-第一章- 【脅迫】
やがて扉を開いて出てきたファラを見て、紅魔は目を見張った。
常のオレンジのドレスローブや、露出多めの盗賊スタイルからは想像もできない変貌である。
清楚、といった表現が最も適切であろう純白のロングドレスに、動きづらいからとあまり好まないハイヒール。普段はうしろで束ねている髪を下ろした姿は、誰が見ても百人が百人、名家のお嬢様、と答えるだろう。
「なんだその格好。そんなんに着替えて何をする気だ?」
「黙ってついてきなさい」
有無を言わさぬ口調でファラは紅魔を睨みつけると、ツカツカとハイヒールを鳴らして歩いて行く。
歩くこと数分、ファラは大商会の本拠が並ぶ中心街を早足で通り抜けていた。
やがてその中でも一際目を引く、大きな建物に入っていく。
「いらっしゃいませ」
恭しく頭を下げる商会の受付に要件だけを簡潔に伝える。
「ミーゲル・バルボワに取り次いで。フラン・カトレットが来たと言えばわかるわ」
(フラン?)
聞きなれぬ名を聞いていぶかしむ紅魔だが、今のファラに話しかけるのは馬鹿だ、ということくらいはわかる。
やがてファラは上等な客間に案内され、出された紅茶を飲みながら待つこと数分、優しげな風貌をした小太りの男が客間に入ってきた。
男の姿を確認したファラは、信じられないことに顔を綻ばせ、可愛らしく男に駆け寄る。
「おじさま!」
「これはフランお嬢様、トーリアにはいつ? 申してくだされば迎えをやりましたのに」
「仕事の途中だったし、おじさまも忙しいでしょうから、何も言わずに行こう、ってね」
そう言って微笑みあう。
「仕事、というと御父君の代理ですかな?」
「うん。まあそんなとこ」
「まだお若いのに、立派になられまして……」
男は感無量、と涙を拭うような素振りを見せる。
「それでおじさま、仕事の報告のために一刻も早く首都に帰りたいのですけど、港に行っても船が出ないんです。船乗りに聞いても知らんの一点張りで……。おじさまなら何かご存じでしょう?」
ファラが尋ねると男は少し困ったような顔をした。
「実はですね……ここ数日、地中海の主様が大暴れをしているとのことで……。おかげで我々も商売あがったりです」
「なるほど。それでか……。じゃあおじさま、その主とやらを鎮めればいいんでしょう? あたしに船を貸してください。あたしが鎮めてみせますわ」
「だめです」
先程までとは打って変わって、断固たる色を覗かせる顔は、まさしく商人のそれだった。
「いくらお嬢様の頼みでも、それは聞き入れられません。船を一隻失うのは大損害だし、なによりお嬢様のお命が危ない」
「あ、あたしなら大丈夫よ! 腕のいい傭兵を雇ってるし……」
「こういうものは自然災害と同じ、人間の力でどうにかできるものじゃないんです。人外の力でもあれば話は別ですが、なぜか教会は動いてくれません。自然に鎮まるのを待つしかないんですよ」
その後もファラは反論の言葉を探すが、ついに観念したかのように小さくため息をついてボソリと呟いた。
「……あたしが、人外の力を使える、って言ったら貸してもらえますか?」
「何をおっしゃるかと思えば……。お嬢様、お戯れも程々にしてくださいませ」
「紅魔」
ファラは振り返って、うしろに浮かぶ悪魔と目を合わせる。
「なんだよ」
「おじさまに姿を見せてあげなさい」
「はあ?」
「話は聞いていたでしょ? あんたが鎮めるのよ」
「バッカ! なんで俺がそんなこと……」
「紅魔」
声を遮り、ファラが言う。
「これは命令よ」
“命令”されてしまえば紅魔は抗うことはできない。
渋々魔力を高め、姿を具現化する。
「なっ……」
紅魔の姿を見て絶句する男。
「この悪魔はあたしの侍従です。恐れることはありませんよ。あたしに取り憑こうとしたのを咎め、改心させました。彼ならきっと力になってくれます」
「誰がお前に取り……」
「黙って」
ファラに例の凍える視線を送られ、紅魔は口を噤む。
「ね、おじさま。よろしいでしょう?」
紅魔の姿によほど驚いたのか、男はカクカクと縦に首を振るだけだった。