第八話 : 爆ぜよ
タキシードの男は隠れていない口元を歪ませる。吊り上がった口角は、慧に狂気とでも呼べる何かを思わせる。
「そこを通して頂きたい」
「断る。お前は誰だ?」
「ふふっ、私はベイルというものです。貴方はそこのお嬢さんの兄弟か何か、でしょうか。以前彼女には手酷くやられましてねぇ。ここ最近苛々している私と偶然会ったことを恨んで下さい」
ニタリと口を三日月に開くと、タキシードの内側からナイフを取り出す。
「お兄ちゃん、ここは私がどうにかするから逃げて!」
「美しい兄妹愛です……思わず壊したくなるくらいにッ!」
ベイルが投げたナイフを、身体を半身ずらすことで慧は避ける。だが避けたナイフは慧の横で爆発し、ナイフの破片が慧へと向かう。
「ッ!?」
避け損ねた一片が慧の右腕を掠める。服が血で濡れると恵令奈は小さく悲鳴をあげる。
「そいつは触れた物を爆破できるの! お兄ちゃんは、一般人は逃げなさい!」
「お兄ちゃんは弱いからさ、早いとこ倒してくれよ恵令奈!」
慧はポケットから小さくなっている大鎌を展開し、ゆっくりと近づくベイルへ向ける。ベイルはピタリと足を止めると獰猛な笑みを浮かべる。
「もしかしたら貴方、知り合いかもしれませんねぇ」
「残念ながら俺はお前みたいな奴は知らねーよッ!」
『ふぁあ』
首から吊り下げられた時計が狂い始めた時、間の抜けた声が慧の頭に響く。
『おはようございます。って、マスター戦ってるんですね。それに怪我、それで私も右腕がちょっと痛むのですか』
『ようやくお目覚めか。といってもクロノが居ても変わらないけどな』
感覚を共有しているらしい、というのは薄々気づいていたが、慧は確信を持つ。だが、今は戦闘中だ。いくら体感時間が引き延ばされているとはいえ、余計なことを考える暇はないと慧は戦闘に集中する。
『私が居れば能力の負担が軽くなることに気づいていないのですか……まぁいいです』
「ぅぉおおお!!」
慧が切りかかったところをベイルはすんなりと躱す。これ以上近づくのは良くない気がした慧は攻撃を止め、一歩下がる。
「クスクス。勘のいい方です。もう一歩踏み込んでいれば、貴方の中身とご対面出来ましたのに」
言うが早いか、慧のすぐ近くで空気が爆ぜる。慧の頬に冷や汗が伝う。
どうやって乗り切るか慧が考えていると、辺りに霧が出始める。
「お兄ちゃんを傷つけたからにはタダで返すわけにはいかない」
「相変わらず、相性は良くありませんね」
水の弾丸を躱しながらベイルは呟いた。躱した先を氷柱が飛んでいくが全て空中で爆発してベイルに届くことはない。
「とはいえやりようはありますが」
ベイルは懐から何本もナイフを取り出すと、一気に恵令奈へ投擲する。恵令奈も慌てて水を操るが間に合いそうにない。
慧は一度舌打ちすると、時計を握り締める。
この瞬間、動くことを許されているのは慧ただ一人。慧は走って恵令奈のところまで戻ると恵令奈を押し倒す。
「えっ?」
間抜けな声があがると同時に激しい爆発が辺りを包み込む。
慧はすぐさま立ち上がると、お返しとばかりに大鎌を投げる。鎌は再度投げられたナイフを弾きベイルの腕を斬り裂くと、後ろの壁へ突き立った。
恵令奈が立て直す時間を稼ぐために、慧はベイルに切迫し殴りかかる。引き延ばされた時間の中、空間の揺らめきを感じ慌てて飛び退くと激しい爆発が慧の制服を掠める。
慧が後ろへ下がると、恵令奈は慧と入れ替わり前方へ水の壁を展開する。追撃をかけようとしたベイルは舌打ちすると十数本のナイフを一度に投擲する。
水の壁は爆発で弾け飛ぶも、すぐさま形を変え、ベイルの周囲を覆う。それらは氷の針へと姿を変えるとベイルに降り注いだ。
爆煙で見えなくなる瞬間、ベイルは確かに笑った。
激しい爆発の後、そこには傷付いてはいるものの、依然として余裕のあるベイルが立っていた。
「ふふっ、はははは! いやはや、存外やりますね。二人同時となると私でも厳しいものがある。なかなか気持ちの良い痛みも味わったことですし、そろそろ退かせていただきましょうか」
「ま、待ちなさい!」
「なら追いかけてご覧なさい。ですが、これ以上となるとベットするのは命です。覚悟はお有りでしょうか?」
「恵令奈、放っておけ」
「貴方とは何度も会いそうだ。お名前を聞いても?」
「本当に今度会ったなら教えてやるよ」
