第14話『お、俺に? 俺に聞くのか?!』
「聞いてほしいことがあるんです……輝一くんに」
「は? 俺に、か?」
放課後の屋上。昼休みでさえ、人がほとんど来ることのない屋上には、当然放課後も誰もいない。夕焼けが映える空と海が臨める屋上には春の涼しげな強風が吹き通り、学校旗がバサバサとせわしなく荒れていた。その屋上に、輝一と一人の男の子がいて、輝一はその子に連れてこられたのだ。半ば怯え気味の男の子に、輝一はため息を吐く。
「何怯えてんだよ? 俺がそんなに怖いか、ん?」
「あ、いえ、そうではなくて、その……」
涙をその瞳に溜め込み、少年はおどおどしく言葉を紡いでいくが、結局泣き出しそうなままで黙り込んでしまう。輝一は見てられないとため息を吐いて、
「わりい、用事があるんだ。俺、行くわ」
そう告げて屋上から出て行ってしまう。一人取り残されたその少年はただただ夕焼けに染まる空を眺めて、声を出さずに一人、我慢してた涙を流す。
「……分かってるよぉ……僕一人のことだもん。僕が頑張らないと……」
ずっとそのままただただ立ち尽くして空を見つめ、涙を流す少年。
「よぉ、遅くなってごめんな」
少年の背後から輝一の声。ビクッと肩を震わす少年は、涙目のまま振り向く。
「なーに泣いてんだよ、男だろ。ほらよ」
輝一は少年へと何かを投げ、少年が慌ててキャッチする。それは紙パックのカフェオレ。普段、日佐亜が愛して止まない飲み物であり、学校の自販機でワンコインで買えるお手軽さがなお良し。しかし、カフェオレは人気なので売り切れやすい。だからこそ、日佐亜はコンビニなどでペットボトルサイズのカフェオレを買って持ち込んでいる。日頃、日佐亜の行動を見てきている輝一だからこそ分かる情報なのだろう。
「クシュン……」
「あははは! 可愛いクシャミだね、日佐亜」
「……何か気持ち悪い」
「え?」
「とにかく、座れよ」
カフェオレを渡した輝一は、屋上に置かれた長椅子に少年を座らせる。自分の分のカフェオレも買っていて、その紙パックにストローを刺し、カフェオレを一口飲む輝一。
「……俺、甘党じゃないし、甘いのダメだったわ」
「えぇ?! じゃあ、何でカフェオレなんて買ってるんですか?! あ……ごめんなさい、です……」
「何で謝るんだよ? 俺な、好きなやつがいるんだよ」
夕焼け空を見上げながら輝一は呟く。突然にそんな言葉を投げかけられ、隣に座る少年はポカンとした顔で輝一を見つめた。
「……そいつがよ、カフェオレ、好きなんだよな。俺もつい飲みたくなってな」
「ありがとうございます。ご注文を復唱させていただきます。カプチーノが一つ、カフェオレが一つで以上ですね」
「以上でーす、ありがとね♪」
紫乃野がニコニコと手を振ってそう答え、店員も苦笑いか愛想笑いか、はたまたないとは思うけど、素の笑顔で去っていった。こういう店ってだいたい作り笑いよね。ま、気にしてはないけどさ。
「相変わらず、日佐亜ってカフェオレ好きだよね」
「まぁね」
しばらくして、店員がカプチーノとカフェオレを持ってきて机の上に置いた。湯気の立つカフェオレ、ではなくアイスのカフェオレを頼んだ日佐亜は小説片手にゆっくりと味わう。
「……何?」
「ひゃう?! あ、ぼーっとしてただけだよ、うんっ! それで、どう?」
じーっと見つめてた紫乃野に声をかけただけだけど、何か驚かれた。ちょっと、それはそれで傷つくんですが。
「どうって?」
「カフェオレのこと」
「……たまには店でのカフェオレも悪くないわね」
