- 断 章 - 【悲嘆】
地獄の最下層、コキュートス。
そこは悪魔の本拠であり、神々の牢獄でもある。
その中に流れる一筋の川。名を“嘆きの川”という。
神々を裏切った者が永遠の氷漬けにされるその川で、一際目立つ仰々しい氷像がある。
背の十二枚の翼は朽ち、深紅の瞳は光を失い、美しかったであろう面影を残す顔を憤怒の形相で歪めている。
それが、かつて神にもっとも愛された天使の、なれの果てだった。
名をルシファー。神のもっとも愛した二人の神子の片割れ。“エル”の位を剥奪され、この地に封印された“明けの明星”の異名を持ったかつての最高位天使。
その氷像を眺める、二人の悪魔がいた。
吸い込まれそうな漆黒の瞳がルシファーを見つめる。
「……我が父にして偉大なる魔族の王、サタンよ。準備は整いつつあります。復活の時は、間もなく……」
声の主は黙祷を捧げるように軽く目をつむり、踵をかえした。
「ルシアはどうした?」
「人間との契約の最中です」
紅魔とは対照的な、氷のように蒼い瞳が答える。
「ふん。人間とはつくづく愚かなものよ。神の愛もわからず我らと契約するような愚物どもごときのために、我らがこの地に堕とされたとはな」
「その愚物のおかげで神々に復讐ができるのです。よいではありませんか」
蒼い瞳がそう返すと、漆黒の瞳はニヤッと厭らしい笑みを浮かべた。
「レミア、ルシアを頼んだぞ。あいつは魔王の寄り代だ。その時がくるまで、絶対に殺すな」
「は」
レミアと呼ばれた蒼い瞳の悪魔は短く応え、川辺から姿を消した。