「それは楽しみだ。ユール、という名前でないことを祈ってますよ」
ベイルが居なくなると慧は壁に突き立った大鎌を小さくすると、ポケットへ収納する。そして何か言いたげな恵令奈に背を向け手で口元を抑える。
鞄を拾いあげ、埃を払っているところで慧は恵令奈に声をかけられた。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「何だ?」
「その鎌何?」
「あー、これね。買ったんだ、最近物騒だからね」
役に立ってよかったと慧は顔を引き攣らせながら笑う。
「そう。で、お兄ちゃんは私が怒ってることに気づいてる?」
「いや、でも恵令奈? そうは言っても……」
恵令奈はズカズカと慧へ近づくと胸元を掴んだ。
「何考えてるのお兄ちゃん! 死んでもおかしくなかったんだよ!?」
「えっと、生きてるし良いじゃないか」
「それもそうかぁ」
「「あっはっはっは」」
慧と恵令奈は顔を見合わせるとわざとらしく笑いあう。だが、恵令奈の手は以前胸元にあり、シャツをこれでもかと引っ張っている。
「なんて言うわけないでしょ! そもそも能力を使えないのにどうしてあんな危険人物に立ち向かったの」
「恵令奈を置いて逃げることなんて出来なかった」
きっと慧は能力がなかったとしても、武器を持ってなかったとしても同じ選択をしたと確信していた。それを聞いた恵令奈は顔を隠すように俯いた。
「お兄ちゃんはバカだね……」
「ま、お互い様だな」
「今回は許してあげる。それより病院行かないと。お兄ちゃん怪我してるから」
「うん? あぁ、こんなのたいした事ないよ。それより学校行かないとな。ほれ、恵令奈の弁当」
慧は腕を気にした素振りを一切見せず、さらっと流すと鞄から弁当を取り出し恵令奈へ押し付ける。
「あ、ありがと。じゃなくてお兄ちゃん!」
「それじゃー俺は学校行くわ。後片付けは任せたっ!」
このままいるとロクな目に合わないと感じた慧は早口で言い残し、一目散に逃げ出した。
後片付け、と慧が言う通り、壁やら道路やらが壊れているのを見て、恵令奈は慧を追いかける事を諦めて、ため息を吐くと国防軍へと電話をかけるのだった。
ーーーーーー
慧は昼休みに弁当を取り出すと中身は案の定、ぐちゃぐちゃになっていた。一度溜息を吐くと、ついてないなと独りごちる。再度溜息を吐くと顔を上げた先には乃彩が立っていた。
「遅刻に睡眠学習、課題も未提出。挙げ句の果てに人の顔を見て溜息を吐くだなんて、良いご身分ね。まぁいいわ、ご一緒しても良いかしら高塒くん」
朝からこちらの様子を伺っていたのは知っていたが、慧は話しかけることをしなかった。というのも朝国乃彩がいわば学校のカーストで上位に位置することもあり、周りからの視線が痛いのだ。
……簡単に言うと高塒慧という男はヘタレだった。
しかし乃彩が取った行動は効果的と言わざるをえない。これを断るとホモだ、ゲイだといったあらぬ噂が出てくるかもしれない。
今回は乃彩の方から声をかけたのだ。一緒に食べたとしても多少のやっかみを受けるくらいだろう。
「構わない、が、朝国の顔を見て溜息を吐いたということは間違いだ」
そんな考えがあるとはいえ、結局のところ慧は断ることが出来ず、顔を引き攣らせながら了承する。せめてもの抵抗というのかはわからないが、溜息の事だけは否定する。
「そう? ならいいのだけれど、高塒くん……長いわね。もう慧と呼び捨てて良いかしら? 私のことも乃彩と呼んで良いわ」
「……わかった」
周囲から小さな悲鳴のような声があがったのを慧の耳はきっちりと拾う。一体何を考えているんだろうか、と慧は頭を悩ませながらそう答える。
「それで慧、その右腕の怪我どうしたの?」
「色々あったんだよ。それで何か用でもあるのか?」
慧は暗にここでは話せない、という意味を込める。乃彩も小さく頷くと弁当箱を開ける。
「今日どこかへ遊びに行かない?」
「ど、どうして?」
途轍もなく嫌な予感がした慧はついそう尋ねてしまった。乃彩はにっこりと微笑むと、
「私は最近あなたのことが気になっているの。好きになってしまった、ということよ」
そんな特大の爆弾を投下した。クラスから今度ははっきりと絶叫が聞こえ、慧は内心頭を抱えた。
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