まぁ、他に女性客のはしゃぐ声と存在感もなくただ一人、ここでゆったりと飲んでいたら、ね。味は文句なしで悪くないけど。……そういえば、輝一は今頃何してるんだろう? あの変態ストーカーの気配がないのは珍しいって――私は何であの変態のことなんか考えてるんだろうか? あぁ、気分悪くなるから今の文章は全てバックスペースで抹消しよっと。
「それで? 何か用だったんだろ、俺に?」
屋上の長椅子に二人で座って夕焼け空を眺めながら紙パックのカフェオレを飲む二人。輝一が沈黙を破って尋ね、少年は答える。
「……僕、その……好きな子、がいるんです……」
夕焼けではなく、頬が赤く染まる少年は恥ずかしそうに輝一から顔を逸らす。草食系の小動物男子なこの少年が、しかも話したことのない相手である、しかも野蛮で変態ストーカーでデリカシーなし男である輝一に、そんな恋愛相談をするなど意外性抜群。さすがに輝一もやや動揺して目を右往左往させていた。
「お、俺に? 俺に聞くのか?!」
(ま、まいったぜ……。そして、何か今、すごく傷つくようなことを言われた気がするんだが……ひとまず)
「お前誰だよ? 名前が分かんねぇから何て呼べば良いか分かんねぇよ」
「あ、ごめんなさいです! ぼ、僕は一年一組の青野空です!」
「あっははは、なんだそれ? あ、悪いな、おもしろい名前だと思ってな。青の空か……じゃあ、青空って呼ぶわ。ってか、一年一組ってことはクラスメイトか?! 全然気づかなかった。……で? 誰が好きなんだよ、うん?」
デリカシーなし男とはまさにこのことだろう。空は真っ赤な顔でおどおどしてまた言葉を詰まらせ黙る。
「あぁ、もう……誰にも言わねぇから言ってみろよ、な?」
輝一がそう言い寄り、空は目線を落としながら呟く。
「その、僕は――
「今日は色々ありがとうございました!」
夕日が沈んで暗くなりかける夕方の空、星が煌き出す頃。空の相談が終わり、輝一へとペコリと頭を下げてお礼をした空。輝一が照れ隠しで背中を向けて一言、
「おう、まぁ、良いってことよ」
そう呟いた。
それから、空は時間とのことで先に帰り、輝一だけが屋上に残った。輝一はそのまま帰ろうとはせず、暗くなり続ける空を眺めていた。右手には飲み干したカフェオレの紙パックが、握りつぶされて小さくなっている。
「あら? まだ、下校してなかったのかしら?」
「……そういう七華こそ、ここで何してる? とっとと帰らないのか?」
「随分と素っ気ない言い方ね」
空を眺める輝一の元に、七華がなぜかやってきた。屋上なんて場所に用はないだろうから、恐らく輝一に用事があるに違いない。
「はぁ……何だよ、七華?」
暗い表情で振り返り、七華へと向き合う輝一。七華は腕を組んで凛として立っている。手を伸ばせば届きそうで届かないおよそ九十センチの絶妙な間。通り過ぎる夕暮れの冷風が二人を静寂へと誘う。数十秒、まるで時が止まったように屋上の二人が黙り込む。
「…………」
「…………」
「……おい、聞こえたか? 何か用かよ?」
「どうするつもり?」
「あぁ? 何が?」
「草食系男子くんのことよ」
「……ノーコメントで」
輝一はらしくない悩み顔のまま、黙って屋上を退出する。その姿を横目で七華は見届け、それから黙ったまま夕暮れ空を見上げる。東から青ざめてく夜空と西へと沈みながら暖色光を放つことをやめない日に焼ける空。赤から青に変わっていくグラデーションに浮かび上がってく光の粒が幻想的な夜を迎えていた。
風にそよぐ横髪を耳にかけ、七華は呟く。
「……複雑な気持ちですわ、全く……」