-第一章- 【海魔】
「お疲れ様。凄い声だったわね」
船室から出てきたファラが、甲板に一人たたずむ紅魔に声をかける。
海竜の絶叫のことを言っているのだろう。確かに船室に入っていなければファラの鼓膜は破れていたかもしれない。
一目で海竜の逃げ道だとわかる、赤く細長く続く海面を、手すりから身を乗り出して珍しそうに眺めるファラ。
その後姿に、いつになく冷めた紅魔の声が浴びせられる。
「何をしている」
「何って……」
怪訝な顔で振り返ったファラは思わず息を飲む。
ファラはまだ若い。それでもそれなりの場数は踏んできたし、命を賭けた修羅場だって何度もくぐり抜けてきた。盗賊としての経験こそまだ浅いものの、腕は一流であると自負してきたし、事実その通りだった。
そのファラが、それまでの修羅場が子供の遊びに思えるような最大級の戦慄に身を竦ませていた。
紅魔の目、深く澄んだワインレッドの瞳が、まるで虫けらを眺めるようにファラの姿を捉えていたからだ。
目を逸らしたら狩られる、と動物の本能が告げる。
そんなファラを見て、紅魔は嘲るように小さく鼻を鳴らして笑った。
「船室に戻れ。すぐに次が来る」
「……え、次?」
紅魔の視線が外れ、ファラが呪縛から解き放たれたその次の瞬間。
耳を劈く轟音が衝撃波となってファラを反対の手すりまで吹き飛ばしていた。船が転覆するかと思うほど大きく揺れる。紅魔ですら、衝撃に耐えるように十二枚の翼で自らの身を包んでいた。
「さっきのチビが本命を連れてきたみたいだな。死にたくなかったらさっさと戻れ」
指に着いた海竜の血を舐めとりながら、やけに嬉しそうに紅魔が言う。
「第二ラウンドだ」