国の経済が破綻するわよ! 笑えない冗談はやめなさい!」
「そんなことは知らん! 上の決定なんだよ!」
どんな理詰めでファラが詰め寄っても船乗りは知らん、上の命令だの一点張り。
ファラの怒りのボルテージは最高潮に達そうとしていた。
「知らんと言ったら知らん! 諦めて帰れ!」
それが、不運にもファラに捉まってしまった船乗りの最期だった。
プツン。
(あ、キレた)
紅魔が、なにかが切れた音を耳ではなく心で感じ取った瞬間。
ファラ渾身の回し蹴りが一閃。盛大な音と水しぶきをあげて、船乗りは海に叩き込まれていた。
(馬鹿な野郎だ。もうちょっと丁寧に対応しときゃ、こんなことにはならなかったのに)
やはり人間はどうしようもなく愚かだ、などと考える紅魔に、怒り心頭のファラの声がかかる。
「行くわよ紅魔」
「へ?」
ファラが港から早足で歩き去って行くのを見て、紅魔も空中に寝そべった姿勢のまま後を追った。
ドスドスドス、と石畳の道を踏みぬかんとする勢いで歩くファラを、おもしろそうに眺めながら紅魔が軽口を叩く。
「いやー、それにしても意外だったなー。まさかあそこでお前が諦めるとはな! 俺はてっきり船を強奪してでも出航するのかと」
「諦める? 誰がそんなこと言ったのかしら」
ファラのやけに冷ややかな声が紅魔の言葉を遮る。
「あたしにはね、紅魔。どうしても生理的に受け付けない人種が二種類あんのよ」
声だけで相手を低温火傷にしそうなファラの声には、さすがの悪魔も固唾を飲んで見守るしかなかった。
「ひとつはね、自分では何一つできない、上の命令を守るだけの機械みたいな人間。そんでもうひとつは、すぐに諦める人間よ。そのあたしがよ、紅魔」
ファラがスッ、と鋭利な刃物のような視線を紅魔に向ける。
「そう簡単に物事を諦めると思う?」
その斬り付けられるような視線に、思わず紅魔も姿勢を正した。
「お、思わねえ……」
「でしょう?」
視線を前に戻したファラは、宿屋の扉を力の限り蹴り開ける。帳簿を確認していた宿屋の主人が、まさしく鳩が豆鉄砲を食らったような顔でファラを見上げた。
「なに見てんのよ!」
今にも噛みつきそうな表情で、宿屋の主人を睨みつけるファラ。
フリーズした主人はぎこちない動きで、それでもさりげなく、帳簿の確認に戻って行った。
ファラはそのまま一番近くの部屋に飛び込んだが、もちろん主人はノータッチ。
「でもどうすんだよ。今から船を襲いに行っても、さっきの騒ぎで警備が強化されてんのは間違いないぜ?」
「この街にはツテがある、って言ったでしょう?」
旅行用の大型カバンの中身をぶちまけながらファラが返す。
「着替えるから」
「ん、ああ」
「……」
「……」
頭のうしろで手を組んで、だるそうにプカプカ浮遊する紅魔の顔面めがけて、拳大の鉄の塊が物凄い勢いで飛んでくる。
紅魔はあやうくそれをかわしたが、続いて第二撃、ファラの怒声が襲いかかってきた。
「出てけっつってんのよ!」